取り戻した力
(起きなさい)
澄んだ声がシルヴィアの脳裏を駆け抜けた。その声でシルヴィアは目を覚ます。その声があの生物のものだと悟るのに時間は要さなかった。体を起こし、部屋を見渡す。今朝、目を覚ましたが強い眠りに目覚めを妨げられ、二度目の眠りについてしまったようだ。
(私が閉じ込められている部屋まで来て)
その生物がいる場所が脳にダイレクトに送られてくる。同じフロアの一番奥の部屋だ。
テーブルの上にはシルヴィアの朝食と思しきパンが置いてあるが、食べる余裕はなさそうだ。
意を決して扉を開けた時、いつもシルヴィアの世話をしてくれる女性が部屋の前に立っていたのだ。
「どこに行かれるんですか? 中にいてもらわないと困ります」
彼女はにこやかな笑みを浮かべると、シルヴィアの腕をつかんだ。
彼女に恨みはない。魔法を使うのを躊躇し、他の方法でこの場を切り抜けられないか迷うシルヴィアの腕を彼女は捻り上げた。痛みから思わず声を漏らす。魔法を使いその場を逃れようとするが、強まる力に気がそがれ、呪文の詠唱までたどり着けない。
その時、良く知った魔力を家の外に感じ取った。レイラとレナルトの二人であればそこまで驚きはないだろう。だが、そこにユーリーの魔力があることに戸惑いを隠せない。どうにかしなければ。シルヴィアは焦る気持ちを抑え、現状を打開する方法を模索する。このままだと自分が人質になってしまうことは明白だったからだ。
その時、女性の右わきで小さな小爆発が起こり、女性が反射的に体を仰け反らせた。シルヴィアの体から彼女の手が離れたのを見逃さなかった。シルヴィアは彼女の足を凍りつかせる。
(早く)
あの生物に急かされ、シルヴィアは彼女に頭を下げると、そのまま奥の部屋に向かう。シルヴィアが逃げ出す事を想定していなかったのか、誰も他の部屋から出てこなかった。
鍵はかかっていないが結界が張ってある。
「誰かシルヴィア様を止めて下さい」
あの女性の声が辺りを駆け抜けた。
結界を解き、中に入るとあの生き物がいるのに気づいた。だが、その中にいつもは見慣れない存在がいた。アドニスだ。シルヴィアは彼の傍に駆け寄ると、彼の首筋に手を当てた。脈などは正常に動いている。
(眠っているだけよ。彼を連れて逃げなさい。だから、そのためにあなたは早くわたしの傍に)
(あなたはどうなるの?)
(消えるわ)
シルヴィアは戸惑いを露わにするが、その生き物はそんなシルヴィアの気持ちを汲み取ったように微笑む。
(もともとあなたに魔力を伝えるためだけの存在だから、気に留めることはない。早く)
彼女に促され、歩み寄ろうとしたとき、シルヴィアの首筋にナイフが当てられる。シルヴィアが竦んだすきに、男は彼女の手足をつかむ。
「困るよ。勝手に逃げ出したら。君は大事な人質なんだよ」
それはヤルヴィの隣にいた男の声だった。
シルヴィアは男を凍らせようとした。だが、男の方が一足早くシルヴィアの前方に回る。首筋に冷たいものが入り込んだ感触と同時に、手遅れだと悟る。その入り込んだ冷たい感触がシルヴィアの体内でうごめき、シルヴィアの呪文の発動が止まる。
「君に魔法を使われると困るから呪いをかけさせてもたったよ。君は魔法を使えば死ぬ。もちろん、君の魔力を借りているあの生物もね」
男の視線がシルヴィアからあの生物に移る。彼はその生物の魔法の源がシルヴィアにあると知っていたのだろう。
どうしたら良いだろうか。そう思った時、シルヴィアを捉えてた男が後方に飛びのいた。彼のいた場所を氷の塊が襲いかかったのだ。男は自らを守るための結界を張る。
「シルヴィア」
扉の向こうには金髪の少女が息を切らし立ちすくんでいる。その脇には見慣れた二人の少年の姿がある。
「お姉ちゃん」
だが、シルヴィアがレイラ達に気を取られた隙に、男はシルヴィアを自らの手もとに引き寄せた。
男の手にしたナイフがシルヴィアの首筋をえぐる。シルヴィアは急な痛みにうめき声を漏らした。刹那、男の足元で小さな爆発が起こり、ナイフごと男の体が後方に投げ出される。その時、ナイフが再びシルヴィアの首筋をえぐる。男の体が業火に包み込まれた。その炎は決して男の身を焦がさずに、あたりの空気を延々と燃やし続ける。男は熱さと恐怖から顔を引きつらせる。男が氷の呪文を詠唱するが、その炎の燃焼を手助けするだけとなっている。レナルトが厳しい顔つきで男を見やる。
「レイラ。シルヴィアを頼む」
レイラとユーリーはシルヴィアの傍に駆け寄った。
「怪我は大丈夫?」
シルヴィアは頷きながらも、かけつけた幼馴染の魔力の違いを感じ取る。彼女は自分の本来の魔力を取り戻したのだ。その決意のこもった青い瞳を見て、彼女は全てを知ったのだと悟った。
(レイラをわたしのところに)
「お姉ちゃん、あの生き物のところに言ってくれる?」
「でも、怪我を治さないと」
「これくらいなら大丈夫よ」
レイラは釈然としない表情を浮かべながらも、その生物のところに歩み寄る。その時、白い光がシルヴィアの傷口を包み込んだ。
「大丈夫?」
澄んだ瞳で問いかける弟に対して、シルヴィアはお礼の言葉を伝えた。
その直後、レナルトが駆け寄ってきた。彼はシルヴィアの首筋に手を当て、顔をしかめた。
「呪いか。解けなくもないが、まずはここから離れないと」
「わたしは大丈夫。彼をお願い。アドニスという少年で、どこかから連れてきたみたいなの」
レナルトは目を見張り、倒れている少年を支える。
その時、レイラが呪文の詠唱を始めた。自分で使ったことは一度もないが、何の魔法かは知っている。シルヴィアは魔法が使えない。そのため、レイラを媒介とし、シルヴィアの魔力を移そうとしているのだろう。
ドアが勢いよく開き、複数人の男が入ってくる。レナルトが詠唱すると同時に男たちの体も火の輪に包まれた。レナルトの呼吸は徐々に早くなっていく。
停滞する状況に焦りを感じ始めた時、背後で何かが壊れる音が聞こえ、シルヴィアは背後から誰かに抱きしめられる。銀の髪をした女性の体がシルヴィアの体に入り込んでくる。今までの体内を満たしている魔力とは別の魔力が駆け巡る。二つの魔力が衝突し合い、シルヴィアの生まれ持っての魔力を飲み込んだ。シルヴィアの心臓の鼓動が激しくなる。振り返るとその生物自体が姿を消している。
「大丈夫?」
レイラはシルヴィアの変化に気付いたのか、彼女の顔を覗き込む。
突然の体の変化に順応できず、言葉が出てこない。
「このまま外に行こう。ケヴァドを出てしまえば、転移魔法でヴァルクスに戻れる」
レナルトがアドニスを抱き上げた。
レイラに導かれ、彼らは部屋の外に出る。あの女性が揺らめいた足取りでこっちにやってくる。彼女にかけた魔法が解けたのだろう。
「邪魔するなら先程のように容赦しない」
レナルトの手に風の渦ができる。彼女はその風の勢いに臆したのか足を止め、壁に背を当てた。
階段を駆け下りると、レイラは三人に下がっているように促した。彼女が呪文を詠唱し、扉が破壊される。
だが、家の外に飛び出したシルヴィアの視界に飛び込んできたのは、巨大な岩の塊だ。その前にはこの国の民と思われる人たちが立っている。
レイラが呪文を詠唱しようとしたが、待ち構えていたのか、彼らの炎がシルヴィアたちに襲い掛かる。レナルトが即座に結界を張るが、連なる攻撃に耐えしのぐだけとなっている。
シルヴィアは魔法が使えない現状をはがゆい気持ちで見つめる。レイラはこの間、人に対して一切魔法は使っていなかった。彼女自身、コントロールできるか不安なのかもしれない。
シルヴィアが手に力を込めた時、低い音が森にこだまする。地面が揺れ、前方にある木が傾き、地面に衝突した。
男たちは魔法を使うのをやめ、その倒れた木を凝視する。
レナルトはその隙を見逃さなかった。結界を解くと、別の呪文を詠唱し始めた。そして、彼らの手足を草で縛ったのだ。
安息もつかの間、再び鋭い音が駆け抜け、地面が上下に動いた。
「お前たちが女神様を連れ去ろうとするから、こういうことになるんだ。お前たちがこの国を滅ぼす」
突然起きた天変地異はシルヴィアが魔法を使えないことと、あの生命体をシルヴィア自身が取り込んだことに関係しているのだろう。昨日の状況を見た時に覚悟していた。だが、ケヴァドは想像以上にその力に頼り過ぎていたのだ。
直後、風の刃がレナルトに向かって襲い掛かった。レナルトも即座に結界を張ろうとするが、風の刃がレナルトに届くのが一瞬早かった。彼の白い肌に無数の赤い傷が現れた。シルヴィアが現状に戸惑う前に、背後から手が回される。彼女は圧倒的な力の前に身動きが取れなくなった。
「悪いお姫様だね。君が動かなければ、この国はなんとか現状を保てていたのに」
その声の持ち主はウルモだ。シルヴィアたちを睨んでいた男たちの表情が緩んだ。ウルモが来たことで、勝機が出てきたと考えたのだろう。
「さて、これからどうするか相談しよう」
ウルモは腰を落とし、攻撃体制にはいったレナルトを一瞥する。
「君は僕には敵わない。無謀な真似はやめたほうがいい」
「分かっていても、このままにしておくわけにはいかない」
レナルトは呪文の詠唱を始めた。
「君はまだシルヴィアたちの味方をするのか? 彼らがレイラに何を強いているのか分かっていないんだろうね」
その言葉にレナルトは詠唱をやめ、ウルモを見る。
「彼らはレイラを便利な道具として創造し、今、まさに利用しようとしているのに」
「あなたの目的はわたしなのでしょう。なら、他の人には手を出さないで」
そういったウルモの言葉にレイラは自らの言葉を重ねてきた。彼女は感情が載っていないと思う程、落ち着き払った言葉を伝える。
レナルトは顔を強張らせ、レイラを凝視する。
「わたしは自分にできることをする。だから、レナルトは、レナルトにできることをして」
その言葉に、レナルトは口を噤んだ。
「そうだね。あの男を殺すには、君の力が欠かせない。誰も動かないことが条件だ。動いたら殺すよ」
冷たく言い放ったウルモはシルヴィアの腕を解く。
レイラは彼のところまで歩いていく。ウルモはレイラが傍に来たのを確認すると、微笑んだ。
「後は頼む」
そう言うと、ウルモは転移魔法を使い、その場から姿を消した。
残った男たちはレナルト達を取り囲む。
レナルトは結界を張り直す。自分の服から封魔石を取り出し、シルヴィアに託した。
「アドニスを連れて、外まで行けるなら、これでアドニスを連れてヴァルクスに行ってくれ」
「お兄ちゃんはどうするの?」
「俺はこいつらを片付けて、そのままレイラを探す。だから、早く」
だが、そこで言葉を切る。
「もし、レイラが無事で戻ってきたらレイラのことを頼む。あいつにはもうお前たちしかいないんだ」
彼はここから逃げられない可能性を考えているのだろう。気絶したアドニスに、戸惑い動きをほとんど取れず、レナルトの陰に隠れているユーリー。そして、魔法の使えないシルヴィア。
逐一結界を張るにも、自分達の存在が足かせになる。結局、最初から自分は足かせでしかなかった。なぜ、ノール家の娘として生を受けたのかと疑ってしまう程。
「ユーリー。シルヴィア達を頼んだ。お前だけが頼りなんだ」
ユーリーはレナルトから離れ、唇を結ぶと、首を縦に振る。
レナルトは辺りを見渡している。彼らには先程の隙というものが存在しなかった。逃げるにしてもその打開点を見付けられない。その背後で影が揺らめく。それはウルモの造り出した人形だ。彼らはケヴァドの人の隙間を埋めるかのように、立ちふさがり、レナルト達を取り囲む。彼らは攻撃の手を緩めない。徐々に、レナルトの結界が弱まり、剥がれ落ちていく。
レナルトの目には焦りが映る。
彼一人でどうにかなる状況ではない。ユーリーの魔力では目の前の彼らを傷付けるのは難しい。なら、ここで動けるのは自分しかいない。
「わたしが彼らを片付ける」
「でも、お前は呪いを」
「わたしがここで使わなければ、みんな全滅する。死んだらその時よ」
シルヴィアは呼吸を整え、詠唱を始める。彼女の魔力が具現化しようとしたとき、魔力が消失する。今死ねないと暗に告げているのだ。だが、その呪いを解く事は出来ない。いつも何もできない。今の憎しみを生んだ過去の出来事さえも見ているだけだった自らの不甲斐なさを痛感する。
その直後、結界が壊された。もう目の前に氷の塊が迫ってきてる。レナルトが結界を張り直すのが見えたが、間に合わない。
だが、その氷の欠片が消失する。そして、取り囲んでいた男たちの体がその場に跪いている。その男たちの顔が一気に青ざめていく。
そこには茶色の髪をした男が鋭いまなざしでこちらを見つめていたのだ。




