第一話 前世の記憶と異世界のヤンデレ
「・・・上。私は・・・あ・・・を」
何?何を言っているんでしょうか。
目の前の、聖王によく似た男の人は、僕に何を言いたいのでしょうか。
僕の頬をその優しい手のひらが撫でます。
まるで猫の様に僕はその手のひらに擦り寄ります。
ああ、気持ちいい。とても、嬉しいです。
もっと、もっと撫でて下さい。
「・・・上。愛して・・・」
愛している?僕を好きだと、大切だとそう言ってくれているんでしょうか。
聖王に似ているという事は、僕の大切な弟に似ているという事です。
そんな人に好意を寄せられるのは、とても嬉しいです。
・・・あれ?でも何で僕はこの人が聖王ではないと思ったのでしょうか。
普通に見ればこの人は僕を母と呼んだ、あの聖王です。
そう言えば、ザクロという名前でしたね。あの人は。
この人の名前は何と言うのでしょうか。
僕の頬を撫でていた手がゆっくりと首、鎖骨、胸、そしてお腹へと降りてきました。
この人は何をしたいんでしょうか?
そんな事を思って、僕はその手の行方を追って行きました。
そしたら、少しだけ僕のお腹は膨らんでいました。
「私た・・・い子で・・・」
ああ。成る程。今僕の中にいるのは聖王ザクロなんですか。
それは、とても素晴らしい事ですね。
僕の、“妾”の中に子が、いるんですね。
ああ。愛しい。愛しい子。
“妾”はこの子を産める事を誇りに思います。
“妾”はくすくすと笑いながらザクロに似た彼の手に自分の手を重ねました。
「・・・マリア」
マリア?聖母と言えばそうですね。
ああ、そういえば、本当に貴方は誰なんでしょうか。
僕ではない誰か。
ザクロの母であった時の“妾”。
そんな僕をそんなに愛しそうに見つめる貴方は、一体誰なんでしょうか?
「貴方は、だれ?」
そう呟いた時、その人は嬉しそうに微笑みました。
まるで、僕がその人の名前を呼び返して愛していると言ったかの様に。
ピチチチ。
どこからか鳥の鳴き声のようなものが聞こえました。
ゆっくりと目を開ければ、先程傍に居た人は夢の中の人なのだとすぐに分かりました。
もしかしたら、あれはザクロだったのかもしれません。
僕は夢を見ているだけだったから、ザクロをザクロと認識出来なかったのかもしれません。
あれです。きっと僕がザクロの母だった頃の記憶なのかもしれません。
千年も前の出来事なのですから、ザクロだって少しは変化している筈です。
・・・あれ?何で僕はナチュラルに前世?的な事を受け入れているんでしょうか?
「起きましたか。母上」
「・・・ザクロ?」
僕は自分が寝ていたベッドからは寝ている状態では見えなかったけれど、ザクロはずっとこの部屋にいたみたいです。
ゆっくりと身体を起こしたら、ザクロの赤い瞳が僕を優しげに見つめていました。
僕がザクロの名前を読んだ時、ザクロの瞳は嬉しそうに細められました。
あ、れ?何でしょうか?僕は正真正面男なんですが、ザクロのその表情には少しばかりドキリとしました。
少女漫画でよく見る、ヒーローがヒロインに向ける表情にとてもよく似ていたからだと思います。
駄目です。もう駄目です。
雑誌上や映画とかアニメとかでもあんなにドキドキするのに、実際こんな風に見つめられると、心臓がおかしくなってしまいます。
ザクロは恰好良すぎます。
「私の名を呼んで下さるんですね。母上」
「え、あ、ごめんなさい。王様なんだから、聖王って呼ばなきゃだめだよね・・・?」
今気付きました。
僕は確かに召喚された、勇者と言う身分?を持っていますが、ザクロは王様なんです。
呼び捨ては失礼でしたね。
「貴方は私の母なのですから、お好きな様にお呼びください。私も貴方に名を呼ばれないと寂しい」
うわぁ。そんな捨てられた仔犬の様なオーラを出す事が出来るんですね。
怖いです。もう実際こんな存在がいたら怖いとしか言えないです。
心臓が壊れてしまいます。
僕の可愛い弟も、大きくなったらこんな感じになるんでしょうか?
髪と瞳の色が違うから、雰囲気も違うんでしょうね。
でも、弟の将来が有望でとても嬉しいです。
「ざ、ザクロ・・・?」
「はい。母上」
イケメンと言う言葉を超越する微笑です。
こんなの向けられたら本当にドキドキし過ぎて直視出来ません。
だからちょっと視線を逸らします。
これで一応は大丈夫。
そう思っていたらザクロは僕が座っているベッドに乗りかかって来ました。
え?え?
僕が混乱していたら、ザクロは僕の肩をゆっくりと押し、僕をベッドに押し戻しました。
そして、今気付いたんですけど、僕、服が変わっています。
まあ、眠っていたのですから、学ラン着ていても良くないですけど、それでも、なんか普通の服とは違う様な、そんな感じがします。
それに何より、ザクロは僕の肩に直接触れたんです。
素肌に直接ザクロの熱い手のひらが触れて、自分の体が少し冷えていた事に気が付きました。
「冷えていますね。空調を変えましょうか」
「ザクロ、あの、僕」
「母上。私から目を逸らさないでください。私だけを見ていてください」
そう言う瞳が、どこか怪しげに揺れていたのが、何と言うか、怖いんですけど、どうしても目が離せない、不思議な魔力?引力?があります。
魔力と言ったら、聖国の人にはきっと失礼なんでしょうね。気を付けたいです。
「貴方の瞳が写すのは、私だけでありたい。私も、貴方だけをこの瞳に写したい。・・・けれど、そんな事になったら貴方はきっと寂しがるでしょうね」
ええ。寂しいです。
ザクロの綺麗な瞳だけを見ている生活もきっと楽しいんでしょうが、僕としては他にも家庭科部の皆や、時雨くんたちとも話したりしたいです。
「・・・いっその事、目隠しでもしてみますか?」
「そ、それはちょっと」
倒錯的な生活が過ぎるのではないでしょうか?
そんな思いを込めて嫌がっていれば、ザクロはふっと笑って言いました。
「冗談です。そんな淫らな姿、他の誰にも見せる訳ないでしょう」
「ザクロでも、いやです」
普段前髪で目隠ししていた様なものでしたが、案外本人的には周りはちゃんと見えていたんです。
だから、そんな目隠しだなんてさせられたら、きっと怖くて泣くでしょう。
というか、淫ら。
まあ、確かに聖国と銘打っているんですから、そういう規制も厳しいんでしょうね。
少女漫画では案外基本ですが。
「嫌がるのを無理強いするのは楽しそうですが、私もまだ母上には早いと思いますから。我慢します」
まだ?まだと言いましたか?
これから一体何をされるのか、とても怖いんですが。
我慢。の一言がとても低くて甘いので、何と言うか、大人だなぁって思います。
僕は、というか僕達は高校生なので、まだそこまで大人という訳ではありません。
最年長の雲雀くんだって、結構子供っぽいですから、あんまり低くて耳に馴染む様な大人の男性の声をそんな至近距離で感じた事はなかったんです。
あ、それにザクロは単純に考えてもう千年は生きているんですよね。それなら大人で間違いないです。
・・・ん?あれ?なんでザクロの手は僕の着ている服?服と言うか、ドレス、に思えるんですが。
まあ、とりあえず服に手を差し入れているんでしょうか。
しかも、肩からゆっくりと胸の方に手が差し込まれていきます。
「ざ、くろ?」
「やはり、冷えていますね。湯浴みをしましょう」
湯浴み。お風呂ですか。
お風呂は好きです。気持ちいい。
でも、バスタブで足を延ばせないのが難点なんです。
銭湯ならきっと伸ばせるんでしょうけど、髪を洗っている時に顔が見えると変な目で見られるんです。
そんな事を考えているのがバレたのか、ザクロは微笑ましそうに僕に言いました。
「大丈夫。母上でも足をゆっくりと伸ばせますから」
「・・・うん」
「さあ、私の肩に手を」
ザクロの肩に手を回してしがみ付いたら、抱き上げられてしまいました。
所謂お姫様抱っこという奴です。
ザクロの顔がすぐ近くにあって、僕の肩や膝の裏に手が回っているのがなんとも、萌えます。
このアングルで写真を撮りたいです。
じっと見つめているとふっ、と微笑む所も、ポイントが高いです。
ああ、本当に僕じゃなくて他の可愛らしい女の子にこういう事をしていれば良いと思います。
そうすれば、僕は横から見つめて少女漫画的シュチュレーションに萌えまくると言うのに。残念です。
男の僕にしても、何の意味もないでしょうに。
「そんなにも熱い視線を向けられてしまえば、このままずっと腕の中に閉じ込めてしまいたくなります」
ああ。駄目です。
本当に、ザクロは狡い人です。
そんな顔で、そんな表情で、そんな声で、そんな事を言われてしまったら、僕は、僕は。
「母上?顔が赤いですね。冷えて熱でも」
「みないで。はずかしい」
僕はザクロの胸に顔を寄せました。
どうしてなのかは分かりませんが、僕は今ザクロの顔を直視できません。
目を逸らしたらまた、あんな風にザクロの瞳が妖しく揺れるのでしょうか。
それは見てみたくもありますが、それでも、今の僕には少し難しそうです。
だから、こうしてザクロにしがみついていれば、きっと、大丈夫な気がします。
「・・・母上」
「なに?」
「バスルームに着きました。既に湯を張ってありますので、服を脱いですぐに入ってください」
ふわりと床に降ろされて、少しよろめいてしまいました。
別にザクロの降ろし方が悪かった訳ではありませんが、ずっとベッドで寝ていたから、ふらついてしまったんでしょう。
ザクロは僕の体をちゃんと支えてくれました。
「ああ、髪を結わなくてはいけませんね。母上の美しい髪が傷んでしまう」
「そうだね。一人で出来るかな?」
「侍女を一人付けましょう。大丈夫。信頼できる者です。母上に害をなす事はありません。・・・私たちの邪魔をする事も、あり得ません」
邪魔。邪魔とは何でしょうか?
別に話すのを邪魔される事なんてない筈です。
話す時人がいっぱいいる方が楽しいと思うんですが、ザクロは違うんでしょうか。
・・・ああ、そうでした。ザクロは王様ですから、あんまり気を許せる人はいないんでしょうね。
というか、気を許し過ぎるのも問題なんでしょう。
「ザクロ。お風呂入るから、その、出てって・・・?」
服を脱ぐ姿をじろじろ見られるのは嫌です。
顔をじろじろ見られるよりはマシですが、何と言うか、ザクロは視線が妖しいです。
ザクロに顔を見られても良いのは、ザクロが僕の弟に似ているから、だと思います。多分。
「一人で髪を洗う気ですか?」
「う、」
痛い所を突かれました。
確かにこの髪を一人で洗うのは無理です。
でも、その、・・・いえ、男同士ですから、大丈夫です。気にしません。
ただ、いつもプールとか体育で着替える時、皆にじろじろと見られていたのは、少しばかりトラウマと言いますか。
只でさえインドア派ですからね。夏なのに真っ白いとやっぱりじろじろ見られてしまうのは当たり前なんでしょう。
「私も脱ぎますから、大丈夫です」
「あ、ならいっか」
あれ?良いんでしょうか?
よく分からなくなりましたが、とりあえず服を脱ぐ事にします。
出来れば目線をそんなに合わせたくないので、後ろを向きます。
・・・あれ?下着も別の物に変わっています。
なんか、気付いてはいけない事に気付いたような、そんな気分です。
一応脱ぎ終わって、浴槽に先に入るか、それとも体を洗うか。
普通なら体を洗う事の方が先ですが、今は体を温める事を目的としているんですよね。
うーん。どうすれば良いんでしょうか。
そんな事を考えながら僕は大きな浴槽を見つめました。
所謂猫足バスタブというやつです。
しかもかなり大きい。
2メートルぐらいあるんじゃないでしょうか。もしかしたら、もっと大きいかもしれません。
うきうきしながらバスタブに近付くと、後ろからザクロの手が伸びてきました。
「ザクロ?」
「髪を先に濡らしてしまいましょう」
振り返れば、ザクロの均等に筋肉が付いた、所謂細マッチョと言うべき肉体が飛び込んできました。
所々に傷がありますが、それはやっぱり戦争とか、訓練とかで付いたんでしょうか。
勿体無い。と思うよりは、そういうリアルな感じが余計にドキドキします。
シャワー、っぽいけどどこか違う。そんな物で髪をゆっくりとお湯で濡らされました。
ああ、重たいです。
急にこんなに伸びたんですから当たり前ですけど、それでも濡れると余計に重たい。
「濡れると余計に美しいですね」
手櫛をする様に僕の髪に指を滑らせるザクロの手に、何だか夢で見たあの人の事を思い出しました。
そういえば、あれは本当に、誰なんでしょうか。
僕にも、弟にも、ザクロにも。色んな人に似ている人でした。
あの手は、とても優しくて、触れられるととても嬉しかった。
ザクロの手と一緒です。
「ザクロ」
「何ですか。母上」
「夢を見たんだ」
「夢、ですか。どんな夢を?」
「ザクロによく似た人が、僕の頬やお腹を撫でる夢。なんとなく、ザクロがお腹にいる様な気がしたんだ。あれは、誰?」
ただの疑問です。
ただの、純粋な質問。
僕はあれがザクロだと思っています。
ザクロによく似ていましたから。
でも、似ているという事は、違うのではないか。とも思います。
でも、僕にはよく分かりません。
だから、そう問いかけたんですが、ザクロは僕の事を背後から強く抱きしめました。
急な事で、とても驚いていますが、それでも、ザクロが甘えている様な気がしたんです。
「母上」
「ザクロ」
「母上」
「どうしたの?ザクロ」
僕の可愛い、ザクロ。
何度も母と呼ばれます。
それに毎回返事をすれば、痛いぐらいに抱きしめられていた腕が、少し緩んだ気がしました。
何と言うか、男同士でも、裸で抱き合う構図というのは、少し、あれです。
「母上は、母上にとっての一番は、私でしょう?」
「ザクロ?」
「私は、母上にまたお会いする事だけを考え、千年の時を生きていました。母上の腹にもう一度戻り、また生まれてくる日を、待っていました。私の一番大切なものは、母上なんです」
「ザクロ。僕は」
「あんな、あんな男よりも、私を。目の前にいる私を。貴方を大切に守る事が出来る私を。貴方を傷付けたあんな男よりも、貴方を誰よりも愛する事が出来る私を、愛してください」
何と言うか、こんなにも男の人に密着されたら、例えイケメンでも普段なら怖いと思う筈なのに、どうしてか、今はそんな気分になれませんでした。
むしろ、思いっきり甘やかして、抱きしめて、名前を呼んで頭を撫でてあげたいのです。
そう。まるで、泣いてぐずる子供をあやす母親の様な、そんな気分です。
僕の弟は、幼い頃からしっかりとしていました。
けれど、僕の事だとすぐに機嫌が悪くなるんです。
僕が好きな少女漫画のヒーローのカッコよさを語れば拗ねて。
数少ない男友達の話をすれば拗ねて。
僕が誰かにあげるのだと、何かを作っていれば、拗ねて。
なんというか、僕の関心が常に自分に向いていないと嫌だというのは、ザクロも弟も一緒ですね。
「ザクロ。そっちを向いても良い?」
「・・・はい」
腕が緩められ、僕はザクロと向き合いました。
そして、ザクロの背中に腕を回します。
とんとん。とゆっくりと撫でて、ザクロの名前を呼びます。
「ザクロ」
「はい」
「ザクロ」
「はい」
「僕の、可愛いザクロ」
「・・・母上!」
可愛い、というのがポイントだったんでしょうか?
よく分かりませんが、機嫌が治ったみたいで良かったです。
けど、いくら空調が良くても、長時間裸でいたら、少し体が冷えます。
「くちゅんっ」
「ああ、母上。冷えてしまいましたね。髪も、もう冷えてしまっている」
ああ。確かに髪を濡らしたのも余計でした。
ザクロは僕に浴槽に入る様に促し、ザクロも入って来ました。
ああ、やっぱり細マッチョは良いです。素敵です。
けれど、この体勢だと、その、足を伸ばせるは伸ばせるんですが、何と言うか、その素晴らしい肉体を直視するのは少し、目に毒です。
それに何より、僕としてはザクロをもう少し甘やかしたい所なんです。
バスタブの中に向かい合っているのも少し、違いますよね。
僕はザクロの方に近付いて、胸に背中を預ける様にして、ザクロの足の間に座りました。
「母上?・・・その、これは」
「もう少し甘やかされていて」
顔を後ろに逸らし、ザクロの顔を見上げます。
ザクロの頬に左手を添えて、猫を撫でる様に撫でてみれば、嬉しそうに顔を綻ばせました。
可愛いです。
そんな事を思ってくすくすと笑っていたらザクロが僕の手を掴み、指先に口付けを落としました。
「ザクロ?」
「母上は、本当に、愛らしい」
そのまま指の付け根にも口付けを落とされ、左手の薬指に噛みつかれました。
「っ!」
少しピリッとしましたが、でもどこか、懐かしい様な、そんな感覚。
『愛しております。・・・上』
あ、れ?いま、何か聞こえた様な。
そう。幼いザクロの幻覚が見えた時みたいな、そんな感覚でした。
「母上の左手の薬指には、黒子があるんですね」
「え?あ、うん。あるよ。なんか、そこに指輪を入れるって感じで、ロマンチックだなって前から思ってたんだ」
そう言うと、ザクロは少し難しい顔をした後、にっこりと、どこか怖い雰囲気を持った笑みを浮かべました。
「いつか私が指輪を贈っても良いでしょうか?」
「ん、あ、いいけど」
良いんですが、それは意味を分かっているんでしょうか?
ああ、でも異世界の人ですから、意味が違うのかも。
「婚約指輪。ではありませんがね」
くすり。と笑った時のザクロの表情は、綺麗なのに、とても怖かったです。
ヤンデレ、っぽいでしょうか?
どうでしょうか?
とりあえず、甘い雰囲気とソフトヤンデレということで。