潜入
優しい香りがレナルトの鼻先をつく。レナルトが目を開けると、青い瞳が目と鼻の先にある。
「おはよう」
少女は一度目を見張るが、すぐに微笑んだ。彼女の金の髪は濡れ、頬はわずかに赤く染まっている。
その時、レナルトの布団の上に小さな体が座り込む。
彼の銀の髪も水に浸されていた。
「お風呂を借りたの。さすがに二日入らないときついよね」
ふと昨日のことが頭を過ぎる。彼女の魔力は昨夜のまま強い力を保っている。
「体は大丈夫?」
「大丈夫。レナルトもお風呂に入ってきたら? そしたら朝食を食べて、シルヴィアを助けに行こう」
彼女の口調も心なしか明るい。彼女のみにどんなことがあったのか、レナルトには分からない。だが、彼女も自分の魔力の変化には気付いているのだろう。自信があるのかもしれない。シルヴィアを助け出せるという。
彼女の本意を図り損ねたが、彼女に直接的に問いかけることはできずに部屋を後にした。
浴室から出てくると、トーマスの部屋の扉が開いていた。そこからレイラとユーリーの声が聞こえる。
その部屋を覗くと、レイラが机の上を真剣の直筆のメモを眺めていたのだ。良く見ると、それはケヴァドの地図のようだ。その下には町の中の見取り図もある。
「ここに首都があるんですね」
「本当にあなたの魔法でたどり着けるのですか?」
「大丈夫だと思う。できなかったらその時はその時です」
その時、レイラが振り返り、笑みを浮かべる。
レナルト達は朝食を準備してもらい、トーマスの家を出ることになった。
彼は玄関先まで送ってくれる。
「アドニスを必ず連れて帰るという約束はできませんが、できる限り最善を尽くします。全てが終わった時には報告しに来ます」
レイラは深々と頭を下げる。
「行こうか」
傍らにたどり着いたユーリーをレイラは抱き上げる。
彼女はレナルトが今まで聞いたことない魔法の詠唱を始めた。そして、レナルト達の足元が光り輝き、目の前の景色が消失した。
眼前に現れたのはレナルトの背丈をはるかに上回る高い壁だ。その壁の向こうには家の屋根が見える。
ルーフェから聞いてはいたが、彼女が他の国でも転移魔法を使いこなしたことに唖然とし、ただ茫然と壁を見つめる。
ただ、彼女の表情はそれでもいたって普通だ。
レイラは封魔石を取り出し、レナルトに託す。
「レナルトはユーリーの傍を離れないで。何かあったら、これでヴァルクスに戻って。多分、一度なら使えると思う」
レナルトはそれを受け取ると、鞄に忍ばせた。
「どうやって町の中に入る?」
「さっき、トーマスさんから聞いたけれど、ケヴァドには三つの入口がある。その中でヤルヴィ家に最も近い入口から入るわ」
「でも、警備が堅いんじゃないか」
「大丈夫。わたしが足止めをする。だから、シルヴィアとアドニスを確保したら、二人と一緒に一旦逃げて」
そんなことをできるわけがないと否定しようとしたレナルトの言葉をレイラの真剣な瞳が呑み込んだ。
「レナルトにどう話をしていいのか分からなくて、言うべきか迷っていた。でも、わたしにはやらないといけないことがあるの。それはウルモは私を誘拐しようとした理由にも関係あることよ。ここでけりをつけないと、きっとまた繰り返す。私のためにも、そしてそれがお父さんの願いなの」
レナルトは思いがけない名前を聞き、レイラを見る。
彼女は悲しげな笑みを浮かべていた。
「お父さんはこうなることを知っていた気がするの。遥か昔から続く因縁を終わらせないといけない。ただ、今は手探りではっきりとしたことは言えない。でも、全てが終わった時、わたしの記憶に確信が持てると思う。その時には本当のことを話す」
青い瞳に宿った決意の色を見て、レナルトは頷いた。
今は彼女の身におこったことを一つずつ紐解くのではなく、まずは眼前にあるやるべきことを片付けるのが先決だと考えたのだ。
「わたし、レナルトに会えてよかったと思っている」
彼女はそう口にすると微笑んだ。
だが、穏やかな雰囲気はすぐに彼女のもとから消える。彼女は真剣な眼差しを壁に向け、手を伸ばすと呪文の詠唱を始めた。そこにある魔力の塊が拡散したと感じた後、石壁にずれが生じる。しばらくすると横に移動する。
「こんな仕掛けがあったのか」
「ずっと前に作られたものらしい。開かずの扉と呼ばれていたらしいわ。だからここから入れば誰にも見つからないはず。この町に張られた結界も一時的に破ったよ」
レイラは率先して石の門をくぐる。レナルトが続いて渡ろうとしたとき、魔力の気配がした。
レナルトは石の門の中に素早く入ると、レイラと傍にいるユーリーの体を引き寄せ、結界を張った。直後、結界に衝撃が走る。壁に沿うように人形がかけてある。
徐々に結界の強度がそがれていく。
「レイラ、あれをどうにかしてくれ」
彼女は頷き、詠唱体制に入る。そして、大きな炎が起こり人形が炭へと化し、胸をなでおろした。
だが、新たな魔力の塊がレナルト達に近付いてくる。
「誰かいる」
そう二人に対して囁いた。
ウルモがレイラと同じであれば、ここから入ってくる可能性を考慮にいれるのを忘れていたのだ。
視界を霞ませていた砂煙が地面に落ち、辺りを見渡せるようになったとき、彼らの足元には長い槍が突き刺さる。その背後には、屈強な体つきをした男が二十人程その場に立ちはだかる。何人かは既に呪文の詠唱を始めており、視界が完全に戻った時には、風の刃が襲いかかってきた。レナルトの張った結界に弾かれ、刃は消失したが、彼らのもつ槍が三本、結界に突き立てられた。結界に守られ身体は傷つかないが、魔法や物理攻撃により結界の強度は徐々に弱まっていく。
レイラやユーリーの目に不安の色が滲んでいる。
その幼馴染の顔を見て、さっきの炎は彼女にとって何らかの予想外のものだったのだろうと察した。
「十数えた時に結界を解く。直後に結界を張れるか?」
レイラはレナルトをじっと見て、頷いた。
今度はレナルト達の周りを炎が取り囲む。この炎は十数える間には消えてしまうだろう。そのため、タイミングを合わせることだけに集中する。レイラの呪文の詠唱が始まり、その魔法が発動する直前に自らの張った結界を解く。そして、レイラの結界が自らの体を満たしたのを確認した直後、風の刃を起こす。男たちの肌が随所で赤く染まる。
男たちの間で叫び声が起こる。レイラとユーリーの悲鳴に満ちた声が聞こえるが、構っている余裕はない。そして、次の行動を起こすタイミングを見計らう。レナルトは男達が魔法に無防備になった瞬間を見計らい、彼らを眠らせた。
叫び声をあげていた男達がその場に不規則に倒れ込んだ。
顔や手足に傷を追った彼らをそのままにしておくのは忍びなく、レナルトは彼らの傷を治療した。そして、レイラとユーリーを見つめ返した。
「恐らく、向こうも俺たちに気付いているだろう。ここからは気を引き締めて行こう」
レナルトの言葉に二人は頷いた。
「コントロールできないと思うなら、もっと正確にイメージしたほうがいい。どの範囲でどの程度の炎を起こしたいのか」
「そうだね。やってみる」
レイラの表情の強張りが若干緩む。
「ヤルヴィ家は?」
「あっちだけど、シルヴィアの気配はない」
レイラは右手を指す。
その時、ユーリーがレイラとは逆の方向を指したのだ。そこは町の中にある森の方角だ。
「お姉ちゃんが、あそこにいる」
「森の中?」
レナルトが眉根を寄せて問いかけると、ユーリーは何度も頷いた。
「あそこには結界が張ってあるのね。ものすごい強い魔力がを感じる」
その直後、森から多くの鳥が天に向かって羽ばたいていた。直後に、何か大気が振動するのが分かった。
「すぐに行こう。うまくいけないけど、あそこで何か起こっている気がするの」
レイラの言葉に頷き、ユーリーを抱きかかえると、その方向に向かって歩き出した。
その入り口から森に直接行こうとしたが、町の中にある壁が阻み、直接はたどり着けない。そのため、レナルト達は一度街に出る覚悟を決める。




