第三章 『真依、修学遠足に行く』①
第三章 『真依、修学遠足に行く』
百年前まで、この国の小学六年生には、修学旅行という子供たちが楽しみにしている学校行事があった。しかし、現在ではそれはなくなり、代わりに、修学遠足なるものが組み込まれている。
修学遠足では、近郊のテーマパークやアミューズメントパークに行くのが主流となっており、真依たちの学校もその例に漏れず、行き先は、バスで一時間ほどの距離にある遊園地だった。
これまでに何度も足を運んだことのある近場、しかも日帰りなのには、誰もが落胆の色を隠せなかったが、それでも皆で遊びに行くのは嬉しいもので、どの子も修学遠足を楽しみにしていた。無論、それは真依も同じだった。同じだったのだが……。
「おじさん。次は、シュガーボールドーナツの十個セット。それと、ミルクティーもね」
右手に持つハンバーガーに齧りつきながら、左手で真依が代金を渡した。
「え? まだ食べるんですか?」
驚き半分呆れ半分で、おじさんは彼女の前のテーブルに目を落とした。
そこには、真依が既に食したファーストフードの空き容器が、山のように積み重ねられていた。
「いいから行くの。早く!」
真依に追い払われ、おじさんは、
「は、はい。すみません」
と、押っ取り刀でドーナツ店へと飛んで行った。
「竜之介君。竜之介君。……竜之介君!」まるで呪文のように心の中で繰り返すその回数分、真依はハンバーガーを口に運び続けた。
複数の飲食店が連なる遊園地のフードコートで、今、真依はやり場のない怒りに燃えていた。
何ゆえ、彼女は怒っているのか?
その理由を知るためには、二時間ほど前まで遡らなくてはならない。
二時間前の午前十時。真依たちは、遊園地の入場門前に集合していた。
本日、五月三十日の天気は快晴。修学遠足には最高の日和であった。
眩しい太陽に目を細めつつ、岩田先生が告げた。「では、これより入場し、その後は自由行動とする。再集合は、午後四時。決して遅れることのないように。……解散!」
一斉に園内へと向かう六年生。その中で、真依は目ざとく竜之介を見つけた。
「竜之介君、一緒に……」そう口にしかけた真依だったが、その言葉を最後まで紡ぐことはできなかった。彼の周りを、七、八人の女の子たちが取り囲んだのである。
女の子たちは、口々に、「ねぇ、ジェットコースターに乗ろう」、「竜之介君の隣は、私よ」、「それより、お化け屋敷に行こうよ」などと言いながら、あっという間に、彼を遊園地の中へと連れ去ってしまった。
まるで嵐がきたかのような出来事に、真依はなす術もなく立ち尽くした。
そこに、彼女の後方から声がかかった。「真依ちゃん。一緒に回ろう」
振り向くと、岬がいた。落ち着いた風貌の白虎も彼女の後ろについている。
地獄に仏とはこのことだ。真依は喜んで岬と行動をともにすることにした。
……ところが。
入場門を通ったところで、織田信長を守護霊に持つ武志が待っていた。
「よ、よう。……岬」武志が手を上げると、すぐさま白虎がその前に立ちふさがった。
「グルルルルル」白虎は威嚇するように唸り声を上げた。どうやら彼は武志が大嫌いなようだ。
「ダメよ。白虎ちゃん」岬が慌てて止めに入ると、白虎は大人しく引き下がった。
借りてきた猫のようになっている白虎の前に出て、岬が尋ねた。「どうしたの?」
武志は、照れたように遠くを見ながら言った。「よかったら、俺と園内を回らねぇか?」
それは、いつもの彼らしからぬ、控えめな口調だった。
「……武志君」彼の名を呼ぶ岬の顔が、見る間にその耳まで真っ赤に染まった。
しかし、先約があることを思い出したのであろう彼女は、「ごめんなさい。私、真依ちゃんと……」と、心から残念そうな顔でそう返事をした。
そんな親友の表情を見て、「じゃあ、行こうか岬ちゃん」などと言えるはずがない。真依は、「いいじゃない。行っておいでよ。私、たまにはひとりでのんびりとすごしたいなぁ、って思ってたからさ」と、誰が聞いても嘘だと分かる提案をした。
これに岬は大きな戸惑いを見せ、「え? いいの? でも……」など煮え切らぬ様子でいたが、真依の「いいから、いいから」との返事に安心したのか、「じゃあ、そうするね。真依ちゃん、ありがとう」と言うと、遊園地の中央にある噴水広場のほうへと武志と連れ立って歩き出した。
「死のうは一定、忍び草には“恋”をしよぞ、一定語りをこすよの」そんな小唄を口ずさみ、朗らかに笑う織田信長の声が辺りに響いた。
並ぶ二人の背を見送りながら、真依は、岬の最後の言葉が、「ごめんね」ではなく、「ありがとう」であったことに気がついた。
そう。二人は、相思相愛の仲だったのである。
斯くして、真依は、解散より僅か十分で独りぼっちとなってしまった。独りの遊園地ほどつまらぬものはなく、行き場を失った彼女は、匂いに引き寄せられるようにフードコートに入った。それから現在まで、目につくままに色いろなものを食べ漁っていたという次第なのである。
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