夢のようなひととき
ふっくらしていた頬は成長に伴い肉が落ち、精悍な印象になっている。意志の強い目元を強調するその変化は、以前のピリついた少年を思わせ、懐かしさを呼んだ。あの頃と変わった彼の立場や状況は勿論嬉しいが、まるっきり別人になったのではない。確かにあのときの少年がここにいるという実感が嬉しかったのだ。
アディはローディスの額にかかる黒髪にそっと手を伸ばした。だがもう少しのところでギョッとしたように身を躱される。
「あ、ごめんなさい。私ったらつい―――」
「いや」
「ローディ、レディの手を避けるなんて馬鹿だな。俺ならいくらでも触ってもらいたいけどね。アドリアナ嬢、ほらどうぞ?」
前半を呆れ口調で、後半はおどけた口調で言って身を屈めたドジャーに、アディは、いえいえ遠慮します、と引き攣り笑顔で一歩下がる。
「なんだ、俺は駄目なの?」
「あはは……駄目っていうか、それじゃ私が誰でもベタベタ触りたがってるみたいじゃないですか」
「なるほど、ローディス以外に興味はない、と。あ、申し訳ない。馴れ馴れしい口の利き方をしてしまって―――」
「いいえ、実は私もその方が気楽だから、砕けた話し方をしてもらえると助かります」
アディが本音を出して苦笑すると、ドジャーはにっこり笑って頷いた。
「わかった。じゃあ、俺達は普段の話し方にさせてもらうよ。その代わり、君も俺達には普段の話し方で。いい?」
「ええ」
「ローディスも俺も呼び捨てでいい。『友達』ってことで。ローディだけ呼び捨てにしてたら目立つからね。いつもの呼び方は気を付けていてもとっさに出るから。君は普段なんて呼ばれてるの?」
「えーと、アディって呼ばれてるわ」
「だってさ、ローディ。彼女にピッタリだな。おっと、コンフォート伯が戻って来た。じゃあまた今度ね、アディ。これからは若い連中の多い催しはローディがエスコートを務めるから、楽しみにしておいで」
おい、と眉をひそめたローディスが何か言うより早くコンフォート伯が迎えに来てしまい、アディは二人に挨拶してその場を離れた。
「どうだったかな。クライア伯の子息は。一緒にいたドジャー・レントルとはいつも連れ立って悪さをしておるらしいが」
「まあ、二人ともとても立派な紳士でしたわ」
「気に入ったのなら仕方ないが……。では祖父上にそう伝えていいのかね?」
「ええ、勿論です。それで―――ローディスさまが若い人たちの多い催しにエスコートして下さるって……」
「まあそれも仕方ないだろう。祖父上も本人の意思を尊重してやれと仰っていたからね」
納得しがたいといった表情で嘆かわしげに首を振るコンフォート伯など、知ったことではない。アディはあっという間に過ぎて感じた幸せだったひと時を思い返しながら、夢見心地で歩いていた。
「おい、ローディ。驚いたな。ラングストンの令嬢があんな美人だったとは思いもよらなかったよ。それにしても昔からあれだけ綺麗だったら、彼女がお前の初恋でもおかしくなかっただろうに」
並んで歩きながらしみじみと言ったドジャーに、ローディスは少し嫌そうに笑った。
「金に糸目をつけずに飾り立てれば誰だって多少は見られる格好になるだろう。俺はさして美人だったとは思わない。それに昔の面影がどうってのはでまかせだ。十年近く前に彼女の母親の弔問に行ったのが唯一の記憶だぞ? その時は地味で特徴のない子供だった筈だ。顔も覚えてないよ。今だって覚えておくほどの顔でもないと思うけどな」
「おい、お前の目は節穴か?」
「彼女よりシビルの方がよほど美人だ」
「まあ、それは好き好きだろうけどな」
ローディスはシビル・ウェインの清楚な佇まいを思い返した。褐色の豊かな髪、長い睫毛に縁取られた物問いたげな眸、おずおずとどこか寂しげな儚い微笑。おとなしやかな飾り気のないドレスに身を包み、雛鳥のように頼りきったあどけない表情で寄り添ってくるシビルに比べると、アドリアナ・ラングストンなどそこらの町娘並みにありふれている。
「彼女はありふれてなんかなかったぞ?」
呆れ顔のドジャーに反論されたが、ローディスは無視して肩を竦めた。
「まあ、なんにしてもアディはお前の婚約者みたいなものだ。しかも知らなかったとはいえ、お前の方から持ちかけた話なんだからな? 彼女を気に入らないのも仕方ないが、それでもアディ本人には何の罪もないってことだけは覚えておいた方がいい」
「……わかってる」
そんなことはわかっている。初対面に近いのに何故か全身で喜びと好意を表していたアドリアナを思い出せば、多少の罪悪感みたいなものは生まれる。だが、やっとみつけた初恋の少女との間に立ちはだかる大きな障害と化したアドリアナ、彼女を憎む気持ちは消しようがなかった。