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救いの商人

作者: 東京水平

「やっぱ売れ残りやがった……だから人間族のメスなんて売れるわけねぇって言ったろ」

 酒場の一角で、鬼のような角が生えている、筋肉質の男が毒づく。正面で頭を抱えているのは、毛むくじゃらで牙の長い男だ。

「あ、あれだよ……ほら、竜人の好物は人間族の肉らしいしさ……」

「竜人なんてどこにいんだよばか!」

 角の男が毛の男をしばく。

「世界でも何人かしかいねぇみたいじゃねぇか!ったくよ」

 角の男は一瞥した。

「この売れ残りどうするよ」

 目線の先には小汚ない少女がうずくまっていた。

「協会の目も厳しくなったからなぁ……奴隷商売もそろそろ……」

 毛の男が深くため息をつく。

「それこそ悪魔に売っちゃう?」

「何でも欲しいものと引き換えに……ってやつか。でもただの噂だろ?」

 二人が会話をしているそのとき……少女に歩み寄る者がいた。

「お前……売れ残りか?」

 少女が顔を上げると、そこにはひとりの男が立っていた。人間族のようで、顔には大きな傷がある。

 男は少女をじっと見つめた。その目は鋭く、まるで品定めをしているかのよう。そして不意に男の口角が上がった。

「俺は商人のリュウ……お前を買うぜ。今日からお前は俺の商品だ」


 カタコトカタコト……

 荷馬車は荒野をゆっくりと進んでいた。荷台には酒場にいた人間族の男、リュウが鼻歌まじりに寝そべっている。

「いい天気だなぁ……」

 ふぁーあ、とリュウはあくびをした。

「すいません乗せてもらって」

「フォッフォッ、もののついでじゃぁ」

 立派な白髭をはやした老人が、馬を操りながら応える。ガタン、と少し揺れたが、カタコトと尚も荷馬車は進んでいく。

「おいお前、お前だよおい」

 リュウは横に座る少女に声をかけた。ビクッと肩が揺れ、少ししてから少女は顔をゆっくりと上げた。眩しそうに目を細めている。

「お前まさか寝てたのかよ?よくさっきの揺れで起きなかったな」

「す、すみません……」

「あん?あぁ……」

 急に謝られて面食らう。ただ素直に思ったことを言っただけだったのだが。

「起きてますね、すみません……」

「いや、寝ててもいんだけどよ……とりあえず、今夜着くとこはお得意先の村だからな。……そこでは粗相すんなよ」

 お得意先……か。

 返事をしながら少女は思案を巡らせる。

 この世界は金が全てだ、と昔誰かが言っていた。富をより多く得た者が、名声も得る。極端な話だが、今の世の中は、金さえあれば世界の支配者になることも不可能ではない。

 お金を得る仕事は星の数ほど。そんな中、成り上がりを目指す者は決まってある職業を選んだ。

 それは商人である。

 この人も商人だって言ってたな……。少女はチラッとリュウを見た。よほど好きな曲なのか、ずっと同じメロディーで鼻歌を歌っている。

 商人にも種類があり、食べ物を売る八百屋商や魚商。衣服を売る着物商に、本を売る図書商などなど豊富に存在している。

 しかし俗に闇商と呼ばれる、裏の世界の商人もいるのが現状だ。例えば、戦争には欠かせない武器商や人生を狂わせる薬物商である。

 この人はウチのことを商品と呼んだ……ということは、世間で最悪の商人との噂の……

『奴隷商……か』

 はぁ、と少女はため息をついた。お得意先の村というのはどんなところなのだろう。奴隷を買うやつが住む村だ。ろくでもないところに決まっている。

 見たところ商品はウチだけみたいだし。今夜……実行しよう。

 リュウは少女の他に、少し大きめの手荷物しか持ってない。前にいたところの二人は馬鹿そうに見えて、意外と頭がよかった。寝るときは一人ずつしか寝ないため、逃げる隙がない。

 でも今なら……いける。奴隷として売られる前に逃げなければ。

『どんなに苦しいときでも、小さな幸せを見つける努力をするの。……こんな風に』

 思い出の人は微笑んで四つ葉のクローバーを摘んでみせる。

 ……約束したんだ。

 今夜こいつが疲れて寝たすきに逃げてやる。少女は強く決心を固めた。

 荷馬車はカタコトと、赤く染まった空の下、ゆっくりと進み続けた。


「着いたぞ」

 すでに辺りは闇に支配され、かすかな月明かりと村の灯で何とか前が見える状態。木々に囲まれ、村はひっそりとしている。

 規模としては中の下くらいだろうか。別段荒れた様子もなく、それどころか掃除がいき届いているようだ。村人のたちの性格が窺える。

 何かがおかしい。こんな清潔な村の人が奴隷を買うのか…?少女の頭上に疑問符が踊った。

「すんませーん!誰かー!」

 リュウが村に向かって叫ぶ。すると、今まで申しわけ程度だった村の灯が強くなり、家々から多くの人が出てきた。

「「リュウさんいらっしゃい!!」」

 それは少女をさらに困惑させた。駆け寄ってきた村人は、どの人もおおよそ奴隷を買いそうにない、優しい雰囲気に溢れていたのだ。

「久しぶりだなぁ。半年ぶりくらいか?」

「まぁこんな遅くに。大変だったでしょう、ゆっくりしてってね」

「今日は私らの家に泊まりなさいよ」

「リュウ兄今度は何売ってくれんの!?」

「あーそーぼー!」

 性別、年齢、種族と様々だが、皆リュウを慕っているのが分かる。なぜ?奴隷商なのに……

「あらまリュウさん!可愛いらしいお嬢さんじゃないか!どうしたんだいこの子?」

 一人の女性が少女に気づいた。おや本当だ、リュウさんの子かい?と、村人は口々に話しかけてくる。

「こいつか?」

 リュウは振り返って少女を見た。そして、リュウの口角が上がる。

「こいつはな……俺の新しい商品だ」

 しん、と村人は静まりかえった。と思ったら……

 次の瞬間、辺りは笑い声に包まれた。

「あっはっは!今度は女の子かぁ」

「全く……お人好しだねぇ」

 お人好し……?奴隷商売をすることが?

 意味が分からなかった。少女は村人たちを見回したが、その顔には悪意の欠片もない。皮肉を言ってる感じでもない。

 なぜ?

「まっ、今日は遅いからうちに泊まりなよ。ご飯もまだなんだろ?二人分用意したげる」

「いつも悪いな……本当にいいのか?」

 まっかせなさい、と耳の尖ったエルフ族のおばさんは胸を叩いた。


「ほら、たーんとお食べなさい!」

 おばさんの家に着いて間もなく、二人の目の前に料理が出てきた。肉、野菜、どれも美味しそうに盛られている。

「いただきます」

 リュウはゆっくりとサラダに手を伸ばし、ムシャムシャと食べている。

 野菜が好きなようだった。

 すると、リュウの隣からぐぅーっという腹の音、そしてゴクリという唾を飲み込む音が聞こえてきた。

「何だ?食わないのか?」

 食べるわけがない。だって

「ご主人様が食べ終わる前に、私が食べたらぶちますよね?」

 リュウは箸をくわえたまま目を見開いた。

 どこの商人のところでもそうだった。ご主人様が食べ終わるまで、私たち奴隷は食事をさせてもらえない。それだけならまだいいが、中には残飯すらもらえなかった日もあった。

 ぶたれるのは痛い。空腹の方がまだましだ。

「……奴隷の生き方が染み付いてやがんな」

 リュウがふと呟く。そしてバスケットからパンを一つ取り出し、少女の方に差し出した。

「お前は奴隷じゃねぇ。俺の商品だ」

 ??何が違うんだろう。いやそれより……

「えっ」

 少女はパンをまじまじと見つめた。こんなこと初めてだ。

「腹へってんだろ?食えよ好きなだけ、な」

「あんたはもうちょっと遠慮しな!さぁお嬢ちゃん、たくさんお食べ!」

 二人に言われて、おそるおそるパンを受けとる。そして……おもむろに口に運んだ。

「どうだ?美味いか?」

「私が作った料理だよ!何であんたが聞くんだい!」

 前で二人が掛け合う中、か細い声が聞こえてきた。

「美味しい……美味しいです……」

 リュウとおばさんが顔を見あう。お互いほっとした顔だ。

「まぁ……こんなに喜んで食べてくれる人は初めてだよ。たくさんあるからもっとお食べ」

「っ……はい」

 よっぽどお腹がへっていたのか、勢いよく口にほおばる。特にパンを気に入ったようで、そればかり食べていた。

「あんた、名前は?」

「あ、そういや聞いてなかった」

「……全くこの男は。ちゃんとなさい!」

 おばさんがバシッとリュウの背中を叩く。痛って!とリュウが悲鳴を上げた。

「……名前はないです。前のとこでは4番と呼ばれてました」

 おばさんの顔がひきつり、赤くなっていく。

「思いっきり商品番号だね。そいつらに会ったらぶん殴ってやりたいわ」

 おばさんが怒りをあらわにしたとき、リュウが少女へ顔を向けた。

「じゃ、スウにしよう。お前の名前は今日からスウだ。」

 よろしくな、とリュウがニッと少女……スウに笑いかける。スウは何も言わず、ペコッとおじぎを返し、パンを食べ続けた。

『ほんとに疲れてたんだな』

 リュウはスウを見てふと思った。そう言えば移動中も眠そうにしていたことを思い出す。今までの苦しみが窺えた。

「そうだ、おばさん酒は?」

「子どもの前だよ!自重しな!」

 えー、とリュウの静かな悲鳴が響いた。


「ここがスウちゃんの寝る部屋だよ」

 ご飯を食べたあと、おばさんに連れられた先は、家の奥の小さな部屋だった。

「ウチ、ここで寝るんですか?」

「そうだよ。……気に入らないかい?」

 おばさんが心配そうにこっちを見る。いや気に入るも何も、

「素敵なお部屋……」

 少しこじんまりとしているが、片付いていて、落ち着く部屋だった。真ん中には丸いテーブルと椅子、片隅にはベッドが置かれている。窓から入ってくる風で、テーブルの上の小さな花瓶に挿さる、一輪の花が揺れた。

「それならよかった」

 おばさんはキラキラと目を輝かせるスウを見て微笑む。

「疲れてるでしょう?ゆっくりしてね。早く寝ないと悪魔に食べられちゃうわよ」

 返事はするが、頭では逃げ出す算段をたてている。

 その後、おやすみの挨拶をしておばさんが部屋から出ていってから、改めて部屋を物色した。

 実はスウはひそかにワクワクしていた。こんなにいい部屋に泊まるのは初めてだったのだ。奴隷生活での寝泊まりは野宿が多い。また宿屋に泊まれたとしても、部屋の隅で寝なければならなかった。

 最終的に椅子に座り、ゆらゆらと揺れる花を愛でる。

『綺麗だな……って楽しんでる場合じゃない!』

 今日こそ奴隷の身から自由にならなければ。幸いにも窓があるから、そこから逃げることができる。

 窓はベッドがある壁際にあった。逃げ出すためにベッドに登ると、ふかっとした感触が足に伝わってきた。

「うわっ」

 よろめいたが何とか踏ん張り、バランスをとったところで下を見る。

「これがベッド……」

 今までスウが寝るのは床や土の上ばかりだった。固く冷たくて、起きても疲れが取れた気がしない。

 前の主人が寝ているのは見たことあったが、触れるのは初めてだった。柔らかく、ふかふかとしている。これで寝たらどんなに気持ちがいいだろう。

 そう思った途端、耐え難い程の眠気に襲われた。ここで寝たらだめだ。ここから逃げたら、いくらでもベッドで寝ることができる。何も今日寝る必要はない。

『でも……少し横になるくらいなら……』

 少しだけ、少しだけと自分に言い聞かせ、とりあえず一回横になることにした。布団に入り、枕に頭を預け、そして目をつぶる――


 目を開けると、体は包みこまれるような快感に満ちていた。窓の外から小鳥のさえずりとともに、優しい光が体にそそぐ。スウはゆっくりと起き上がり、外を確認した。

 さっきよりも明るくなっており、逃げやすそうだ。早くしないと朝になって逃げれなく――

「朝じゃん!!」

 飛び起きたスウは慌てて外を見渡す。朝日は意外と高く昇り、夜明けとかではなく普通に朝だった。計画が音をたてて崩れさる。

 少し目を閉じただけかと思っていた。実際、感覚では数秒程の暗闇が視界を覆っただけだ。それがよもや熟睡していたなどと誰が思おうか。

「おはよう。やっぱ相当疲れてたんだな」

 ハッとして声の方を向くと、リュウがドアから覗いていた。

「あっやっ……すみません!」

「?何で謝んだ?」

 あ、そうか。この人は私が逃げようとしてたのを知らないんだ。

「まあいいや、早く来い。朝飯だそうだ」

 リュウのあとについていくと、美味しそうな匂いがスウの鼻をくすぐった。台所ではおばさんが慌ただしく動いている。

「あっ、おはようスウちゃん。もうすぐできるから座ってまっててね」

 二人が椅子に座ると、おばさんの声がリュウに向かって飛んできた。

「こらっあんたには言ってないよ!お皿を運んでちょうだい」

「なぁ!?ったく……人使いの荒い」

「タダ飯食らいが偉そうな口叩くんじゃないよ!ほらっさっさと運ぶ!」

 へいへいとリュウが席を立つ。これはいけない。

「うっウチが運びます」

 スウが慌てて立ち上がった。ご主人に雑用をさせて奴隷が座っていたら……叩かれる、蹴られる。

「あぁ、いいよいいよ。俺がやるよ俺が」

「へっ……?」

 言われたの俺だしな、とリュウは台所へスタスタと歩き、手際よくお皿を運び始めた。机の上に温かい料理が並ぶ。

 スウはまだ呆気に取られていた。奴隷が働かなくていいなんて、一体どんな思惑があってのことか。

 この村に来てから、リュウの行動一つ一つに驚かされる。この人は何者なの?何で私に、奴隷の私に、こんなに親切にしてくれるの?

「料理も並んだし……食っていいよなおばさん」

「はいよー、お上がりなさい」

 リュウはいただきますと合掌し、またサラダを手に取った。昨日も見たが、何というか上品な食べ方だなと思う。

 あと、食べて……いいんだよね?スウはゴクリと喉を鳴らした。そっとバスケットの中のパンに手を伸ばす。そしてチラとリュウの顔を窺った。

 すると思わぬことに、リュウはスウの様子を凝視していたようだ。目付きが怖く、睨まれている手前、それ以上動くことができない。

 スウが固まっていると、リュウは口の中の物を飲み込みそして……破顔した。

「食えよ好きなだけ、な?」

 スッ、とスウの緊張は溶け、パンを手に取った。

「……いただきます」

 こんなに早くまたパンを食べれるとは。嬉しくも、寝てしまって逃げられなかった悔しさにほぞをかむ。直接口にパンを運ぼうとしたスウにリュウが話しかけた。

「パンはこうやって食べるのがマナーだぞ」

 リュウはパンを自ら取り、手でちぎってから食べた。

「おっ美味いな」

 どうやらご機嫌になったらしい。鼻歌を歌いながら他の料理、もといサラダにに戻った。

 なるほど、そうやるのか。スウはそのあとリュウにならって、手でちぎりながら食べた。

 料理も少なくなった頃、唐突にリュウが宣言した。

「食い終わったら“いち”を開く」

 市――聞き慣れた言葉に、スウの全身が反応する。背筋に冷や汗が垂れ、体が震えた。逃げられなかった後悔がまた押し寄せてくる。

 市とは商人が物を売る場のことだ。そこで商人は自分の品をアピールし、お客はそれらの中から欲しいと思ったやつを買う。

 別に市が嫌いなわけではない。いい人に買われたいという願いはいつも持っているし、そうならないと現状は打破できない。

 嫌いなのはアピール方法だ。奴隷の私ができるアピールなんて高が知れている。そして客の購買意欲が湧かない場合、大抵主人は私に無茶を強いた。思い出したくもない、最悪のトラウマもある。……怖い。嫌だ。

「さてと、行くか」

 スウの気を知るはずのないリュウは呑気に背伸びをし、旅中に持っていた手荷物を取って玄関に向かった。

「スウ、ほら行くぞ」

 いかに優しいといえど、主人に逆らえるはずもなく、覚悟してリュウに次いで外に出る。スウの心中に反して、空は突き抜けるような晴天だった。

「商売日和、いいねぇ」

 リュウは例の鼻歌を歌い、準備に取りかかる。一方スウは、そよ風の努力もむなしく、沈痛な面持ちのままだ。

 今からでも逃げてみる?それは無駄だろう。何故なら、すでにリュウの周りに人だかりができ始めていたからだ。

『せめてアピールが楽でありますように――』

 そのとき、パチンッとリュウが指を鳴らした。

「よしっ、待たせたな。只今より、商人リュウによる……“雑貨市”を開催する!」

「……は? 」

 ざっ……か?えっ?ちょっ、ちょっと待って。

「……奴隷商人じゃないの?」

「は……?」

 リュウはポカーンとした表情でスウを見た。

「いやいやいや……何でだよ」

 何でだよと言われましても。奴隷の私を商品にする時点でそうとしか思えないでしょうよ。

「リュウさんはね、定期的に来てくれる雑貨商さんなのよ。色んな物を売ってくれるの」

 雑貨って……ええ?スウがキョトンとしていると、村人達が説明してくれた。

「雑貨商は専門の商品を持たない、何でも売る商人さ。食べ物でも家具でも、仕入れた物なら何でもな。」

「リュウさんはたまにビックリする物仕入れてくんだよ。前なんか家ほどもある怪物を売ってたなぁ」

 ハハハハと、笑い声が起こる。何だよ怪物って。

 しかし、リュウが売っている商品……いやこれは商品と呼べるのか?どれもこれも……

「ガラクタばっかりじゃない」

 瞬間、村人達に緊張が走った。そのうちの一人が何か言おうとしたとき――

「誰の商品がガラクタだぁ!!」

 スウの目の前に火花が散った。そしてわけも分からず突っ立っていると、ジンジンとした鈍痛が頭を襲った。どうやら拳骨を落とされたらしい。

「リュウさんだめだ!」

「そうだよ相手子ども!」

 リュウは男数人がかりで取り押さえられたが、まだ何か言いたげだ。

 一方で、スウは殴られたところをさする。

「痛ったぁ……」

 そう声に出してしまい、スウはハッと口をおさえる。その拍子に、口の中で少し鉄の味がした。

「あ……血……」

 どうやら頭から出た血が手に付いて、口に入ったようだ。生暖かい物が頭から垂れる。

「ほらもうリュウさん力強いんだからさぁ!」

「やり過ぎだよ!スウちゃんこっちおいで。私の父さん医者だから」

「あ……はい……」

 スウはおばさんに手を引かれて、近くの家に入った。どうやらそこが診療所のようだ。

「……はぁー」

 座りこんだリュウはガシガシと頭をかく。

「……またやっちまった。我慢しようとしてんだけどなぁ……」

 さすがに反省しているようで、声が弱々しい。

「まぁ俺達もずっとリュウさんを見てるし、気持ちは分かるけどね」

「でもよー……自分の商品自分で傷つけるとか……。商人として失格じゃねーか……」

 まだ不満があるのか、ぶつぶつ言っているリュウの肩を、一人の村の青年がポン、と叩いた。

「気ぃ取り直して“市”を始めようよ、リュウさん」

「……そうだな」

 リュウはゆっくりと立ち上がった。

「よしっ、さぁいらっしゃい。欲しいもんあったら言ってくれよ」


「――これで大丈夫と」

 医者のお爺さんはにこっと笑った。

 しかし、スウの頭は包帯でぐるぐる巻きにされていて、正直痛々しい。

「少し大袈裟おおげさじゃないかい?」

 おばさんは最初心配そうに見ていたが、途中からしかめっ面になっている。

「ははは、まぁ用心にしたことはないから。……でもやり過ぎちゃったかな」

「……いえ、ありがとうございます」

 ぺこり、とスウはお辞儀をした。

「はは、いやいや」

 医者のお爺さんは、またにこっと笑った。話すことがなくなり、窓からの声が部屋に響き始める。

「……今回もリュウさんの“市”は大盛況だな」

 集まった人の隙間から、あくせく働いているリュウが見えた。多くのお客さんが品を買い、持ち帰っていく。その光景はスウに言い知れぬ不安を抱かせた。

「ウチも……売られちゃうのかな……竜人とかに」

 お爺さんは大きく目を見開き、そしてゆっくりとスウに言葉を投げた。

「竜人は嫌いかい?」

「えっ」

 好きか嫌いか、なんて考えたこともない。まず竜人が身近な存在ではないからだ。でも、話には聞いたことがある。だから答えは出すことができた。

「嫌いです。だって竜人は人間の、女の人の肉を食べるんでしょう?大好物なんだって……」

「よく知ってるね」

 お爺さんはにこっと、しかし眉をひそめて苦笑した。そのあと、何か思うところがあるのか、空を見上げる。スウも空を眺め、少しずつ動く雲を目で追う。しばらくしてから、お爺さんは空を見上げたまま、スウに語りかけた。

「案外、本当だと思われていることが実はただの噂話で、ただの噂話だと思われていることが、実は本当なのかもしれない」

 スウはキョトンとして聞き返した。

「……どういうことですか?」

「ん?例えば……あれの会話をよく聞いてごらん」

 お爺さんが指差した、外に意識を傾けると、人だかりの中からリュウの威勢のいい声が聞こえてきた。

「これなんかいい商品だろ?頼むよ買ってやってくれ。あんたしかいねぇんだ」

 ここで、スウは違和感を感じた。商人って客に対してあんなに下手に出るもんだったっけ?

 スウの知る商人は傲慢で、これでもかと自分の“売れる”商品をアピールする。“売れない”商品を『買ってやってくれ』なんて絶対に言わない。売れないなら、切って捨てるのが当たり前の世界だからだ。

 そうやって何人かの奴隷商を渡り歩いてきたから分かる。

 極めつけはこれだった。

「じゃあ……30%オフ!頼むっ。買ってくれ」

「……割引する商人なんて見るのは初めてだろう?」

 ニコニコとお爺さんは目を細める。

「みんな商人ってのは全員、お金のためだけに働いていると思っている。お金が手に入りさえすれば、奴隷を売るのも悪魔と契約するのも何とも思わない、最悪な奴らだとね。実際そういう人がほとんどだろうけど」

 悪魔、前の奴隷商が言っていた噂のことだろうか。

 でもね、とお爺さんは微笑んだ。

「それでも、リュウさんみたいな人もいるんだ」

 スウは横目でお爺さんの顔を覗いた。柔和な表情で、じっと人だかりを見つめている。

「まいどあり。ありがとうな、大事にしてやってくれ」

 どうやら買ってもらえたようだ。商品とお金を交換し、また次の商品を勧め始める。

「あの人にはないんだよ、金欲っていうものが」

 えっ……じゃあ……

「何であの人……商人なんてしてるんですか?」

 何でだろうねぇ、とお爺さんはニコニコして頬杖をついた。

「詳しいことは、本人から聞いたらいいよ」

 うながされ、お爺さんと一緒に外へ出る。そこでは一段落ついたのか、リュウは隅に腰をおろして何か飲んでいた。

「おうスウ!さっきはすまん!つい、な。はっはっは!」

 こちらに気づいたリュウが手を振る。テンションが高いことと、顔に朱が差していることから考えると、飲んでいるのはお酒らしい。少し鼻がツンとするのがそれを裏付ける。

 てかキャラ変わりすぎだろ。いやそんなことは置いといて。

 本当は、こんなことご主人に聞いたら殴られるか蹴られるかするだろう。でもこの人のことが知りたかった。他の商人とは違う、この人のことが。

「どうして商人をしているんですか?……お金、いらないのに」

 聞いた。リュウは笑顔から、みるみる落ち着いた表情になる。また殴られるかな。そう思ったが、優しい口調で返答してくれた。

「……何だよ藪から棒に。別にいいじゃねーか。好きだからやってんだよ」

「えっ、でもお金いらないんですよ……ね?」

「あぁ?……あぁー……ははっ、違う違う」

 リュウは首を横に2、3度振り、遠くを見るような眼差しになった。口角が少しだけ上がり、何かを懐かしんでいるかのよう。1口お酒をあおり、目を閉じた。

『私が商人してる理由?大したことじゃないさ』

 まぶたの裏にあの人の顔が浮かぶ。

「金が好きなんじゃねぇ。俺は売り買いの過程が好きなんだ」

 過……程?

「……って何ですか?どういうことです……わっ!」

 リュウの大きな手がスウの頭、包帯部分に覆い被さる。そしてガシガシと荒っぽく撫でた。少し痛くて顔をしかめる。

「そっくりかよ全く……」

 ポツリと漏らしたその言葉は、どこか寂しそうだった。

「……まっ、ガキにはまだ早ぇーよ。そのうち分かるときがくるさ」

 子ども扱いをされ、少しムッとする。そうなると、まだ頭を撫でられていることもかんに触った。

「子ども扱いしないでください」

 そう言ってリュウの手を払う。

「はっ!まだガキじゃねーか!んなこと言ってっと悪魔に連れてかれるぞ?」

「……何言ってるんですか。もう子どもじゃないんです。悪魔はただの噂ってことくらい知ってます」

「……そうか」

 不意にリュウの言葉は力がなくなったように聞こえた。

「そうだよな……噂、そう噂話だよな……」

 明らかにさっきとは雰囲気が違う。何かあったのだろうか。

「……どうしたんです……」

「ちょっと待て」

 突然リュウは真剣な眼差しになった。スウもその目線を追う。村のはずれ……いやもっと奥の、村に続く道中にそれはあった。

「何だありゃぁ……馬車?……商人か?」

 スウは目を凝らすが、何かが近づいている、ということしか分からない。どんだけ目が良いんだこの人。

 近づくにつれ、スウにもその全容が見てとれた。大型の馬3匹に引かれているのは、豪華で、とてもきらびやかな車体だ。そして大きい。所有者の懐具合が窺える。

 よく見るとその後ろにも2台、馬車が続いていた。先頭の馬車には見劣りするが、それでも高級な部類に入るだろう。どんだけの金持ちだよ。

 観察している間に、計3台の馬車は村に着いて……止まった。

 村人たちも、何事かと集まってきている。

 馬車の扉が開き、スロープが設置された。

「あっ、人が」

 先頭の馬車から出てきたのは、黒いスーツを着て眼鏡をかけた男性だった。

「お初にお目にかかります」

 慣れた様子で挨拶、礼をする。厳しく教えこまれているのだろうか。

「私はある方の使用人です。我々一行はこの馬車隊で長旅をしているのですが……困ったことに食料の底が突きかけていまして」

 使用人はチラッ、と前から三番目の、一番大きな馬車を見る。

「そこでですね、是非とも食料を分けてほしいのです」

「分けてほしい、何て貧乏じみた発言は止めろ」

 声のした方に視線をやると、先頭の馬車から車イスに座った男が現れた。身長は低く、桃色の肌、大きな鼻にサングラスをかけている。どうやら豚人族のようだ。

「豪商……トロワ……!何でこんなとこに」

 驚きの表情を浮かべたのはリュウ。

「ほう……わしを知っとるもんがおるようだな」

「それはそうですよ。トロワ様は世界でも指折りの大商人ですもの」

 車イスを後ろから押す、これまたスーツの女性がトロワと呼ばれた豚、いや人を褒める。

「まぁ、一応名乗っとこう。車イスで失礼するよ。何せ足が悪くてな」

 女性に押してもらい、スロープを車イスでゆっくりと降りた。

「わしは宝石商のトロワという者だ。自慢じゃないが金は腐るほど持っとる。腐らせる気は毛頭ないけどな」

 ブハハハ、と下品な笑い声が響きわたった。

「そこでだ。食べ物を売ってほしいんだよ。本当は高級品じゃなきゃ口に合わんのだが非常時だ。我慢しよう。さぁ売ってくれ、言い値で買ってやる」

 言い値って……口も態度も悪いが、金払いだけは良いらしい。ここは田舎の村、金を得るまたとないチャンスだ。

 しかし、村人たちは暗い顔で目配せをしている。どうしたのだろう。こんな話はそうそうあるわけではないだろうに。

「すみません、ここは見ての通り貧乏な村です。食べ物は自分たちので手一杯で……」

「えっ、じゃあ何であんな量の美味しい物を……ムグッ」

『バカタレ!黙ってろ』

 リュウが慌ててスウの口を塞いだが遅かったようだ。

「……どういうことだ?矛盾しているぞ」

 顎に手をやったトロワは村人を見回し、そして一点に目を止めた。

「前へ」

 背の女性が車イスを進める。村人たちの間を抜け、口を押さえられたスウの前で止まった。

「君だな?さっきのは。どういうことかな?」

「え、あ……えっと……」

 ゴニョゴニョと言いよどんでいると、リュウがずい、と割って入った。

「子どもの戯言です。お気になさらず」

 そうかそうか……とトロワは何度も頷きながらも、眉の辺りにしわが寄っていく。おもむろにサングラスを外すと、前のめりにリュウを睨みあげた。

「お前は何だ?この子の親か?」

 小さい体に似合わないドスのきいた声。リュウの後ろにいるスウも鳥肌が立つようだ。しかしリュウは怖じ気づく様子もなく、むしろしっかりと目を合わせて答えた。

「私は雑貨商人のリュウという者です。この子は……私の商品です。」

「ほーっ、これは驚いた」

 トロワは車イスの背にもたれかかり、腕組みをした。

「最近の雑貨商とやらは奴隷まで扱っているのか。いやすまん。何せ金持ちだろ?貧乏な商人に関わる機会がないもんでな」

 皮肉な笑いを浮かべ、ゆっくりと語りかけるように言葉を吐き出した。何か考えているのだろうか、トロワの眼がギラリと光る。

「食料がないなら……ブハハ」

 いやらしい目つきで、スウを舐め回すように下から上へと熟視した。嫌な予感がする。ゾワッ、とスウの背筋に悪寒が走った。

 そしてトロワの腕が真っ直ぐと伸び、人差し指をスウに向けた。

「その子を売ってくれ」

 嫌ッ……!!

 漏れ出しそうな声を必死に我慢した。そんなことを言えば、何をされるか分からないと直感したからだ。

「こいつですか……?」

「……ああそうだ」

 トロワの口角はこれでもかと上がり、スウの恐怖、嫌悪を引き立てる。

 絶対に嫌だった。確かに、もし気に入られれば、それなりの生活は送れるかもしれない。しかし、そうでなければ死ぬまで奴隷で過ごすことになる。お金持ちの家だ、さぞ警備も行き届いているだろう。

 また、気に入られるとしても奴隷にはなりたくない。そもそもスウが欲しているのは自由であって富ではないからだ。

 奴隷生活から脱して、貧乏でも自由に――

「確か……相場では10万くらいか?」

 使用人の男に手振りで指示し、お金を用意させる。

 なんで昨日寝たんだろう。吐き気がする程の後悔が押し寄せる。逃げればよかった。こんなことになるなら……逃げていれば……

「あなたに売ることはできません」

「えっ……」

「はぁ?」

 スウ、そしてトロワ一行も驚きの表情をうかべる。

「あーあ……やっぱり」

 村人らは呆れているが、スウに気にする余裕はなく、思考が追いつかない。何で……?

「何だ?金がいらんなら宝石で買おうか?ぶふん……強欲なやつだ。まあいい、見繕ってやろう」

「違います。売れない、と言っているのです」

 トロワは明らかに不機嫌な顔になる。

「代わりと言っては何ですが……私の食料を。金はいりません。節約すれば一週間はもつでしょう」

「2日ももたねぇよ……」

 使用人がボソッと吐き捨てるが、誰も聞こえていないようだ。

 トロワは小さく舌打ちして引ったくるようにそれを受けとる。

「そうか……まぁいいだろう」

 リュウを一瞬睨み、女性に指示をして馬車へ戻っていった。残された使用人も、

「馬車は一夜ここに置かせてもらいます。朝には出発するのでご容赦ください」

と言って馬車に入った。中ではトロワが自分の商品、数々の宝石を手に取って眺めている。世界中の富豪が買い求める、1個1000万はくだらない宝石群だ。

「あの商人、何様だって感じですね」

「でもさすがはトロワ様。あのような無礼な者までも許し……」

 ジャラララッ!と音が響く。トロワが持っていた宝石をぶちまけたのだ。

「このトロワを……許さん。おい!」

「「はいっ!」」

 あまりの剣幕に二人は縮み上がった。

「絶対に……買うぞ」


「どうして売らなかったんですか?」

「何だ?売ってほしかったのか?」

 そういうわけではないが気になった。金に興味がないのは分かったけど、売らない理由が分からない。

「何となくだよ。それよりもう暗い。片付け手伝え」

 頭がモヤモヤするが仕方ない。市を片したのち、エルフのおばさん家に戻る。

「夕食の準備するから待ってて」

 台所に消えるおばさんを見て、ふと疑問がよみがえった。

「食料……あまりないんですか?この村」

 小声でリュウに訊く。ゆっくりと頷いた。

「じゃあ何であんな豪華な……」

「……歓迎されてんだよ俺たち。あと来たとき真っ暗だったろ?あれも燃料買う金がねぇから節約してんだ」

 そうだったのか……。

「申し訳ねぇけど好意だからな。黙って受けとるのが筋だ」

 つまり、私たちのせいで、大金を手に入れるチャンスをふいにしたらしい。……私たちが……私がいたから。

 その後出てきた料理はやはり豪華だった。しかしスウは少しの量で夕食をすませ、部屋に戻る。

 私なんかに振る舞っても意味がない。遠慮の欠片もなかった今朝までの自分が恥ずかしかった。

 でも、もうその心配もない。

 服の中から、夕食時にくすねておいたパンを取り出した。


『人喰い種族め!』

 怒号とともに、大きな棍棒が降り下ろされる――


『生き返らせる?そりゃ無理だよ、オイラでもね。でも例えばさ』

 尖った角と尻尾を持つ、黒服の男がニヤリと笑った――


「起きな!!リュウさん!!」

「うおっ!?」

 何事かと飛び起きた。周りを見ても、ただリュウが寝泊まりしていた部屋の中のようだった。

「何だ夢か……」 

 背筋に冷や汗がつたい、動悸がする。……やなこと思い出したな。

「何寝ぼけてんだい!?」

 ドアからおばさんの顔が覗き、中に入ってくる。

「どうしたよこんな夜中に」

「スウちゃんの様子がおかしかったから見にいったんだよ。そしたら」

 おばさんの手には1枚の紙切れが捕まれていた。

「……あ"ぁーん?」

 “ありがとうございました さようなら”


 夜の村は静まりかえっている。一応こそこそと隠れながら歩いてきたが、どうやら意味をなしていないらしい。緊張して損した。

「とうとう逃げちゃったなぁ……」

 村の端から来た道を振り返って息を漏らす。ここから先は、スウの知らない町へ続く道だ。

「リュウさんも……おばさんも、みんないい人だったけど」

 それでも、ずっと願っていた“自由”だ。スウはついに自由になったのだ。

「明日からはどんなかな。辛いかな……」

『どんなに辛くても、ひとつ幸せを見つけるの。こんな風に』

 思い出のあの人は、四ツ葉のクローバーを摘み取って笑った。

 そうだ、自由になった。奴隷じゃない。誰にも従うことなく、スウのやりたいことが――

「明日から君はあの人のもとで仕えるんだよ?」

 背後から男の声が聞こえ、両手を捕まれた。


「ったくあのガキ……」

 身支度を終えたリュウがぶつくさ言いながら靴を履く。

「死んでも連れて帰ってきなよ。一人で帰ってきたら私があんたを殺す……」

「……おっかねーなーもー……」

 爪先を床にトントンと打ちつけた。

「んじゃ、行ってくらぁ……」

 リュウがドアノブに手を伸ばした瞬間、ドアをノックする音が鳴った。……こんな遅くに誰が……。

「こんばんは」

 外にはにこやかな使用人が立っていた。

「お前……確かトロワんとこの」

「はい。夜分遅くに申し訳ありません。少しご報告があって、こちらに参った次第です」

 話ながら使用人は、スーツの内ポケットに手を入れてゴソゴソさせた。

「そちらのが外を歩いて……いや、()()()いたので、買い取らせていただきました」

「……は?」

「それって……スウちゃんのことかい?」

 ニコッと使用人は笑う。

「その通りです。お金を払い、商品を受け取る商売の基本。その順序が逆になってしまいましたが、その代わり」

 内ポケットから、薄いお札の束を取り出した。

「謝罪の意も込めて相場の3倍、30万で買い取ります」

 ベロン、とお札は重力に従って垂れ下がる。使用人はそれをリュウの胸に押し付けた。

「しかしね、むしろ感謝してほしいくらいですよ。あんな誰も欲しがらない()()()()をこんな大金で買い取るんですか――」


「気に入らない?」

 馬車のとある部屋。トロワ側近の女はスウの服を選んでいた。ズタズタの服のままではかわいそうだと思っての提案。

 あれやこれやと服を合わせるも、スウの反応がかんばしくない。ずっとうつむいている。女の方はけっこう楽しんでいたのだが。

「まあ子ども服なんてそもそも少ないしね。次の街で色々見てみよっか」

 明るく話しかけてもスウの表情は暗い。二人きりのため、女が口を閉じると一気に空気が重くなる。気まずいことこの上ない。

 我慢できず、もうこれを訊くことにした。

「そんなに……トロワ様が嫌?」

 首は縦にも横にも振られなかったが、うつむき加減が増した。嫌……というわけか。

「まーそーだろーねぇ。いきなりあんな眼鏡野郎に拉致されて。私だったら顔面殴って失神させるね」

 ニコッと笑って冗談を飛ばすが、全然笑ってくれない。悲しくなってきた。

「服は今度にしよっか。でもねーここも悪くないよー?お金はすっごい使えるし。そんなに何が気に食わんかねぇ」

 そう言いながらスウを部屋の外へ連れ出す。

「おお着替え……なんだ変わってないじゃないか。何?子ども服が少ない?」

 ケッ、と顔をしかめてスウを一瞥した。

「なら次の街で好きなだけ買うといい。金ならたんまりあるからな」

 好きなだけ、その言葉が耳に残る。

『食えよ好きなだけ、な?』

 リュウの声が脳裏に響いた。同じ言葉。同じ商人。でもこんなにも温かさが違う。どうして……

「どうして……商人をしているんですか?」

「あ?分かりきったことを訊くな」

 トロワは右手の親指、人差し指で丸を作り、見せつけた。

「金のために決まっとる。この世界、金を多く持った者が強く偉い。そしてそのためには手段を選ばん」

 ブフフ、と卑しい笑い声が漏れる。

「金を得るため、わしは悪魔にこの両足を売ったのだ」

 えっ……悪……魔……?

「ただの作り話じゃぁ……」

「違うんだなこれが」

 ニタァとトロワの顔が笑みで覆われていく。

「両足と引き換えに、元々よかった嗅覚をさらに上げ、商品価値をもかぎ分けれるようになったのだ」

 話が突飛すぎて頭が追い付かない。お金のために足を売った?馬鹿げている……!

「だがこの鼻のおかげで手に入れた宝石も、所詮は金を得るための道具でしかない。そしてそれは……貴様も同じだ」

 突然ガッと胸ぐらを捕まれる。息が苦しい……

「か……はっ……」

「貴様もあの貧乏商にとって、金を得るためだけの存在だ!それをわしが破格の大金で買ったんだ!奴も結局は商人。今ごろ満足してるだろうよ」


 ご主人も……結局は商人……


 あんなこと言っても……やっぱりお金なんだ……


 ……自由になりたかった……幸せになりたかった


『あなたたちは自由に……幸せになるの』


 シスター……


 ウチ――


 ドゴオォォン!!

 派手な音がした方を見ると、砂煙、埃が舞っている。入口のようだ。もうもうとした場に目を凝らすこと数秒後、そこから血だらけの顔をした使用人の姿が現れた。

「トロワ……様……」

 瞬間、ドサッと音を立て使用人は床に倒れる。そして背後には……リュウの姿があった。どうやら使用人の頭を掴んでいた手を放したらしい。

「顔面……」

 女はおののいている。

「スウは……おっ……いたか。ったく手間かけさせんな。……帰るぞ」

 リュウはすぐさま翻し、すたすたと戻り始めた。

「おい待てよ」

 ドスのきいた声が低く、冷たく体に突き刺さった。思わず身がすくむ。しかしやはりリュウは例外だ。

「何だよ。スウはうちの大事な商品だ。返してもらう」

 すげなく話すリュウ。トロワの額に青筋が浮かんだ。

「どこまでわしを虚仮にする……?もう限界だ。連れてこい!」

「はっ!」

 女は外へ走り出た。

「貧乏商が……帰りたいなら帰ればいい。帰れたらの話だがな」

 ズシン……ズシン……地響きが外で鳴り響く。

「金持ちのわしが何故食料を持ってないと思う?えらい買い物しちまったからさ。珍しかったからつい……な」

「ヴモォォォォォ!!!」

 入口から牛頭で3、4メートルの巨人が姿を表した。

「ミノタウルス族か……」

「おい奴隷!初仕事だ。あんだけ食ったんだから働け!」

 ギョロリと大きな目玉を動かし、リュウを見る。シュー、シューと鼻息荒く、目を血ばらせていた。

「仕事……コイツ……コロス?」

「ああ……殺れ!」

「シーゴトォォォォ!!!」

 ドガァァン!!

 目にも止まらぬ早さで、リュウのいる場所に上から拳を叩きつけた。

「馬鹿!部屋ん中ですんな!内臓まみれになんだろ!」

 遠くのほうでトロワの叫び声が聞こえた。

「ご主人……リュウ……さん?」

 死んだ……?死んでしまった?あの早さ、避けれるはずがない。

 また私のせいで……

 そのとき、チリッと何かが焦げる音がした。

「熱ッつ……何だ?」

 もうもうとした砂ぼこりから細い炎の帯がたなびく。その出所を探ると、そこには牛男の拳を片手で受け止めたリュウがいた。炎はリュウの手の甲に繋がっている。

 そして、指先からは大きな炎の鉤爪が伸び、相手の手をガッチリと掴んでいた。

「その炎……まさか」

「ブハハハハハハ!!とんだ茶番だ!おい娘、よく見ろ」

「痛っ……」

 スウの髪を乱暴にトロワが引っ張る。

「噂通り……間違いねぇ……あいつは竜人族だ!!」

 竜人!?バッとリュウを見る。

「ああ、な」

「ったく、何が大事な商品だ笑わせる。誰でも知ってるぞ、お前の好物を」

 噂に違わないなら確か……

「人間族のメス!お前、こいつ食うつもりなんだろが」

「そんなの……誰が言い出したかも分からん作り話だ。食うわけねぇだろ」

 俺が好きなのは酒と野菜だ、と付け加える。なんだその組合せ。

「いいから早くスウを返せ、めんどくせぇ」

「竜人なんかのとこに帰りたくねぇってよ。それでもこのガラクタ返してほしけりゃ、自分で取り返せ貧乏商人が」

「ヴモォォォ!俺、皮膚、厚イ。炎、キカナイ!」

 牛男の腕が一層太くなったような錯覚がした。

「潰レロォォォ!!」

 リュウは少し顔をしかめる。

「スウ」

 ぽつり、と静かに語り始めた。

「俺も昔奴隷だった」

「えっ……」

 意外な事実に驚きが漏れる。奴隷上がり……

「でもな、助けてもらったんだ。人間族の……女の商人に」

『竜人の子?珍しいな。何?食人?そんな噂気にゃしないって』

「その人は死んだ。噂で俺を殺そうとする人たちから、俺を守って死んだ」

 そこで一呼吸おいた。

「俺は悪魔に頼んだよ。でも悪魔でさえ、生き返らせるのは不可能で」

『その代わり……こういうのはどうです?』

 リュウは片手を左目に当てた。

「その代わり、あの人の目をここに埋めたんだ。竜人の姿を対価にな」

 優しいあの人の目を……優しい目利きの、あの人の目を……

「そして、あの人の魂を継ぐことに決めたんだ」

「魂……?」

 ギラ、と目を剥き、トロワを睨み付けた。

「商人には!自分の商品を幸せにする義務がある!自分の商品を一番大切に使ってくれる人に売る。それが商人!金なんて二の次だ!」

 トロワは嘲笑した。

「偽善、大いにけっこう。だが死ね」

「スウ!」

 ビクッ、とスウの肩が跳ねる。

「お前はどうしたいんだ?」

 リュウはスウに一切目をくれずに尋ねた。

「お前がそいつに付いてって幸せなら、俺は何も言わず帰る」

「オマエ、帰レナイ。俺ガ、コロス!」

 牛男がもう一方の腕を振り上げた。

「どうしたいんだ!!?」

 ウチ……ウチは――

 だって、竜人だし、食べられるかもだし――

『案外、本当だと思われていることが実はただの噂話で、ただの噂話だと思われていることが、実は本当なのかもしれない』

 商人はどんな奴でも等しくクズ野郎だし――

『金が好きなんじゃねぇ。俺は売り買いの過程が好きなんだ』

 それならお金持ってるトロワって人の方が――

『どんなに苦しいときでも、小さな幸せを見つける努力を――』



「自由に、なりたい」

 ぽつりと言葉がこぼれた。全身が震え、頬に涙が伝う。

「幸せに……なりたい……!」

「このバカタレが……最初からそれでいんだよ」

 リュウは悪態をつきながら、ニッと笑った。

 そのとき、牛男が拳をリュウに放つ。

「ギエロォォォ!!」

 しかし、当たるかと思われた拳は空を切り、体勢を崩した牛男の腕をリュウが掴んだ。

「竜人をなめんな」

 淀みのない身のこなしからくりだされた投げは圧巻の一言だった。牛男は白目を剥き、ぐったりと車の外で倒れる。

「さて」

 一呼吸おいてリュウはトロワに顔を向けた。

「返してもらうぞ」

 トロワの表情からは驚き、屈辱、怒りなど様々な感情が読み取れる。

 こんなはずではなかったのだ。こんな貧乏商人にこんな屈辱を味あわされるとは。許さん。しかしこのままでは奴は行き、完全に敗北することになる。ただで帰らせてたまるか。無料ただで帰らせて――

「買えよ」

「……は?」

 少しリュウの剣幕に怯むが、プライドが恐れを振り払った。

「わしはどんな手段であろうと、そいつを30万で買ったんだ。お前も商人なら買っていけ」

 何を今更……

「変なこと考えんなよ?わしの身に何かあったら世界中の大富豪どもが黙っちゃいない。宝石はあいつらのステータスだからな。あいつらは一国の軍隊をも動かせる大金持ってんだぜ?」

 隙を与えないよう一気に捲し立てる。リュウは舌打ちひとつ、懐からお札を取り出した。

「ほらよ、お前から貰った30万だ」

「た……足りねぇよ」

 見栄を張っているのが分かる程にトロワの冷や汗がすごい。

「うちは宝石商だぞ?貧乏雑貨商とは訳が違う。そんな少額で買える商品はうちにはない」

 こいつ、ガラクタ呼ばわりしといて……

「さあ払えよ!!大事な商品なんだろ!?」

 勝った。こいつは雑貨商人。ましてや金に興味がないんだ。これ以上の金を持ってるはずがない!

 さぁ、どんなはした金が出てくる?

 リュウはおもむろに手を懐へ入れ、何かを取り出した。

「じゃあその100倍の3000万」

 そんなはした……へ?

「さん……ぜっ……」

 スウは目を見開いた。

「はぁぁぁぁ!?なぜ!貴様ごときがこんな大金……!」

「興味ねぇから貯まってく一方でな。こういうときに使おうと思ってたんだ」

 足りない、とプライドを押し通そうと思った。しかしこの世は金が全て。プライドなど1銭の価値もないのは分かっていた。

 ならばわしは勝利を売ろう。3000万でこいつに勝ちを売るのだ。

 トロワはそれをひったくるように受け取り、リュウに疑いの目を向ける。

「本当に後悔しねぇんだな?」

「するかよバカタレ」

 トロワはうつむき、歯ぎしりをしたのち、女に指示を出した。

「その少女を外へ運べ。お客様の物だ。丁重に扱え」

「……はっ」

 女はスウを先導し、表へ出ていった。リュウも続けて出ようとするが思い止まった。

「そうだ……もうひとつ」

 リュウの言葉を聞いたトロワは驚いた。

「は?」


「本当にあの人に付いていくの?」

 女は目を伏せがちに訊いた。

「あの人竜人だよ?食べられちゃうかもだよ?」

「いいの」

「商人はどいつもこいつもクズ野郎だけど」

「大丈夫」

「あの豚は金だけは持ってるから」

「分かってる、でも」

 もう決めたのだ。

「私は……あの人に付いてく。そんでいつか自由になって……幸せになる」

 ニッと笑った。

「そう……元気で」

「おい、何うちの商品をたぶらかしてんだ?」

 ビクッ、と女の肩が跳ねた。

「いえ!失礼しました!」

 女は逃げるように車の中に入っていく。

「……ったくよ、バカタレ。大変だったんだぞ?急に逃げてやがるし、何か捕まってやがるし。挙げ句自由になりたいだ?」

 ぐっ……

「おら、目ぇつぶれ」

『罰だ!歯を食いしばれ!』

 昔の思い出がよみがえる。スウはぎゅっと目を閉じた。殴られるか、蹴られるか。少しの痛みが側頭部に走る。

「……いいぞ開けろ」

 あれ?何もされてない?痛みの走ったところへ手をやると、何かが付いていた。

 四つ葉のクローバーの髪飾りだった。

「えっ……これ」

「さっき買った」

 トロワのところから?30万で買える商品はない……これは

「受け取れませんこんな高価な……」

「金はいいんだよ」

 でも、としぶるスウの頭に大きな、温かい手のひらが置かれた。ゆっくりと撫でられる。さっきと違い、全然嫌じゃなかった。

「自由に……なるんだろ?」

 スウの中に熱いものが満たされる。

「……はい」

「幸せになるんだろ?」

「はい……!」

「任せろ」

 ニッと笑う。優しい笑顔だった。

「俺が絶対幸せにしてやるよ」

 この人に……付いていく。絶対幸せになってみせる。

「はい!!」


fin.

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