第七十二話−災難−
先ほど出遭ったキジムナーの家族達は、雨が降り始めるだろうからさっさと宿を探しにいこうなどと、ぶつくさ文句をたれながら去ってしまった。
僕は、オッズに何か役に立ちそうなものは残っていないかと訪ねた。 すると、リュックだけは枕にしておいたおかげでなんとかいたずらをされずに済んだらしく、彼はナイフだのそういった道具は大体残っていると言った。 僕達はリュックを背負って、右手側に広がる川を見失わないようにしながら、ジャングルの中を突き進んだ。
「こりゃあ、キジムナーの言っていたとおりだな。 雲行きがどんどん怪しくなっていくぞ」
オッズがそう言ったとき、ふと空を見上げれば、今にも泣き出しそうな雨雲が空一面に立ちこめていた。 僕は、いざ雨が降ってきたらその辺の天狗の葉っぱでもちぎって傘の代わりに使おうと考えた。
数十分歩いたところで、僕達は疲れてきたので、残りの食料をそこで食べ尽くし、しばらく休憩したあとでまた歩き出した。 すると、歩き出して何分もたたないうちに、とうとう最初の一滴が雨雲から零れ落ちてしまった。 続いて、ワッと泣き出したように雨が降りはじめる。
僕達は走って、洞窟まで目指した。 道中、天狗の葉っぱを引き剥こうと必死になったが、僕の力では敵わないと思い、オッズに頼んだところ、それほど洞窟までは離れていないから、少しの辛抱だと諭された。 なるほど、彼の言っていたことは正しく、五分か十分走ったところで、洞窟の入り口が見えた。 入り口は天井が低く、直脇に河から枝分かれした小川が流れている。
僕達は、急いで洞窟の中へ非難した。 オッズがつぶやく。
「ひどい雨だな。 河が氾濫しないといいんだけど……」
僕は、先を急いで、さっさと秘宝を持って帰ったほうが良いと考えた。
「大丈夫だよ! 先に進もう」
彼は少しためらったが、一応僕の意見に了解して、先に進んだ。 だが、万が一のときにそなえて、洞窟の入り口の脇に生えていた木にロープを巻きつけて固定しておく。 そのロープを洞窟の中にひっぱっておけば、迷わないし、水が流れてきたときでも安全にもどることができるという。
背後で激しく地面を打つ雨音が聞こえる……。
洞窟の中は、先に進めば進むほど現実味の薄れた静寂につつまれている世界だったので、僕達はカンテラに火を灯し、その明かりを頼りに、洞窟の中を突き進んだ。
洞窟の天井は低く、湿気などは肌に張り付くほどである。 僕達は細く入り組んだ洞窟の中を十分ほど進んだところで、水の匂いに気が付いた。 するとオッズがその場にひざまづいて「地面が濡れている。 足元に気をつけよう」と、僕に忠告した。
その注意を聞いてから僕は、足を滑らせないように、充分足の裏に神経を行き渡らせながら、洞窟の中を進んだ。 奥に進めば進むほど蒸し暑い。
「まだ秘宝のところへはつかないのかな。 早く終わらせようよ」
するとそんな僕をからかうようにオッズが
「本当に秘宝なんてあるのか?」と、茶化した。
「こういうときに、そんなこと言うなよ。 ……それよりも、何か音が聞こえない?」
最初は僕も気のせいだと思った。 だが、よく耳を澄ましてみれば確かに聞こえる。 水の音か……? 僕らが入ってきた入り口のほうから、聞こえてくる。
「きっと雨の音か、何かだろ?」
「いや……違うよ」
嫌な予感というものは、状況のよくないときに限って的中するもので、このときも残念なことにそのとおりであった。 僕は、入り口のほうへカンテラを向けて目を凝らす。 小さな光の穴となった入り口に、わずかな影が一瞬湧き上がる。 水しぶきだ。 脳裏に電撃と、体中に冷や水を喰らった気分になった。きっと、河が氾濫して、脇にあった小川を助力に、たくさんの水がなだれ込んできたんだ!
今から引き返して、外に出ようとしたが、足元がみるみるうちにドロ水と流されてきた漂流物でごっちゃになり、上手く身動きが取れなくなった。
「ど、どうしよう!」
(今は秘宝だ! 秘宝!)
またもや、不思議な声が聞こえた。 だが、よく聞いてみればウィルの声であることがわかる。
「秘宝?!」
オッズが不思議そうな目で僕を見る。
「こんな状況で秘宝だなんていっていられないよ! オッズ、とにかく、引き返そう」
「いや、今は秘宝だ」
彼にも、さっきの声が聞こえたのだろうか?
「まずは試練をクリアーすることを考えなくてはならない。 あくまでこの試練を達成することが、最大の目的だ。 あの伯爵だって、そう言っているだろう?」
驚いたことに、彼も僕が聞いた声と同じ声を聞いていたらしい。 最初は、僕だけにしか聞こえないのかと思っていた。 そして、リトルがウィルのことを非情だと言っていた理由がわかったような気がした。 オッズが洗脳されているのも、きっとウィルの不思議な力のせいなんだと思い込んでおこう。
「何かと指図してくるのかとは思っていたが、本当にそうだったとはな。 だが、ボクたちにはロープがあるから大丈夫! 兎に角、この洞窟が水で浸されてしまう前に、奥まで行って秘宝をとってこよう。 戻ることを考えるのは、その後だ」
刻一刻と水で浸されていく洞窟の中を先に進もうだなんて気がふれている。 だが、気のふれていると思うことでも、このような極限の場においては、実行しなければならない正道だ。
進行方向に向かって流れていく水の中を進むのは、なかなか難しかった。 水の流れに逆らって歩いていくことよりも困難である。 何しろ、水の流れで足が滑る。 足元を何度も救われそうになりながら、切り立った洞窟の岩に膝小僧をなんどもぶつけながら歩いていくしかない。 むしろ泳いだほうが楽ではないのか? ああ! こんなときに、キジムナーに焼かれてしまったあのボートがあれば……!
そんなとき、オッズが悲鳴をあげた。
「さっきからおかしいと思っていたんだが……」
「どうしたの?」
嫌な予感がする。
「このロープ、いくら引っ張っても抵抗しないんだ」
まさか……
「ダメだ! もうこれは使い物にならない。 きっと何かの拍子にロープがほどけるかしてしまったんだ」
ロープを放り出すと、次にオッズはおぼれそうになりながら、リュックのなかから地図を取り出した。 それを広げ、道を確認する。
「洞窟はほとんど一本道だ。 だが、途中で大きな穴がぽっかりと空いている場所がある。その穴の中の壁にそって、底まで続いているらせん状の階段を降りていけば秘宝にたどりつけるんだが……。 洞窟の中は、どんな風に穴が開いているか分からないから、いつなんとき、どこから水が噴出してきてもおかしくない。 それに、水はきっとその穴へ全部流れ込んでいくだろう。 それが秘宝を取るために潜っている間に穴の天井まで達すれば、ボクたちは……」
悪い冗談でもいうような、皮肉っぽい目つきで彼が言った。
「そ、そんな……! 無茶だよ! 僕達、このままじゃ溺死する」
「現実世界ならそうだろうな。 だが、夢の中だから死ぬことはない。 きっとなんとかなる!」
「……!」
人は極限状態になると、気が狂ったようにどんなことでもできるようになる。 これがその良い例だ。
「わかったよ。 じゃあ僕、全力で戦う」
すると、オッズは頼もしそうに笑った。
「全力で!」