第五章 『真依、運動会で走る』①
第五章 『真依、運動会で走る』
十月。天高く馬肥ゆる秋。今年も運動会の季節がやってきた。
春に行われた体力テストの結果から、六年一組の紅白リレー選手は、相川武志、矢神竜之介、北村沙耶、星宮真依の四人に決まった。そう。真依も二年連続で紅白リレーの選手になれたのである。
学校によって大きく異なるが、この学校の紅白の色分けは、各学年が全て二クラスということもあり、単純に一組が紅、二組が白となっている。
去年の雪辱を果たすべく、真依は紅組の一員として、小学校生活最後の運動会に臨むのだった。
午前のプログラムを終えてから昼食。午後も徒競争や表現ダンスなど着々と進み、いよいよ運動会は、二つの競技を残すだけとなった。
ひとつは、六年生全員参加の守護霊と二人三脚。もうひとつは、毎年恒例となっている取りの紅白リレーである。
ここまでの得点は、紅組百十八点、白組百十七点で、紅組のリード。とはいえ、たった一点差であるため、予断は許さない状況だ。
間もなく始まる守護霊と二人三脚に備え、現在、六年生は入場門に集合していた。
「どうか恥をかかずにすみますように! どうか恥をかかずにすみますように!」並ぶ列の最後尾で、真依は、心の中で念仏のように繰り返しそう唱えていた。
実は、彼女、事前にあったくじ引きで、最終走者に決まってしまっていたのである。
とはいえ、別に最終走者であっても、級友と二人三脚をするのならば、ここまで思い悩むことはなかっただろう。そのパートナーが守護霊であること、何よりおじさんであることが大問題だったのである。
「またあんなことになるなんて、絶対に嫌!」四月の“守護霊対面式”での出来事が頭によぎり、真依は大きく頭を振った。
すると、
「真依ちゃん、大丈夫?」
前にいる岬が振り向き、心配そうに尋ねてきた。
「う、うん。平気よ」
真依は作り笑いを浮かべて答えた。
「そっか。真依ちゃんって、足が速いからいいよね。私なんて、一年生のころからずっとビリばっかり。……でもね、この二人三脚は、ちょっと自信があるんだ」
「へぇ、何か作戦でもあるの?」
興味深そうに聞く真依に、岬は、
「えへへ、秘密よ。ねぇ、白虎ちゃん」
と隣の白虎へと視線を送った。
「うむ」
岬の呼びかけに、白虎が小さく頷く。それから、今度は真依のほうを向いて告げた。
「まぁ、見ておれ。我は、何があろうとも岬を勝たせる」
自信たっぷりなその口調に、真依は、「やっぱり、岬ちゃんの守護霊は恰好いいなぁ。おじさんにも、こんな大きな器があったら」と思った。
「続いてのプログラムは、六年生による守護霊と二人三脚です。“守護霊対面式”から半年が経ちました。これまでに培ったお互いの信頼をより深いものにするためにも、皆さん、頑張ってください。それでは、六年生と守護霊、入場します!」
放送が入って曲が流れると、六年生は、颯爽と駆け足で入場を開始した。観覧席から大きな拍手が送られる。だが、その拍手の中に、明らかに笑い声が混じっていることに真依は気がついた。「まさか!」そう思って横目で見ると、案の定、そこには、右手と右足を同時に出し、跳ねるように走る緊張した顔のおじさんの姿があった。
本部を前にしたフィールドに六年生が腰を下ろす。
すると、ここで再び放送が入った。
「この守護霊と二人三脚は、紅白各二人ずつ計四人が、守護霊と二人三脚でトラックを一周し、競争する競技です。最終的に一等が多かった組に、一点が与えられます。なお、普段は飛行して移動する守護霊ですが、今回は児童に合わせて地上を走ってもらいます。以上で説明を終わります。それでは、競技を始めてください」
最初の走者四人が、鉢巻きで足を結んだ守護霊とともにスタートラインに立った。
「位置について、……用意」
――パァン――
ピストルの音が響き、走者が一斉に飛び出した。大きな声援を送る観覧者たち。それをさらに盛り上げるように、百年以上前から不易なる運動会の定番曲、ヘルマン・ネッケ作曲の『クシコス・ポスト』が流れだした。
「は、始まっちゃった……」不安ばかりの思いの中で、真依は、自分の鉢巻きをお守りのように握り締めた。
嫌なことの順番が回ってくるのは早いもので、あっという間に真依の前、岬の出番となった。
「じゃあ、行ってくるね」
余裕の笑顔で真依に手を振ると、岬は、白虎を連れてスタートラインに向かった。
「そういえば、岬ちゃん、何か作戦があるみたいだったよね」そんなことを考えながら真依が様子を見ていると、岬は、自分の左足と白虎の左前足を鉢巻きで結び始めた。
「え? それだと走れなくなるよ」そう真依が注意を促そうとするが、その間もなく、
「位置について、……用意」
――パァン――
ピストルのほうが先に鳴ってしまった。
一等を狙って一斉に走り出す走者たち。
しかし、岬と白虎だけは、何故かその場に立ったままだ。
「どうするつもりなんだろう?」真依が心配していると、その前で、岬はいきなり白虎の背に跨った。
それから、彼女は、真っ直ぐに前方を指差して告げた。
「白虎ちゃん、行っくよー!」
「岬、しっかり掴まっているのだぞ」
言うが早いか、白虎は、結ばれていない三本の足だけで地面を蹴って駆け出した。
まさに疾風迅雷。前を行く走者を大外から全て抜き去ると、白虎は、スタートラインに上がった砂埃が落ちる間も与えずに、トラックを一周してゴールテープを切った。
「やったね! 一等だよ!」
背から降りた岬が白虎に抱きついた。
その様子を眺めながら真依は、「なるほど、これは使える」と思った。
そこで、透かさずおじさんを見たのだが、
「私は、真依さんを背負って走るなんてできませんよ」
と、即座に却下されてしまった。
そうこうしているうちに後続の走者も次々とゴールし、いよいよ真依の出番となった。
自分の左足とおじさんの右足を鉢巻きで結ぶと、真依は言った。
「いい? おじさん、左足からよ」
「は、は、は、はい!」
緊張が最高潮に達していると分かる声で、おじさんが返事をした。
「位置について、……用意」
――パァン――
ピストルの音が鳴る。
それと同時に、真依は、
「せぇの、左!」
と一歩目を踏み出し、転けた。
「もう! 何してるのよ!」
地面から真依がおじさんを見上げる。
「え? 私はちゃんと左足を……」
戸惑いを露わに、おじさんは一歩前に出した自分の左足を指差した。
「違う! 左足からなのは、私! おじさんは、右足!」
「なるほど。……ですが、そのような場合、普通は、“内側の足”や“外側の足”という表現をするものなのですよ」
尤もなことを述べるおじさんをひと睨みすると、真依は立ち上がった。
「分かったわよ。じゃあ、“内側の足”からね。……せぇの」
今度は揃って前に進めた。だが、ここまでの無益なやり取りのせいで、他の走者と大きな差ができてしまっていた。
「おじさん、急ぐよ!」
何とか巻き返そうと真依は躍起になった。
しかし、如何せん生前に体を鍛えていた訳でもないおじさんの体力のほうが先に限界を迎え、結局、半分も行かぬうちに他の走者はゴールしてしまった。
息も絶え絶えのおじさんを担ぐようにして、それでも真依はゴールを目指した。
一歩、また一歩。地面を踏みしめるように前へと進む彼女に、
「頑張れ! 真依ちゃん」
「星宮、あと少しだ!」
などの声援が送られた。
それを耳にしながら真依は、昨年の運動会で岩田先生が言っていた「足を治し、来年頑張ればいい。その時は、皆が星宮のことを応援してくれるはずだ」との言葉を思い出した。
あれから一年。足は治った。確かに、今、グラウンドは大きな声援に包まれてもいる。
……でも。
「何かが違う。何かが……」そんな感想を胸に抱きつつ、真依は、ゴールへと倒れ込むように辿り着いた。
彼女が列に戻ると、それを待っていたかのように主審の先生が朝礼台に上がった。
「只今の結果、紅、一等八人。白、一等九人。白の……勝ち!」
白組から万歳三唱が起こる。それとともに、白組の得点ボードに一点が加えられた。
これで、紅組百十八点、白組百十八点の同点。
勝敗は、最終競技である紅白リレーに託されることとなった。
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今日で上半期も終わりですね。次回更新は、7月3日(月)を予定しています。




