最終章 『守護霊は、おじさん』
最終章 『守護霊は、おじさん』
真依と竜之介から守護霊がいなくなり、ひと月あまりが経った。
あの日病院へと運ばれた竜之介は、大事を取って一週間ほど入院したが、現在では元気に学校に通っている。その様子を間近で見ていた真依も少なからず安心を覚え、二人は、普段と変わらぬ日常を歩み始めていた。
さりとて、二人がおじさんと香のことを忘れた訳では決してなく、それぞれの守護霊が揃って戻りくるその日を、指折り数えて待ち続けていたのであった。
三月十七日、午後五時。真依と竜之介は、真依の自室にいた。
テーブルの上には、ミルクティーの入ったグラスが二つ。それは、おじさんと香、そのどちらもがまだ帰ってきてはいないのだということを示していた。
「明日は卒業式なのに、おじさんたち、まだ戻れないのかな?」
ぼそりと、そう真依が呟いた。
「……すまない」
「え? 何が?」
「俺のために、香さんだけでなく間野さんにも迷惑をかけることになってしまって……」
竜之介が俯く。
真依は即座に否定した。
「それは違うよ。おじさんは香さんを助けようと天上界に行ったんだし、香さんが後悔はしていませんってわざわざ伝えてきたのは、竜之介君にそんな気持ちになって欲しくないからだし、それに、私は、竜之介君が生きていてくれただけで幸せなんだから」
「……」
それでも気持ちの整理がつかないのか黙り込む竜之介に、真依は続けて言った。
「だから、香さんが戻ってきたら、お帰り、って、笑顔で出迎えてあげて」
その時、室内の一角が、明かりが灯るかのように淡く輝きを放ち始めた。
「……何?」
驚き見つめる二人の前で、それは一度強く光り、次の瞬間、そこにおじさんと香が現れた。
「おじさん?」
状況がよく理解できずにいる真依に、おじさんは、
「びっくりしたでしょう? 一刻も早く帰りたくて、天上界からここまで転送してもらったのです」
と笑った。
「おじさん。じゃあ、本当に帰ってきたのね?」
「もちろんです。私は、現れては消える幽霊ではありません。真依さんの守護霊、間野卓郎です」
「お帰りなさい! おじさん!」
真依はおじさんの胸に飛び込んだ。
その様子を微笑ましく見届け、香が竜之介の前に出て深く頭を下げる。
「ただ今、帰りました」
「お帰り」そのひと言が出ず、やはり竜之介は、
「俺のせいで、すみませんでした」
と言葉を返した。
すると、香は首を横に振った。
「いいえ。謝らなければならないのは私のほうです。此度のことで、私は反省しました」
「え? どういう意味ですか?」
「あの日、竜之介さんを助けた際に私は、その理由を、貴方のためだとか卓郎さんのためだと申し上げました。しかしながら、それは間違いだったのです。あの時の私は、そのような複雑な理由を考えられるような心情では決してなく、ただ助けたかったから助けた、それだけだったのです。そう。真依さんを卓郎さんがお助けになった時と同じように……」
香は、真依とおじさんのほうにちらりと視線をやった。
「ですが……」
竜之介が言い淀む。
香は言葉を足した。
「竜之介さん。貴方は、真依さんと同じように優しく、彼女よりも遥かに強い心を持った人です。ですが、それだけに、私は真依さんよりも貴方のほうが心配です。強い心を持つ人は、何もかもを自分だけの力で解決しようと、無理をしてしまいますから。ですから、お願いです。たまには周りの人たちに、……私に、甘えてみてはくださいませんか?」
その途端、竜之介の目から大粒の涙が零れ落ちた。
「……ありがとう。お帰りなさい、香さん」
「はい。これからも、よろしくお願いします」
香は、竜之介の頭をそっと撫でた。
真依が二つのグラスを追加し、テーブルの上のミルクティーが四つになった。
「それで、結局、香さんはどうなることになったの?」
そう問う真依に、おじさんは胸を張って答えた。
「“転生の禁止”は免れませんでしたが、存在は消されずにすみました。香さんは、これからも竜之介さんの守護霊です」
「よかったー」
真依が喜びの声を上げると、香も、
「本当に卓郎さんのお陰です」
と、微笑んだ。
「え? 卓郎さん?」香の告げたその呼び名に反応し、真依が彼女の首元に目をやる。
あのネックレスは、なくなっていた。
午後六時。春分近しといえども、この時期の日の入りは、夏のそれと比べて一時間ほど早い。
夜の帳に包まれ街灯が灯る玄関前の通りで、
「じゃあ、また明日」
と、竜之介が手を振った。
「失礼します」
真依とおじさんにお辞儀をすると、香もあとへと続いた。
少しずつ遠ざかるその姿が二十メートルほどになった時、おじさんがその半分を進み、
「香さん!」
と声を張り上げた。
「はい。何でしょう?」
踵を返す彼女を待ち、おじさんは尋ねた。
「あの、香さん。再テストの日の夜、私がここでお話ししたこと、覚えていらっしゃいますか?」
「はい、もちろん」
おじさんの目を真っ直ぐに見つめ、香は頷いた。
「あれから七か月。私は、香さんに認められるような男になれましたでしょうか?」
香は暫し口を噤み、それから徐にそれを開いた。
「卓郎さん。貴方は、どうお考えでしょうか? 貴方ご自身は、私が認める男性になれた、と?」
「はい。なれたと思いま……、いや、なれました。香さんが認める男に。だから、これからは、私が、香さんを幸せにします」
おじさんが右手を差し出す。
香は、それをそっと取って答えた。
「はい。よろしくお願いします」
陽春。おじさんにも、漸く遅い春がやってきた。
「で、では、また明日!」
完全に浮かれるおじさんの耳元で、香は囁いた。
「実は、私、七か月前のあの日から、卓郎さんをお慕いしていたのですよ」
「え?」
驚き目を見開くおじさんに、香が微笑みかける。
彼女は、
「それでは、また明日」
少し顔を赤らめそう告げてから、竜之介の許へ飛び立って行った。
ご訪問、ありがとうございました。
『守護霊は、おじさん』本編、これにて終了です。
次回のエピローグで物語全てが終わります。更新は、7月18日(火)を予定しています。




