本当の友達になるには――
エリカの部屋の鍵を開けさせたアディは、戸惑い顔のメイドを追っ払って、恐る恐る扉を開けた。ここにいなかったら次にどうしていいかわからない。
だが、ゆっくりと開いた扉の先、埃除けの白布を被せた家具に囲まれて、エリカの華奢な背中が見えた。
アディはほっと息をついて、静かに部屋に滑り込んだ。侵入者の気配には気が付いているだろうに、エリカは振り返らない。それが彼女の強い拒絶に思えて、アディは歩みを止めた。
酷いことを言ってしまったのだ。謝らなくてはならない。たとえ赦してもらえなかったとしても―――。
「あの……エリカ、私あなたに―――」
謝りたいの、と言いかけた途中で、エリカが、見てよこれ、と振り返らぬまま遮った。おずおずと近寄って彼女の視線を目で追うと、若い男女を描いた埃まみれの画が掛かっていた。誰だろうと考えているアディに、エリカは、わたくしの夫よ、と言って肩を竦めた。
「わたくしの生前と同じに部屋を残しておくなんて、ルイスも悪趣味だこと。この画もここで埃を被らせておくなら撤収すればいいのに」
感情の籠もらない声でそう言う。
「一応これは五十年前には一世を風靡していた宮廷画家の作品で、かなり値の張る代物なの」
アディはまず謝りたかったが、淡々と説明するエリカに口を挟ませてもらえなかった。そのまま彼女は話を続ける。
「バカらしいわよね。主が死んだら部屋も死ぬのかしら」
「エリカ……」
男性がエリカの夫なら隣の女性は誰なのだろう。昔のエリカと張るくらい、とても美しい人だ。仲睦まじく寄り添っているからには余程親しい間柄なのだろうが、どう見てもエリカではない。
「ラングストンの隣は彼の妹。本人を見たら驚くわよ。これに似ても似つかないから。わたくしは生前、訪問客がこれを見て言葉に困るのを見るのが楽しみだったものよ。これはね、完成するまでに八回も描き直させて、結局画家が自棄になってこういう風に描き上げたの。可哀相に、画家は良心を痛めてこれを最後に筆を折ったのよ」
「……」
「つまりね、さっきあなたが言ったように、画家に無理強いして描かせた画の現物ってこと。わたくしは彼女が大嫌いだったわ。……彼女の方もわたくしを嫌っていた。いえ、憎んでいたというべきね」
「どうして……」
「わたくしが元王女だったから。彼女よりも美しかったから。彼女の大切な兄と結婚したから」
「……」
「考えてみたら、生前のわたくしに向かって言いたいことを言ってきたのは、彼女だけだったわね」
「友達―――だったの?」
「まさか。不倶戴天の敵というところよ」
エリカは振り返った。
「アディも無理してわたくしと一緒にいる必要はなくってよ。さっさと戻りなさい。あなたは生身なんだから、こんな埃っぽいところにいたら肺病になってしまうわ」
アディは皮肉に歪めたエリカの微笑みを見て、胸の奥が痛くなるのを感じた。口の悪さもあるだろうが、身分が高すぎてそれを指摘する人もいなかったのだろう。唇を引き結んで画に視線を戻したエリカの横顔。頑なに見えるその顔が、寂しいと言っている気がする。アディは大きく息を吸い込み、そのまま勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさいっ!」
吸った息全部を使った謝罪は、とんでもなく大声になった。エリカがギョッとしたように振り返るが、アディは頭を上げないまま続ける。
「あのっ、さっき言ったこと……酷いこと言ってごめんなさい。私、自分が情けなくて赦せなくてここに来たの。人間のクズのような気分というか、とにかく罪悪感に押し潰されそうになって―――」
「……別にそんなにしつこく謝る必要ないわよ」
「でもっ」
「だいたい、そんなに酷いことなんて言っていなかったわよ。わたくしの耳はどうでもいいことは素通りするように出来ているの」
彼女はどこか投げやりな口調でそう言ったが、アディはそれが嘘だと知っている。アディの言葉に傷ついたからこそ、エリカはこの部屋に一人佇んでいたのだ。
「エリカ。どうでもいいことなんてない。私は内容も酷いけど、何よりあなたをキズつけるために思ってもないことを言ったの。あなたを見えない方がよかったなんて嘘よ。エリカと友達になれて、私本当に嬉しかったのに……」
「……」
「だからごめんなさいっ」
「……いいわよ、別に。わたくしもどうやら言い過ぎるきらいがあるみたいだし……」
「じゃあっ! じゃあ、もう一度私の友達になってくれる!? お願いっ、私と友達になって下さいっ」
エリカは絶句して暫らく迷うように視線を泳がせた後、不貞腐れたように口を開いた。
「友達になってあげるって言ったでしょう。やめた覚えがないのだけれど。……つまりわたくし達は友達なのよ」
その声は微かに震えている。それを聞いたアディも目を潤ませた。
「エリカ……」
「ちょっと、メソメソしないでよ」
「し、仕方ないでしょ。エリカが泣かせるようなこと言うから」
「言ってないわよ」
眉根を寄せたエリカが涙を堪えているのは見て取れる。悪いかな、とちょっとだけ思ったが、我慢出来ずに、自分だって泣いてるじゃない、と言ってしまうと、エリカはバツが悪いのかカッと赤くなって怒り出した。
「なんなのっ、わたくしは普通のことしか言っていないし、それであなたがピーピー泣いているからっ、うっとうしいからやめなさいと言っているだけよっ。だいたいアディには深い考えってものがないわよ」
「深い考えって……」
「そもそも言葉は還らないもの。ゆえにいと高き存在に対する発言は注意して行うべきって習わなかったの? 王族に向けた軽い一言で頭と胴が離れた者だって、この世にはたくさんいるんですからねっ? 謝って済むと思ったら大変なことになるのよっ?」
あんな背中を見せられるより、途切れることのない悪態をつかれる方が百万倍もマシだ。アディがわかったと頷くと、エリカは眉をひそめた。
「何、幸せそうににやけているのよっ。それでなくとも―――」
言いかけて音をたてる勢いで口を噤んだエリカに、アディは笑いかけた。
「ぼやっとしてる、でしょ? わかってるってば」
「……」
「ねぇ、エリカ。エリカが口悪いっていうのはもう知ってるし、私はいちいちムッとしないようにするから何でも言ってよ。私は王族に向かって喋ってるんだって自覚して、不用意にバカなこと言わないよう、これからはちゃんと気を付けるし、えーと、その、深い考え? それを持つよう努力する。あと、どうすればいい? 私、友達って何をすればいいのかわからなくて―――」
ぽかんと口を開けていたエリカが、そこでほんのりと目元を赤らめ早口で、いいのよ、と口を挟んできた。
「王族とか……思わなくていいの。さっき言ったのは一般論というか、そういうこともあるというだけで、わたくしには不必要よ。……友達というものはわたくしもよく知らないけれど、なんというか―――相手にムッとしていいし、ムッとされていいし、喧嘩しても仲直りできる人を友達って言うのよ。だからわたくしとアディの間に、た、立場の違いはないというか、上下関係はないというか―――」
ぼそぼそと続くしどろもどろの説明に、アディは破顔した。
「わかった」
自分で王族を持ち出したくせに、とは言わない。友達付き合いに慣れていないのはお互い様だ。これから一緒に色々と学んでいけばいい。
「エリカ、これからもよろしくね?」
「……仕方ないわね」
相変わらず素直じゃないエリカの言い方を聞いても、アディの心は温かいままだった。
そうして、十歳のアディと幽霊の少女は本当の友達になったのだった。