第五十五話−夢の世界へ−
カラス遣い……なんて、格好いいジョブなんだろう! そのとき、僕が少なくともカラスに嫌われてさえいなければ、そう思えた。
自分の馬鹿! あともうすこし頑張るか、手を抜いておけば、こんな結果にはならなかったはずだ。
「そんなあ!」
僕はすっとんきょうな声をあげた。 すると、ウィルが不可思議そうな目つきで、僕を見る。
リトルは、首を振って、ため息をついていた。
「どうしたんだ?」
「どうしたも……こうしたも……」
僕がなんと説明しようか迷っている間、リトルはちらちらと僕の方を見やる。 それをよそに、ウィルは僕の答えを興味津々に待っていた。 僕は口をゆがめて、言葉を切り出した。
「その……お言葉ですが、僕はカラスが苦手なんです」
僕がぼそぼそと答えると、ウィルは甲高く笑った。
「はは! それは気の毒だ」
なんだか、不快な気分になる。 彼はきっと、サディストに違いない。
だが彼は、なだめるようにして、こう言った。
「まあ、何事も精進だよ。 時にはつらいこともある。 だが、まだカラスをパートナーにしていないのだから、そう焦ることもないだろう」
確かに。 焦る必要なんて、どこにもない。 第一に、僕はカラスの遣いなんて、必要としていないんだ!
何が、カラス遣いだ。 笑わせないでくれ。 仮にも僕は、カラスたちから嫌われている。 僕の行くところには、決まってイライラしているカラスがいるんだ。 何故だかわからない。 第二部を読んだことがある人ならご存知のとおり、この前、ジェシーと一緒にウーネ・オズ・クラプスの大道芸を見に行ったときも、僕はたくさんのカラスに襲われた。
一般的に考えてみれば、何か特別な事情でもない限り、カラスはあんなふうに襲ってきたりはしないだろう。 でも、僕にとってはとてもそう思えない。 きっと誰かに呪われているんだ!
でも、誰に……? リトルかなあ。
いやいや、余計に被害妄想が膨らむだけだ。 よしておこう。
ウィルとの話はそこで一旦幕を閉じた。 気付くと、既に時計の針が午後の五時を周っている。
僕は、ウィルに「もう遅くなるから、そろそろ帰ったほうがいいだろう」と指図を受け、彼の手配で執事のトモヒサに車で家に送ってもらうこととなった。 一方、リトルはと言えば、ウィルの家に残るらしい。 骨折を治療をするから、といっていた。 ウィルは医師免許を持っているそうだ。 だが、彼のところで充分な治療を受けられるのだろうか?
もとは、といえば僕が悪い。
あの日、リトルと一緒にビルから降り立ったとき、僕がリトルを下敷きにしてしまったのが原因だ。
あの時は、「何かあったら、絶対に責任を取ってもらうんだから!」などと、調子付いていたが、今更になって、こういう形で帰ってくると心が痛い。
しかし、病院に行かないのは、何故だろう。 僕には、それが疑問だった。
***
その日の晩、僕はリアルな夢を見た。
リアル、という感覚は、現実に近いものに対して使う。 夢なんてものは、ただの幻想に過ぎない、と思っている人も多いかもしれないが、僕の見る夢は耳が聞こえれば、温度もわかる。 目も見えるし、匂いや感触まで本物のように伝わってくるのだ。 ここまでリアルだと、現実世界と間違えてもおかしくない。 現に夢の中で夢だと気付くことは、極まれだ。 だから、現実に近いのである。
その日、見た夢にはピエロのようなクラウンがでてきた。 ヘチマ型の衣装を着て、独特な歩き方をしている。 背は高い。 百八十センチくらいはあるだろうか。 僕は、十メートル程離れた木陰から、そのピエロを眺めていた。
ピエロはあたりをきょろきょろと見回している。 僕は、なぜだか彼に気付かれたくなくて、じっと息を殺した。
すると、ふと口元を抑える何かを感じる。 手袋をした手だ。 手袋をしている、といえばリトルと、その次に浮かんだのがウィルだ。(どちらも手袋をはめている)
一体誰だろう。 僕は必死に抵抗した。 そして、後ろにいる人物の正体を突き止めるため、振り向こうとした。 しかし、身体をしっかりと抱きかかえられている。 僕はそいつの胸倉に埋もれるようにして振り返った後、顔を見上げた。
なんと、後ろにいたのは、リトルである。
「どうしてここにいるの?」
「お前の居所を追ってきた」
僕の居所を追って来ただと?
「え……ここは、夢の世界だよね?」
「そうだ。 お前も薄々気付いているだろうが、私たちは今、魔術師として無意識の世界をコントロールする立場にいる。 だから、リアルな夢の世界にいることが多いだろう?」
リアルな夢を見ることが多かったのは、そのせいだったのか! 確かに、リトルによって魔術師にされたあの日以来、僕はリアルな夢ばかりを見ているような気がする。
「魔術と夢は、何か関係があるの……?」
すると、リトルは焦った様子で辺りを見回した。
「それについては、あとだ。 ここを離れるぞ。 とにかく、私に着いて来い」
***
僕はリトルに連れられて、さまざまな場所を通り抜けていった。 リトルは夢の中でも、足を引きずっている。 もちろん、マツバ杖も、現実の世界にいたときと同じように使っていた。
だから、あまり早いスピードでは歩かなかった。 ゆっくりと、だが止まらずに森を抜け、丘を下り、町をいくつも通ってゆく。 はじめて気付いたことだが、僕達は地面に足をつけていない。 つけていないが、歩いてはいる。 空中を、歩いているのだ。
地面に足をつけていないのに、ひきずっている、というのは、空中でひきずっているような動作をしていたからだった。 地面に足をつけていないのに、動作に影響が出るのは、この世界ならではなのだろうか。 だとしたら、どこまでもリアルだ。 夢の世界なのに……と、僕は思った。
でも、夢の世界なら、なんでも好き放題できるはず!
僕達が夢の世界を歩きぬけていく中、リトルはずっと険しい顔をして、一点を見つめていた。 何か、考えにふけっているのだろう。
しばらくしたあとで、僕たちはオックスフォード駅前のこぢんまりとした公園にやってきた。
驚いた。 夢の世界にも、現実世界と同じような場所があるとは……
広場の木陰にある、木製のベンチに二人で腰をかけたとき、リトルが話しを切り出した。
「お前は、これから夢の世界にきたときは、ここにいるようにしろ」
せっかく、何でもできるようになると思ったのに!
「どうして?」
「ここが、一番安全だと思うからだ。 一人で妙なところに行ってみろ? 夢の世界は天から地までさまざまだ。 お前がいつ夢魔に狙われてもおかしくないからな。 それに今の私にはお前の面倒など見切れん。 何せ、この足だ。 それで何かあったら、都合が悪いからな」
僕は、顔をしかめて、リトルをにらんだ。 すると、リトルは仮面の穴からわずかに見える片方の眉を吊り上げて、付け加える。
「お前はまだ初心者なんだから、仕方が無いだろう。 それにウィルにも言われたじゃないか。 お前には賢さが足りない。 それを補うための修行はこれからだ。 まだ時間はある。 早々に命をたたれては、お前を魔術師にした意味がないのだ」
彼の言葉には、ところどころひっかかるところがあった。 僕を大切に思っているのか、それとも単なる義務なのかしらないが、僕を危険な目にあわせたくない、と言う彼の思いはなんとなく伝わった。
「わかったよ。 ここにいればいいんでしょ?」
「そうだ。 わかったなら、良い。 今日は、お前がいつ魔術師として見る夢の世界にきてもいいように、パトロールしていたからこそ、今救えたが……レンディ? 夢の世界には恐ろしい夢魔がたくさんいる。 中でも、さっき見たピエロの男。 あれは夢魔の中でも有名な奴だ」
僕は、そう聞かされた瞬間、背筋に悪寒が走るのを感じた。
「まさか……! あんなおどけたような、クラウンが?」
リトルは、うなずいた。 ”有無”と返事を返している。
「今は物騒なんだ。 夢魔が人からエーテルを奪う。 それも尋常でない量を、だ。 昔はそんなことがなかったんだが……きっと奴もその類に入るに違いないからな。 油断できん。 だからこそ、魔術師は技を見につけ、それに対抗するんだが……」
リトルはそこまで言うと、いかにも「僕が悪い」というように、骨折した右足を叩いた。
「このざまだ。 だからお前の面倒は見切れんのだよ」
僕はリトルに反抗したい気分になった。 しかし、その反面、僕が彼の骨折の原因だったのではないかという自己嫌悪も見え隠れする。 一人にされるのは、嫌だ。 それを振り切るために
「僕は、ひとりでだって、なんとかできるよ」
と、言った。 しかし、そう言ったは良いものの、やはり一人でこの世界に放りだされたらどうすればいいんだろう、という不安がよぎる。
そういうことを考えながらしばらく黙り込んでいれば、リトルが仮面の下で口を開いた。
「お前ひとりでは無理だな。 まずは誰かお前の面倒を見てくれる口を見つけなければならないだろう」
「どうやってさ?」
すると、リトルは深いためいきをついて
「さあな」
と言った。
「私はこのありさまだ。 それに、伯爵も何かと忙しい見でな。 私の治療が終われば、すぐに別のところへ発つと言っている。 だから、ゆっくりと探すしかないだろう」
そう言ったリトルだが、彼の目にはこの先の平明さを垣間見ることが出来なかった。
彼は、未来から来ている。 確か、三十年後だ。
三十年後の未来から、彼の知り合いの魔術師などを連れてくることはできないのだろうか?
「ねえ、リトル? 一旦、未来に戻って、知り合いの魔術師とかを連れてきたら、いいんじゃないかな」
彼は、僕の発言を聞いて、ぎょっとしたらしい。 そして、落ち着き無くそこらを見回した後、彼は俯いて、またため息をついた。
「その仲間が、生きていればな」
僕は、その言葉の衝撃で、しばらく声が出せなかった。 そして、次に彼の境遇に対する興味が卑しいほどに、むくむくと湧いてきた。
「死んだの……?」
僕は、そっと聞くつもりだった。 しかし、彼から帰ってくるのは、厭世的な色に塗り込められた、言葉だけだった。
「ああ、死んださ。 一人残らず。 それも全て、夢魔のおかげだ」
彼はそういうと、マツバ杖をついて、立ち上がり、足早に公園を立ち去った。
僕はこのとき、本当の意味で、一人にされたのだと、錯覚した。