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俺(の)小説  作者: 木下秋
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 体感的には、一ヶ月近く降り続けていたような気がする。


 俺は雨が好きじゃない。もちろん、雨の重要性は知っている。でも、雨に付随する物が好きじゃない。それは、異臭を放つ雑菌やカビが繁殖すること、皮膚がベタベタとすること。まず朝起きて、部屋が薄暗いということ。洗濯物が乾きにくいということや、外に出れば靴や鞄が濡れるということ。なんせ、靴や鞄は簡単に丸洗いできないし、洗ったとしても雨が続けば乾かないし、型崩れは怖い。靴や鞄は、それなりに金額的にもする。もういい歳だから、それなりのカッコイイものを買う。俺は靴や鞄が単純に好きなのだ。自分の好きな色遣いの靴や鞄を身につけて、外に出るのが好きなのだ。ブラシを持ち歩く程に。お気に入りの靴や鞄はずっと綺麗なままにしておきたい。


 経年劣化によって味が出るのは良いけれど、濡れてぐちゃりとするのは堪らなく嫌だ。だからもう、雨の日には外に出たくない。みんな休めばいいのに、本気でそう思う。濡れてまで外に出ることはないと。けれど、雨でも仕事に行かざるを得ない。なぜなら、みんなはそれでも仕事に行くから。この資本主義の社会においてーームツカシイことは実はよくわかってないし、俺はそこまで頭が良い方ではないんだけれどもーーみんながみんな競争しているから、必死で競いあっているから、雨の日だって外にでるCの為に、Bだって雨の日も営業しなくちゃならない。祝日だって大晦日だって、新年早々だって働かなきゃならない。みんながみんな……一生懸命でないと、生きられない世の中だから、そうでないと勝てないから、みんな嫌でも、雨の日でも働かなきゃいけないんだ。(まぁ、みんながみんなそこまで雨が嫌いじゃないんだろうか。あと、別に一生懸命でなくても悠々と、幸せに生きられる人だってたくさんいるんだろう……)強いられている。雨の日にだって、働くことを。


 俺はよく、「俺は雨が嫌いだ」って言ったあとに、「あなたが思っているよりももっと強く、雨が嫌いだと思っている」と言う。それは、誤解されたくないからだ。普通の「嫌い」じゃない。「すごく嫌い」なんだ。疲れて帰ってきて、ティッシュを一枚引っ張れば湿っている。ベッドに寝転がれば、シーツが湿っている。窓を開けても、部屋のドアを開けても湿気が沈殿しているあの感じが、もう嫌だ。雨が嫌いなんだ。俺は全ての行動を、『雨天中止』したい。


 こんなことを言ったら、みんなに「甘い」と言われてしまうのだろうか。「怠け者め」とか、「そんなだから就職もできなかったんだ」とか言われてしまうんだろうか。恥ずかしいことを言っているんだろうか。でも、雨の日には何処かで雨宿りでもして、本でも読んで止むのをひたすら待って、晴れたら行動すればいいじゃないか。何も雨の日に外に出ることはないじゃないか。だって、靴や鞄が濡れてしまうじゃないか。……俺は変なんだろうか。



 台風が来た日、俺は傘をさして会社へ向かった。自転車を駐輪場に止めて駅まで歩くと、駅へ向かう道に行列が出来ていてなんだか嫌な予感がした。みんな傘を差して、二人に一人は携帯電話を耳に当てて「遅れそうで……」「すみません……」と言っている。


 駅の全貌が見えると案の定、その行列は駅に入る為の行列だった。近くにいたおじさんに聞くと、ホームがいっぱいだから入場規制をしている、電車もなかなか来ない、と言う。はぁ……。俺は参ったね、と肩を落として、駅の階段の下で雨宿りをした。


 高校生やらサラリーマンやらでそこはいっぱいで、俺はそこのちょうど一人分入れる所に身体を滑り込ませると、空を見た。灰色の空から、無数の水滴が呆れるほどに降ってくる。俺はまず、会社に遅れる旨を電話して、そこで三十分待った。もう、帰りたくって仕方なかった。でも、仕事は仕事だ。別に俺一人行かなくたって特に問題もないだろうけど、俺は舐められるのは嫌なんだ。「えっ、アイツ雨で休んだの?」と、見縊られることが我慢ならない。怠け者なのに、負けず嫌いだというのもなんとも矛盾していて、我ながら変だなぁと思うけれど、でも人間ってそういうもんなんだろうとも思う。大多数の人が余計な干渉はされたくない、気楽に、一人でいたいと思いながら、誰かを愛したいし愛されたいと強く願い、さみしさを心に抱えているように。



 俺は行列には並ばず、駅のすぐ近くの喫茶店に入った。中にはくたびれた様子のサラリーマンが何人か居て、ノートパソコンを叩いていたり、店のテレビでニュースを見たり、電話で「いやぁ、参ったよ」なんて言っていた。俺は一番奥のテーブルに案内される。赤い起毛のソファに腰を沈めると、灰皿を手元に寄せてまず一本、煙草に火を付けた。目の前の窓からは駅に入る為に並んでいる人たちが見えて、少し優越感に浸る。こちとら、もうちゃんとした時間に着く気もないから、もう開き直ってゆっくり煙を吸った。天井に向かって吐くと、その古い喫茶店では換気扇も回ってないみたいで、煙はスロウに膨らみ、漂い舞った。禁煙も分煙も無い。電球が白い光を放っていて、そのすぐ近くの、宿主がもう長くいないと思われる蜘蛛の巣を光らせていた。俺はもう一度煙を吸って、ふぅぅぅ、と吐く。不謹慎だけれど、原爆が炸裂するのを真下から見てるみたいな、煙の広がり方だった。


 モーニングのBセットを頼んで水を飲んでいると、店員のおばあちゃんが「アレ、Aだっけ? B?」と聞いてくる。俺は「ウン、どっちでもいいや」と笑いながら言う。煙草の先端から出る帯状の煙はスゥー……と五センチほど昇ると、途中でクルクル、チリチリと回る。その様子がすごく綺麗だった。結局、来たのはAセットだった。まぁいいや、と思いながらトーストを齧って、ゆで卵を剥いて、ジャムを塗った。サラダには缶のものと思われる薄皮の剥けたオレンジが一粒と、三分の一くらいのバナナが入っていて、へぇ、となる。食べたら別にそこまでおかしくなくって、モーニングは十分くらいで平らげた。美味しかった。


 行列がやがて無くなってトイレを済ますとーー苦手な和式で面食らったーー駅に向かう。しかし、ここからがまた苦難だった。行列が無くなっていて油断していたが、結局改札の前で待たされたのだ。二十分くらい待ってようやくホームにまで辿り着くも、やはり電車はなかなか来ない。ようやく来た! と思っても、人でパンパンで乗れそうもない。もううんざりだ、とばかりに、俺は列を離れた。


 俺は自分の時間の価値を想った。限りある人生の一瞬を、ジメジメとした駅のホームで延々と電車を待つことに使うだなんて……! なんてもったいない。それも、行きたくもない仕事の為なんかに。……一つ言っておくと、今の職場と仕事内容にそこまで不満があるわけじゃあない。でも、仕事に人生を費やす気はさらさらない。一生物らしく人生を全うしたいだけだ。つまり、美味しくご飯を食べて、安らかに眠ることこそが、俺にとっての幸せなのだ。もう、ホームに寝転んでしまいたい。そう、本気で思った。


 仕事とはいえ、いつ切られたって不思議じゃないしがないアルバイトだ。もう、今日は休んでしまおうかしら。そう思って会社に二度目の電話をするも、俺は「昼頃までには……」と言っていた。「今日は休みます」と言ってのける程の勇気もない。俺は気分を悪くしながらも会社へ向かった。その駅発の、空いた電車を待って。結局、会社に着いたのは十二時だった。駅で二時間待って、一時間かけて行ったことになる。着くとまず、俺はなんと挨拶するべきかを迷った。「おはようございます」か。「こんにちは」か。「お疲れ様です」か。なんと言うべきか。迷った挙句、俺は小声で「はざぁ〜す……」と呟きながら自分の席へ向かった。やっぱりみんなちゃんと揃って会社に来ていて、自分の席に座って黙ってパソコンに向かい、一心不乱にキーボードやらマウスを叩いている。入って一ヶ月ちょっとの職場で、「大変だったね」だとか「遅かったな」という一言もかけられないことを少し寂しく思いながら、「じゃあまずはコレやって」と事務的に言われた言葉に「ハイ」と返事をし、俺は早速仕事に取り掛かった。


 二十時過ぎに職場を出ると、外はもう真っ暗だが晴れていた。すぐ地下に潜って、電車に乗る。家に帰ってくるともうすっかり俺もくたびれていて、もたもた夕食を食べていると母は、


「バカだねぇ、あんた。バイトなんだから休んじゃえばいいのに。◯◯(弟の名)なんて起きてすぐ学校休むこと決め込んで寝てたよ」


 と言った。電車が動いていないことはニュースでもやっていたからだ。


 俺は本当は怠けたい。ずっとだらだらとしていたい。でも、ずるいことが嫌いで、潔癖な所がある。だからそれで損をすることもままある。でも、俺はもうそれは仕方のない事だと思っている。それが、俺の生き方なのだと。


 でも、その日の夜の眠る時。なんとも情けのない話だけれど、なんだか無性にやるせなくって、まくらを抱きしめた。結局、俺は誰かに「がんばったね」と一言、言って欲しかったのだと。そんな恥ずかしいことに、気が付いてしまったのだ。


 雨の日に会社に行く事は当然なのだろう。電車が動き出すまで待つ事は当然なのだろう。だから、褒められるようなことではない、わかっている。でも、それでも俺は、心の底では誰かに認めて欲しかったのだと思う。誰かに頭を撫でて欲しかったのだと思う。


 二十五になる不細工な男がこんなことを言うのは気持ちが悪いだろうか。認められないだろうか。不快だろうか。


 いい歳して小説家を目指していることは痛いことだろうか。


 いつも他人の目が気になってしょうがない。誰かに見られるのが怖いと思いながらも、でも誰かに見つけて欲しい、認めて欲しいと思っている。


 どうしようもない矛盾を抱えながら、毎日を生きている。



 神を信じない人間は、信じる人間に比べて不幸な人生を送るという。

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