救いの商人
「やっぱ売れ残りやがった……だから人間族のメスなんて売れるわけねぇって言ったろ」
酒場の一角で、鬼のような角が生えている、筋肉質の男が毒づく。正面で頭を抱えているのは、毛むくじゃらで牙の長い男だ。
「あ、あれだよ……ほら、竜人の好物は人間族の肉らしいしさ……」
「竜人なんてどこにいんだよばか!」
角の男が毛の男をしばく。
「世界でも何人かしかいねぇみたいじゃねぇか!ったくよ」
角の男は一瞥した。
「この売れ残りどうするよ」
目線の先には小汚ない少女がうずくまっていた。
「協会の目も厳しくなったからなぁ……奴隷商売もそろそろ……」
毛の男が深くため息をつく。
「それこそ悪魔に売っちゃう?」
「何でも欲しいものと引き換えに……ってやつか。でもただの噂だろ?」
二人が会話をしているそのとき……少女に歩み寄る者がいた。
「お前……売れ残りか?」
少女が顔を上げると、そこにはひとりの男が立っていた。人間族のようで、顔には大きな傷がある。
男は少女をじっと見つめた。その目は鋭く、まるで品定めをしているかのよう。そして不意に男の口角が上がった。
「俺は商人のリュウ……お前を買うぜ。今日からお前は俺の商品だ」
カタコトカタコト……
荷馬車は荒野をゆっくりと進んでいた。荷台には酒場にいた人間族の男、リュウが鼻歌まじりに寝そべっている。
「いい天気だなぁ……」
ふぁーあ、とリュウはあくびをした。
「すいません乗せてもらって」
「フォッフォッ、もののついでじゃぁ」
立派な白髭をはやした老人が、馬を操りながら応える。ガタン、と少し揺れたが、カタコトと尚も荷馬車は進んでいく。
「おいお前、お前だよおい」
リュウは横に座る少女に声をかけた。ビクッと肩が揺れ、少ししてから少女は顔をゆっくりと上げた。眩しそうに目を細めている。
「お前まさか寝てたのかよ?よくさっきの揺れで起きなかったな」
「す、すみません……」
「あん?あぁ……」
急に謝られて面食らう。ただ素直に思ったことを言っただけだったのだが。
「起きてますね、すみません……」
「いや、寝ててもいんだけどよ……とりあえず、今夜着くとこはお得意先の村だからな。……そこでは粗相すんなよ」
お得意先……か。
返事をしながら少女は思案を巡らせる。
この世界は金が全てだ、と昔誰かが言っていた。富をより多く得た者が、名声も得る。極端な話だが、今の世の中は、金さえあれば世界の支配者になることも不可能ではない。
お金を得る仕事は星の数ほど。そんな中、成り上がりを目指す者は決まってある職業を選んだ。
それは商人である。
この人も商人だって言ってたな……。少女はチラッとリュウを見た。よほど好きな曲なのか、ずっと同じメロディーで鼻歌を歌っている。
商人にも種類があり、食べ物を売る八百屋商や魚商。衣服を売る着物商に、本を売る図書商などなど豊富に存在している。
しかし俗に闇商と呼ばれる、裏の世界の商人もいるのが現状だ。例えば、戦争には欠かせない武器商や人生を狂わせる薬物商である。
この人はウチのことを商品と呼んだ……ということは、世間で最悪の商人との噂の……
『奴隷商……か』
はぁ、と少女はため息をついた。お得意先の村というのはどんなところなのだろう。奴隷を買うやつが住む村だ。ろくでもないところに決まっている。
見たところ商品はウチだけみたいだし。今夜……実行しよう。
リュウは少女の他に、少し大きめの手荷物しか持ってない。前にいたところの二人は馬鹿そうに見えて、意外と頭がよかった。寝るときは一人ずつしか寝ないため、逃げる隙がない。
でも今なら……いける。奴隷として売られる前に逃げなければ。
『どんなに苦しいときでも、小さな幸せを見つける努力をするの。……こんな風に』
思い出の人は微笑んで四つ葉のクローバーを摘んでみせる。
……約束したんだ。
今夜こいつが疲れて寝たすきに逃げてやる。少女は強く決心を固めた。
荷馬車はカタコトと、赤く染まった空の下、ゆっくりと進み続けた。
「着いたぞ」
すでに辺りは闇に支配され、かすかな月明かりと村の灯で何とか前が見える状態。木々に囲まれ、村はひっそりとしている。
規模としては中の下くらいだろうか。別段荒れた様子もなく、それどころか掃除がいき届いているようだ。村人のたちの性格が窺える。
何かがおかしい。こんな清潔な村の人が奴隷を買うのか…?少女の頭上に疑問符が踊った。
「すんませーん!誰かー!」
リュウが村に向かって叫ぶ。すると、今まで申しわけ程度だった村の灯が強くなり、家々から多くの人が出てきた。
「「リュウさんいらっしゃい!!」」
それは少女をさらに困惑させた。駆け寄ってきた村人は、どの人もおおよそ奴隷を買いそうにない、優しい雰囲気に溢れていたのだ。
「久しぶりだなぁ。半年ぶりくらいか?」
「まぁこんな遅くに。大変だったでしょう、ゆっくりしてってね」
「今日は私らの家に泊まりなさいよ」
「リュウ兄今度は何売ってくれんの!?」
「あーそーぼー!」
性別、年齢、種族と様々だが、皆リュウを慕っているのが分かる。なぜ?奴隷商なのに……
「あらまリュウさん!可愛いらしいお嬢さんじゃないか!どうしたんだいこの子?」
一人の女性が少女に気づいた。おや本当だ、リュウさんの子かい?と、村人は口々に話しかけてくる。
「こいつか?」
リュウは振り返って少女を見た。そして、リュウの口角が上がる。
「こいつはな……俺の新しい商品だ」
しん、と村人は静まりかえった。と思ったら……
次の瞬間、辺りは笑い声に包まれた。
「あっはっは!今度は女の子かぁ」
「全く……お人好しだねぇ」
お人好し……?奴隷商売をすることが?
意味が分からなかった。少女は村人たちを見回したが、その顔には悪意の欠片もない。皮肉を言ってる感じでもない。
なぜ?
「まっ、今日は遅いからうちに泊まりなよ。ご飯もまだなんだろ?二人分用意したげる」
「いつも悪いな……本当にいいのか?」
まっかせなさい、と耳の尖ったエルフ族のおばさんは胸を叩いた。
「ほら、たーんとお食べなさい!」
おばさんの家に着いて間もなく、二人の目の前に料理が出てきた。肉、野菜、どれも美味しそうに盛られている。
「いただきます」
リュウはゆっくりとサラダに手を伸ばし、ムシャムシャと食べている。
野菜が好きなようだった。
すると、リュウの隣からぐぅーっという腹の音、そしてゴクリという唾を飲み込む音が聞こえてきた。
「何だ?食わないのか?」
食べるわけがない。だって
「ご主人様が食べ終わる前に、私が食べたらぶちますよね?」
リュウは箸をくわえたまま目を見開いた。
どこの商人のところでもそうだった。ご主人様が食べ終わるまで、私たち奴隷は食事をさせてもらえない。それだけならまだいいが、中には残飯すらもらえなかった日もあった。
ぶたれるのは痛い。空腹の方がまだましだ。
「……奴隷の生き方が染み付いてやがんな」
リュウがふと呟く。そしてバスケットからパンを一つ取り出し、少女の方に差し出した。
「お前は奴隷じゃねぇ。俺の商品だ」
??何が違うんだろう。いやそれより……
「えっ」
少女はパンをまじまじと見つめた。こんなこと初めてだ。
「腹へってんだろ?食えよ好きなだけ、な」
「あんたはもうちょっと遠慮しな!さぁお嬢ちゃん、たくさんお食べ!」
二人に言われて、おそるおそるパンを受けとる。そして……おもむろに口に運んだ。
「どうだ?美味いか?」
「私が作った料理だよ!何であんたが聞くんだい!」
前で二人が掛け合う中、か細い声が聞こえてきた。
「美味しい……美味しいです……」
リュウとおばさんが顔を見あう。お互いほっとした顔だ。
「まぁ……こんなに喜んで食べてくれる人は初めてだよ。たくさんあるからもっとお食べ」
「っ……はい」
よっぽどお腹がへっていたのか、勢いよく口にほおばる。特にパンを気に入ったようで、そればかり食べていた。
「あんた、名前は?」
「あ、そういや聞いてなかった」
「……全くこの男は。ちゃんとなさい!」
おばさんがバシッとリュウの背中を叩く。痛って!とリュウが悲鳴を上げた。
「……名前はないです。前のとこでは4番と呼ばれてました」
おばさんの顔がひきつり、赤くなっていく。
「思いっきり商品番号だね。そいつらに会ったらぶん殴ってやりたいわ」
おばさんが怒りをあらわにしたとき、リュウが少女へ顔を向けた。
「じゃ、スウにしよう。お前の名前は今日からスウだ。」
よろしくな、とリュウがニッと少女……スウに笑いかける。スウは何も言わず、ペコッとおじぎを返し、パンを食べ続けた。
『ほんとに疲れてたんだな』
リュウはスウを見てふと思った。そう言えば移動中も眠そうにしていたことを思い出す。今までの苦しみが窺えた。
「そうだ、おばさん酒は?」
「子どもの前だよ!自重しな!」
えー、とリュウの静かな悲鳴が響いた。
「ここがスウちゃんの寝る部屋だよ」
ご飯を食べたあと、おばさんに連れられた先は、家の奥の小さな部屋だった。
「ウチ、ここで寝るんですか?」
「そうだよ。……気に入らないかい?」
おばさんが心配そうにこっちを見る。いや気に入るも何も、
「素敵なお部屋……」
少しこじんまりとしているが、片付いていて、落ち着く部屋だった。真ん中には丸いテーブルと椅子、片隅にはベッドが置かれている。窓から入ってくる風で、テーブルの上の小さな花瓶に挿さる、一輪の花が揺れた。
「それならよかった」
おばさんはキラキラと目を輝かせるスウを見て微笑む。
「疲れてるでしょう?ゆっくりしてね。早く寝ないと悪魔に食べられちゃうわよ」
返事はするが、頭では逃げ出す算段をたてている。
その後、おやすみの挨拶をしておばさんが部屋から出ていってから、改めて部屋を物色した。
実はスウはひそかにワクワクしていた。こんなにいい部屋に泊まるのは初めてだったのだ。奴隷生活での寝泊まりは野宿が多い。また宿屋に泊まれたとしても、部屋の隅で寝なければならなかった。
最終的に椅子に座り、ゆらゆらと揺れる花を愛でる。
『綺麗だな……って楽しんでる場合じゃない!』
今日こそ奴隷の身から自由にならなければ。幸いにも窓があるから、そこから逃げることができる。
窓はベッドがある壁際にあった。逃げ出すためにベッドに登ると、ふかっとした感触が足に伝わってきた。
「うわっ」
よろめいたが何とか踏ん張り、バランスをとったところで下を見る。
「これがベッド……」
今までスウが寝るのは床や土の上ばかりだった。固く冷たくて、起きても疲れが取れた気がしない。
前の主人が寝ているのは見たことあったが、触れるのは初めてだった。柔らかく、ふかふかとしている。これで寝たらどんなに気持ちがいいだろう。
そう思った途端、耐え難い程の眠気に襲われた。ここで寝たらだめだ。ここから逃げたら、いくらでもベッドで寝ることができる。何も今日寝る必要はない。
『でも……少し横になるくらいなら……』
少しだけ、少しだけと自分に言い聞かせ、とりあえず一回横になることにした。布団に入り、枕に頭を預け、そして目をつぶる――
目を開けると、体は包みこまれるような快感に満ちていた。窓の外から小鳥のさえずりとともに、優しい光が体にそそぐ。スウはゆっくりと起き上がり、外を確認した。
さっきよりも明るくなっており、逃げやすそうだ。早くしないと朝になって逃げれなく――
「朝じゃん!!」
飛び起きたスウは慌てて外を見渡す。朝日は意外と高く昇り、夜明けとかではなく普通に朝だった。計画が音をたてて崩れさる。
少し目を閉じただけかと思っていた。実際、感覚では数秒程の暗闇が視界を覆っただけだ。それがよもや熟睡していたなどと誰が思おうか。
「おはよう。やっぱ相当疲れてたんだな」
ハッとして声の方を向くと、リュウがドアから覗いていた。
「あっやっ……すみません!」
「?何で謝んだ?」
あ、そうか。この人は私が逃げようとしてたのを知らないんだ。
「まあいいや、早く来い。朝飯だそうだ」
リュウのあとについていくと、美味しそうな匂いがスウの鼻をくすぐった。台所ではおばさんが慌ただしく動いている。
「あっ、おはようスウちゃん。もうすぐできるから座ってまっててね」
二人が椅子に座ると、おばさんの声がリュウに向かって飛んできた。
「こらっあんたには言ってないよ!お皿を運んでちょうだい」
「なぁ!?ったく……人使いの荒い」
「タダ飯食らいが偉そうな口叩くんじゃないよ!ほらっさっさと運ぶ!」
へいへいとリュウが席を立つ。これはいけない。
「うっウチが運びます」
スウが慌てて立ち上がった。ご主人に雑用をさせて奴隷が座っていたら……叩かれる、蹴られる。
「あぁ、いいよいいよ。俺がやるよ俺が」
「へっ……?」
言われたの俺だしな、とリュウは台所へスタスタと歩き、手際よくお皿を運び始めた。机の上に温かい料理が並ぶ。
スウはまだ呆気に取られていた。奴隷が働かなくていいなんて、一体どんな思惑があってのことか。
この村に来てから、リュウの行動一つ一つに驚かされる。この人は何者なの?何で私に、奴隷の私に、こんなに親切にしてくれるの?
「料理も並んだし……食っていいよなおばさん」
「はいよー、お上がりなさい」
リュウはいただきますと合掌し、またサラダを手に取った。昨日も見たが、何というか上品な食べ方だなと思う。
あと、食べて……いいんだよね?スウはゴクリと喉を鳴らした。そっとバスケットの中のパンに手を伸ばす。そしてチラとリュウの顔を窺った。
すると思わぬことに、リュウはスウの様子を凝視していたようだ。目付きが怖く、睨まれている手前、それ以上動くことができない。
スウが固まっていると、リュウは口の中の物を飲み込みそして……破顔した。
「食えよ好きなだけ、な?」
スッ、とスウの緊張は溶け、パンを手に取った。
「……いただきます」
こんなに早くまたパンを食べれるとは。嬉しくも、寝てしまって逃げられなかった悔しさにほぞをかむ。直接口にパンを運ぼうとしたスウにリュウが話しかけた。
「パンはこうやって食べるのがマナーだぞ」
リュウはパンを自ら取り、手でちぎってから食べた。
「おっ美味いな」
どうやらご機嫌になったらしい。鼻歌を歌いながら他の料理、もといサラダにに戻った。
なるほど、そうやるのか。スウはそのあとリュウに倣って、手でちぎりながら食べた。
料理も少なくなった頃、唐突にリュウが宣言した。
「食い終わったら“市”を開く」
市――聞き慣れた言葉に、スウの全身が反応する。背筋に冷や汗が垂れ、体が震えた。逃げられなかった後悔がまた押し寄せてくる。
市とは商人が物を売る場のことだ。そこで商人は自分の品をアピールし、お客はそれらの中から欲しいと思ったやつを買う。
別に市が嫌いなわけではない。いい人に買われたいという願いはいつも持っているし、そうならないと現状は打破できない。
嫌いなのはアピール方法だ。奴隷の私ができるアピールなんて高が知れている。そして客の購買意欲が湧かない場合、大抵主人は私に無茶を強いた。思い出したくもない、最悪のトラウマもある。……怖い。嫌だ。
「さてと、行くか」
スウの気を知るはずのないリュウは呑気に背伸びをし、旅中に持っていた手荷物を取って玄関に向かった。
「スウ、ほら行くぞ」
いかに優しいといえど、主人に逆らえるはずもなく、覚悟してリュウに次いで外に出る。スウの心中に反して、空は突き抜けるような晴天だった。
「商売日和、いいねぇ」
リュウは例の鼻歌を歌い、準備に取りかかる。一方スウは、そよ風の努力もむなしく、沈痛な面持ちのままだ。
今からでも逃げてみる?それは無駄だろう。何故なら、すでにリュウの周りに人だかりができ始めていたからだ。
『せめてアピールが楽でありますように――』
そのとき、パチンッとリュウが指を鳴らした。
「よしっ、待たせたな。只今より、商人リュウによる……“雑貨市”を開催する!」
「……は? 」
ざっ……か?えっ?ちょっ、ちょっと待って。
「……奴隷商人じゃないの?」
「は……?」
リュウはポカーンとした表情でスウを見た。
「いやいやいや……何でだよ」
何でだよと言われましても。奴隷の私を商品にする時点でそうとしか思えないでしょうよ。
「リュウさんはね、定期的に来てくれる雑貨商さんなのよ。色んな物を売ってくれるの」
雑貨って……ええ?スウがキョトンとしていると、村人達が説明してくれた。
「雑貨商は専門の商品を持たない、何でも売る商人さ。食べ物でも家具でも、仕入れた物なら何でもな。」
「リュウさんはたまにビックリする物仕入れてくんだよ。前なんか家ほどもある怪物を売ってたなぁ」
ハハハハと、笑い声が起こる。何だよ怪物って。
しかし、リュウが売っている商品……いやこれは商品と呼べるのか?どれもこれも……
「ガラクタばっかりじゃない」
瞬間、村人達に緊張が走った。そのうちの一人が何か言おうとしたとき――
「誰の商品がガラクタだぁ!!」
スウの目の前に火花が散った。そしてわけも分からず突っ立っていると、ジンジンとした鈍痛が頭を襲った。どうやら拳骨を落とされたらしい。
「リュウさんだめだ!」
「そうだよ相手子ども!」
リュウは男数人がかりで取り押さえられたが、まだ何か言いたげだ。
一方で、スウは殴られたところをさする。
「痛ったぁ……」
そう声に出してしまい、スウはハッと口をおさえる。その拍子に、口の中で少し鉄の味がした。
「あ……血……」
どうやら頭から出た血が手に付いて、口に入ったようだ。生暖かい物が頭から垂れる。
「ほらもうリュウさん力強いんだからさぁ!」
「やり過ぎだよ!スウちゃんこっちおいで。私の父さん医者だから」
「あ……はい……」
スウはおばさんに手を引かれて、近くの家に入った。どうやらそこが診療所のようだ。
「……はぁー」
座りこんだリュウはガシガシと頭をかく。
「……またやっちまった。我慢しようとしてんだけどなぁ……」
さすがに反省しているようで、声が弱々しい。
「まぁ俺達もずっとリュウさんを見てるし、気持ちは分かるけどね」
「でもよー……自分の商品自分で傷つけるとか……。商人として失格じゃねーか……」
まだ不満があるのか、ぶつぶつ言っているリュウの肩を、一人の村の青年がポン、と叩いた。
「気ぃ取り直して“市”を始めようよ、リュウさん」
「……そうだな」
リュウはゆっくりと立ち上がった。
「よしっ、さぁいらっしゃい。欲しいもんあったら言ってくれよ」
「――これで大丈夫と」
医者のお爺さんはにこっと笑った。
しかし、スウの頭は包帯でぐるぐる巻きにされていて、正直痛々しい。
「少し大袈裟じゃないかい?」
おばさんは最初心配そうに見ていたが、途中からしかめっ面になっている。
「ははは、まぁ用心に越したことはないから。……でもやり過ぎちゃったかな」
「……いえ、ありがとうございます」
ぺこり、とスウはお辞儀をした。
「はは、いやいや」
医者のお爺さんは、またにこっと笑った。話すことがなくなり、窓からの声が部屋に響き始める。
「……今回もリュウさんの“市”は大盛況だな」
集まった人の隙間から、あくせく働いているリュウが見えた。多くのお客さんが品を買い、持ち帰っていく。その光景はスウに言い知れぬ不安を抱かせた。
「ウチも……売られちゃうのかな……竜人とかに」
お爺さんは大きく目を見開き、そしてゆっくりとスウに言葉を投げた。
「竜人は嫌いかい?」
「えっ」
好きか嫌いか、なんて考えたこともない。まず竜人が身近な存在ではないからだ。でも、話には聞いたことがある。だから答えは出すことができた。
「嫌いです。だって竜人は人間の、女の人の肉を食べるんでしょう?大好物なんだって……」
「よく知ってるね」
お爺さんはにこっと、しかし眉をひそめて苦笑した。そのあと、何か思うところがあるのか、空を見上げる。スウも空を眺め、少しずつ動く雲を目で追う。しばらくしてから、お爺さんは空を見上げたまま、スウに語りかけた。
「案外、本当だと思われていることが実はただの噂話で、ただの噂話だと思われていることが、実は本当なのかもしれない」
スウはキョトンとして聞き返した。
「……どういうことですか?」
「ん?例えば……あれの会話をよく聞いてごらん」
お爺さんが指差した、外に意識を傾けると、人だかりの中からリュウの威勢のいい声が聞こえてきた。
「これなんかいい商品だろ?頼むよ買ってやってくれ。あんたしかいねぇんだ」
ここで、スウは違和感を感じた。商人って客に対してあんなに下手に出るもんだったっけ?
スウの知る商人は傲慢で、これでもかと自分の“売れる”商品をアピールする。“売れない”商品を『買ってやってくれ』なんて絶対に言わない。売れないなら、切って捨てるのが当たり前の世界だからだ。
そうやって何人かの奴隷商を渡り歩いてきたから分かる。
極めつけはこれだった。
「じゃあ……30%オフ!頼むっ。買ってくれ」
「……割引する商人なんて見るのは初めてだろう?」
ニコニコとお爺さんは目を細める。
「みんな商人ってのは全員、お金のためだけに働いていると思っている。お金が手に入りさえすれば、奴隷を売るのも悪魔と契約するのも何とも思わない、最悪な奴らだとね。実際そういう人がほとんどだろうけど」
悪魔、前の奴隷商が言っていた噂のことだろうか。
でもね、とお爺さんは微笑んだ。
「それでも、リュウさんみたいな人もいるんだ」
スウは横目でお爺さんの顔を覗いた。柔和な表情で、じっと人だかりを見つめている。
「まいどあり。ありがとうな、大事にしてやってくれ」
どうやら買ってもらえたようだ。商品とお金を交換し、また次の商品を勧め始める。
「あの人にはないんだよ、金欲っていうものが」
えっ……じゃあ……
「何であの人……商人なんてしてるんですか?」
何でだろうねぇ、とお爺さんはニコニコして頬杖をついた。
「詳しいことは、本人から聞いたらいいよ」
促され、お爺さんと一緒に外へ出る。そこでは一段落ついたのか、リュウは隅に腰をおろして何か飲んでいた。
「おうスウ!さっきはすまん!つい、な。はっはっは!」
こちらに気づいたリュウが手を振る。テンションが高いことと、顔に朱が差していることから考えると、飲んでいるのはお酒らしい。少し鼻がツンとするのがそれを裏付ける。
てかキャラ変わりすぎだろ。いやそんなことは置いといて。
本当は、こんなことご主人に聞いたら殴られるか蹴られるかするだろう。でもこの人のことが知りたかった。他の商人とは違う、この人のことが。
「どうして商人をしているんですか?……お金、いらないのに」
聞いた。リュウは笑顔から、みるみる落ち着いた表情になる。また殴られるかな。そう思ったが、優しい口調で返答してくれた。
「……何だよ藪から棒に。別にいいじゃねーか。好きだからやってんだよ」
「えっ、でもお金いらないんですよ……ね?」
「あぁ?……あぁー……ははっ、違う違う」
リュウは首を横に2、3度振り、遠くを見るような眼差しになった。口角が少しだけ上がり、何かを懐かしんでいるかのよう。1口お酒をあおり、目を閉じた。
『私が商人してる理由?大したことじゃないさ』
まぶたの裏にあの人の顔が浮かぶ。
「金が好きなんじゃねぇ。俺は売り買いの過程が好きなんだ」
過……程?
「……って何ですか?どういうことです……わっ!」
リュウの大きな手がスウの頭、包帯部分に覆い被さる。そしてガシガシと荒っぽく撫でた。少し痛くて顔をしかめる。
「そっくりかよ全く……」
ポツリと漏らしたその言葉は、どこか寂しそうだった。
「……まっ、ガキにはまだ早ぇーよ。そのうち分かるときがくるさ」
子ども扱いをされ、少しムッとする。そうなると、まだ頭を撫でられていることも癇に触った。
「子ども扱いしないでください」
そう言ってリュウの手を払う。
「はっ!まだガキじゃねーか!んなこと言ってっと悪魔に連れてかれるぞ?」
「……何言ってるんですか。もう子どもじゃないんです。悪魔はただの噂ってことくらい知ってます」
「……そうか」
不意にリュウの言葉は力がなくなったように聞こえた。
「そうだよな……噂、そう噂話だよな……」
明らかにさっきとは雰囲気が違う。何かあったのだろうか。
「……どうしたんです……」
「ちょっと待て」
突然リュウは真剣な眼差しになった。スウもその目線を追う。村のはずれ……いやもっと奥の、村に続く道中にそれはあった。
「何だありゃぁ……馬車?……商人か?」
スウは目を凝らすが、何かが近づいている、ということしか分からない。どんだけ目が良いんだこの人。
近づくにつれ、スウにもその全容が見てとれた。大型の馬3匹に引かれているのは、豪華で、とてもきらびやかな車体だ。そして大きい。所有者の懐具合が窺える。
よく見るとその後ろにも2台、馬車が続いていた。先頭の馬車には見劣りするが、それでも高級な部類に入るだろう。どんだけの金持ちだよ。
観察している間に、計3台の馬車は村に着いて……止まった。
村人たちも、何事かと集まってきている。
馬車の扉が開き、スロープが設置された。
「あっ、人が」
先頭の馬車から出てきたのは、黒いスーツを着て眼鏡をかけた男性だった。
「お初にお目にかかります」
慣れた様子で挨拶、礼をする。厳しく教えこまれているのだろうか。
「私はある方の使用人です。我々一行はこの馬車隊で長旅をしているのですが……困ったことに食料の底が突きかけていまして」
使用人はチラッ、と前から三番目の、一番大きな馬車を見る。
「そこでですね、是非とも食料を分けてほしいのです」
「分けてほしい、何て貧乏じみた発言は止めろ」
声のした方に視線をやると、先頭の馬車から車イスに座った男が現れた。身長は低く、桃色の肌、大きな鼻にサングラスをかけている。どうやら豚人族のようだ。
「豪商……トロワ……!何でこんなとこに」
驚きの表情を浮かべたのはリュウ。
「ほう……わしを知っとる者がおるようだな」
「それはそうですよ。トロワ様は世界でも指折りの大商人ですもの」
車イスを後ろから押す、これまたスーツの女性がトロワと呼ばれた豚、いや人を褒める。
「まぁ、一応名乗っとこう。車イスで失礼するよ。何せ足が悪くてな」
女性に押してもらい、スロープを車イスでゆっくりと降りた。
「わしは宝石商のトロワという者だ。自慢じゃないが金は腐るほど持っとる。腐らせる気は毛頭ないけどな」
ブハハハ、と下品な笑い声が響きわたった。
「そこでだ。食べ物を売ってほしいんだよ。本当は高級品じゃなきゃ口に合わんのだが非常時だ。我慢しよう。さぁ売ってくれ、言い値で買ってやる」
言い値って……口も態度も悪いが、金払いだけは良いらしい。ここは田舎の村、金を得るまたとないチャンスだ。
しかし、村人たちは暗い顔で目配せをしている。どうしたのだろう。こんな話はそうそうあるわけではないだろうに。
「すみません、ここは見ての通り貧乏な村です。食べ物は自分たちので手一杯で……」
「えっ、じゃあ何であんな量の美味しい物を……ムグッ」
『バカタレ!黙ってろ』
リュウが慌ててスウの口を塞いだが遅かったようだ。
「……どういうことだ?矛盾しているぞ」
顎に手をやったトロワは村人を見回し、そして一点に目を止めた。
「前へ」
背の女性が車イスを進める。村人たちの間を抜け、口を押さえられたスウの前で止まった。
「君だな?さっきのは。どういうことかな?」
「え、あ……えっと……」
ゴニョゴニョと言い淀んでいると、リュウがずい、と割って入った。
「子どもの戯言です。お気になさらず」
そうかそうか……とトロワは何度も頷きながらも、眉の辺りにしわが寄っていく。おもむろにサングラスを外すと、前のめりにリュウを睨みあげた。
「お前は何だ?この子の親か?」
小さい体に似合わないドスのきいた声。リュウの後ろにいるスウも鳥肌が立つようだ。しかしリュウは怖じ気づく様子もなく、むしろしっかりと目を合わせて答えた。
「私は雑貨商人のリュウという者です。この子は……私の商品です。」
「ほーっ、これは驚いた」
トロワは車イスの背にもたれかかり、腕組みをした。
「最近の雑貨商とやらは奴隷まで扱っているのか。いやすまん。何せ金持ちだろ?貧乏な商人に関わる機会がないもんでな」
皮肉な笑いを浮かべ、ゆっくりと語りかけるように言葉を吐き出した。何か考えているのだろうか、トロワの眼がギラリと光る。
「食料がないなら……ブハハ」
いやらしい目つきで、スウを舐め回すように下から上へと熟視した。嫌な予感がする。ゾワッ、とスウの背筋に悪寒が走った。
そしてトロワの腕が真っ直ぐと伸び、人差し指をスウに向けた。
「その子を売ってくれ」
嫌ッ……!!
漏れ出しそうな声を必死に我慢した。そんなことを言えば、何をされるか分からないと直感したからだ。
「こいつですか……?」
「……ああそうだ」
トロワの口角はこれでもかと上がり、スウの恐怖、嫌悪を引き立てる。
絶対に嫌だった。確かに、もし気に入られれば、それなりの生活は送れるかもしれない。しかし、そうでなければ死ぬまで奴隷で過ごすことになる。お金持ちの家だ、さぞ警備も行き届いているだろう。
また、気に入られるとしても奴隷にはなりたくない。そもそもスウが欲しているのは自由であって富ではないからだ。
奴隷生活から脱して、貧乏でも自由に――
「確か……相場では10万くらいか?」
使用人の男に手振りで指示し、お金を用意させる。
なんで昨日寝たんだろう。吐き気がする程の後悔が押し寄せる。逃げればよかった。こんなことになるなら……逃げていれば……
「あなたに売ることはできません」
「えっ……」
「はぁ?」
スウ、そしてトロワ一行も驚きの表情をうかべる。
「あーあ……やっぱり」
村人らは呆れているが、スウに気にする余裕はなく、思考が追いつかない。何で……?
「何だ?金がいらんなら宝石で買おうか?ぶふん……強欲なやつだ。まあいい、見繕ってやろう」
「違います。売れない、と言っているのです」
トロワは明らかに不機嫌な顔になる。
「代わりと言っては何ですが……私の食料を。金はいりません。節約すれば一週間はもつでしょう」
「2日ももたねぇよ……」
使用人がボソッと吐き捨てるが、誰も聞こえていないようだ。
トロワは小さく舌打ちして引ったくるようにそれを受けとる。
「そうか……まぁいいだろう」
リュウを一瞬睨み、女性に指示をして馬車へ戻っていった。残された使用人も、
「馬車は一夜ここに置かせてもらいます。朝には出発するのでご容赦ください」
と言って馬車に入った。中ではトロワが自分の商品、数々の宝石を手に取って眺めている。世界中の富豪が買い求める、1個1000万はくだらない宝石群だ。
「あの商人、何様だって感じですね」
「でもさすがはトロワ様。あのような無礼な者までも許し……」
ジャラララッ!と音が響く。トロワが持っていた宝石をぶちまけたのだ。
「このトロワを……許さん。おい!」
「「はいっ!」」
あまりの剣幕に二人は縮み上がった。
「絶対に……買うぞ」
「どうして売らなかったんですか?」
「何だ?売ってほしかったのか?」
そういうわけではないが気になった。金に興味がないのは分かったけど、売らない理由が分からない。
「何となくだよ。それよりもう暗い。片付け手伝え」
頭がモヤモヤするが仕方ない。市を片したのち、エルフのおばさん家に戻る。
「夕食の準備するから待ってて」
台所に消えるおばさんを見て、ふと疑問がよみがえった。
「食料……あまりないんですか?この村」
小声でリュウに訊く。ゆっくりと頷いた。
「じゃあ何であんな豪華な……」
「……歓迎されてんだよ俺たち。あと来たとき真っ暗だったろ?あれも燃料買う金がねぇから節約してんだ」
そうだったのか……。
「申し訳ねぇけど好意だからな。黙って受けとるのが筋だ」
つまり、私たちのせいで、大金を手に入れるチャンスをふいにしたらしい。……私たちが……私がいたから。
その後出てきた料理はやはり豪華だった。しかしスウは少しの量で夕食をすませ、部屋に戻る。
私なんかに振る舞っても意味がない。遠慮の欠片もなかった今朝までの自分が恥ずかしかった。
でも、もうその心配もない。
服の中から、夕食時にくすねておいたパンを取り出した。
『人喰い種族め!』
怒号とともに、大きな棍棒が降り下ろされる――
『生き返らせる?そりゃ無理だよ、オイラでもね。でも例えばさ』
尖った角と尻尾を持つ、黒服の男がニヤリと笑った――
「起きな!!リュウさん!!」
「うおっ!?」
何事かと飛び起きた。周りを見ても、ただリュウが寝泊まりしていた部屋の中のようだった。
「何だ夢か……」
背筋に冷や汗がつたい、動悸がする。……やなこと思い出したな。
「何寝ぼけてんだい!?」
ドアからおばさんの顔が覗き、中に入ってくる。
「どうしたよこんな夜中に」
「スウちゃんの様子がおかしかったから見にいったんだよ。そしたら」
おばさんの手には1枚の紙切れが捕まれていた。
「……あ"ぁーん?」
“ありがとうございました さようなら”
夜の村は静まりかえっている。一応こそこそと隠れながら歩いてきたが、どうやら意味をなしていないらしい。緊張して損した。
「とうとう逃げちゃったなぁ……」
村の端から来た道を振り返って息を漏らす。ここから先は、スウの知らない町へ続く道だ。
「リュウさんも……おばさんも、みんないい人だったけど」
それでも、ずっと願っていた“自由”だ。スウはついに自由になったのだ。
「明日からはどんなかな。辛いかな……」
『どんなに辛くても、ひとつ幸せを見つけるの。こんな風に』
思い出のあの人は、四ツ葉のクローバーを摘み取って笑った。
そうだ、自由になった。奴隷じゃない。誰にも従うことなく、スウのやりたいことが――
「明日から君はあの人のもとで仕えるんだよ?」
背後から男の声が聞こえ、両手を捕まれた。
「ったくあのガキ……」
身支度を終えたリュウがぶつくさ言いながら靴を履く。
「死んでも連れて帰ってきなよ。一人で帰ってきたら私があんたを殺す……」
「……おっかねーなーもー……」
爪先を床にトントンと打ちつけた。
「んじゃ、行ってくらぁ……」
リュウがドアノブに手を伸ばした瞬間、ドアをノックする音が鳴った。……こんな遅くに誰が……。
「こんばんは」
外にはにこやかな使用人が立っていた。
「お前……確かトロワんとこの」
「はい。夜分遅くに申し訳ありません。少しご報告があって、こちらに参った次第です」
話ながら使用人は、スーツの内ポケットに手を入れてゴソゴソさせた。
「そちらの商品が外を歩いて……いや、転がっていたので、買い取らせていただきました」
「……は?」
「それって……スウちゃんのことかい?」
ニコッと使用人は笑う。
「その通りです。お金を払い、商品を受け取る商売の基本。その順序が逆になってしまいましたが、その代わり」
内ポケットから、薄いお札の束を取り出した。
「謝罪の意も込めて相場の3倍、30万で買い取ります」
ベロン、とお札は重力に従って垂れ下がる。使用人はそれをリュウの胸に押し付けた。
「しかしね、むしろ感謝してほしいくらいですよ。あんな誰も欲しがらないガラクタをこんな大金で買い取るんですか――」
「気に入らない?」
馬車のとある部屋。トロワ側近の女はスウの服を選んでいた。ズタズタの服のままではかわいそうだと思っての提案。
あれやこれやと服を合わせるも、スウの反応がかんばしくない。ずっとうつむいている。女の方はけっこう楽しんでいたのだが。
「まあ子ども服なんてそもそも少ないしね。次の街で色々見てみよっか」
明るく話しかけてもスウの表情は暗い。二人きりのため、女が口を閉じると一気に空気が重くなる。気まずいことこの上ない。
我慢できず、もうこれを訊くことにした。
「そんなに……トロワ様が嫌?」
首は縦にも横にも振られなかったが、うつむき加減が増した。嫌……というわけか。
「まーそーだろーねぇ。いきなりあんな眼鏡野郎に拉致されて。私だったら顔面殴って失神させるね」
ニコッと笑って冗談を飛ばすが、全然笑ってくれない。悲しくなってきた。
「服は今度にしよっか。でもねーここも悪くないよー?お金はすっごい使えるし。そんなに何が気に食わんかねぇ」
そう言いながらスウを部屋の外へ連れ出す。
「おお着替え……なんだ変わってないじゃないか。何?子ども服が少ない?」
ケッ、と顔をしかめてスウを一瞥した。
「なら次の街で好きなだけ買うといい。金ならたんまりあるからな」
好きなだけ、その言葉が耳に残る。
『食えよ好きなだけ、な?』
リュウの声が脳裏に響いた。同じ言葉。同じ商人。でもこんなにも温かさが違う。どうして……
「どうして……商人をしているんですか?」
「あ?分かりきったことを訊くな」
トロワは右手の親指、人差し指で丸を作り、見せつけた。
「金のために決まっとる。この世界、金を多く持った者が強く偉い。そしてそのためには手段を選ばん」
ブフフ、と卑しい笑い声が漏れる。
「金を得るため、わしは悪魔にこの両足を売ったのだ」
えっ……悪……魔……?
「ただの作り話じゃぁ……」
「違うんだなこれが」
ニタァとトロワの顔が笑みで覆われていく。
「両足と引き換えに、元々よかった嗅覚をさらに上げ、商品価値をもかぎ分けれるようになったのだ」
話が突飛すぎて頭が追い付かない。お金のために足を売った?馬鹿げている……!
「だがこの鼻のおかげで手に入れた宝石も、所詮は金を得るための道具でしかない。そしてそれは……貴様も同じだ」
突然ガッと胸ぐらを捕まれる。息が苦しい……
「か……はっ……」
「貴様もあの貧乏商にとって、金を得るためだけの存在だ!それをわしが破格の大金で買ったんだ!奴も結局は商人。今ごろ満足してるだろうよ」
ご主人も……結局は商人……
あんなこと言っても……やっぱりお金なんだ……
……自由になりたかった……幸せになりたかった
『あなたたちは自由に……幸せになるの』
シスター……
ウチ――
ドゴオォォン!!
派手な音がした方を見ると、砂煙、埃が舞っている。入口のようだ。もうもうとした場に目を凝らすこと数秒後、そこから血だらけの顔をした使用人の姿が現れた。
「トロワ……様……」
瞬間、ドサッと音を立て使用人は床に倒れる。そして背後には……リュウの姿があった。どうやら使用人の頭を掴んでいた手を放したらしい。
「顔面……」
女はおののいている。
「スウは……おっ……いたか。ったく手間かけさせんな。……帰るぞ」
リュウはすぐさま翻し、すたすたと戻り始めた。
「おい待てよ」
ドスのきいた声が低く、冷たく体に突き刺さった。思わず身がすくむ。しかしやはりリュウは例外だ。
「何だよ。スウはうちの大事な商品だ。返してもらう」
すげなく話すリュウ。トロワの額に青筋が浮かんだ。
「どこまでわしを虚仮にする……?もう限界だ。連れてこい!」
「はっ!」
女は外へ走り出た。
「貧乏商が……帰りたいなら帰ればいい。帰れたらの話だがな」
ズシン……ズシン……地響きが外で鳴り響く。
「金持ちのわしが何故食料を持ってないと思う?えらい買い物しちまったからさ。珍しかったからつい……な」
「ヴモォォォォォ!!!」
入口から牛頭で3、4メートルの巨人が姿を表した。
「ミノタウルス族か……」
「おい奴隷!初仕事だ。あんだけ食ったんだから働け!」
ギョロリと大きな目玉を動かし、リュウを見る。シュー、シューと鼻息荒く、目を血ばらせていた。
「仕事……コイツ……コロス?」
「ああ……殺れ!」
「シーゴトォォォォ!!!」
ドガァァン!!
目にも止まらぬ早さで、リュウのいる場所に上から拳を叩きつけた。
「馬鹿!部屋ん中ですんな!内臓まみれになんだろ!」
遠くのほうでトロワの叫び声が聞こえた。
「ご主人……リュウ……さん?」
死んだ……?死んでしまった?あの早さ、避けれるはずがない。
また私のせいで……
そのとき、チリッと何かが焦げる音がした。
「熱ッつ……何だ?」
もうもうとした砂ぼこりから細い炎の帯がたなびく。その出所を探ると、そこには牛男の拳を片手で受け止めたリュウがいた。炎はリュウの手の甲に繋がっている。
そして、指先からは大きな炎の鉤爪が伸び、相手の手をガッチリと掴んでいた。
「その炎……まさか」
「ブハハハハハハ!!とんだ茶番だ!おい娘、よく見ろ」
「痛っ……」
スウの髪を乱暴にトロワが引っ張る。
「噂通り……間違いねぇ……あいつは竜人族だ!!」
竜人!?バッとリュウを見る。
「ああ、元な」
「ったく、何が大事な商品だ笑わせる。誰でも知ってるぞ、お前の好物を」
噂に違わないなら確か……
「人間族のメス!お前、こいつ食うつもりなんだろが」
「そんなの……誰が言い出したかも分からん作り話だ。食うわけねぇだろ」
俺が好きなのは酒と野菜だ、と付け加える。なんだその組合せ。
「いいから早くスウを返せ、めんどくせぇ」
「竜人なんかのとこに帰りたくねぇってよ。それでもこのガラクタ返してほしけりゃ、自分で取り返せ貧乏商人が」
「ヴモォォォ!俺、皮膚、厚イ。炎、キカナイ!」
牛男の腕が一層太くなったような錯覚がした。
「潰レロォォォ!!」
リュウは少し顔をしかめる。
「スウ」
ぽつり、と静かに語り始めた。
「俺も昔奴隷だった」
「えっ……」
意外な事実に驚きが漏れる。奴隷上がり……
「でもな、助けてもらったんだ。人間族の……女の商人に」
『竜人の子?珍しいな。何?食人?そんな噂気にゃしないって』
「その人は死んだ。噂で俺を殺そうとする人たちから、俺を守って死んだ」
そこで一呼吸おいた。
「俺は悪魔に頼んだよ。でも悪魔でさえ、生き返らせるのは不可能で」
『その代わり……こういうのはどうです?』
リュウは片手を左目に当てた。
「その代わり、あの人の目をここに埋めたんだ。竜人の姿を対価にな」
優しいあの人の目を……優しい目利きの、あの人の目を……
「そして、あの人の魂を継ぐことに決めたんだ」
「魂……?」
ギラ、と目を剥き、トロワを睨み付けた。
「商人には!自分の商品を幸せにする義務がある!自分の商品を一番大切に使ってくれる人に売る。それが商人!金なんて二の次だ!」
トロワは嘲笑した。
「偽善、大いにけっこう。だが死ね」
「スウ!」
ビクッ、とスウの肩が跳ねる。
「お前はどうしたいんだ?」
リュウはスウに一切目をくれずに尋ねた。
「お前がそいつに付いてって幸せなら、俺は何も言わず帰る」
「オマエ、帰レナイ。俺ガ、コロス!」
牛男がもう一方の腕を振り上げた。
「どうしたいんだ!!?」
ウチ……ウチは――
だって、竜人だし、食べられるかもだし――
『案外、本当だと思われていることが実はただの噂話で、ただの噂話だと思われていることが、実は本当なのかもしれない』
商人はどんな奴でも等しくクズ野郎だし――
『金が好きなんじゃねぇ。俺は売り買いの過程が好きなんだ』
それならお金持ってるトロワって人の方が――
『どんなに苦しいときでも、小さな幸せを見つける努力を――』
「自由に、なりたい」
ぽつりと言葉がこぼれた。全身が震え、頬に涙が伝う。
「幸せに……なりたい……!」
「このバカタレが……最初からそれでいんだよ」
リュウは悪態をつきながら、ニッと笑った。
そのとき、牛男が拳をリュウに放つ。
「ギエロォォォ!!」
しかし、当たるかと思われた拳は空を切り、体勢を崩した牛男の腕をリュウが掴んだ。
「竜人をなめんな」
淀みのない身のこなしからくりだされた投げは圧巻の一言だった。牛男は白目を剥き、ぐったりと車の外で倒れる。
「さて」
一呼吸おいてリュウはトロワに顔を向けた。
「返してもらうぞ」
トロワの表情からは驚き、屈辱、怒りなど様々な感情が読み取れる。
こんなはずではなかったのだ。こんな貧乏商人にこんな屈辱を味あわされるとは。許さん。しかしこのままでは奴は行き、完全に敗北することになる。ただで帰らせてたまるか。無料で帰らせて――
「買えよ」
「……は?」
少しリュウの剣幕に怯むが、プライドが恐れを振り払った。
「わしはどんな手段であろうと、そいつを30万で買ったんだ。お前も商人なら買っていけ」
何を今更……
「変なこと考えんなよ?わしの身に何かあったら世界中の大富豪どもが黙っちゃいない。宝石はあいつらのステータスだからな。あいつらは一国の軍隊をも動かせる大金持ってんだぜ?」
隙を与えないよう一気に捲し立てる。リュウは舌打ちひとつ、懐からお札を取り出した。
「ほらよ、お前から貰った30万だ」
「た……足りねぇよ」
見栄を張っているのが分かる程にトロワの冷や汗がすごい。
「うちは宝石商だぞ?貧乏雑貨商とは訳が違う。そんな少額で買える商品はうちにはない」
こいつ、ガラクタ呼ばわりしといて……
「さあ払えよ!!大事な商品なんだろ!?」
勝った。こいつは雑貨商人。ましてや金に興味がないんだ。これ以上の金を持ってるはずがない!
さぁ、どんなはした金が出てくる?
リュウはおもむろに手を懐へ入れ、何かを取り出した。
「じゃあその100倍の3000万」
そんなはした……へ?
「さん……ぜっ……」
スウは目を見開いた。
「はぁぁぁぁ!?なぜ!貴様ごときがこんな大金……!」
「興味ねぇから貯まってく一方でな。こういうときに使おうと思ってたんだ」
足りない、とプライドを押し通そうと思った。しかしこの世は金が全て。プライドなど1銭の価値もないのは分かっていた。
ならばわしは勝利を売ろう。3000万でこいつに勝ちを売るのだ。
トロワはそれをひったくるように受け取り、リュウに疑いの目を向ける。
「本当に後悔しねぇんだな?」
「するかよバカタレ」
トロワはうつむき、歯ぎしりをしたのち、女に指示を出した。
「その少女を外へ運べ。お客様の物だ。丁重に扱え」
「……はっ」
女はスウを先導し、表へ出ていった。リュウも続けて出ようとするが思い止まった。
「そうだ……もうひとつ」
リュウの言葉を聞いたトロワは驚いた。
「は?」
「本当にあの人に付いていくの?」
女は目を伏せがちに訊いた。
「あの人竜人だよ?食べられちゃうかもだよ?」
「いいの」
「商人はどいつもこいつもクズ野郎だけど」
「大丈夫」
「あの豚は金だけは持ってるから」
「分かってる、でも」
もう決めたのだ。
「私は……あの人に付いてく。そんでいつか自由になって……幸せになる」
ニッと笑った。
「そう……元気で」
「おい、何うちの商品をたぶらかしてんだ?」
ビクッ、と女の肩が跳ねた。
「いえ!失礼しました!」
女は逃げるように車の中に入っていく。
「……ったくよ、バカタレ。大変だったんだぞ?急に逃げてやがるし、何か捕まってやがるし。挙げ句自由になりたいだ?」
ぐっ……
「おら、目ぇつぶれ」
『罰だ!歯を食いしばれ!』
昔の思い出がよみがえる。スウはぎゅっと目を閉じた。殴られるか、蹴られるか。少しの痛みが側頭部に走る。
「……いいぞ開けろ」
あれ?何もされてない?痛みの走ったところへ手をやると、何かが付いていた。
四つ葉のクローバーの髪飾りだった。
「えっ……これ」
「さっき買った」
トロワのところから?30万で買える商品はない……これは
「受け取れませんこんな高価な……」
「金はいいんだよ」
でも、としぶるスウの頭に大きな、温かい手のひらが置かれた。ゆっくりと撫でられる。さっきと違い、全然嫌じゃなかった。
「自由に……なるんだろ?」
スウの中に熱いものが満たされる。
「……はい」
「幸せになるんだろ?」
「はい……!」
「任せろ」
ニッと笑う。優しい笑顔だった。
「俺が絶対幸せにしてやるよ」
この人に……付いていく。絶対幸せになってみせる。
「はい!!」
fin.
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