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幼き日の約束(上)

 レナルト=デヒーオは濃い茶色のブックカバーが施された本を見ると、顔をしかめる。この本はレナルトが通う中等学校より、二ランク上の上級学校に通う生徒が学ぶ本で、彼の兄からもう使わないからともらったものだった。


「こんなんじゃ勝てないよな」


 レナルトは溜め息混じりに呟く。


 レナルトは濃い茶色の髪を書き上げた。金色に近い薄い茶色の瞳で、本の文字を目で追っていく。彼の肌は透き通るような白さで、日に焼けて黒くなることもない。女なら羨ましがるような肌かもしれないが、彼自身、そんなことには興味がなかった。


 この本を手にするようになって一年。レナルトはこの本の内容をほとんどマスターしてしまっていた。学校では誰もが一目置くほどの優秀な成績を収め、授業料も免除となり、他に奨学金ももらっている。普通の生徒ならその時点で満足し、今の成績を維持し、学校生活を楽しもうと思うかもしれないが、彼は違った。優秀な学生にとどまれない理由があった。


 家の扉がノックされる。扉を凝視して、扉の向こうに立つ人が誰か察知する。

 扉の向こうが見えるわけではないが、扉の向こうから漂う魔力の強さ、雰囲気、空気の流れから相手がどんな人かは分かる。

 レナルトは溜め息を吐いた。

 他に二人といない強い魔力に、穏やかな空気。レナルトはその者の正体がすぐにわかる。

 彼を訪ねてきたのはマハト=ホーム。この国を治める長老だった。


「開けていいよ」


 レナルトは玄関先にかけた、魔力の封印を解く。

 そのタイミングを待っていたかのように扉が開き、齢八十ほどの小柄な男性が玄関の扉を開けて、中に入ってきた。彼は碧の瞳でレナルトを見据えた。

 彼は国を治める最高責任者のようなものだったが、彼を護衛するものは誰もいない。その必要もないからだった。


「暇そうじゃな」

 長老はそう言うと、ニッと笑った。


 レナルトは持っていた本を持ち上げて、長老に見えるように差し出した。勉強をしていたのだと訴えるためだった。だが、彼はその本を見ても、特に驚いた素振りを見せない。

 彼にレナルトの主張があまり通用しないことは分かっていた。それに用事がなければ彼がレナルトのもとを訪れることはない。彼も忙しく、所用に追われているためだ。


「用事は何だよ」

「ミーナが怪我をしたらしくてな。お前に彼女の治癒をして欲しいのだが」

 レナルトの脳裏に金髪の女性が思い浮かび、立ち上がる。

「ミーナが? 誰にだよ」


 マハト=ホームはそこで押し黙る。レナルトは彼のそんな表情からミーナが誰に怪我をさせられたか察知した。

 彼女は身を粉にしてこの国の平和のために尽力を尽くしている。その任務の一環として傷を負ったのだろう。

 彼女の名前を聞くたびに思いだす少女の姿があった。薄い白っぽい金色の髪をした意思の強い瞳を持つレイラという、人にこびることをしない少女だった。


「レイラは?」

「用事があってわしの家に来てもらうからしばらくは帰ってこないじゃろう」


 レナルトは頷いた。要はレナルトがレイラの家に行きやすいように人払いをしたのだろう。


「あの傷だとお前かヨハンじゃないと治癒はできないじゃろうからな。ミーナが自分で治すのも無理だろう」

「そんなに酷いのか?」

「かなりな」


 レイラ=アーヴァンはレナルトの幼馴染で、昔は良く遊んだ。しかし、今は会話をすることさえなくなっていた。


 レナルトの知るレイラは笑顔の良く似合う、顔立ちが年齢よりもあどけない女の子だった。何か新しいことを教えると、彼女の青い瞳に光が灯る。


 だが、最近の彼女は笑うことを忘れたかのように無表情で、そうさせたのはレナルト自身であることも分かっていた。レナルトは彼女の心の状態に気付きながらも、彼女と親しくすることはできなかった。ある女と約束をしたためだ。


「行ってくるよ」

 レナルトは本を閉じ、腰を上げる。

「頼むよ」


 マハトの言葉に会釈する。

 ある女とはレイラの母親代わりのミーナ=アーヴァンだった。




 レナルトはレイラの住む森の前に立った。森を覆い尽くすように結界が張られている。森の力を借りた荒々しいレイラらしい結界だと笑う。

 レイラは昔からこういったことが苦手だった。大雑把な性格は変わっていない。だが、彼女の年齢を考えると上出来だろう。


 レナルトは森に絡み合った結界を紐解いていく。森を覆っているなだらかな紐状の結界があっという間に解け落ちる。森の中に入ると、その紐解いた結界を再構築する。できる限りレイラが描き上げた結界に似せたつもりだが、魔法にはそれぞれの人間のクセが出る。その分、レイラの荒々しい結界よりは少し丁寧になってしまったかもしれない。


 だが、ばれてしまおうが、彼女がレナルトに直接文句を言ってくることはない。レナルトとは口を利くこと自体を避けていたためだ。


 森を少し歩くと、木々の間に白い壁の家が見える。その家は二人が過ごすにしては十分すぎる広さだ。この家自体も強い結界が張られているのが目に見てとれる。


 レナルトは玄関前の階段を上がり、拳を作って扉をノックするが、返事はない。だが、扉の向こうにいる彼女が来客の正体に気づいていないわけがない。


「入るからな」


 無言で入るのは気が咎め、適当な挨拶をする。


 ノブに手をかけると、絡み合った七本の紐が現れる。レナルトは以前ミーナに教えてもらったとおりに、その紐を解いていく。順番を間違うと、空気中で爆発を起こす魔法が掛けられている。その爆発を受けると腕くらいは軽く吹っ飛ぶだろう。その仕掛けを施したのは今から会いに行こうとしているミーナだった。


 森に張り巡らせる結界や扉への防御は全て彼女達が自分の身を守るためにしたことだ。


 扉を開放すると、ノブに触れる、扉に絡み付いていたカラフルな紐状のものは解け地面に落ちていた。だが、解いても数分後には元に戻り、内側から開けるときは一切作動しない。これは多くの家が使っている玄関の結界を応用したものだ。よくもこんなものを考え出したと思う。逆にこれ程しておかないとこの彼女たちが自分の身を守るには不十分だったのだろう。


 そして、これがレナルトが十年近くがむしゃらに努力をしても勝てない女性の実力だった。

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