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幼き日の約束(下)

 ミーナ=アーヴァン、レイラ=アーヴァン。この二人を知らない者はいない。叔母と姪といってもその立場は随分違う。


 ミーナはこの町どころか、この国で有名な魔法使いだった。彼女の実力はトップクラスで、この国で一番の実力者であるマハトと遣り合えるのは彼女だけだと言われていた。

 同時に中等部でトップの成績を誇り、レイラの父親以来の天才と言われるレナルトでも全く届かない実力の持ち主だった。その天才と呼ばれる中にミーナの名前がないのは、彼女が学校で手を抜いていたからだろうと考えていた。


 しかも、マハトと同じレベルにミーナは二十半ばで到達している。もし、あと十年経ったら、彼女がどのような魔法使いになるかと期待に胸を弾ませそうな話だが、そんな彼女より強い力を持つ人間が少し前に存在していた。それはレイラの父であるマティアスだった。笑顔の似合う、一見そんな力を持っているとは思えないほど優しい男性だった。彼のことを思い出すだけで、レナルトは胸の辺りが締め付けられるような感覚を覚えていた。


 レナルトはミーナの部屋をノックする。

「どうぞ」

 淡々とした返事を受け止め、レナルトは扉を開けた。


 ミーナがベッドに横になっていた。彼女はレナルトに視線を向けると笑みを浮かべた。彼女の額には彼女の金色の髪の毛を覆うように包帯がまかれていている。

 動こうとしたミーナをレナルトは手で制す。


「挨拶なんていいから」


 レナルトの言葉にミーナは微笑んだ。自分より九歳年上とは信じられないほどのあどけない表情に、時折レイラとの血の繋がりを感じる。後数年間、彼女がこの容姿を保てばレナルトよりも年下に見えるかもしれない。そんなことを考えたこともある。

 だが、彼女の傷の深さがレナルトを現実に引き戻す。彼女はこれほどの傷を負い、周りの人に忌み嫌われながらも、この国に住み続けた。それは自らの使命のためだ。


 感傷に浸りそうになり、気持ちを入れ替えるために、首を横に振る。雑念を振り払う。

 まずは彼女の傷を治すのが先決だ。

 頭を下げると、ミーナに額に手を当てる。一番状況が酷いのはこの額の傷だと察知する。

 皮膚の部分がはがれているため出血量が多いが、幸い傷は浅い。安堵からほっと息を吐き、頭部に意識を集中する。


 レナルトの身体には心臓部を中心として温もりが宿る。その温もりがレナルトの両腕に集まっていき、指先で具現化する。指先には白の色の光が灯り手の平を包み込む。先ほどの言葉をもう一度続けると、指先の光が明るさを増した。この強さなら大丈夫だろう。


 光る指先をミーナの額に当てた。白の色の光がミーナの額を包み込み、頭の中に吸い込まれていく。

 レナルトは魔法の詠唱を続けた。彼女の体内に入ったレナルトの魔力を増幅させるためだ。その光がミーナの身体全体を包み込む。

 本来ならここまでする必要はない。ミーナに魔力を入れた段階で、ある程度の傷は回復する。だが、その傷が体内に深く影響を及ぼしている可能性があるので、何重にも魔法をかけておく。

 レナルトの送り込んだ光がミーナの身体の中で消滅した。魔力の消滅を感じ取り、詠唱を止める。ミーナの頭を確認すると、傷は跡形もなく消え去っていた。


 横になっていたミーナがゆっくりと身体を起こす。


「負担になるから無理に動くな」


 ミーナはにっと笑みを浮かべる。

 いつもレナルトを褒めるときに浮かべる笑みだった。


「レナルトは上達したわね。もうすっかり痛みもなくなったわ」

「あいつに比べればな」


 ミーナはふふっと笑みを浮かべた。


「レナルトは回復魔法だけは得意よね。わたしも敵わないわ」


 それは彼自身も自覚していた。レイラと同じ血統的な問題だ。


「今はな。でも絶対あんたをあらゆる面で超えてみせる」


 幼い頃、バカ正直に交わした約束。だが、一度交わした約束を反故することは性格的に赦せない。

 ミーナの青い瞳に、濃ブラウンの髪の毛に金色とも思える薄いブラウンの瞳の少年の顔が映る。目を細めた彼女の瞳に一瞬だけ悲しみが映るのを見逃さなかった。


「わたしがいなくなったら、レイラのことを頼むわね」


 レナルトは弱気な言葉に戸惑いながらも、彼女を軽く睨む。


「それじゃ、困るんだよ。俺はあんたに勝たないといけないんだから」



 もしレイラの傍に居たいなら、わたしより強くなりなさい。わたしより強くなるまでは、レイラに近寄らないで。



 今でも鮮明に残るミーナの言葉だった。そのときの彼女の笑顔は、一方的な言葉に反発心を抱いたレナルトを黙らせるほど悲しげなものだったのだ。

 強くなるまでレイラに近づいてはいけない。その理由は今でも知らない。だが、彼女なりの考えがあったことは理解していた。それからレナルトの努力の日々が始まったのだ。


 レナルトが強くなると同時にミーナも強くなっていく。いたちごっこのようミーナに一度も勝てないでいる。


「あなたは本当にまじめよね。学校でも最低限でしかレイラと話をしないのよね」

「レイラから聞いたのか?」

「あなたの学校の校長先生とシルヴィアからね」


 レナルトは納得する。彼女の口から自分の話題が出てくるとは想像できなかったからだ。


「本当は話さないほうが良いのかもしれないけど、どうしょうもないときは」

「分かっているわ。レナルトがいるから、普通に学校には通えているのよね」


 彼女の言葉に照れを感じ、頭をかいた。

 ミーナは口角を上げて微笑む。


「まじめなのはいいことだけど、そんなにレイラが大切?」


 ミーナにからかわれ、レナルトの肌が赤く染まる。


「何言っているんだよ。レイラは妹みたいな存在で」

「おばさんにはバレバレよ」


 ミーナの青の瞳に光と影が宿る。あのときと同じ笑みだった。その記憶の断片を思い出すだけで、心が締め付けられる。


「まだおばさんって年じゃないだろう」

「もうわたしは若くはないわ」


 彼女が悲しげにそういった理由に見当がついてしまうのが悲しいところだった。


「失望しているのか?」


 彼女たちには国を外的から守る使命がある。その強い魔力の前に、どんなものでも説き伏せている。

 人であろうと、それ以外の生物であろうと。

 この国の人間は水と緑が絶えないこの地がどれ程、他の存在にとって魅力的に映るのかが分かっていないのだ。


 国民の多くはアーヴァン家は何をしているのかは知らない。ただ、強い魔力を持った、犯罪者の家族だと考えているのだろう。

 犯罪者という言葉を心の中で打ち消した。実際はそうではない。だが、国民の間ではそうなっている。

 そして、そんなアーヴァン家に対してよからぬ噂を流すもの、反撃をしない彼女たちを見越して傷つけるもの。そうした人間が少なからずいる。


 レナルトはそんな国民に対して良い印象を持った事は一度もない。

 ミーナがレナルトの頭に手を伸ばす。彼女はレナルトの髪の毛をくしゃっと撫でた。彼女に勝負で負けるたびにいつもそうされた。


「わたしは大丈夫よ。でも、レイラは」

「分かっているよ。何かあったら俺がレイラを守る」


 そう決断したのはミーナとの約束の少し前の、マティアスが亡くなったときだった。


「あなたがいるから安心できるの」


 レナルトは行き場のない感情を押し出すために、短く息を吐く。

 本当に守れているのかという不安だ。


「守れていると嬉しいよ。あまり長居してレイラが帰ってくると困るから、そろそろ帰るよ」


 レナルトはそう返事をすると、家を出た。 

 木々の隙間を駆け抜ける風が心の荒波を穏やかにする。

 レナルトにとってレイラは特別な存在だ。それは否定しない。彼女を守りたいと思うし、傷つけるものがいたら手加減などしない。


 だが、その気持ちは恋愛感情ではなく、ミーナが彼女を守りたいと望む気持ちに似ているのではないかと考えていた。


◇◇◇


 ミーナはレナルトが出て行くと、ゆっくりと身体を起こした。先ほどまで身体を支配していた強い痛みをほとんど感じなくなっていた。


 ミーナは彼の能力の高さに思わずため息を漏らす。どんな病でも治せないものはないと言われる、ヨハン=デヒーオの血を引くだけはあると痛感する。ヨハンはこの国で一番の治癒能力を持つことで周知されているが彼にも引けを取らない。


 ヨハンの幼少期を知る人は、魔力の面でレナルトを彼の生き写しのようだと口にする。レナルトの兄のヴァルトも高い能力を誇るが、レナルトの前では霞んで見えた。


 だが、ヴァルトだけではない。彼の年齢を考えると、自分はおろか、マハトの潜在能力さえも上回っているような気がしなくもない。


 彼の完璧さはマティアスに通じるものがある。自分の思いに忠実なところも含めてだ。


 ミーナは幼いころのレナルトを思い出していた。彼が強い能力を欲するようになったのは自分の約束も一因だっただろう。彼はその才能を順調に開花させた。だが、ミーナはその前からレナルトが強い能力を欲していた事に気付いていた。その発端はレイラということにも。


 生まれながらに強い能力を持ったレイラは自分の魔力がコントロールできず良く怪我をしていた。その彼女をいつでも癒せるようにと、彼はずっと治癒魔法の練習を重ねていた。


 窓ガラスに指先で触れる。

 窓の外にはレナルトの後姿があった。

 彼は強くなった。その才能も、努力も認めている。だが、彼がレイラを守れるかというと、別問題だ。単純な強さの面では彼がレイラの足手まといになるかもしれない。


 だからこそ、自分より大きな力を持って生まれた少女を守るために、彼にはより強くなって欲しかったのだ。ミーナ自身が抱える自分が兄を見殺しにしてしまったという尽きることのない罪悪感を、二人には経験させたくなかったのだ。


「この地が赤く染まるとき神の色を持つ少女がこの地を救うだろう」


 それはこの国に大昔から伝わる言い伝えだ。その意味は誰も知らない。だが、その言葉が実現すべき時代が近づいてきていることだけはおぼろげながらも理解していたのだ。


 その時、ミーナの手首の脈がどくりと跳ねた。

 この独特の感触は何が起こったか分かる。この国に張られた結界が何らかの形で損傷したのだ。


 マハトかヨハンが気付けば自分が行く必要はないが、みすみす放置するわけにもいかないだろう。状態を見に行き、マハトに相談しよう。


 ミーナは立ち上がると、体を伸ばす。

「行って戻って来るだけなら大丈夫ね」

 ミーナはそうつぶやくと、呪文を詠唱した。


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