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第六話 聖王の機嫌

「妾の可愛いザクロ」



そう言いながら優しく髪を撫でてくれる手を、ザクロは覚えていた。

月の光を集めた様な、美しい銀の髪と瞳を持つ、妖精の様に儚くも可憐で、美しい母。

ザクロにとって大切なものは、自分を産み、育んでくれた母たった一人なのだ。



「お前は妾にとって特別な子。数多いる子の中でも、お前は妾が真の意味で産んだ、血を分けた子。愛しい。愛しい。妾の息子」



そう。自分は特別なのだ。

ザクロはこの美しい母が天職などを使わず産み出した、唯一の子供。

ザクロはそれが誇らしくて仕方がなかった。

けれど、それと同時に、母の美しい髪と瞳の色を受け継げなかった事がとても悔しかった。

それどころか、母の愛を手に入れた男とよく似ていると、そう言われるこの容姿が嫌だった。

けれど、ザクロは自分の顔が母にもよく似ている事を知っている。

似ているからこそ、よく分かる。わずかな差。

それだけが、ザクロの心に暗い影を落とす。



「おお、どうした。ザクロ。何か思う事でもあるのかえ?大丈夫。妾が傍に居るからの」

「はい。母上」



ザクロが暗い気持ちになる度に、母はそれを察し、優しく抱きしめてくれてくれる。

母の腕に抱かれている度に、この世の幸福は全て母の腕の中にあるのだとザクロは思っていた。

そして、その度にほの暗い感情は消え去り、温かくも柔らかい感情に変換される。

自分がいくら墜ちようとも、母がいれば大丈夫。

その言葉だけを信じ、ザクロは母と共に生きていた。



けれど、



赤。赤。赤。赤。

自身の瞳と同じ、真っ赤な色が、銀色の花の様な母を染め上げた。

力なく横たわる母の傍には、狂った様に叫ぶ男。

嗚呼。嗚呼。嗚呼。

ザクロはその時理解した。

もう、この世全ての幸福は自分の許には存在しないのだと。

あの心地良く、どんな感情でも優しいものに変えてくれる愛だけで出来た温もりは存在しないのだと。

叫ぶ事を止めた男がザクロに視線を向けた。



「・・・ザクロ」



自分の名を呼んでいいのは、世界でたった一人、母だけだ。

そうザクロは叫んだ。

けれど、そんなザクロの主張など、男は聞いていなかった。

鮮血に濡れた花、ザクロの母を抱き上げながら、怨嗟の声が渦巻く、禍々しい法力を男は使っていた。

それは、母が好んだ祈りの力など微塵も入っていなかった。

只の、恨みつらみ。憎しみ。悲しみ。絶望。

ザクロが決して母から与えられていなかった沢山の感情が、その膨大な力を支えていたのだ。

禍々しく、もう純粋とも言える境地に達したその力は、男と母を包み込み、ザクロの目の前から消えていった。

残ったのは、母から流れた血だけ。



「■■■■■―――――!!」



ザクロは叫んだ。

自身の中の全ての怨嗟を出し切ろうと、叫んだ。

自分があの男と同じ感情を持つ事を、母は良しとしなかった。

ザクロが悲しみや妬み。そんな感情に墜ちそうになる度に、母は優しく抱きしめてくれたのだ。

だから、ザクロは今この瞬間全てを出し切ると決めたのだ。

母が残した。この国を。

幸福と平和。愛を体現した様な、この国を守るために。

母が自分を育んでくれたように、自分もこの美しく、許しを求めた者達が住まう地を、守るために。

母は守るために生きている様な存在だった。

それは、聖母という天職がきっかけなのかもしれない。

けれど、きっかけが何であれ、母がそうあろうとしていた事は事実なのだ。

だからザクロもそうあろう。

全てを許し、全てを愛し、全てを守る。

そんな存在に、なろう。



ザクロが叫び、己の中から出しきった悲しみや絶望は、そのまま世界に広がり、全ての者に平等に行き渡った。



そう。全ては、この世界から聖母という希望の光が消えた事が原因なのだ。

あの男が、魔神が、母を連れ去った事が原因なのだ。




今日は夢見が悪い。

最初の方は良かったが、よりにもよって聖国の宿敵である魔神が現れ、母を連れ去る姿を思い出してしまった。

ザクロは半分自棄になりながら政務を行っていた。

けれど、一応は千年もの間王として務めていたのだ。些細なミスなど出る訳がない。

これはただ単にザクロの精神的な問題なのだ。

ただ、普段なら威厳は保ちながらなるべく気軽に接しようとしているのだけれど、今日に限ってはザクロは臣下たちに対してそこまでの気配りが出来なかった。

臣下たちも今日はザクロの機嫌が悪いと知っているので、余計な言葉をかけてくる事はないが、それでも必要最低限の会話はしなくてはならない。

気を遣ってくれている臣下たちには悪いが、ザクロはさっさと仕事を切り上げて母の許へ行きたかった。

まだこの城の者も殆ど存在を知らない。

ただ、それでもザクロが大切にしていた部屋に入れているという事だけは流石に知られないという事は出来ないから、召喚した勇者の一人であるとは説明している。

それに余計な尾ひれがついている事は否定できなかったが、聖国を作り上げた聖母が召喚されたと知られるよりはマシなのでザクロは放っておくことにしていた。

それに加えて、ザクロが数日に一度その部屋に通い、頻繁に贈り物を贈っているという事実があるのだが、聖王としての仕事は全てこなし、国が傾く程の物ではないという事実から、そろそろ聖王に春が。と城の者は舞い上がっているのだが、ザクロはそれを放置している。

噂と言えど、母と恋仲と思われているのは悪い気がしない上に、それで牽制になるのなら。とも思っているのだ。



最近機嫌が優れないらしい母に、ザクロとしては一つ一つ良い品を選んで贈っているつもりなのだが、それでも母の機嫌は戻らないと母の護衛兼侍女を任せているアニーから報告を受ける度に、どうすれば母は機嫌を治してくれるのだろうと悩んでいた。

母は、花車白雪は一応男であるが、母の記憶が入り混じり、その上に聖母として既に力は解き放たれているのだ。男女の境界線など既に曖昧だろう。

女性扱いをしながら、それでもそれだけでは駄目だ。と母の世話をしているアニーは言っていた。



「男女の境界線が曖昧って事は、まだ男としての感情も残ってるって事だぜ?まあ、元々そんなに男っぽい感じじゃなくて、女心を分かってるって言うか、女目線で物事を見れているっていう感じがあったけどよ、それでも籠の鳥にばっかしてたらそりゃ拗ねるだろ。拗ね方も可愛いけどよ」



けらけらと笑いながら自分に忠告するアニーの言葉をザクロはちゃんと耳に入れていた。

今現在の母の事で一番詳しいのはアニーで間違いないのだ。

もしかしたら、アニーの方が信用されている可能性もある。

ただ、ザクロはどうすれば母の機嫌が治るのか分からなかった。

記憶の中の母はもう少し自分の言いたい事にはハッキリとしていた様な気もするし、それに何より、昔は自分が守られている側だったのだ。

今現在母を守っているのはザクロだ。

立場が逆転していると、何をどうして良いのかが全く分からなかった。



「まあ、熱心に布やれなんやれ選んでる所見てると親子だなって思うぜ?えっと、何だっけな。乙男?だったか?ご主人様もイケるんじゃねーの?」

「・・・お前はもう少し慎みと言うものを覚えたらどうだ。そんな姿を見せたら母上が怯えるだろう」

「ご主人様はそればっかりだな。っていうか、聖母さまは今のあたしの姿見ても特に何か言うとかねーと思うぜ?普通にそれぐらいだったら受け入れてくれそうだしな。聖母さまは確かにあんなに無防備でぽややんとしてるけどよ、ある程度は強いぜ?・・・ま、強いからこそこんな事態になっちまったんだろうけどな」

「それは、母上のご機嫌が優れないのと」

「関係ありまくりだぜ。むしろ、何にも考えてないお姫様だったら今の状態でもあんな風に思いつめたりしないだろうな。多分、聖母さまは考えない様にしてるだけで、色々と察しがついてるんだと思うぜ。ご主人様を甘やかしてるって感じだな」



甘やかされる。

それは確かにザクロには覚えがあった。

話しをしている時、少しザクロの方から過剰に触れたり、過激な言葉をかけた時、母は優しく包み込んでくれるのだ。

それは、その細い腕に抱きしめられているという事ではなく、もう少し曖昧で、確かな感覚で、甘やかされているのだ。

それは確かに母が子へと向ける愛と同じで、ザクロは今指摘されてようやく、自分の母へ向けている、母子間ではありえない感情を悟られていると知ったのだ。

確かに、母は考えない様にしているのだろう。

けれど、それは拒絶されている訳ではなく、ザクロが今後どういう選択をするのかという事を選ばせようとしているのだと、そう、思った。



母が自分の事をそんなにも思ってくれているのかと、少々自分自身の機嫌も上げながら、ザクロは脳内からアニーを追い出した。

仕事をある程度終わらせ、未だ記憶の封印が完全に解かれておらず、睡眠時間が曖昧な母に会う事だけを

ザクロは考えた。



そして、少しは機嫌を良くしながら、母の部屋に行ったら、機嫌が優れないと聞いていたのに、とても嬉しそうな顔で迎えてくれた母にザクロは首を傾げながらも、癒された。



「ザクロ。おつかれさま」

「はい。頑張りました。・・・そういえば、母上。随分とご機嫌がよろしいようですが、如何されたんですか?」

「えっとね、ジュリアがね、これを持ってきてくれたの」



愛らしい笑みを浮かべながら一冊の本を差し出してくる母に、ザクロは笑顔で受け取った。

けれど、その本のタイトルを見てザクロはピシリ。と固まった。



「あのね、ザクロ。これ舞台化するらしくてね、僕、見に行きたいんだ。ジュリアがいればどこに行っても良いって、言ってたでしょ?あのね、これ読んでると本当にドキドキしてね、色んな嫌な事忘れられたの。もうすぐ最新刊まで読んじゃうんだよ」



嬉しそうに頬をほんのりと赤く染めて本の感想を言う母を可憐だ。と思いつつも、ザクロは自分が贈った布や裁縫道具が手付かずなのを見た。

確かに、興味を示すけれど、中々気が乗らない様だとはアニーの報告にもあった。

けれど、自分が贈った品よりもアニーが贈った本を、しかもよりによって「聖母と銀の薔薇」を母が気にいったという事実にザクロの機嫌は急降下した。



母の顔は愛らしい。

好きな物を語るその表情は、絵画にして一生取っておきたいぐらいである。

けれど、ザクロはこの小説が好きではなかった。

いや、好きではない所か、毛嫌いしていると言って良い。

最初は、巷で人気という事で民衆の興味の先を知る為に、ザクロも読んでみたのだ。

ストーリーとしては面白い。

主人公である聖母も、好感が持てる。

そこまで明らかになっていない聖母という天職を良く捉えていると思う。

けれど、どうしても話の展開が気にいらないのだ。

ザクロには、主人公の恋の相手である茨の騎士がどうしても母の愛を手に入れた、あの男にしか見えなかったのだ。

どことなく雰囲気も似ている上に、主人公の聖母も口調や容姿の描写は似ても似つかないが、性格がどこか母に似ているのだ。

完全なる嫉妬であるが、ザクロはどうしてもこの小説を好きにはなれなかった。

けれど、これを書いた作家にも、舞台化した時の演じる役者にも罪はない。

罪はないが、母から見せられた舞台化を知らせるチラシに載っている聖母役のローゼロッテ。彼女が今の母にどことなく雰囲気が似通っていたりもする。

そこもザクロにとっては気に入らない点の一つだ。



その為、ザクロは嫉妬を交えながらも、それはおくびにも出さず、建前だけで母の願いを断った。



「ご理解を。母上」



ザクロは母の髪を一束掬い、口付けそう言えば、母はその美しい銀色の瞳をそっと伏せた。



「母上」



ザクロが呼びかけても、母は目を開けなかった。

それに、ザクロは拒まれているとハッキリと感じたのだ。

母が、自分を拒んだ。

それはザクロにとってとても衝撃的な出来事なのだ。



「母上。どうして、私を見て下さらないんですか?」

「今は、いやだから」

「何が嫌なんですか?」

「ザクロ。今日はもう、会いたくない」



それ以上の言葉を聞きたくないと、ザクロは母を乱暴にベッドの上に押し倒した。

今まで丁寧に、大切に触れていたというのに、今のザクロには自分を律する事すら出来なかった。

その美しい瞳に、自分だけが写れば良いと思った。

あんな男など、見なくて良いのだと、自分だけを見て欲しいと思った。

息子としてではなく、一人の男として、愛して欲しかった。

けれど、傍に居てくれるのなら、今のままこの曖昧な関係でも我慢できると思ったのだ。

誰のものにもならないのなら、一番大切だと言って貰えた自分が特別であり続けるのだろうと、そう思っていたから。

けれど、母は今自分を見ていない。

自分の瞳は母を捉えて離さないのに、母の瞳は、自分を拒絶している。

ザクロは我慢出来ずに、感情を声に乗せた。



「どうして・・・!どうして、母上!」

「ザクロ」



そのお蔭か、母はザクロの名を呼んだ。

どこか迷っている様な、そんな表情で。



「今日は、いや」

「・・・分かりました。何かありましたら、」

「ジュリアに言う」

「ええ。そうしてください」



けれど、最終的にはハッキリと拒絶されてしまう。

それにザクロの頭は冷えていくのが分かった。

今、無理やりに時分だけを見せる様にするのは得策ではないのだと、そう自分に言い聞かせながらも、自身の感情を無理やり抑え込もうと自分自身の感情と戦っていた。

ああ、アニーならばいいのか。そうザクロは考えてしまったが、そうなる様に仕向けたのは、自分以外に頼れる相手ならばアニーにしようと、そう決めたのは自分だと、また自分自身に言い聞かせた。



そして、強い力で押さえつけていた母の肩から手を離し、母の真っ白く、力を込めれば簡単に折れてしまいそうな細い首筋に強く、噛みついた。



「ぁっ!」



母の短い悲鳴が聞こえると同時に、口の中に甘い血の味が広がった。

その痛みに反応して、母は目を開いてくれた。とザクロは喜んだ。

そして、聖法を使い、その傷跡がある程度の期間残っている様にした。

侍女に徹しているアニーに手当てを頼み、治療が行われているのを見届けて、目が合った母にいつもの様に笑いかけた。



「それでは、母上。また来ます」



部屋から出て、口の中に広がる血の味と、母の匂いを思い出しながら、ザクロは一人笑った。

母の部屋の付近には普段誰も近寄らない。

だから、一人で王であるザクロが笑っていても、誰も不審には思わない。

けれど、その姿をもし誰かが見てしまえば、魔人の一種である吸血鬼を思い起こしてしまうかもしれなかった。

それぐらいに、ザクロは陰ったとても美しい笑みを、浮かべていたのだから。



傷付けるつもりはなかった。

幸せに暮らしていてくれればそれで良かった。

けれど、自分の手で傷つける行為が、あそこまで背徳的で甘美に感じるとは、思いもしなかった。

傷付けられても、それを包み込んでくれる母の愛に、ザクロは酔いしれていた。

ヤンデレです。

聖王ザクロはヤンデレなんです。

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