第七十三話−空の彼方へ−
「全力で!」
彼がそう言った次の瞬間、僕は渦巻く暗い闇の中へと飛び込んだ。
一瞬だった。 水しぶきと、鼻に入ってこようとする水を感じながら、暗い闇の中へと、もぐる。
不思議な……母胎の中にでもいるような……優しい黒につつまれた感覚をおぼえる。
だが、洞窟の奥に流れ込んでくる水の冷たさは、そんな淡い幻想を一瞬で拭い去った。
僕は目を凝らす。 オッズの言うことが正しければ、底のほうに秘宝があるはずだ。
水の中で目を開けた。 すべてが暗くぼやけていてよくわからない。 ただ一つ、暗い水の底でぼんやりと光り輝いている秘宝を除いては……。
そう! あれが秘宝だ!
そうに違いない。
僕は夢中で光の元へともぐりこんだ。 水圧がどんどんと高くなり、身動きが取りづらくなる。 耳が圧迫されるような感覚。 少し頭が痛い。
だが、僕はそれに負けじと、煌々と青緑色に輝く秘宝を求めた。 あともうすこしだ!
秘宝に近づけば近づくほど、光はまぶしさを増す……。
だが、まさにそれに触れたと思った瞬間、僕はがっかりした。 それはほかでもない。 光ってはいるものの、実体が無い。
目の錯覚か。 ……いや、目の錯覚ではないはずだ。 なぜなら目をこすってみてもそれがある。
これは……思い出した! キジムナー火、水の中でも消えない、キジムナーが出せる不思議な火の玉。 夜中こっそりと大好きな魚を捕まえるためにつかう火の玉だが……。 今回ばかりは、きっとキジムナーがいたずらを嗾け、僕をまどわしているに違いない。 本物の秘宝を探さなければ。
ふり振り返ると、そこにはいくつもの光の玉が浮いていた。 みんなキジムナー火だ!
僕は、水圧と目の前の火の玉の数々で、頭が混乱しそうになった。
すると、ふと、背後からオッズが現れた。 僕の少し前に泳いでいくと、ふと振り返って、僕にむかってうなずいた。 ”ボクも秘宝探しに協力する”という意味なのだろう。
僕はニヤリと笑い、ありがとう、と笑顔で伝えた。 ぼやけている視界の中で、僕の笑顔が彼にはわかったのだろうか……?
だが、そんなことは、今はどうでもよい。 兎に角、息が続くうちに秘宝を見つけ出さなければ!
僕たちは必死になって、秘宝を捜し求めた。 キジムナーたちが邪魔すぎる。 見た目は可愛いのに、こんなに厄介な妖怪だとは思ってもみなかった!
僕はがむしゃらに手をかき回して、秘宝に当たらないか挑戦した。 すると、オッズが踵を返してきて、僕の腕を掴む。
「落ち着くんだ、レンディ」
と、彼が言っているような気がした。 そのとおり、息も長く続きそうに無い極限の状況下で、僕は必死で落ち着こうと努めた。
そして落ち着くことの意味は、その数秒後に成果となって現れた。
彼が、片手で輪をつくって、その穴の中から僕をのぞく。 あれは一体どういうことなのだろう?
何かの文献で、幻と本物を区別するときに用いる方法に”指で輪を作って、その間からのぞく”というものがあると書かれていたことを思い出す。 狐の窓のようなものだ。
そうか!
僕は、即座に右手で狐の窓を作り、その穴からキジムナー火であふれる水中をのぞいた。 するとどうだろう! 見る見るうちにキジムナー火は消えて、秘宝だけがしっかりと視界の中に入るではないか!
僕はつい嬉しくなってワオ! と完成をあげた。 ためしにわっかの外を除いてみたが、そうすると元のとおりに、キジムナー火が見えている。 輪の中をのぞきこんでいるときだけが、見えなくなっているようだ。
僕はそのまま秘宝に近づいて、煌々と青緑色に光る秘宝をついに手にした。 それを急いでポケットの奥につっこむ。
その瞬間だった。 僕は恍惚とした安心感に一瞬浸ったかと思うと、すさまじい息苦しさを実感した。 オッズも苦しいらしい。 身もだえして、酸素の無さに耐えている。
そして徐々に意識が遠のいていく感覚に陥った。 リトルに殺されたときに感じたような、世界が真っ白か真っ黒になっていくような感覚だ。 どうして真っ青とか真っ赤じゃないんだろう、とも思ったりもしたが、今はさておき、このままではおぼれ死んでしまう……! 想像力を持て余している暇は無い。
苦しさのあまり肺や気管支が脈打つような感覚だ。 そんな中、ふと頭上の薄明かりに気が付く。
朦朧とした意識で水の中から空を見上げると、まるで天界から天使が舞い降りてくるときのベールがそらから降りてきているように思えた。
空が少しだけ明るい。 あれはお迎えなのかな……。 はは、オッズの馬鹿め。 死なないだなんて嘘っぱちじゃないか。
夢の中でも死ぬことはありえるんだ……現に僕は死にそうだ。
水かさが増す。 僕はそれに身を預けて上のほうへと昇っていく。 上へ上がるに連れて、どんどん世界が明るくなってきた。 まぶしい。
そして僕は打ち上げられた……空の彼方まで。