第一章 『真依、おじさんと出会う』②
さて、始業式も無事に終わり、ここからは、各教室へと移動して新しい担任からの話を聞いたのち放課、という流れになる。
だが、それはあくまでも百年前までの話だ。
現代では、真依たち六年生だけに関係する“ある行事”が付け加えられている。
“守護霊対面式”だ。
“守護霊対面式”とは、文字どおり、日常の災厄から身を守ってくれている霊、守護霊と初めて対面する出会いの儀式である。
式に出席できるのは、主役となる六年生、それに、六年生の各担任と見届け人である校長先生のみだ。そのため、先にあった始業式とは打って変わり、かなりフランクな雰囲気の中で行われる。式次第も実に単純で、出席番号順にひとりずつ体育館のステージへと上がり、その中央のテーブルに設置された真紅のスイッチを押す。それだけだ。たったそれだけで、この世に生を受けてから今日まで、自分を守ってくれている守護霊を、その目で確かめることができるのである。
他学年が教室へと戻ると、六年生は、体育館中央付近より前方の、ステージが見やすい場所へとそれぞれ移動し、腰を下ろした。
「これより、“守護霊対面式”を執り行う。六年一組、男子、一番。相川武志」岩田先生の呼び声が館内に響くと、「おうよ!」それに負けない大きな返事で、武志がその場に立ち上がった。
一番手であるのに緊張する様子さえ見せず、武志は、ステージへの階段を一足飛びに駆け上がり、真紅のスイッチの前に立った。
そして、「出でよ! 俺の守護霊!」と叫ぶと同時に、叩き潰さんばかりの勢いでそれを押した。
静寂広がる体育館。果たして、どんな守護霊が出てくるのか?
皆の視線が集まる中、突然、武志の背後にひとりの男が姿を現した。
「お、おい、ちょっと待てよ」、「あれって、もしかして……」見守る六年生たちが俄かにざわめき始める。
その男は、戦国から安土桃山の時代を生きた、尾張の武将にして希代の英傑、織田信長であった。
いきなりのビッグネーム登場に、見守る六年生のざわめきは歓声へと変わった。
「俺の守護霊が、……信長」当の本人である武志も、これには驚きを隠せない。
そんな彼に、信長は、「武志よ。お主には、右府であるこの儂がついておるゆえ、安心して日々精進せよ。ともに天下を掴もうではないか」と右手を出した。
「お、おうよ!」歴戦の猛者が持つ威厳に気圧されながらも、武志は、その手を強く握り返した。
これを始まりとして、対面式は着々と進み、守護霊は次々と明らかになっていった。
十分後。
「男子、十七番。矢神竜之介」岩田先生が、竜之介の名を呼んだ。
「はい」涼やかな返事をして、竜之介がステージへと歩き出す。
すると、「竜之介君って、どんな守護霊がついているのかな?」、「彼と同じで、恰好いいに決まってるよ」、「いいなぁ。私も竜之介君の守護霊になりたい」など、あちこちから女の子たちの囁きが聞こえ始めた。アイドル並みのルックスに加えて、卓越した運動センスと知性を併せ持つ彼に想いを寄せているのは、真依だけではなかったのである。
ステージ中央に立った竜之介は、ためらうことなく真紅のスイッチを押した。
現れたのは、濃紺色に紅白の梅の花があしらわれた着物を身に纏う、見目麗しき大人の女性だった。
「……綺麗」溜め息にも似たその言葉だけが、体育館を包み込んだ。
竜之介と向かい合うと、女性は、「初めまして。私、浅吹香と申します」と丁寧に頭を下げた。
「初めまして。これまで守護していただき、ありがとうございます。引き続き、よろしくお願いします」そう竜之介も返した。
香に先を促され、竜之介はステージの階段を下りた。守護霊らしくその後ろを彼女がついてくる。
優美な香の立ち振る舞いに、武志の時とは異なる羨望の眼差しが、竜之介に注がれた。とりわけ彼を羨ましそうに見ていたのは、四十五年前の“守護霊対面式”で、自分の守護霊が河童であることを知ってしまった校長先生であった。
竜之介で一組男子の守護霊対面は終わり、女子の番になった。
近づく自分の順番を緊張しながら待っている真依に、隣に座る親友の松田岬が話しかけてきた。「ねぇ、真依ちゃん。竜之介君の守護霊さん、優しそうでよかったね」
「う、うん。そう、……だね」真依は、何とも歯切れの悪い返事をした。
竜之介の守護霊が、鬼や悪魔、ましてはムカデやカマドウマでなかったのは幸いだったが、綺麗な女性であったのも、それはそれで問題だったのである。
「もし、竜之介君が、香さんを好きになっちゃったら……」そんな恐ろしい考えを振り払い、真依は岬に尋ねた。「岬ちゃんは、どんな守護霊がいいの?」
少し悩んでから彼女は答えた。「濃姫、かな」
「濃姫?」それが誰なのか分からず真依は首を傾げた。
だが、岬は、「そう。濃姫よ」と意味ありげな笑みを浮かべるだけだった。
そうしているうちに、「女子、十四番。星宮真依」岩田先生の声が響き、いよいよ真依の出番となった。
「頑張ってね、真依ちゃん」手を振る岬に「行ってくるね」と笑顔で答えると、真依はステージの階段へと歩き出した。
ステージを中央まで進み、テーブルの前に立つ真依。その胸は大きな期待で溢れていた。
「これを押せば、私の守護霊が分かる」ドキドキしながら彼女は、真紅のスイッチへとそっと右手を伸ばしたのだった。
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