第五十二話−新名の儀式 2−
外は、しんしんと静かに雪が降っていた。
クリスマスも過ぎ、にぎやかにイルミネーションで飾られていた町は、今やその面影すら見当たらない。
カチカチに冷え込んだ空気のせいで、鼻水が垂れてくる。 また風邪をぶり返してはいけないと思って、僕はニット帽をかぶって、厚手のジャンパーを羽織った。
母さんには「図書館に行くから」と言って、断ってある。 本当は、ウィルの家に行くつもりだ。
リトルからは、「迎えの車をだすから、お前の家の近くにある駐車場で待っていろ」と連絡されている。
僕は朝早くから、家のすぐそばにある駐車場へと向かった。
駐車場一体には、雪が降り積もっても、タイヤの跡が汚らしく這っている。
しかし、それほど多くの車は駐車されていなかったので、比較的早くリトルの車を見つけられた。
濃い、銀色の乗用車だ。
僕は、全部座席の脇にある窓の雪を振り払って、リトルに挨拶をしようと試みた。
「リトル?」
しかし、中にいたのは、リトルではなかった。 小柄のおじいさんである。
僕は驚いて謝罪したが、中に居た人物は、僕を引きとめて、ドアを開けた。
「リトル殿の代役としてお迎えにあがりました。 執事のトモヒサ・オオガミです」
彼は、そう言って、僕に挨拶をした。
外国人のようである。 黒いタキシードに、白髪の混じった髪をきっちりと後ろに撫で付けていた。
息が白く、煙っている。
「やることは分かっておりますか?」
「うん、勿論だよ。 でも、一体何をするつもりなの?」
僕がトモヒサから理由を聞き出す前に、彼は車に乗れと指図したので、僕は後部座席に座ることになった。 なんだか、丁寧に扱われている気分だ。 リトルと一緒に車に乗るときとは、感じが違う。 同じ車なのに、と僕は思った。
「なんと説明するのは、難しいですな。 詳しいことについては、あとで分かるでしょう。 とりあえず、出発しますよ」
***
ウイルの家は僕等の住んでいる町から大分なれたところにあった。
標識を見てとるに、ここはもうエディンバラに近いところらしい。
既にお昼を回っている。 この前ここに来たときは、ヘリコプターだったから、それほど時間もかかっていなかった。 ヘリコプターで行ったなら、もっと早くについただろう。 それに雪が降っていなければ、すばらしい景色だって見られたはずだ。 しかし、僕は車酔いのせいで、それどころではない。
時間とか距離がどうであれ、早く車から降ろしてもらいたい一心だ。
ウイルの家に着いてから、僕は玄関先でウィルに迎えられた。
「おはよう、元気にしていたかな?」
「もちろん!」
その、逆だ。
「只今ご到着いたしました」
今のは、トモヒサだ。
すると、奥のほうから、リトルがマツバ杖をついて、出てきた。
「来たな」
僕は、マツバ杖を付くリトルに釘付けになっていた。 リトルは何を考えているのかわからない目つきで、僕のことを見ている。
一瞬の沈黙のあと、ウィルは
「さあ、あがれ。 外は冷えるからね」と言って、今までの空気を取り戻し、僕たちを中へと招き入れた。
まず、玄関の大きさからして尋常ではないと思ったが、家の内部も尋常ではなかった。それにこの前、ヘリコプターに乗せて連れてこられたときに見れなかったものも、多く見れた。
細かいところまで目を配ると、ところどころに新聞紙や雑誌が散乱しているのがわかる。 それ以外にも、変わった形の壷(飾っているわけではなさそうだ)が、所々に置かれていた。 何が入っているのかは、予想がつかない。
僕たちは、ウィルに案内されて、長い長いテーブルのある部屋へと向かった。
天井には、蝋燭が何本も立てられたシャンデリアがぶら下げてあり、右手側の壁には巨大な絵画が。左手側には、雪の降る窓辺が続いている。 絵画を見ていると、今にも吸い込まれそうな錯覚に陥った。
左手側からは、かすかな雪の光が差し込んでくる。 青白い光だ。
僕は、ウイルに案内されて、ドアをあけてすぐのところにある椅子に座った。 対面にもドアがある。 だが、そこまでは十メートルほどありそうな細長いテーブルが続いている。 その先に、ウィルが座った。 リトルは脇に置いてあった別の椅子に座っている。 どうやら、リトルは関係していなく、ウィルは僕にだけ話用あるようだ。
トモヒサは、僕たちがこの部屋に入る前から、さっさとどこかへ行ってしまった。
ウイルが口を開く。
「今日、君がここに招かれた理由は知っているね」
「はい。 新名の儀式……でしょう?」
「そうだ。 君はこの前、参入儀礼を受けただろう」
あのひどい儀式のことか。
「それで、自ずと魔法名が必要になってくる。 新たな世界に入った者は、その世界での目的を明確にするのが、魔術師としての常識だ。 そうしなければ、次のステップには進めないからね」
なるほど。 魔法名とは、ただの魔術師としての名前とは違うようだ。
ウィルがそこまで言うと、背後からドアをノックする音が聞こえてきた。 彼は「どうぞ」と一言口にすると、背後のドアに開かれた。 僕は振り返る。 さっきまでいたトモヒサだ。 銀色の洒落たカートを引いている。
トモヒサは丁寧にドアを閉めた後で、僕たちのいるテーブルまでそれを運んだ。
まず最初に、僕のところへきて、カートに乗っているものを次々と僕の目の前に置いていった。
紅茶のカップに、ナプキン、スプーンと……砂糖菓子が出される。
砂糖菓子なのか、よくわからない。 ハートやクローバーの形をした白い塊だ。 もしかしたら紅茶用の砂糖なのかも。
つづいて、トモヒサは、ポットに入っていた紅茶を、僕のカップに注ぎ始めた。
甘い芳香がほんのりと漂う。 トモヒサは
「インドのセイロンティーでございます」と言って、軽く一礼した。
「次のステップというのは、つまり魔術師として、人間として成長するということだ。 あまり堅苦しく表現したくはないのだが、やはり魔術師としての仕事を行っている以上、成長しなければ、やっている意味が無い。 それを望まなかったら、ただの趣味と一緒だ」
なかなか厳しい発言が出てくる。
そもそも、まともに働いたことすらない僕に、魔術師は仕事だ、などと言われても、いまいちイメージがつかめない。
僕は、しばらく黙っていた。
「まあ……百聞は一軒にしかず、というな。 実際に身体で覚えるのが良いだろう」
ウィルはそう言って、立ち上がった。
「私に着いてくると良い」
背後にあるドアを開けている。
最後にウィルは、僕に顔を半分だけ向けて、ウィンクをした。