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守護霊は、おじさん  作者: 直井 倖之進
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第六章 『竜之介、最大の危機』③

 二十分後。タクシーを降り、真依は裏口から病院内へと入った。今日は日曜日のため、急患以外の外来が休みとなっているからだ。

 案内で竜之介の病室が三〇五号室であることを聞くと、真依は三階へと階段を駆け上がった。

 三〇五号室の前には、香が立っていた。

「あ、香さん」

 おじさんがその場で立ち止まったが、真依はそれに気づくことなく彼女をすり抜け、その後ろにある横開きのドアをスライドさせた。

 病室は個室で、ベッドが一台。その上で、竜之介が横になっていた。傍らには、彼の両親の姿もある。

「竜之介君!」

 叫ぶや否や真依がベッドへと駆け寄った。

「真依ちゃん。きてくれたのか」

 竜之介の父親、(まさ)()が彼女に声をかけた。

「ねぇ、おじさん。竜之介君、大丈夫だよね?」

 祈るように問う真依に、雅也は、

「あぁ、大丈夫だよ。お医者さんもそう言っていたからね」

 と微笑みかけた。

「よかったー」

 真依は胸を撫で下ろした。

 そんな彼女に、雅也はこう続けた。

「竜之介が発作で倒れていたところを見つけて、救急車を呼んでくれた人がいたんだ」

「その人は?」

「救急車が到着した時には、既にいなかったらしい。救急隊員の人の話では、女性の声だったそうだよ」

「そうか。私、お礼を言いたかったのになぁ」

「おじさんもだよ。その人のお陰で、息子は助かったんだから……」

 雅也は、ベッドで静かに眠っている竜之介にそっと視線を落とした。


 三〇五号室前の廊下で、おじさんが重い口を開いた。

「香さん、もしかして……」

 その震える声に、香は小さく、

「はい」

 と頷いた。

「……」

 おじさんは顔を伏せた。

 暫しの沈黙ののち、香が聞いた。

「何故、お分かりになったのですか?」

 下を向いたままおじさんは答えた。

「真依さんが、香さんの存在に気づかなかったからです。“守護霊対面式”を終えた守護霊を人間が見ることができなくなる場合、その理由は二つ。ひとつは、主が二十歳を迎えたから。そして、もうひとつは、その守護霊が何らかの罪を犯したから」

「そのとおりです。私は、罪を犯しました。本日亡くなる予定だった主、竜之介さんを助けたのです」

「何が、あったのですか?」

 そうおじさんが問うと、香はゆっくりと話し始めた。

「本日、竜之介さんは、携帯電話を購入なさるために外出していました。その帰り道、住宅街の路上で、心臓発作により倒れられたのです」

「発作? 彼は健康だったはずでしょう? だって、医師も……」

「いいえ。竜之介さんは病に冒されていました。現代医学では、まだ発見すらままならない心臓の病気だったのです」

「そんな……」

「ですが、直接的な死因は、心臓発作ではありません。路上で倒れた竜之介さんを乗用車が撥ね、その交通事故で、彼は亡くなる予定だったのです」

 「交通事故」その言葉は、おじさんに、香からネックレスを見せてもらった夏の夜のことを思い出させた。確か、あの時彼女は言っていた。「式の直前に交通事故に遭い、私はこの世を去りました」と。

 はっと目を見開くおじさんの意を察したかのように、香は答えた。

「そうです。()しくも私は、自分の死と同じ状況で亡くなる主を看取り、転生をなすことになっていたのです」

「神も酷なことを……」

 おじさんは唇を噛み締めた。

「路上で倒れる竜之介さんに、白い乗用車が迫ってきました。その様子を後方で見ていた私は、自分の死の瞬間を思い出しました。それと同時に、私の墓前で泣き崩れていた婚約者の姿も……。すると、続けて真依さんの顔が浮かんだのです。もし竜之介さんが亡くなれば、私の婚約者と同じように真依さんも悲しむことになります。人間誰しも自分の死は悲しいものですが、残された人たちは、それ以上の深い悲しみを背負わなければならなくなるのです」

「竜之介さんの死により悲しむ真依さんの姿を、竜之介さん自身に見せたくなかった。それが、香さんが彼を助けた理由なのですか?」

 そう問うおじさんに、香は、

「半分は、そうです」

 と答えた。

「では、残りの半分は?」

「それは間野さん、貴方のためです」

「私のため?」

「はい。間野さんは、五歳の真依さんの命を救い、“転生の禁止”を告げられました。それで全てが終わったと思われているかも知れません。ですが、現実は違うのです」

「どういうことですか?」

「もし竜之介さんが亡くなったら、真依さんはどう考えるでしょう? 私が五歳の時に寿命で死んでいれば、こんなに悲しい思いをしなくてすんだ。あの時、おじさんが私を助けてくれていなければよかったのに……。そう彼女から言われたとしたら、貴方は何と返答なさいますか?」

「そ、それは……」

 おじさんは口籠もった。

「もちろん、人間というものはそんなに弱くはありません。真依さんが竜之介さんの死を乗り越えて強く生きて行く。その可能性は高いと思います。しかしながら、寿命よりも長く生きている自分と、寿命どおりに亡くなった彼。彼女が絶えずそれを比べ、悩みながら生活するのは間違いありません。人の寿命を変じることは、やはり大きな罪であったのです」

「香さん。では、貴女は、竜之介さんを助け、その寿命を変えたことを後悔されているのですか?」

 そうおじさんが聞くと、香は、実にさっぱりとした様子で答えた。

「それが、間野さんも仰っていたように、不思議と後悔の念がわかないのです。犯して後悔しない罪があるのだということを、私は初めて知りました」

「そうですか……」

 おじさんは、笑顔とも嘆きとも取れる複雑な表情をその顔に浮かべた。

「間野さん」

「何でしょう?」

「竜之介さんに伝えていただけますか? 貴方を助けたことを香は後悔していませんでした、と」

「それは構いませんが、貴女に課せられる罰は、私と同じ“転生の禁止”です。再び彼に会うことは可能なのですよ」

 おじさんの言葉に、香は首を横に振った。

「いいえ。私は、もっと重い罰になるかと思います。場合によっては、存在自体を消される可能性も……」

「え? どうして?」

「真依さんを助けた際、間野さんはナースコールのスイッチを押しただけですが、私は、通りに倒れる竜之介さんを道の端へと移動させ、さらに、購入したばかりの彼の携帯電話で救急車まで呼んでしまったのです。特に、死の淵にある主に直接触れたその罪は、間野さんのそれとは比較できないものになるかと……」

 「確かに、そうかも知れない」おじさんはそう思った。

 しかし、努めて明るく彼は告げた。

「安心してください、香さん。私が、貴女と竜之介さんをもう一度会わせてみせます」

 その瞬間、香の目に一筋の光が宿った。

「本当ですか? でも、どうやって?」

「貴女がこれからかけられる守護霊裁判、その弁護人に、私がなるのです」

「間野さんが、私の弁護を?」

「はい。実は、私、これでも弁護士だったんですよ。あ、でも、司法修習を終えて就職した法律事務所に出勤しようとした矢先に死にましたので、正式な弁護士としての勤務実績はゼロですが……」

 自信ありげで頼りないおじさんの言葉に、香はくすりと笑った。

「では、こちらでの所用をすませたらすぐに参りますので、香さんは先に天上界に向かってください。そして、守護霊裁判を終えた暁には、一緒に、人間界に帰りましょう」

 おじさんがそう告げると、香は、

「はい。期待して待っています」

 と微笑み、その場から飛び去って行った。


 ベッドで眠る竜之介。その首元に、オープンハートのネックレスが着いている。

「竜之介君……」

 真依は、握り締めていた自分のネックレスの淡い桃色の石を、彼のオープンハートにそっと合わせた。

 すると、

「……うう」

 竜之介がゆっくりとその瞳を開いた。きょろきょろと動く彼の(まなこ)は、ほどなく真依の姿を捉えた。

「真依。ここは?」

 そう問う竜之介に、真依は、

「竜之介君!」

 とその名前だけを呼び、彼の胸に飛び込んだ。

 突然の行動に呆気にとられながらも、竜之介は、照れを隠すようにそっと呟いた。

「真依、……チョコレートの匂いがする」

 

 三分後。漸く状況を理解した竜之介が室内を見回して言った。

「そういえば、香さんは?」

 その言葉に、つられて真依も周りを見た。おじさんもいない。

「おじさん、どこにいるの? おじさん」

 真依が呼びかけると、ドアが横に開き、おじさんが病室へと入ってきた。

「はい。こちらに」

「もう、こんな大事な時に何してたのよ、おじ……」

 不満を告げる真依を手で制し、竜之介が尋ねた。

「間野さん、香さんは?」

「少しの間、旅に出られました」

 そうおじさんは返答した。

「旅? それって、まさか、……俺のせいで」

 俄かに顔色を変える竜之介に、おじさんは激しく首を横に振って告げた。

「いいえ。決して竜之介さんのせいではありません。その証拠に、香さんは仰っていました。後悔はしていません、と」

 その後、おじさんは香が話していたことを竜之介と真依、それと竜之介の両親に伝えた。

 それから、最後にこう言葉を足した。

「恐らく、竜之介さんの心臓の病気は、既に完治していることでしょう。私が真依さんの寿命を変えたことで、真依さんの体が健康になったのと同じように」

 そこに、黙って話を聞いていた竜之介が口を開いた。

「間野さん。俺、もう一度、香さんと会って話をしたいです」

 おじさんは、竜之介を真っ直ぐに見つめて答えた。

「会えますよ。私がそうなるようにします」

「お願いします」

 そう請う竜之介におじさんは、決意を表す様子で大きく頷き、今度はその顔を真依に向けた。

「あの、真依さん。申し訳ありませんが、暫くの間、暇をいただけますでしょうか?」

「もちろんよ。今の香さんに一番必要なのは、おじさんなんだから」

「ありがとうございます」

 おじさんは真依に頭を下げると、天井を見上げて言った。

「守護霊、間野卓郎。これより、主である星宮真依の許を離れ、被告、浅吹香の弁護人として天上界へと赴くことを願う。何とぞ、許可されたし」

 すると、おじさんの体が青白い光を放ち始めた。

「では、行って参ります」

「うん。おじさん、頑張ってね。そして、必ず二人で帰ってきて」

「はい。……必ず」

 笑顔で見送る真依にそう返事をしたのを最後に、おじさんの姿はその場から忽然と消えた。

 ご訪問、ありがとうございました。

 本作も残すところ次話の最終章とエピローグのみです。

 次回の更新は、7月15日(土)を予定しています。

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