第七十六話−シューマン−
「おまえ、弱そうだな!」
カラスにそんなことを言われたのは初めてだった。 いや、これは僕の勝手な一存であるのかもしれない。(向こうとしては、昔からそう思っていたのかもしれないしね。 残念だけど) だが、僕だって、カラスにみくびられて、黙っているワケにはいかない。
「よ、弱くなんか無いよ!」
「ほほう。 ならばその震えは何だ? 足がカクカクしているぞ」
いかにも嘲弄した態度でカラスがそう言うと(まるでリトルのようだ)、カッときたので僕はこう言い返した。
「うるさいな! ただの武者震いさ、このカラ……ス野郎」
語尾には力が入らなかったが、それでも言い切ってやったつもりだ。 武者震い……! なんと言う素敵な言葉だろう。 怖さを度胸に代えてみせる言葉だ。
……だが、僕には、怖さを度胸に代える、肝心の度胸がなかった。 付け元気で奮い立っても、惨めな結果に終わってしまった。
「何を言っている。 クックック、可愛い小僧だな。 貴様のようなやつを見ているといじめたくなる! ……ついでに言っておくが、俺様の名前は、シューマンで、カラス野郎などという不細工な名前ではない」
なるほど、シューマンというのか。 このサドなカラスの名は! さすが、ウィルの教育だけある。 まるで、さっきのリトルとウィルを足して二で割ったかのような性格だ。 シューマンは、そう言うと、僕の頭からワサワサと羽音を立てて、床に舞い降り、僕の顔をぶしつけに睨みつけた。
嫌なやつだ、と思いながら奴の顔を見下ろしたが……よく見るとつぶらな瞳で可愛いじゃないか。 一瞬見た夢は、そんな具合だった。 だがそれも、所詮見た目だけにすぎまい。 おかげで目が覚めた。 僕は直に、このカラスの城と化した学校から抜け出す、という目的を思い出した。
「じゃあ……残念だけど、僕はここでお暇するよ。 行かなくてはならないところがあるんでね!」
「ほう」
シューマンがそんな生返事をしたとき、彼はちょいと僕の腰元を見て、はっとしたようにこう言う。
「お前……そのポケットのモノは……」
ポケット? 僕は、ポケットのところを見やった。 そこからは、さっき洞窟からもってきた秘宝が顔をのぞかせている。 青緑色の、綺麗な輝きを放つ宝玉……。 そうか、カラスは、光モノに反応するんだ! これを見せたら最後、きっと奴は、いや、やつだけじゃなく、ここにいるカラスたち全員は、僕の秘宝めがけて血なまこになって追いかけてくるだろう! 絶対にご免だ!
「な、なんでもないよ」
おずおずと言いながら、僕は、走ってその場から逃れようと駆け出す。 すると、シューマンは、「何処へ行くんだ?」などとケラケラ笑いながら追いかけてきた! まさに地獄、地獄の試練!
「お、追いかけてこないでよ! なんで追いかけてくるんだよ!」
「逃げるからに決まっているじゃないか! そのポケットの中身も気になるし、さあ、追いかけっこのはじまりだい! あっはっはっは、逃げるお前もからかいがいがある」
「わー! 嫌だ、オッズ! 助けてよ!」
僕は、近くの教室にいたオッズに大声で呼びかけた。 ひょっこりと出てきたオッズは、僕のほうを見て意外にも笑った。 意外ではないかもしれない。
「おやおや、鬼ごっこかい? ボクもいれてよ」
僕は、ここで初めてオッズに対する苛立ちを覚える。 殺意といっても過言ではなかった。 きっとこれは、ミステリー小説に出てくる犯人の心境だ!
「違うんだ! このカラスをおっぱらってよ!」
すると、オッズはお安いごようだ、というように杖を取り出すしぐさをして、ぴたりと止まる。
「おや? おかしいな、この辺に杖が……。 ああ、忘れていた。 折れていたんだ。 あっはっは、これじゃあ魔法が使えないね」
オッズが、お気楽にそんなことを言った。 それを聞いたときにふっと怒りが湧き上がったが、すぐに自重した。 そう、オッズは、さっきの衝撃で、杖を折ってしまったんだ。 僕もそのことをうっかり忘れていた!
すうっと僕の頭上をかすめ、前に来たり、横に来たり……触れはしないがじりじりと迫りくる。 カラスの責め苦。 ……だんだんとこの試練に嫌気が差してきた。 こんな試練……! そう思ったとたん、僕は床のちょっとしたでっぱりに足をぶつけて転んだ。 後ろで、オッズが大丈夫かい? などと、僕をかばってくれたが、一々そんな一言に大丈夫だ、などと答えている余裕は無かった。 再び急いで走り出す。 口元には、さっきからしょっぱくて鉄の味のする液体が垂れてくる。 滴る鼻血だ……ううっ……酷いよ、こんなのは試練じゃない。 拷問だ! ただ、ウィルにもてあそばれているだけなんだ! 言葉巧みな奴ほど、加虐的だと思うことがある。 人を言葉巧みに惑わさせて、かわいそうな状況におとしめる。 僕はまさに……その被害者なんだ。 そうか。
リトルがあの時、ウィルのことを”非情な輩だ”といっていた理由は、この出来事に関連している。 リトルが、これと同じような試練を受けたかどうかは別にして、彼の性格をまさに現した一言は、この”非情な輩”であるに相違ない。
だが、いつまでもくよくよしているわけにも行かない。 僕は、どうやったら彼奴を欺くことができるかについて、走りながら必死で考えた。 カラスは頭が良い。 だから、ちょっとやそっと隠れただけじゃ、すぐに見つかってしまう。 良い隠れ場所はないだろうか。 絶対に見つからない隠れ場所……。 視界の脇を過ぎていく教室のドアを身ながら、隠れられそうなところを探す。 だが、どの教室にもカラスがいる! そう、カラスの学校には、あたりまえのように、カラスがいるのだ。 人間がいるべきところに、カラスが……。 もはやこれは、普通の学校で、人に見つからないように、どこか隠れる場所を探しているのと、同じことなんだ。 だとしたら、良い隠れ場所は……理科準備室!
だが、理科準備室には、カギが掛かっていた。 ちくしょう!
イライラしながら立ち往生していると、そこへオッズが到着した。
「その部屋にかくまうつもりなのかい?」
「それができたら、一件落着なんだけどね」
プンスカ怒りながら、僕はそう答えた。
事情を説明した後で、他の隠れ場所を探そう、ということになり別の隠れ場所を探すことにした。
他に良い隠れ場所といえばどこがあるだろう? 人――つまり、カラス――がいそうにないところは? ……第一図書室だ。 そう、あそこは多分僕らが使っている第ニ図書室とは別にある、普段は使われていない図書室だ。
第一図書室は、現在では倉庫として使われており、代々学校の歴史にまつわる貴重な文献や、古い教科書などが仕舞われているらしい。 国語の先生から聞いた話だ。
第一図書館については、以前、リップとケビンに誘われて理科の先生にまつわる噂を調査したことで、思い出が残っている。 理科の先生にまつわる噂というのは、「理科の先生は時々誰にも使われていない第一図書室に言って、秘密の実験をしている」というものだ。 まったくといってよいほど出所のない噂だ。 誰が言い出しっぺなのか知らないが、秘密の実験なんて馬鹿げている。 だが、実際に理科の先生はこれまでに何度か第一図書室へ入っていくところを生徒に見かけられていたという。 だから、僕たちはそのうわさの真相を確かめるために、好奇心丸出しで理科の先生のあとをつけたことがある。
ここで、何故理科の先生が第一図書室へいくところなのか判ったのかというと、ケビンが一番最初に、廊下で理科の先生とすれ違ったときに、彼が「第一図書室」というタグのついたカギを、ナルシストっぽそうに指に引っかけて振り回しているのを発見したからだ。 彼はなかなか鋭い目をもっている。
それで、ひそかに理科の先生のあとをつけると、やはり第一図書室の中へと入ってゆくのだ。 そのとき、第一図書室の場所が、第二図書室の書庫の中だということも、同時に知ることが出来た。
だが、いざこれから秘密の実験の真相を確かめるぞ! と思って第一図書室の中へ忍び込もうとしたとき、理科の先生の勘が良いのか、ただの偶然なのか知らないが、ドアのカギが内側から閉められてしまっていた!
僕たち三人は、みんなしてがっかりした。 特に、ケビンの悔しがりかたは尋常でなかった。 彼自身が一番先に、理科の先生のあとをつけようと発案した当人であっただけに……。
兎に角、僕らはドアにはめられているガラス窓から、中を覗くしか選択肢が残されていなかった。 理科の先生の姿は、奥のほうに入り込んでしまったのか見当たらない。 ただ、第二図書室の書庫と同じように、古めかしい革表紙に金色の文字が入った本などが本棚に整然と納められているだけの空間が広がっていた……。 結局、それくらいしか見ることができず。 そのうちに皆は、そのことを忘れ去ってしまったのがおそらく、現状だろう。 そんな思い出だ。
だから僕も、今までに中はほとんど見たことがない。 だが、カギが掛かっていたとしても、あそこのカギのありかは、おそらく職員室であるという見当がつく。 職員室には、人がいそうだが、そこはオッズに頼めばなんとかなるだろう。 僕らは、話をあわせて第一図書室へと向かった。 第一図書室の場所は、二階にある第ニ図書の書庫の中にある。 書庫は、カギがかかっていなかったので、やすやすと入られたが、第一図書室へつながっている扉がどこにあるのかが、わからない。 おかしい。 これは、夢の世界特有の、”現実とちょっと違っている”という現象なのだろうか。
オッズと二人で書庫の中を物色していると、突然、入り口のところで聞き覚えのあるひょうきん者の声が聞こえた。
「何をやっているんだ、お前達? 特に弱そうな黒髪。 本でも読んで心を落ち着かせようって寸法かい?」
ニコニコしていそうな声音だ。 ビックリして、入り口の方を振り向くとそこにはさっき追いかけてきたウィルのサド弟子がいた。
「おやおや! もしかしてさっきボクらを追いかけてきたカラス君か?」
オッズが、さも仲の良い友達のようにカラスのシューマンに話し掛けると(彼は本当に友好的なんだと思う)、シューマンは、方眉をつり上げて、オッズの顔をぶしつけに見上げた。
「貴様は、この黒髪の保護者か何かか?」
「保護者? まあ……保護者といえば、保護者かもれないな。 だけど、パパではないことは確かだ」
本当にそうだ。
「ほう。 話を戻すが、お前達は一体何をしているんだ?」
僕は、オッズと目配せして、状況を伝えるか?と、問い掛けた。 すると、彼は、君自身の選択に任せる、といった具合で、肩をすくめた。
「……」
僕は、この数秒の間に、今までにないほど頭を回転させた。 どうしよう……この状況下で、まさか追いかけてくる犯人を目の前にして「君から逃れるためだ」なんていえるわけがない。 そんなことをいったところで、奴はますます面白がるだけだ。 ここで上手い具合に奴を騙しおおせば……。
「なんでもないよ!」
結局、単純にそう言って、僕は逃げようとした。 巧妙な手段を使っている余裕は無い。 だが
「なんでもないわけがないだろう!」
言い切る前に、シューマンに早速くぎを打たれた。
あとにも後ろにも進めない僕の状況を見兼ねてか、オッズはこう言った。
「打開策を打つしかないようだな」
僕は、後にここではじめて、”オッズの考えていることが大人である”と、感心した。