第五十三話−新名の儀式3−
ここでリトルとは別れた。
ここから先は、自分だけの世界に入れと、彼は言っている。 ウィルも同じ意向であった。
「名前というものは、結果的には自分で決めるものなのさ。 自分で目標を定め、それを達成する」
僕は、時々話すウイルの熱弁にうんうんとうなずきながら、彼の後に付いて行った。
途中で多くの景色が目に入る。 埃っぽくて、大分長い間掃除されていないのか、それともカビが繁殖しているのか知らないが、図書館特有のあの”におい”が立ち込めていた。
なんだか、落ち着く。 僕は、いつもからよく図書館に通っている。
なぜなら、本を読むことが大好きだから! それだけじゃない。調べ物だってしている。
ただ、それがなかなか学校の先生なんかに認めてもらえないだけで、僕にとっては立派な勉強だった。
しかし、リトルによって、それがくつがえされていると思うと……僕なんか、まだまだだったんだろうなあ、と思える。
何しろ、僕はオカルトチックなものに興味津々だ。
魔術師の世界がオカルトだと割り切っていた僕は、まるでそれを知ったような気分でいた。 しかし、違った。 本当の魔術師の世界は、大分シビアで難しいんだと思う。(それよりも、重要なのは、魔法戦士キリマン・ジェーロに出てくる主人公のキリマンジェロに似ているかどうかだ!)
リトルを見れば、いかに期待を裏切ってくれたかがよくわかる。 僕には彼の言っていることや、彼自身についてのことが、まったく理解できない。
ウィルとは仲が良いらしいが、僕はウィルについてもまったく無知だ。 だから、彼については知る余地がない。 これからは、何が待っているのだろう。 きっとこの先に待ち受ける扉が、その第一関門なんだ。
僕は、ワクワクする気分とドキドキする気分を同時に持ち合わせて、彼の後についていた。
「さあ、心の準備はいいかい?」
ウィルが立ち止まる。 この先には、扉が待ちかまえている。
鋼鉄で出来た、いかにも厳重な警備、といった雰囲気の漂う扉だ。
それをウィルが右手を突き出して押すと、重い金属音を響かせて鋼鉄の扉が開いた……中の空気が僕等を出迎える。 緊張の瞬間だ。
「おっと」
そういうと、ウィルはさっと僕のほうへ振り向いた。
「君には、あらかじめしてもらうことがあるんだ。 さ、扉の向こうは見なくて良いから、私に着いてきなさい」
僕は、扉の向こう側の世界を見る間も無く、ウィルに押し戻されてしまった。
廊下を五メートルほど引き返すと、脇にある粗末な扉を彼が開けた。
「まずは着替えてからだ。 その棚に法衣が入っているから、自分のサイズに合うものを着てくれ」
ウィルは部屋の奥を指差した。
そこには、クローゼットがある。 同じような黒い服が何枚も掛けられていた。
「儀式の場は神聖だ。 着たら、そこでおとなしく待っていてくれよ? 私は儀式の準備をしてくるから」
「わかったよ。 着るだけで良いんでしょう?」
すると彼は相槌を打ち、ドアを閉めた。
それにしても、どうして”ホーイ”なんてものを着なければならないんだろう?
別に着なくたっていいじゃないか。
神聖な場だから? どういうことなのか、僕にはよく理解できない。
僕は、適当に選んだ法衣を着てみた。 さらさらとした着心地で少し埃臭い。
ずっとクローゼットの奥にしまいこんでおいたときのような匂いだ。
服は、室内の涼しさを吸収して、ひんやりとしていたが、不思議と直に身体が温まった。
落ち着く。 余計な考えが思い浮かばない。
しばらく更衣室で待っていると、ウィルが儀式の準備をし終えたらしく、閉まっていたドアをノックした。
「入っても良いかい?」
ウィルがドアを開けて中へ入ってくると、僕は彼に誘導され、儀式の場へと連れてゆかれた。
扉を開け、中に入った瞬間から、その場所の重苦しい空気が僕の上にのしかかってきた。 ウィルは平然としているが、僕はそれどころじゃない。
ウィルが口を開く。
「いいかい? 新名の儀式は、君の体力・精神力・及び賢さを判定する。 緊張する必要は無いからね」
ウィルの声が天井に呼応して、響いた。 不可思議な音響効果があるようだ。
僕は、彼にそうなだめられたものの、なかなか緊張はほぐれなかった。
「まずは君の体力を測定する。 少しどいていなさい」
すると、床の中央が一メートル四方の四角い板に切り取られ、ふたのようにして、開いた。
真っ暗な四角い穴からは、何かが機械音とともに競りあがってくる。
僕は想像した。 大概の漫画なら、ここで何らかのマシンが登場するはずだ。
しかし、想像のとおりにはいかなかった。
四角い穴から現れたのは、ごくごく普通のランニングマシンである。
「ま、体力を計るといったら、これが適当だろう」
まあ、確かにそうだが……
「ねえ、これが一体魔術とどんな関係があるっていうの?」
と、言いたい。
「魔術師として活動していれば、そのうちわかるさ」
一体何がわかるのか、僕には分からない。
僕は狐にだまされたようにウイルになされるがまま、ランニングマシンの上に立った。
「それでは、はじめよう」
うなるような機械音とともに、ランニングマシンのベルトコンベアがゆっくりと動き出す。
最初のうちはそうでもない。 だが、一分二分と経っていくに連れ、次第に息も上がり、足がおぼつかなくなってきた。 下手したらこけるかもしれない。
マラソンをはじめてから、十分と経たないうちに、僕はギブアップしてしまった。
「これくらいでへこたれているようでは……」
ウィルは首を振っていかにも深刻そうにつぶやいた後、僕をさっさとランニングマシンのところからどかした。
そして、ウイルは真後ろにあった本棚の縁にあるスイッチを押し、ランニングマシンを元通り床の下に収納した。 すべて全自動である。 どれだけハイテクなのか、それとも堕落なのかわからない。
僕がそんな彼に関心をしていると、今度はどこかから鉛筆と机を持ってきた。
「さあ、次は精神力を判定する」
そう言うと、彼は僕を机に就かせ、問題用紙を目の前に置いた。
方眼用紙であるが……?
「そこにマスがかかれているだろう。 そのマスを使って、いくらでも円周率を計算してくれ」
まさか! ランニングの次に円周率と聞いて、僕は嫌気がさした。 僕は数学が苦手だ。 一体、精神力を判定するのに、何が役に立つというのだろう?
「あの、円周率の計算の仕方がわからないんですが……」
「それなら、数学の教科書を貸してあげよう」
そういうと、ウィルは本棚から数学の教科書を取ってきて、僕に渡した。 僕が使ったことのある教科書だった。
そもそも魔術と円周率は何か関係があるのか?
「ずっと続けることは忍耐の洗練にもつながる。 忍耐力を養うのは賢者の石を作り出すカギでもあるんだよ」
意味がわからない。
「もしかしてウィルは錬金術師?」
すると、ウィルはニッコリと口元だけ笑い、僕の意見を流した。 僕も、それ以上は聞かなかった。
秒針が時を刻む。 ふと、時計に目をやると、まだ十分しか経っていない。 僕の中では、もう一時間近くの時間が流れたような気がする。 ウィルはさっきから本棚のところをうろうろしており、背表紙を眺めては書見していた。 さっきから、それが気になって仕方が無い。 一体何を調べているのだろう? 彼が何か動作をするたびに目が行く。
ウィルはそんな僕を見兼ねたのか、こう言った。
「気が散るようなら、私は外に出ているが」
僕は「はい」と返事をして、ウィルに外へと出てもらった。
彼が外に出た瞬間、僕は今までに堪えていたのかもしれない眠気に見舞われた。 ウィルは外に出ている。 少しくらいなら寝ても平気かな……?
僕は机に肘をついて、あごを支えた。
ちょっとくらいなら……寝ても大丈夫……
***
次に僕が起きたのは、一時間後だった。
頭上で男の声がする。 どうやらウィルのようだ。
「いくらでも、とはいったが、その時間を睡眠に使って良いとは言っていないぞ」
彼は、優しい声音で刺のあるセリフを吐いた。 半分寝ぼけていた僕だが、その意味は直に理解できた。
「ごめんなさい……」
「もう、計算しなくて良いんだね?」
僕はうなずく。 もう円周率なんて計算する気分じゃない。 寝て起きてまでも、そんなことをする根気は無かった。
「次は寝ないでくれよ? 君の賢さを判定するんだから」
僕は目をこすりながら、準備をしに行ったウィルを待つ。
しばらくして、彼は一冊のファイルを抱えて戻ってきた。 今度もペーパーテストなのか? うんざりする……。
「問題を解いてもらおう。 これも時間制限は無しだ」
そう言って、ウィルは僕に紙を渡した。
紙に書かれている内容を見て、僕はうんざりした。 どう見ても、IQを診断するような問題にしか思えない。 僕はこういうのが苦手なんだ。 あーあー、嫌になっちゃうよ……。
ウィルから紙を渡されてからしばらくは、鉛筆をくるくると回して無制限の時間をもてあそんでいた。
ふと、ウィルの方に目をやる。 相変わらず無表情だ。 もしや、またさっきと同じように、本来の使用目的でない用途に時間を費やしたら怒られてしまうのではないだろうか。
僕はそう思い、慌てて問題に取り掛かった。
しかし、数分後には集中力が切れて呆けていた。 これではきりが無い。
それを見兼ねたのか、ウィルはこう言った。
「邪魔であるようなら、私は外に出ているが、良いかね?」
僕は、今回もウィルに外へ出てもらうことにした。 彼は、部屋を出て行く瞬間にチラとこちらを見やって、寝るなよ、と僕に合図を送った。 きっと、寝ないさ!
僕は再び問題に取り掛かる。 問題の内容は、計算問題から文章題、図形問題など、バラエティに富んでいた。 だが、どれも簡単なようで難しい。 考えるのが面倒くさいや……。
なんだか、眠くなってきた。 さっきと同じ展開には……したくないが、本能には勝てない。
僕は再び眠ってしまった。
***
次に起こされたときは、時計の針がもう午後の三時を周ろうとしているところだった。
「いやはや、君。 ちゃんと毎晩寝ているのかね?」
「はい……」
そういえば、昨日は徹夜してルービンコックの魔法シリーズを読んでいたんだっけ。 でも、二時間は寝たはずだ。(病み上がりだが、本を読むためなら、これくらいお茶の子さいさいなんだ!)
「何時間寝たんだ?」
「二時間くらい、かなあ」
すると、ウィルはあきれた、と言わんばかりにぐるりと目を回して、肩をすくめた。
僕は、昨日読んだ本の内容をぼんやりと思い出す。 その間にウイルは、僕の解いた問題用紙を吟味していた。 そして、その答案用紙をファイルにしまいこむと、また別の部屋に向かおうとした。
そのとき、ウィルは僕にこう言った。
「リビングでくつろいでいな。 そこにリトルもいるだろうから」
僕は、儀式の場を出た後、法衣を着た部屋で普段着に着替えた。
寒い。 廊下の温度は外と大して変わらないくらいなんだろう。
僕は、リビングに着いたとき、再びぬくもりにつつまれた。 リビングに着くと、リトルが早速質問してきた。
「新名の儀式はどうだったかね?」
あの意味不明な儀式……いや、ただのテストか。 僕はその内容を思い返した。
「どうもこうも、あんたたちの考えていることはさっぱり理解できないよ」
流石に言い過ぎたか。 リトルは、なんだと?!といきり立った。
「お前こそ真剣なんだろうな?」
僕は彼を睨んだだけで、その場をやり過ごした。 争いたくは無い。 彼の方が能弁なんだ。 言い争ったところで、結果は目に見えている。
僕は皮肉を言ってやった。
「真剣ですよ。 子供は大人の鏡ですから」
リトルは、この言葉を聞いて黙りこくった。 返す言葉が見つからないのか?
しばらくして、彼はため息をつき、再びソファーに沈んだ。
無音の時間が流れる。 二人の間に流れる沈黙は、いつでも嫌な雰囲気が漂っている。 僕は、この沈黙が苦手だ。 彼と二人きりでいるときは、よくこうなる。
十五分くらい経ったとき、ウィルがリビングに入ってきた。 手には、ファイルがある。
彼は、リビングの入り口でそれを開くと、語り始めた。
「今、分析した結果を述べよう。 ええ……君は少し体力が無さ過ぎる上に、賢さにも欠けているようだ」
するとリトルはけしからん、とでもいわんばかりに、鼻でフンとため息をついた。
「まったくだ」
ウィルはリトルを無視して、僕を見た。
「しかし、君の場合は、寝不足も関係しているだろうから、これが正確なデータだとは一概に言う事ができない」
そう言うとウィルは、僕等の座っているソファーに腰掛けた。 僕からもリトルからも一メートルほど離れている。
僕は、それを聞いて少しだけ機嫌が良くなり、リトルにむかって「ほらみろ」と毒づいた。
しかし、リトルは食い下がった。
「だが、こういう日のために、体調は整えておくべきなんだぞ」
ウィルはリトルをなだめた。
「まあ、大目に見てやれ。 そして、レンディ君。 今日は疲れただろう。 もうやることは無いさ」
その後、三人はしばらくの間、リビングでくつろいでいた。
執事のトモヒサがお菓子を持ってきてくれたので、僕はそれにありついた。 しかしリトルとウィルは一口も食べていない。 ウィルはファイルとにらめっこしている。 リトルは帽子を深くかぶって、何か物思いにふけっているようだ。 なんだが、僕だけがお子様であるかのような気分になる。
しかし、子供いでいられることは、幸せなことなんだ。 だが、それも時間の問題である。
時計の針が午後の四時を周った。 すると、さっきまでファイルとにらみあっていたウイルが不意に立ち上がり、克明に言い放つ。
「名前が決まったぞ」
名前、というのは、おそらく僕の魔法名のことだろう。
さっき行った儀式の結果が出たのだろうか。
ウィルは、こう続けた。
「レンディ君? 君にもっともふさわしい魔法名は……”CROWZ”だ!」