遠い昔の記憶
「十年前の戦争はあなたがきっかけで攻め、退いたと」
「そういうことだよ。昔の僕にはそれだけの力があった」
トーマスははっきりと言い放つ。
「なんでそんなことをしたんだ」
しなかったらマティアスを失ったヴァルクスはケヴァドの占領下に収まっただろう。彼に助けられたと分かっても、彼の行動は奇異なものでしかなかった。
「人を殺すことに罪悪感なんてなかった。それだけの力があったし、国のために使うのが正しいと教えられてきた。だが、その考えに迷いが生じ、退こうと提案をしたんだ。だが、ケヴァド側はノール家の生き残りを確保するまでは退かないと言う。だから僕は指揮官を殺した。そして、ここから退けば命を助けると言えば、彼らは退いたよ」
彼はその体に感情が載っていないのかとレナルトが感じるほどに淡々と語って聞かせた。だが、その言葉に嘘があるようにだけは見えなかったのだ。
それが現実の結果と一致するならば、真実なのだろう。
「ケヴァドでは問題にならなかったんですか?」
トーマスは自嘲的な笑みを浮かべた。
「当然問題になったよ。ただ、アールト家の生き残りは、既に僕一人となっていた。だからこそ、彼らは僕を処刑するのをためらい、僕が魔力の大半を封印することで決着がついた」
レナルトは彼の魔力が弱い理由を知る。
「国を離れて死ぬ予定だったが、そんな僕にアドニスの父親が息子を託し、そのまま十年も生きながらえたよ」
「アドニスの父親は?」
「亡くなったよ」
その時、彼が表情を歪めた。その苦悩に見え隠れする表情が、アーヴァン家の人間と重なり合う。何を思い、彼はいままで生き続けてきたのだろうか。
「君の話は終わりか?」
レナルトは頷いた。これ以上何も言えなかったというのが正直なところだろう。
「一つだけ君に聞きたい。君はレイラを殺そうとした相手がいたらどうする?」
突然投げかけられた質問に心臓の心拍数があがる。彼の辛辣な瞳を見ていると、冗談で言っているようには思えない。
「レイラを何が何でも守り抜くよ。例えその相手を傷付けても」
それが今のレナルトの嘘偽りない、十年以上抱き続けてきた気持ちだ。
「レイラは君がいてくれて幸せだと思っているだろうね」
その時、強い魔力が辺りを覆い隠す。
レナルトはそれが誰の魔力か瞬時に分かる。強さは違えど、幼いころから幾度となく肌で感じてきた魔力の持ち主を今更間違うわけがない。
「すみません。戻ります」
レナルとは一例をすると、トーマスの部屋を出た。
部屋の扉を開ける。ルーフェがベッドの傍らに立ち、手を当てていた。その手の先にはベッドに倒れ込んだレイラがいる。彼女の魔力には、今朝ヴァルクスを出たときの面影はすでにない。彼女の体から放たれる白い魔力が強くなるにつれて、赤い魔力も共鳴するかのように強くなっていく。レナルトはここまで強い魔力を持つ人間を今まで見たことがなかった。
「お前、レイラに何をした?」
レナルトは部屋の中に入ると、ルーフェに詰め寄る。だが、彼は戸惑い一つ見せない。
「さっきレイラにわたしの魔力についてどう思うか聞いたよ。彼女はこう語っていた。とても強い魔力をもった人だ、と。お前にはこの意味が分かるか?」
レナルトはその言葉に違和感を覚えた。彼の魔力は強いがとてもとは言い難い。レイラはレナルトとは違う視点で魔力を見ていた。それがレナルト達とは違う形で魔力自体を捉えている可能性も否めない。
「お前の頭の良さはわたしも気に入っているよ。そう、お前たちには感じられない魔力を彼女は感じ取れる。逆をただせば、お前が感じているレイラの魔力も彼女の一部に過ぎないってことだ。誤解を与えないように言っておくが、わたしは彼女のちぐはぐだった魔力の状態を正常に戻しただけだよ。これが彼女の持つ本来の魔力だ」
男は得意げな笑みを浮かべた。
レナルトは息をのみ、レイラを見据えた。男の話を素直には信じられなかった。だが、頭に過ぎったマティアスの言葉がルーフェの言葉をわずかながら裏付ける。彼がレイラの本当の魔力について知っていたのであれば、レナルトがレイラを避ける可能性を考えてもおかしくはない。だが、レナルトの考えは今朝と変わりない。
目の前の男が穏やかに笑う。今までのあざ笑うかのような笑みとは違う、まるで大事なものを愛でるような瞳だ。
「お前はレイラの魔力に恐怖の欠片さえも感じないのはたいしたものだよ。今でもレイラを案じている。お前とは比べ物にならない程、巨大な魔力を持った少女をね」
そして、その彼の言葉が今までより低く、沈んで聞こえていた。
「レイラの力があれば、ケヴァドまで難なくたどり着くだろう。レイラの身に何が起こったのか知りたければ、レイラか、ケヴァドでレイラと同じ魔力を持つ少女に聞けばいい。お前が魔力を色で感知できるなら誰か分かっているだろう」
レナルトの脳裏に過ぎったのは銀髪の少女のことだ。今のレイラの魔力は今まで以上にシルヴィアのものと似ていたのだ。
「でも、シルヴィアは」
「大丈夫だ。必ず再び会える」
彼はそれ以上言葉を語らず、部屋から出て行く。
レナルトはベッドに横たわるレイラの頬に触れた。彼女は小さなうめき声をあげ、顔を綻ばせる。次々と降りかかるものごとに、目の前の彼女が心の中で何を思うかただ案じていた。
◇◇◇
優しい人。レイラは父親をずっとそう思っていた。幼いころから父親の姿をずっと見ていた。称賛する人の間に入り混じる憎しみや蔑み。レイラにはその意味を今回のことが起こるまでずっと分からなかった。ただ、そんな父が自分を見て寂しそうに笑うのを気になっていた。
「きっとこの世界はいずれ緑で溢れた美しい場所になるよ」
「緑?」
首を傾げるレイラの頭を彼は優しく撫でる。その目に悲しみが宿り、まただと直感的に察してた。
「レイラには本当にすまないと思っている。でも、これだけは分かってほしいんだ。レイラのことを誰よりも大事に思っている」
彼は幾度となくレイラに詫びを入れ、彼女を抱きしめていた。
レイラには彼の言っている言葉の意味は分からなかったが、彼が自分を愛してくれていることだけは分かっていた。
だから、父親の悲しい笑みを消したくなり、レイラは幾度となく繰り返した。大丈夫だ、と。
レイラの手に何かが触れ、目を覚ました。レイラの寝ているベッドにレナルトが顔を伏せて眠っている。その彼の手がレイラの手を握っていたのだ。
なぜ自分が眠ったのか、そう考えた時、脳裏を過ぎったのは黒髪の男とのやり取りだった。自分の手のひらをじっと見つめ、魔力の強さを感じる。そして、彼のいったことが嘘ではなかったと悟った。
「レイラ」
レナルトの口から自分の名前が漏れ、心臓がいつもより早い鼓動を刻む。だが、すぐに顔を綻ばせた。
「レナルト」
レイラは彼の名前を呼び、その体を揺さぶるが、彼は身動き一つしない。
ベッドから降り、彼の体を持ちあげようとするがレイラの腕力では彼の体は持ちあがらない。
転移魔法を使おうとも考えたが、レイラは魔法の精度には自信がない。失敗をして、彼に怪我をさせるわけにはいかない。
レイラは助けを求めるために部屋の外に出る。
レイラはトーマスの部屋の電気がついているのを確認して、ノックをした。
すぐにトーマスが出てくる。レイラは彼の瞳を直視し、彼が自分の想像以上に住んだ瞳をしていると気付いた。その目にうっすらと涙が浮かんでいるのに気付いた。
レイラは顔を背け、涙を見なかったことにしようと決めた。自分だったら、泣いていてもそのことに触れられたくないと思ったからだ。
「あの、レナルトが椅子の上で寝ていて、運ぶのを手伝ってほしいんですが」
「分かりました。構いませんよ」
彼はドアを閉めると、レイラ達の部屋に来る。そして、椅子の上で眠っているレナルトを抱えると、レイラの寝ていたベッドに横たえる。隣のベッドでと言い忘れていたが、どちらでも構わないだろう。
彼はレイラと目が合うと、優しく微笑んだ。
「ありがとうございました」
レイラは深々と頭を下げる。
「ルーフェさんはどこかにいかれたんですか?」
「帰りましたよ。明日の朝、あなた達を送り出してほしいと言い残してね」
レイラは頷いた。
「あなたはミーナにも似ているけど、やはり父親に良く似ているね」
「お父さんとも知り合いなの?」
「話をしたことはないよ。でも、ミーナが良く君と君の父親の話をしていたんだ」
懐かしい名前を聞き、心がほぐれていく。今だけは現実から目を背け、思い出話に浸りたいと思ったのだ。
「お母さんとはどこで出会ったんですか?」
「お母さん?」
「ミーナのことです。ミーナは私の育ての親で、お母さんって呼んでいたの」
「ヴァルクスの近くでであったよ。彼女はお兄さんに連れられて、町の外の調査をしていたんだ。それから何度か顔を合わせる機会があってね」
ミーナの話をするたびに、彼の瞳に涙があふれる。
こんな寂しい場所で暮らしている彼とミーナが重なって見える。ミーナが彼をどう思っていたのかは分からない。だが、そこまでミーナを思う彼に彼女が悪い気持ちを持っているとは思えなかったのだ。
レイラは鞄に手を伸ばし、赤い石を取り出した。燃えるような魔力の塊の石。
彼はその石を見て、目を見開く。彼は誰のものか瞬時に察したのだ。
レイラはその石をトーマスに渡した。
ミーナとの多くの思い出がある自分よりも、彼に託したのが良いのではないかと感じたのだ。
「これ、お母さんの石なの。よかったらあげます」
彼はその手を手に取ると、胸に抱く。
レイラは彼女にも同じ世代の友人がいたのだと知り、単純に嬉しかったのだ。
「お母さんの亡骸はもうこの世にはないの。でも、良かったらお墓参りにきてください。レナルトに言えば案内してくれると思います。それに、きっとお母さんも喜ぶと思います」
再び、トーマスの目に僅かな光が宿るのをレイラは気付いてしまった。彼はお礼を言うと部屋を出て行く。
レナルトにといったのは彼を案内する気がなかったわけではない。ただ、自分がヴァルクスにもう一度戻れるのかが分からなかったのだ。
レイラは窓辺で外を眺め、先ほどのことを思い出していた。
ドアの前に人の気配を感じる。その相手がルーフェという男ということはすぐに分かった。
「レイラ、君と話がしたい」
彼はノックもせずにそう言葉にする。彼はレイラが気付いていると分かっているのだ。
レイラはその申し出に戸惑う。恐らくレナルトは良い感情を持たないだろう。だが、レイラも彼と話をしてみたかったのだ。
レイラは深呼吸をし、扉を開ける。そこには黒髪の男が立っていた。
彼はにこやかな笑みを浮かべる。
彼を知っている。レイラはそう感じ取る。だが、どれ程考えても彼をどこで見たのかは全く思いだせないのだ。だが、嫌な感情はなかった。
彼は部屋の中に入ってくる。レイラは扉を閉め、目の前の男を見据える。
「お前はわたしの魔力についてどう思う?」
「すごく魔力の強い人だと思います。離れた場所でもあれほど強い結界を張れるし、どこでも転移魔法を使える」
彼は満足そうな笑みを浮かべた。
「お前には本当の意味で魔力が戻ったようだね。だから、最後に君の中に眠る記憶を呼び戻そう。お前がなぜわたしを見たことがあると思うのか、その理由も分かるはずだ。そして、お前は答えを出さないといけない」
レイラがそれが何かを聞いても、彼は首を横に振るだけだ。
「わたしの主観が入るのは好ましくない。お前が決断を下すために、本当の記憶を取り戻してほしい」
その悲しげな表情がレイラの記憶の中にあるマティアスと重なり合う。
「分かりました」
レイラは深呼吸をして頷く。
「そのベッドに横になってくれ。そのまま眠りにつくことになるが、目が覚めた時にはすべて思い出すだろう」
レイラは彼のいうとおりに横になり、目を閉じた。そして、先程目覚め、寝ているレナルトが視界に入ってきたのだ。彼の行ったように、レイラの脳裏にはある記憶が蘇る。遠い昔の話だ。
レイラはレナルトのところに行き、彼の髪に触れた。
彼との間には様々なことがあった。だが、結局は彼が自分の一番の理解者であり、レイラが最も信頼を寄せる相手ということも思い知らされた。シルヴィアを一緒に助けに行くと言ってくれどれ程心強いかも言葉では測れない。シルヴィアを連れて帰れば、レナルトとは今までよりも親しく一緒の時間が過ごせると思っていた。
だが、自分にはやらないといけないことがある。他の誰にもできないし、逃げることも許されない。未来を知れたマティアスはこのためにヴィヴィアと結婚したのではないかと思う程だ。
不思議と戸惑いはないが、一つだけ気がかりがある。その目的を成し遂げた時、自分はもうレナルトの傍にいられなくなるのではないかということだ。
◇◇◇
暗いうっそうとした室内に透明感のある声が響く。シルヴィアは身体を起こす。
辺りを見渡すが、誰もいない。
(シルヴィア)
頭にその声が伝わってくる。あの生き物の声だとシルヴィアは察した。
(あなたに伝言を伝えないといけない)
(何?)
彼女は一息置くと言葉を続けた。
(生まれる前のあなたが今のあなたに託した言葉よ。あなたはあなたの役目を全うしなさい)
だが、シルヴィアには彼女の言葉の意味が分からない。
(レイラがウルモを殺す手助けをするのよ)
シルヴィアはその言葉に眉根を寄せた。
(何を言っているの? 何でお姉ちゃんがそんなことをする必要があるの?)
その生き物が短く息を吐く。
(記憶を失うとは厄介なものね。今から生前のあなたの記憶を戻すわ。あなたはなぜこうなったかを知るでしょう。そして、あなたの魔力を明日の昼に戻す。わたしの魔力の大半はあなたからの借り受けたもの。あなたに戻せば、彼らは今のような強い魔力をわたしから抽出できなくなる。彼らは慌てるでしょう。その隙にアドニスを連れてここから離れ、レイラ達と合流しなさい。彼女たちは近くまで来ているわ)
シルヴィアがその生物の言葉に疑問を呈する前に、彼女の頭に莫大な量の映像が流れ込んでくる。映像を見ている彼女の目から一筋の涙があふれ、拳の上で弾けていた。




