第三章 『真依、修学遠足に行く』②
「はぁ。もう帰りたいなぁ」そんな不満を心の中で呟き、真依がハンバーガーを食べ終えたその時、
「お待たせしました」
おじさんが、シュガーボールドーナツとミルクティーを運んできた。
「ご苦労様」
礼を述べるために開けた口をそのままに、真依は、一口サイズの丸いドーナツをそこに放り込んだ。粉砂糖の甘味が、苛立つ脳を優しく包む……が、それも彼女を満足させるまでには至らなかった。
不安げにじっとこちらを見てくるおじさんに、真依は愚痴り始めた。
「だいたい、竜之介君も竜之介君よね。ちょっと女の子にちやほやされたからって、鼻の下伸ばしてついて行っちゃってさ。そう思わない?」
「いいえ。竜之介さんが鼻の下を伸ばしていたかどうかは、後ろ姿しか確認していないので、分からなかったはずですが……」
至って冷静におじさんはそう答えた。
「……うー」
確かに「鼻の下伸ばして」は、勝手な想像だ。口籠り、真依は唸った。竜之介に罪が無いことを認めざるを得なくなった彼女は、話題を変えた。
「あ、そうそう。それより、岬ちゃんよ。武志君のことが好きなんだったら、前もって教えてくれていたらよかったのに。私、完全にお邪魔虫だったじゃない」
これにもおじさんはさらりと答えた。
「岬さんは、事前にお話しされていましたよ」
「え? いつよ?」
二つ目のドーナツを口に運びながら真依はそう尋ねた。
「“守護霊対面式”の時です。彼女、私の守護霊は濃姫がいい、とお話しされていたでしょう?」
「そういえば、そんなこともあったような……。でも、それと岬ちゃんが武志君を好きなのと、何の関係があるのよ?」
「関係ありますよ。濃姫は、織田信長の正室ですから」
「正室?」
「妻のことです。武志さんの守護霊が織田信長であることが分かったため、岬さんは、その妻である濃姫を守護霊に持ちたいと仰ったのです。何とも彼女らしい、奥床しい話ではないですか」
ほっこりとした顔で目を細めるおじさんに、真依は噛みついた。
「ふん、だ。どうせ、私は、奥床しい気配りなんてできない女ですよ。……だいたいさ、さっきから聞いてれば、竜之介君や岬ちゃんの肩ばっかり持って、いったい、おじさんは誰の味方なの?」
「誰の、って、それは、もちろん真依さんですよ。そのための守護霊なんですから……」
ひょんなことで自分に矛先が向いてしまったおじさんは慌ててそう弁解したが、あとの祭りだった。
語気を強めて真依は言った。
「そもそも、何で小学校生活最後のお出かけ行事がこんな小さな遊園地なの? せめて、泊まりでどこかに行きたかったよ。昔は修学旅行ってのがあって、泊まりだったんでしょう?」
「はい。でも、今はありません。修学旅行では、行き先が観光地に偏ってしまうことが多く、数十の学校が一斉に集まってしまう、なんてことがあったからです」
「どうして偏っちゃいけないのよ?」
「守護霊が見えなかったころはそれでもよかったのですが、見える今ではその実数が倍になりました。そのため、大きな混雑を引き起こしてしまうのです。だから、百年前より中止に……」
「なぁんだ。じゃあ、守護霊が悪いんじゃないの」
溜め息混じりに三つ目のドーナツを頬張る真依に、おじさんは、
「すみません」
と、守護霊の代表であるかのように謝罪した。
「あーあ、つまんないなぁ」
愚痴が一段落した真依は、大きく伸びをして辺りを見回した。
すると、彼女の視界に“あの人物”の姿が飛び込んできた。
「竜之介君!」思わず叫んでしまいそうになるその名前を、真依は喉元で飲み込んだ。テーブルの上に山と積まれたファーストフードの空き容器を見つけたからである。
「おじさん、急いでテーブル片づけて。もし竜之介君に見られたら、ひとりでこんなに食べたのか? って、笑われちゃう」
慌てふためき指示を出す真依に、おじさんは、
「実際に、ひとりで食べたんでしょう」
と言いながらも、素直にテーブルの空き容器を片づけた。
何はともあれ、これで見られても安全な状態は確保された。真依は、安心して竜之介の監視を開始することにした。
竜之介は、十人ほどの女の子たちと談笑しながら、フードコートから続く土産物を扱う店へと入った模様だ。だが、幸いなことにどちらもオープンスペースになっており、監視に支障はない。
「何よ! 女の子たち、増えてるじゃないの!」
苛立たしげに呟く真依に、
「それは、そうでしょう。竜之介さんは、人望がおありですから」
と、おじさんは納得するように頷いた。
「何? 私にはそれがないって言いたいの?」
真依がおじさんを睨む。
「い、いえ、そんなことは……」
おじさんはぶんぶんと勢いよく首を振ったが、それを無視し、彼女は四つ目のドーナツを口に入れると監視を再開した。
土産物店にいるのは同じだが、いつの間にか竜之介は女の子たちと別行動を取っていた。ひとりだけ離れた場所で、何やら熱心に商品を見比べている。
「あれは、……ネックレスですね」
じっと目を凝らし、おじさんがそう断言した。
「ネックレス? ネ、ネックレスって、だ、誰に買ってるのよ? 誰のためのネックレスよ?」
激しく狼狽しながら、真依はおじさんに聞いた。
「そこまでは分かりませんよ。好意ある女性へのプレゼントか、それとも、ご自身のための物か」
「そ、そうよね。自分の物って可能性もあるよね。ネックレスって、男の人も着けるから」
真依は、自らに暗示をかけるようにそう言った。
だが、
「……あっ」
思わず彼女は声を上げた。手探りで取った五つ目のドーナツが、その心を映す鏡となり、震えている。
真依の両眼に映った光景。それは、選びかねた二つのネックレスを、守護霊である香の首元に並べて比較している竜之介の姿だった。
「なるほど。香さんへのプレゼントだったんですね」
しなくてもよい解説をおじさんがした。
「見れば分かるわよ。見れば」
不貞腐れた様子で、真依は手にしたドーナツを口に放り込んだ。
そして、
「確かに、香さんってさ、落ち着いた大人の女性って感じだし、綺麗だし、守護霊だし、空だって飛べるし、いいよね。それに比べて、私なんか子供だし、綺麗じゃないし、何の取り柄もない人間だし、空飛べないし……」
などと訳の分からぬことをぶつぶつと呟きながら、そのまま六つ目、七つ目のドーナツも続けざまに口の中に押し込んだ。至当なる結果として、それは喉に詰まった。
「ほ、ほひはん。み、み、……水!」
ドンドンと胸を叩く真依。
おじさんは、
「まったく、踏んだり蹴ったりですね……」
と哀れむような表情を浮かべてミルクティーを差し出した。
真依は、飲み物の力でドーナツを胃に流し込んだ。
「ふぅー。死ぬとこだった」
涙目になりながら彼女は、竜之介のいた場所へと視線を戻した。
しかし、彼の姿はもうそこにはなかった。
「あれ? 竜之介君は?」
「そういえば、いらっしゃいませんね。取り巻きの女の子たちもいませんし、店を出られたんじゃないですか?」
「……そう」
悲しげな顔で、真依は八つ目をそっと手に取って噛み締めた。
「まだ食べてる」そう思いつつもそれを口には出さず、おじさんは提案した。
「あ、そうだ。折角フリーパスチケットがあるんですから、私たちも外に出ませんか?」
「嫌よ。おじさん、ひとりで行けばいいじゃない」
冷めた口調で真依はそう答えた。
「そんなことできる訳がないじゃないですか。私たち守護霊は、主から十メートル以上離れられないんですから」
「離れたらどうなるの?」
「消えてしまいます」
「あ、そう。じゃあ、諦めるのね」
「そんなぁ。……あーあ、私もジェットコースターに乗りたかったです」
外を眺めて独りごちるおじさんに、真依が九つ目を食べながら告げた。
「おじさん。次、ニンニクたっぷりとんこつラーメン」
「は? ラーメン?」
「そう。食べるの、私が。甘い物のあとは、塩っぱい物。これ、常識でしょう?」
さらりと言ってのける真依に、
「それが常識なのかは分かりませんが、胃袋の常識は遥かに超えていますね」
と、おじさんは、彼女がこれまでに食べたファーストフードの数々を頭に浮かべて答えた。
「別にいいでしょ。さっさと買ってきてよ、ニンニクたっぷりとんこつラーメン」
「はい、買うには買いますが……。でも、本当にいいんですか? お金、もう残り少ないでしょう?」
「お金? そういえば、そうね……」
おじさんに指摘され、真依は財布の中を確認した。確かに、残金は、ラーメンを食べればゼロになってしまうほどに心許なかった。しかし、ひとりぼっちである彼女には、今日、これから金を使う予定など一切ないのもまた事実であった。
「どうします?」
そう尋ねるおじさんに、真依は高らかに宣言した。
「決めた! こうなったら自棄よ。お小遣い、全部使っちゃうんだから」
「どうなっても、知りませんよ」
そう忠告しながらも代金を受け取ると、おじさんは、主のためにラーメン店へと力なく飛んで行くのだった。
「竜之介君がきた時にあげようと思って残しておいたけど、……もう、知らない!」誰もいなくなったテーブルで、真依は、最後のドーナツを取り出して口に入れた。それは、これまでの九個よりもたくさんの粉砂糖がついた、まるで雪の小玉のような、真っ白なシュガーボールドーナツだった。
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次回更新は、6月12日(月)を予定しています。