未来ある者たち
ぼかし染色で時の流れを表現した、時の番人姿のドジャーは、複雑な表情をしているアディから傍らの少女に視線を移した。
「行かないんですか? 兄殿下の援軍に」
どうでもいいというような声音の問いに、マチルダ王女は眉を寄せた。
「そっちこそ、こんなとこでぼけっとしてていいの? 遅れを取るなんてドジャーらしくないけど」
こちらも投げやりな口調に、ドジャーは小さく肩を竦めた。
「身分違いの相手の邪魔をする程、女性に不自由していませんのでね。危険を冒すのはバカらしい。みすみす捨てる掛け金は持ち合わせていないんです」
言外に力不足を認めたドジャーに、マチルダ王女も悔しそうに唸る。
「兄さまが本気になってえげつない手段も厭わなくなってくれたのは嬉しいけど、アディをなかなかうんと言わせられないんだよね―――」
どうもアディの攻略は難しいとぼやいた王女は、溜め息一つで気持ちを切り換えたらしい。
「とりあえず、兄さまは身分も財力もあるし、容貌だって優れモノで女心を掴むには充分な好条件だし、焦る必要はないか」
だが、そう言いつつ動こうとしない王女にドジャーが、行かないんですか、と再度促すと彼女は、今はやめとく、と言った。
「失恋した可哀相な人を放っとくのも気が引けるし」
「子供が余計な気を遣わなくていいんですよ。だいたい最初から負けは覚悟してましたからね」
「せっかくあたしが親切に―――」
「せっかくですがね、『せっかくしてやったのに』って台詞は、押しつけがましい有難迷惑の代表格ですよ。覚えておくといい」
今やメッキも剥がれ、うっすら不機嫌が透けて見えるドジャーを、王女は睨みつける。だが、すぐに唇を悔しげに噛んで、渋々といった調子で口を開いた。
「……確かにその通りだね。無神経だったよ」
予想外の返事に、驚いたように目を見開いたドジャーは、次の瞬間苦笑する。
「いや―――俺が悪い。完全に八つ当たりでした。すみません」
「そんなこと―――」
「レディに気を遣わせては紳士失格ですね」
あっという間にいつもの人当たりのいい表情を取り戻したドジャーを、王女は不機嫌に見遣った。
何故だろう。誰にでも向ける取って付けたような笑みより、さっきまでの顔の方が好ましく感じる。その理由もわからないまま王女は、無理しなくていいよ、と口を尖らせた。
「辛い時、辛くないフリするのバカみたい。そんなの男らしさじゃないよ」
「……」
「本当は負けて悔しいくせに。アディを諦めるの辛いくせに」
「……このクソガキ」
ぼそりと洩れた悪態にムッとしつつも、王女は本音が出たね、と目を眇めた。
「そうやって正直にしてた方がいいよ。ウソは積もっていくと全部をウソにしちゃうんだよ。アディが前に言ってた。他の人の前ではムリでも、あたしの前で格好つける必要ないから」
身分を弁えぬ無礼に対し、曇りのない思いやりを向けられたドジャーは、笑おうとして失敗した。
仮面越しでもわかる歪んだ表情に、王女はギョッとする。大人の男が自分の言葉で感情を揺さぶられている姿に、動揺していた。動揺ついでに深く考える間もなく、何か言わねばと口を開いてしまう。
「ていうか、アディと比べたら他の令嬢達は皆、全然面白くないよね。でもここは考えようで、大失恋の後じゃすぐ恋も出来ないだろうし、長期戦の覚悟で腰を据えて探せば、きっと面白い人が見つかるよ。ドジャーは思ったよりいい人だし、彼女みたいな人がどこかにいると―――」
慰めの混ざった不器用な励ましに、顔を背けたまま聞き入っていたドジャーは、ふと王女に視線を戻してまじまじと見つめた。
アディのことは、本当はもう半分以上諦めがついている。最初はどんな時でもローディスだけを一途に想う姿に、ユージン王子が登場してからは、彼の身分に胡坐をかかない真剣なアプローチに、こうなることはある程度覚悟していたのだ。
もし身分に任せた無理強いだったら、アディを攫って逃避行しても構わなかったが、見たところユージン王子の恋情は受け容れられつつあるようだ。アディ本人はそう思っていないようだが、気が付くのも時間の問題だろう。後悔は募るが、自分は王子ほど感情露わになりふり構わず掴み取ろうとしきれなかったのだから仕方がない。
だが、思った以上に自分は傷付いていたらしい。それに気付かせたのも、そこから引っ張り出そうと手を伸ばしてきたのも、目の前のこの少女だ。
ドジャーは重い溜め息をついた。
「……まいったな。こんな子供に―――しかもより難攻不落の高嶺の花ときた。俺はどこかおかしいのかもしれないな。負け戦が趣味だったのか?」
「何の話?」
溜め息混じりの独り言に反応した王女の子供っぽい華奢な姿を改めて見つめ、赤みがかったくせの強い金髪や、生意気な顔立ち、ぶしつけなまでに心に入り込んでくる表情など、全てにおいて好みと違うことを確認する。
それでも認めざるを得ない感情に、ドジャーは心底抗い―――そして諦めた。
自力では無理だ。我ながら信じられないくらい趣味が悪いとがっくりする。
「……くそっ」
「何よ? いったい何なの?」
「……とりあえず早く成長して下さい。これじゃまるで変態だ。ああ、できればなるべく不細工に。王女なんだからブスでも何でも良縁に恵まれる筈だ。不自由はしないでしょう。この気の迷いから覚めるにはそうしてもらわないと……」
「それってどういう―――」
「本当に憎たらしいクソガキだってことですよ」
突き放すような少し冷たい言い方で放たれた再度の悪態に、王女は言い返そうとして何故か赤くなった。
傍にいたエリカは呆れ顔で首を振る。
「それは無理な話ね。わたくしの血族ですもの。将来の美貌は約束されたも同然よ。アディもマチルダ王女も、自分で幸せを掴み取る強くて美しい娘になる。ローディス・クライアは後で悔やむといいわ」
エリカは先程見た光景を思い出して意地悪く笑った。マチルダ王女がローディスに詰め寄っていたのだ。
―――アディを愛してると思ったその矢先に、傷を負い父親を失ったシビルに同情して責任を感じたんでしょ。雄々しい決断じゃないの。それをアディに認めて欲しいわけ? 仕方なかったんだと言い訳して、苦しみながらあんたを赦すアディを見たいの? 他の女を選んだけど変わらず自分を愛してくれって繋ぎ止めたいわけ? 今、兄さまといい感じになりそうなんだから邪魔しないでよ。彼女に謝罪? いらないよ。アディはあんたのことなんか忘れて幸せになるんだから。悲劇のヒーローぶらないでよ。本当に悲劇なのはあんたみたいなのに振り回されたアディの方だからね。
口の立つ王女に、ローディスは苦渋に満ちた表情で立ち去っていった。その後ろ姿を軽蔑するように睨んだ王女に、ことごとく同感だ。あれだけ蔑ろにしながら知らぬ間にアディを愛してると思い、そして知らぬ間にシビルに義理立てしてそちらを選んだということらしい。なんというバカな男だろう。
「アディの初恋相手をあまり悪くは言いたくないけれど、本当に残念な男だったわ。アディが自分の手の届かない玉座の高みに上って後に、自分の『森のお姫さま』がシビルではなくアディだったと知る日が楽しみだこと」
アディには見せられない悪い顔で呟いたエリカは、遠くを見遣った。人混みの中で焦った顔をしている大切な少女と目が合う。どうやら王子に追い詰められているところらしい。必死の救援信号を無視すると睨まれた。
「あらあら、頑張って抵抗しているみたいね。王子を憎からず思っているのはお見通しなのに、本人だけが理解してないなんて全く手のかかる子だこと。でも、王子の熱意にかかれば、愛する幸せと愛される幸せ両方を味わう日が来るのもすぐね。わたくしと違って」
そこまで言ってフッと微笑む。
「いいえ、わたくしも幸せだったのだわ。知らなかっただけで」
その手が胸元の手紙をそっと押さえる。
未来ある者たちの中でただ一人、過去に生きる彼女の目元に滲んだ涙に、気付く者は誰もいなかった。
・・・・・・終わり
このお話はここで一旦終わりになります。
実は活動報告でも軽く触れましたが、この話には違う展開になる別ストーリーがあり、そちらが元々のオリジナルでした。これはとある新人賞が駄目だったとき、ただ一人読んでもらった妹の、強硬なユージン王子押しにより、途中から書き換えたセカンドストーリーです。書き上げたものの誰にも見せていなかったので、ここで出そうと思って載せました。おかげで多くの人に可愛がってもらえる大切な作品になりました。
でも、元々の方にもかなり、いや、すごく思い入れがあり、商業誌ではとても不可能ですが、いい機会なので枝分かれしたそちらの展開もこの場に載せたいと思うようになりました。次回更新分は、その枝分かれしたストーリーになります。38話『救出』の◇◇◇までは今までのストーリーそのままです。それ以降のifストーリーになります。描写はあまり変わりませんが展開は大きく変わります。
今回のこの結末で良かったと思って下さる方、余韻を楽しみたい方は、暫らく時間をおいて読んで下さると嬉しいです。その上でどちらが気に入ったか、判断して頂けると幸いです。
それぞれの話に合わせて立てた続きのプロットや、アイディアはいくつもありますが、ここで出しておかないとifストーリーはずっと日の目を見ずに終わってしまう。それは残念なので・・・・・・
それでは、ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
この後もおそらく4話分くらいと短いですが、そちらも皆さんが可愛がってくださると嬉しいです。