かけ違った思い
「全く敵わないな。イラついてる時のお前は、何故か女心を鷲掴みだからな。アリーシャはお前の軽い口接け一つで魂が抜けてたぞ。また、哀れな女心を弄びやがって、この悪党め」
ふざけて揶揄ってくる親友を、ローディスは本気で睨みつけた。
「冗談じゃない。あんたが姉の方に捉まってイチャつき出すから、俺まで巻き込まれたんだぞ? いい迷惑だ」
「なんだ。巻き込まれるも何も、妹は最初からお前目当てだったし、何かしらああなる心当たりはあるんだろ?」
「この前の舞踏会でたまたま一曲踊っただけだ。それだってウェブスター公爵とその奥方の話を切り上げたくて、近くで暇そうにしていた彼女を利用しただけだしな」
「そりゃ駄目だろ。令嬢達は壁の花に甘んじてでもお前の傍にいたいんだぞ? その中でも一番近くにいた娘なら、最も積極的な部類だ。そこでダンスを申し込んだら火が点くのは自明の理だろ」
言われてみればそうかもしれない。今後は気を付けようとひっそり心に決めていると、ドジャーは、で? と口調を改めた。
「何かあったんだろ? どうした?」
彼は女性と遊び事にしか興味がないような伊達男なのに、他の誰にもわからないようなローディスの機嫌や反応を読み取ることに長けているのだ。ドジャーの言う通り『何か』があったローディスは、庭園に通じる階段に促す。二人は幾何学模様に整然と刈り込まれた庭を愛でながらプロムナードを進み、噴水の前のベンチに腰を下ろした。
「で、どうしたんだ?」
改めてドジャーが口を切る。ローディスは重い口を開いた。
「結婚話が持ち上がってる」
「へぇ……まぁ、娘を未来のクライア伯爵夫人にしたがる貴族は、今に始まったことじゃないだろうが―――。なんだ、断りにくい相手なのか?」
「まあな。というより、向こうが断ってくれるのを待つしかない。うちのごうつくオヤジから持ちかけた話なんだ」
傲慢な兄が健在だった頃は見向きもしない放任主義だった父だが、跡取りに据えてみれば二男が思った以上の掘り出し物だと気付いたらしい。生臭い権力志向を剥き出しにして、陰で色々と動き回っているようだったが、その最たるものがこれだ。
出遅れたローディスが宮廷の勢力図の中に自らの居場所を確保すべく格闘している間に、父は格上の家との縁組を画策していたのだ。
『ラングストン伯爵の唯一の相続人に結婚を申し込んでおいたぞ。以前リカルドをそれとなく仄めかした時は、向こうに一蹴されたが、我が家のスワニー村の灌漑工事の成果や、リガルッジ村の森を活用して家具工場を作ったことに興味を持たれたようだ。スワニー村の作付面積は以前の一・五倍、収穫量に至っては二倍近くになったし、家具工場からの収入も少しずつ増えているからな。それに我が家が国王陛下の寵愛を受け、特にお前に加増紋を許されたことも大きいだろう』
ローディスがクライア伯の継嗣としてシラー子爵位を譲られてから、その領地運営の手法に文句の絶えなかった父が、手のひらを返して自分の手柄のように得々と語る様に呆気にとられたが、それだけではない。
同じ爵位だ。貴賤結婚にはあたらないまでも、かつて反逆者によって国を追われかけた王家を支え、復権に尽力した功績で十七代前の当主が叙爵された、一応上級貴族に位置するラングストン家と、せいぜい六代前に叙爵されたクライア家では格が違い過ぎる。色々軋轢があったとはいえ、伯爵家でありながら王女の臣籍降嫁を受け、王妃を輩出した家柄は、他の伯爵家と一線を画しているのだ。
そんな相手に勝手に縁組を申し込んだと聞かされて、ローディスは頭を抱えたのだった。
「なるほどな……」
話を聞いたドジャーが曖昧な相槌を打つ。
「信じられないことだが、父によれば向こうの反応は悪くないらしい。十中八九まとまりそうだ」
「ああ……そりゃ、お前―――お前のとこはかなり上手くやってるし、同じ爵位で本来は何も問題ないからな。向こうが勝手に公爵かってくらいお高くとまって、偉そうな態度を取ってるだけで―――。それだって、子供は皆早くに亡くなって、今や孫娘を一人残すのみだろ? 女性でも爵位や財産は相続できるからその点はいいにしても、彼女に何かあったら家は断絶だ。正直こう言っちゃなんだが、あまりお高くとまってる場合じゃなくなったんだってことじゃないか? そういえばそのラングストンの令嬢も社交界にデビューって聞いたけど、お前の品定めに来るのかな」
「だろうな」
ローディスは苦々しく吐き捨てた。今更ラングストン家の思惑をあげつらっても意味がないとわかっている。意に沿わない縁談を向こうから潰してくれることを願うのみだ。
吹き上がる噴水を睨んでむっつりと黙り込んだローディスに、ドジャーは気遣わしげに薄く眉根を寄せた。
「お前、大丈夫か?」
「さあな。こうなったらなるようにしかならないだろう」
「……でもまあ、万が一結婚ってことになっても、しょせん一種の政略結婚だ。奥方に跡取りを産ませたらそれで義務は果たしたことになる。その後は、好きな相手と―――ってわけにはいかないか。お前は俺とは違うもんな」
慰めるように言いかけたドジャーが途中で思い直して口を噤むと、ローディスは苛立ちの滲む笑みを浮かべた。
「万が一、結婚となったとして、その奥方とやらはどうでもいい。問題は俺がいつか想う相手と上手くいったとして、その人を愛人なんて立場にはさせられないってことだ」
キリキリと張り詰めた声音の呟きに、ドジャーは、この状況で言うべきか迷ったが―――と言いかけて言葉を切った。
「なんだ。あんたらしくないな」
ローディスは余裕を見せようと努めながら笑った。自分が抜き差しならない状況に意識を取られて、みっともないところを晒しているのはわかっている。今の笑いも引き攣ったものになったし、ドジャーが言いかけた言葉に興味を持てないでいるのも、隣にいる親友にはお見通しだろう。
自分を飾るのをやめて、ローディスがぶっきらぼうに再度、言えよ、と促すとドジャーは憐れむように息をついて口を開いた。
「シビル・ウェイン男爵令嬢が明日、参内するってさ」
絶句したローディスに向かってドジャーは続ける。
「かなり経済的に厳しいんだろうな。娘のエスコートはいないらしい」
「……どうしてそれを―――」
「お前の初恋の相手だったよな。たまたま女官たちが参内者の予定帳を作っている時に出くわして、名前をみつけた」
「……」
「多分、宮廷に顔を出すのは三日もないだろうな。エスコートなしでそれ以上過ごすのはさすがにムリだろうから。―――余計な情報だったか?」
『心配』とでかでか書いたドジャーの顔を呆然と見ていたローディスは、搾り出すように、いや、と言った。
それでは、六年もの間忘れられなかった彼女にとうとう会えるのだ。辛い時、苦しい時には何度も彼女のことを思い出し、いずれは誰もが認める男になって愛を告白するのを励みに頑張ってきた。兄に代わり立場は上がったが、それがなくても一目置かれる男になるべく、今も努力し続けている。それも全て、彼女に会う時のためだった。その彼女に―――シビル・ウェインにとうとう再会できると思ったら、一瞬で口の中がカラカラに干上がり、息苦しくなる。
「大丈夫か?」
「……ああ」
「とりあえず向こうがいる間は宮廷を離れるか? お前がそうしたいなら俺も付き合ってもいいぞ? 今の時期ならそうだな―――」
「いや―――」
ローディスは首を横に振った。
「絶対に離れない。彼女のエスコートは俺が引き受けるよ。三日で帰らせてたまるか」
「でもお前、ラングストン伯爵の孫娘も今シーズンは王宮に来るんだろ? シビル嬢にかちあったらマズイだろ」
「関係ない。ここで彼女に会わなかったら一生後悔する」
お高くとまった婚約者などに興味はない。向こうがどう思おうと知ったことか。無理やり自分にそう言い聞かせながら、ローディスは『漆黒の貴公子』の名に相応しい冷たい目で微笑んだのだった。