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その頃、王宮では

 十二の建物とおよそ七十の大小の庭園を擁したシュタイン宮殿。ここは宮廷と政府機関の全てを収めた国家の中枢だ。なかでも尖塔アーチを多用した広大な造りの新宮殿は、宮廷行事や儀式に関係なく、入り浸る貴族でいつも賑やかだった。

 街に居を構えて通う者も多いが、ステータスとメリットからある程度名の通った貴族は、たいがい宮殿内に滞在するのだ。勿論、四六時中人目に晒されるとなれば、日々の衣裳や装身具にも気を抜けない。口さがない暇な宮廷スズメ達の目は、どんな小さなアラも見逃さないからだ。


 そんな宮廷人が行き交う新宮殿の廊下を、ゆったりと並んで歩く若い二人連れの姿があった。年長の金髪碧眼の男は、淑女達とすれ違う度にいちいちにこやかに会釈を送り、黒髪黒瞳の連れとの会話を中断している。


「マリア・レネ嬢は相変わらず極端な恥ずかしがり屋だな。ローディス、お前も見ただろ。彼女、顔が真っ赤だった」


 含み笑いを見せる金髪の男に、ローディスは気のない口調で、どうでもいい、と返した。


「どうでもいいって、本当冷たい男だなー。彼女が気にかけてたのは俺じゃなくてお前の方だったぞ?」

「あんたが二人分以上の愛想を振りまいてるから、それで充分だ。というより、あんたといると人の目がうっとうしくてしょうがないな」

「そりゃ今更だろ? 当代きっての色男が二人そろって歩いてりゃ、人目を惹くのは仕方ない」


 ずうずうしい言い草だが事実だった。金髪の男は、その華やかな容姿と甘い口説き文句で女性の心を奪う伊達男。『陽光の貴公子』と呼ばれるドジャー・レントルだ。レントル伯爵の二男で二十四歳になったばかり、知的な雰囲気の美形である。

 ひるがえって、ローディス・クライアは『漆黒の貴公子』の通り名を持つ。整った顔立ちだが、表情が硬く愛想がないので冷たく見られがちな二十歳の青年だった。単に口下手を気にして無口なだけの照れ屋なのだが、実情を知るのはドジャーだけだ。


 ローディスが異母兄の代わりに家督を継ぐことが決まった三年前から、二人は何かとウマが合い、親友として付き合ってきた。そして、彼らが揃うと周囲の女性が未婚、既婚、老若を問わず色めき立つのはいつものことだった。


「これが俺一人だった頃ならまだしも、お前が宮廷に顔を出すようになってから、騒ぎは酷くなる一方だ。聞いたか? 俺たちがここに滞在している間は自分も帰らないとゴネる令嬢が増えて、親達は四苦八苦しているらしい。クレール男爵は娘三人を領地に連れ帰るため、母親が危篤だと芝居を打ったそうだ。ラヴェル伯爵のところは妻と娘二人の滞在費がかさんで破産寸前だっていうし、俺たちも本当に罪作りだよな」


 言葉ほどには何も感じていない表情でドジャーがそう言うと、ローディスは肩を竦めた。

 今聞いた女性の名に覚えはないし、彼女達の行動がどうであろうと興味はない。だいたい宮殿にしがみついているのはローディスやドジャーが理由ではなく、華やかで贅沢な生活を続けたいだけだろう。


 そんな気持ちを表情から読み取ったらしいドジャーが、大仰なしぐさで首を左右に振った。


「バカだな。自分の魅力を過小評価するべきじゃないぞ? なにしろ、お前に惚れ込んでいたサシャ・グレイが親の決めた許婚を嫌って薬を飲んだのはつい先月のことだ。しかし、俺のように全ての女性に等しく愛を注ぐ誠実な男より、氷のように冷たいお前の方が女性の心を強く惹きつけるのは、世の無常だな」

「くだらない」

「くだらないものか。彼女達は自分こそがお前の凍てついた心を溶かしたいと願っているんだ。可哀相に。皆、お前の心がとうの昔にたった一人の女性のものになっていると知らないからな」


 クリームのように滑らかな声で嘆かわしいと文句を言われて、ローディスは眉をひそめた。


「ドジャー。まずこれだけは言っておくが、全ての女性に等しく愛を注ぐ男というのは、世間では誠実ではなくろくでなしというんだ。つまり、そういうことを恥ずかしげもなく吹聴して歩けるあんたは、どこをどう見てもろくでなしだよ」

「親友に向かって酷い言い草だな、ローディ。まぁ、確かにある一面から見ると、俺は花々を渡り歩くだけの無責任な蜜蜂さ。俺を自分だけのものにしたいと願うレディからすれば、ろくでなしだろうね。だが別の面から見れば、俺は決して誰か一人のものにならず、皆のものであり続ける誠実な男なんだ。もし誰か一人に忠誠を誓ったら、他の女性達を裏切ることになるからね」

「たいした論理だな」


 ローディスは呆れてみせたが、実際は親友の痛みを知っているだけにそれ以上責める気にはなれなかった。しかも、自分も他人をとやかく言える程お綺麗な生き方をしてこなかったと自覚しているだけに尚更だ。


 その時、微かに震えを帯びた女性の声で挨拶をされ、ローディスとドジャーは足を止めた。二人の前に立っていたのは妙齢の淑女が二人。それを認めた瞬間に、ドジャーは甘く物憂げな笑みを浮かべ、ローディスは反対に表情を消す。いつものように条件反射で生まれた二人の相反する反応に、彼女達はそれぞれ頬を染めた。


「これはこれはエリザベス・カレッタ嬢と妹のアリーシャ嬢。御機嫌よう。相変わらず、いや、今日はいつにも増してお美しい」


 ドジャーが歯の浮くような美辞麗句を並べ立て出すと、姉のエリザベスは酒に酔っているかのように足元をふらつかせた。それをいかにも驚いた素振りで支えたドジャーは、周囲にはわからぬように、彼女の背中の窪みに沿って腰までゆったりとなぞってやる。

 熱い吐息を洩らしたエリザベスに微かな笑いを含んだ眼差しを向け、いつも寝台で使う少し掠れた声で名を呼んでやると、彼女は目蓋を伏せて、あぁ……と低く呻いた。

その傍らでは、姉とドジャーの淫らな戯れに気付きもせず、上気したアリーシャが一心に無表情なローディスを見つめていた。


「ローディスさま、私……先日の舞踏会でワルツを踊っていただいたのが忘れられないのですわ。あまり……あまりダンスをなさらないローディスさまが、あの時どうして私を選んでくださったのか知りたくて―――」


 はしたない問いだとわかっているからこそ、彼女は消え入るような声で語尾を濁す。それを受けたローディスは、溜め息を押し殺した。確かあの時は面倒な相手に捉まってうっとうしかったから、手近にいた彼女にダンスを申し込んだ筈。だが、さすがにそれを言わないだけのデリカシーは持っている。

 言葉を選んでいる間に、アリーシャは勝手に結論を出したらしい。一転、蒼褪めた顔で唇を震わせた。


「……わかっていますわ。私が手の届かない殿方に胸を焦がしている姿を哀れに思し召して、一夜の夢を与えて下さいましたのね」

「……」

「お優しい方。そして―――残酷な方ですわ」


 健気な―――というべきか。儚い微笑みを口元だけにのせて、彼女は首を横に振った。


「いいえ、やはりお優しい方。私のような世間知らずの娘に甘い夢を見せて、永遠に色褪せない美しい想い出を下さったのですもの。でも―――もう一つだけ、想い出を頂きたいの」


 言うなり目を閉じてそっと顔を仰向けたアリーシャに、ローディスは眉を寄せた。愚かな娘達はすぐに自分の思い描く物語のヒロインになりたがる。こんな場所で恥ずかしげもなく口接けを求めるあたり、彼女はかなりの勘違い娘だと内心恐慌に駆られながら、ローディスは周囲に人の気配が途切れた隙を狙って手を取り、軽く口接けてやった。唇になどとんでもない。感極まったように潤んだ目で見つめられるが、これ以上関わり合うのはたくさんだ。


「これで失礼する」


 一礼してそのまま歩き出すと、すぐにドジャーが追いついて並んだ。


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