第八話 それはある意味王道的展開
「・・・あ?」
「え?」
高そうなドレスで木の上に登っていた僕と、そんな僕を木の下から見上げて、状況が飲みこめていない男の人。
僕達はお互い目を合わせて硬直していました。どうしよう。なんて事も考えられないぐらい、僕は動揺していました。
そんな時、ジュリアの声が段々近づいて来たのが分かって、僕は思わずそれに反応して振り返ってしまいます。
バランスを崩して、木の上から落ちてしまうのも、仕方がない位僕は迂闊でした。
これから訪れるであろう衝撃と痛みに供えて、僕は歯を食いしばりながら、目をギュッと瞑りました。
けれど、覚悟していた痛みは僕を襲う事はありませんでした。
「大丈夫か?」
低くて優しい声に恐る恐る目を開ければ、深い緑色が見えました。
とても、綺麗な色です。
それが、さっきの男の人の瞳だと、僕は暫く気が付かなくて、ぼうっと彼を見つめていました。
「おい、アンタ、もしかしてどっかの姫かなんかか?」
「え?ち、違うよっ。僕は・・・」
彼の言葉を否定しようとしましたが、今の僕自身の現状をどういう言葉で表して良いのかよく分からず、少し黙ってしまいました。
姫ではありませんが、そんな扱いは受けてはいますからね。
それに彼は何かを悟った様な顔をしていましたが、僕はジュリアの声がさっきよりも近くから聞こえて来て、一気に焦りました。
「あ、あの!」
「お、おう」
勢い余って彼に縋り付いてしまい、それに少し驚いたらしい彼は少し顔を赤くしていました。
けれど、僕は今そんな事に構っていられません。非常事態なんですから。
彼の瞳を見つめて、縋り付きながら、お願いしました。
「お願い。僕を連れて逃げて」
「・・・は?」
「早くっ!」
僕の声に急かされた彼は判断能力が落ちていたのでしょう、僕を抱き上げて馬に乗せると、彼も馬に跨り、僕を外套の中に隠してくれました。
結界対策はこれでバッチリだと、何となく思いながらも、初めて乗る馬の振動に驚いて彼の体に腕を回しました。
服の上からでも多少は分かりましたが、こうして触ると本当にがっしりしていますね。
紅火ちゃん辺りが今の僕の位置だと凄く可愛いのに。残念です。
それに彼が声を上げましたが、とりあえず結界を潜り抜けた感覚を感じ、安心しながら、そのまま外套の中で彼に抱き着きながらとりあえず彼の行き先に付いて行こうと思います。
何となく、危ない人ではないと僕の勘が告げてきますので、僕は彼の体に回した腕を緩めない様にもっとピッタリと彼にくっ付いていたら、とくん。とくん。という心臓の音が聞こえてきました。
少し早いのは馬に乗っているから、でしょうか?
それがどうしても心地よく、僕の瞼がゆっくりと降りて行くのが分かります。
ああ、今寝てしまったら、またしばらく起きられないのに。
そんな事を考えながら、ジュリアを撒いた時の事が頭の中で再生されました。
「白雪さま。あの花は聖法を使う上で補助になるものなんですよ」
真っ白い、僕達の世界の薔薇とは少し違う、この世界の薔薇。
優しい甘い匂いがする花を指差し、僕を気遣いながら使用方法についてジュリアは説明してくれました。
けれど、その声は僕にはあまり届いてはいませんでした。
石鹸や化粧水に加工する事が出来るそうなので、少し気にはなりますが、僕としては今あまり食い付きたい様な話ではありませんでした。
ザクロに噛みつかれた首筋に残る歯型。これは別に気にしている訳ではありませんが、何となく、ザクロがそろそろ手遅れな方向に向かっている様な気がしてならないんです。
ヤンデレだなぁ。とは何となく思っていました。
同じ顔とは言え、あそこまでのイケメンですし、なにより一応僕はザクロのお母さんですから、特に気にする事ではないと思っていたんですけど、それでもこの前のは少し、そう。少しアレです。
そんな事を考えながら、何となく花に近付いてみると、ドクン。と心臓が強く鐘打つような気分になりました。
ドクン。ドクン。
体中の血液が、反応しています。
この花に、何があるのでしょうか?
花に吸い寄せられる様に花に触れれば、チクっと、指先に痛みが走りました。
「白雪さまっ!ああ、棘が生えているものが混ざっていたんですね。今すぐ治療いたします」
「・・・ジュリア」
ジュリアが聖法を使って僕の怪我を治そうとしてくれていましたが、僕の身に起きている変化には気が付いていない様でした。
僕の指から赤い雫が零れ落ちます。
何故だか、僕の血から、あの花と同じ様な、けれどその匂いをもっと凝縮した様な、甘ったるいと言って良い様な、そんな匂いがします。
ジュリアは、気付いていないんでしょうか?
こんなにも、甘くて、酔ってしまいそうな匂いなのに。
僕の指が光に包まれ、それがジュリアの聖法だと分かります。
けれど、上手く怪我が治りません。
どうして、でしょうか。
ドクン。ドクン。
身体が、いえ、血が、熱い。
燃える様に、熱い。
この感覚、どこかで・・・?
『・・・上。どうして・・・!』
何かが思い出せそうな、そんな感覚になりました。
視界がぼやけると言うか、なんというか、まるでテープが擦り切れたビデオを見ている様な、そんな感じです。
いつか見た夢の中で見た、ザクロに似た人。
あれは、ザクロではなかったんでしょうか?
彼が、何かを言っています。
悲しそうな顔で、何かを言っています。
何を、言っているんでしょうか。
どうして、そんなに悲しそうな顔をしているんでしょう?
口が、勝手に動きます。
僕は、今何を言おうとしているんでしょうか?
よく分からないまま、何かを言おうとしていた時、ジュリアの声が聞こえて来て、現実に引き戻されました。
「白雪さま」
治療をしている筈なのに、血が止まらない僕の指を見て困った表情を浮かべているジュリアに僕は微笑みました。
「大丈夫」
何が大丈夫なのか、僕自身も分かりませんでしたが、僕の言葉を聞いたジュリアはぼうっと、まるで立って目を開いたまま眠っている様な状態になりました。
ジュリアは確かにここにいる筈なのに、ここにいない。
僕は心配になりましたが、指から溢れていた血が止まっているのに気付き、安心しました。
あんなにジュリアが心配してくれていたんですから、良かったです。
だからそれをジュリアに教えようと声をかけようと思いましたが、今、僕はとんでもない好機に立っているのではないのでしょうか?
僕はジュリアがいないとどこにも行けません。
けれど、それはジュリアが僕を見張っているという事でもあるんです。
幸い、ここにはジュリアと僕以外に誰もいません。
僕がいる時、人払いをしているらしいんです。
僕の存在を公にしない為に。
ですから、今、ここでこの城を抜け出せば、「聖母と銀の薔薇」の公演が見に行けるのではないのでしょうか?
嗚呼、今悪魔が僕の耳元で囁いています。
とても抗いがたい誘惑です。
葛藤なんて時間の無駄ですね。
僕はそのままジュリアを置いてその場所から逃げ出しました。
ある程度離れてもジュリアはそのまま眠った様な状態のままです。
僕の方からもジュリアが見えなくなった頃、ようやくジュリアの声が遠くから聞こえてきたので、とりあえず、こそこそと隠れながらこの城から逃げ出す方法を考えましょう。
遠くの方から僕の名前を呼ぶジュリアの声を聴きながら、僕は覚悟を決めます。
もう、後戻りは出来ません。
今ここでジュリアの許に戻ってしまえば、きっとザクロは僕をあの部屋から一生出さなくなるでしょう。
・・・飛躍し過ぎ、とも思えないので、僕はそのまま隠れながら動きました。
本当に人がいなくて良かったです。
もちろん、ずっと逃げ出したままと言う訳にもいかないのだとちゃんと分かっています。
それでも、こうして外を見てしまえば。
目新しさしかない景色を見てしまえば、この足は勝手に動き出します。
ジュリアが眠ったあれは、もしかしたら僕と妾が同化し始めている前兆なのかもしれません。
同化。もしかしたら適切な言葉ではないのかもしれませんね。
妾が完全に目覚めた時、僕がどうなるかなんて、誰も教えてくれていないんですから。
ザクロも、ジュリアも、信頼できる人は誰も、教えてくれませんでした。
特に気にする事ではないのかもしれません。
僕と妾は共存していく事が出来るのかもしれません。
けれど、もし、そうじゃなかったら?
そこまで考えて、僕は頭を振ります。
今、考えても仕方のない事ですし、考えている隙にジュリアに見つかってしまったら大変です。
息を殺しながら・・・と言ってもそんな事をする意味はないのですが、とりあえず気分だけでも見つからない様にしてみます。
ジュリアの声はまだ遠くから聞こえます。
僕はどうやったらこの城の外に出られるか考えて、手頃な木を見付けました。
あの木に登って周りを見渡せば、どこか僕の力でも潜り抜けられる場所を見付けられる筈です。
目を凝らして見ると、この城を覆う様に薄い膜が張っているのが見えました。
多分、ですが結界とかそういうものの様な気がします。
本で読んだ知識と第六感と言う名の勘頼みですが、そういうものだと思って行動します。
あの結界が如何いうものなのか探って、とりあえず何かに覆われていたり、この城に入る何かしらの許可を持った人間にくっ付いていれば何とかなりそうだと感じました。
・・・どうして分かるんでしょうね?
よく分からない事はよく分からないで良いと思うんですが、何と言うか、渡ってはいけない道を渡っている様な、そんな感じがします。
最近もう着慣れてしまった、ドレスを破かない様に木の上に到達すると、馬に乗った、黒い外套を着た男の人がすぐ側にいた事が分かりました。。
僕の登っている木とその人の間には生垣があるので、僕が登っていた姿は見られていないでしょうけれど、彼が少し視線を上げてしまえば僕の姿は丸見えです。
結界をよく見ようと思ったから木に登ったんですが、流石に誰か近くにいないかは確かめるべきでしたね。迂闊でした。
男の人は結構筋肉質な感じなのに、とても深い緑色の髪と瞳が、面倒見の良い優しいお兄ちゃん。的な感じに見えます。
ああ、でも、どこか弟属性もある様な、ない様な?
一応僕だって兄なので、何となく弟っぽい人ぐらいは見分けがつきますから。
だからきっとあの人は弟ですね。頼りないお兄さんか、天然なお姉さんがいる筈です。
少女漫画を読んでいる身としては、是非ともご兄弟とセットで見てみたい気がしますが、今はなるべく気付かれない様にしなくてはなりません。
気を引き締め直しましたが、余計な事を考えていた罰なのでしょうか?男の人と目が合ってしまいました。
「・・・あ?」
「え?」
「おい、着いたぞ。降りられるか?」
久しぶりに普通に寝た様な気がします。
こちらの世界に来てからは、眠っている時は大体何かを思い出しているだけですから、こうしてお昼寝というものは久しぶりです。
僕が城から逃げ出すのに協力してくれた彼の様子を見るに、そんなに長い間眠っていた訳ではない様です。
本当に、久しぶりにただの睡眠をしました。
「ありがとう」
先に馬から降りた彼は降りるのに躊躇っている僕に腕を伸ばしてくれました。
その手に掴まれば、強いけれど、乱暴ではない力で引っ張られて、僕が彼の腕の中に飛び込む形になりました。
普段なら、こんな風に男の人とくっ付いているのは苦手なんですけど、何故だか彼なら大丈夫だと、そう思えてくるのです。
どこか、安心する様な、そんな感覚が。
思わず見つめ合っていると、彼は僕の頬に手を添えて、優しく撫でて来てくれました。
それが何とも心地良く、僕はその手に自分の手を重ねました。
すると、彼の顔が段々と近付いてきました。どうしたんでしょう?
ゆっくりと近付く彼の深い緑色の瞳を見つめながら、そのまま唇が重なり合う様な、そんな距離まで来た時、良く通る、澄んだ綺麗な声が聞こえてきました。
「エドゥアルド?」
「ね、義姉さん」
あ、やっぱりお姉さんがいたんですね。
弟っぽい感じだとは思っていましたが、まさか本当に当たるとは。僕の観察眼も馬鹿には出来ませんね。
そんな事を考えていたら、エドゥアルド(多分僕を連れ去ってくれた彼の名前でしょうね)がもの凄く焦った様な、何て言うか、浮気現場を見られた旦那さんの様な表情、と言うんでしょうか?そんな表情を浮かべて声のした方向を向いていました。
「エドゥ。まさか、貴方」
「ちがっ、義姉さん。誤解なんだ」
「エドゥがお嫁さんを攫って来たのね!」
「義姉さん!?」
お祝いしなきゃ。と何とも嬉しそうな声が聞こえて来て、何となく僕の存在が色々な誤解を招いている事に気が付きました。
一応攫われたのは事実ですが、攫って貰ったと言った方が正しいので、そこら辺は訂正しなくてはいけませんね。
僕はエドゥアルドの腕の中から抜け出そうとしますが、どうしてだか彼は僕を離そうとしませんでした。
何と言うか、僕を連れ去ってくれた時と言い、どうやら彼は流されやすいタイプのようです。
お姉さんの方に意識が向いているから、僕の事を離せないんでしょうね。
どうしましょうか。
とりあえず彼の意識が僕の方に向くのを待っていたら、彼のお姉さんが僕の方に近付いて来てくれました。
「初めまして。エドゥのお嫁さんよね?私の名前はローゼロッテ。ロッテと呼んでね」
そう言って微笑んだのは、僕が城から抜け出した理由の一つでもある、あの「聖母と銀の薔薇」の舞台の聖母役をやる筈だった、あの女優。
僕とは違うけれど、ジュリアから貰った初回限定版のチラシに描かれていた通りに、彼女はとても綺麗な銀髪をしていました。
僕ほどではないですが、とても長い髪で、その髪もどちらかと言うと白髪に分類されそうですね。
瞳の色はエドゥアルドよりは明るめな緑の瞳。
とても、綺麗な人です。
僕は慌てて彼女に挨拶をしました。
「はじめまして。白雪といいます」
頭を下げれば、ある事に気が付きました。
ロッテさんのお腹が、とても大きいのです。
もしかして、赤ちゃんが出来たから、主役を降りたんでしょうか?
そんな事を考えていたら、ロッテさんは妊婦さんとは思えない程元気よく僕を家の中に引っ張りました。
そんなに動いて大丈夫なんでしょうか?
いつの間にかエドゥアルドが僕を離してくれたようで、僕はほとんど抵抗できずに家の中に引きずり込まれました。
「さあ、エドゥとの出会いを聞かせて!」
にこにことエドゥアルドと僕の馴れ初めを聞いてくるロッテさんに僕はとりあえず話せる事だけを離そうと思いました。
タイトル通り、王道的展開にしてみました。
お姫様を連れ去って城から逃げる。
しかも落ちてきたお姫様を抱き留める。
王道的展開ですよね!