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死の刻印

 レイラはカーテンをあけ、物憂げな瞳で夜空に浮かんでいる月を見ていた

 不安があっても甘い期待を抱いていた。いつか次の瞬間に力が戻って、マティアスに封印された力が蘇るのだと。自分の手のひらをじっと見つめる。

 あれから六日が経過するが、レイラの力が戻ることはなかった。


 明日がその結界を張る日だ。その日自体は遅らせる事は出来るだろうが、時間が伸びていくにつれて、嫌な感触が心を支配する。


 レナルトは相変わらず準備に追われているようだった。彼は自らの忙しさからか、気を遣っているのかレイラに力のことを尋ねることはしなかった。


「お母さん」


 ヴァルトの持ってきてくれたミーナの絵をマハトの家に持ってきていた。だが、絵の中の彼女は笑うことも怒ることも、アドバイスもしてくれない。

 魔力が戻れば、この空虚感を満たしてくれると思っていたが、レイラの心は穴が空いたままだった。


 細い指先で喉と、額、頭に触れた。あのときミーナに力を解放されたときに違和感を覚えた場所だった。だが、触れても抓ろうとも力は戻らない。


 町は少しずつ復興し、以前のようなとまではいかないが、にぎやかさを取り戻しつつあるらしい。


 自分だけが立ち止まり、逃げ場のない状況に追い込まれたと感じ取り、不安が時間と経過と共に増大していった。

 レイラの部屋がノックされた。


 レナルトだと思い、ドアを開けたレイラの前に現れたのは銀髪の少年だった。彼は手に数冊の本を持っている。


「どうしたの? ユーリー?」


 彼の後ろには困惑の表情を浮かべたレナルトの姿もある。


「お姉ちゃん、一緒に眠ろう」

「レナルトも?」

「うんん。僕だけだよ」


 ユーリーはそういうと、レイラの手を握る。レイラは彼の頭を撫でると、そっと抱き寄せた。


「いいよ」


 レナルトはなぜか複雑な面持ちで、レイラとユーリーを交互に眺めていた。そして、二人に声をかけると、自分の部屋に戻っていく。彼はなぜユーリーについてきたのだろうか。

 ユーリーは一足先にベッドまで行くと腰を下ろした。


「お姉ちゃんは眠くないの?」

「そんなに眠くないかな」


 明日、目が覚めたら力が戻っていなかったらどうなるのだろうか。

 そう思うと、眠気など起こらなかった。


「絵本読んで」


 ユーリーは手にしていた本をレイラに手渡す。それはレイラも子供の時に何度も呼んだことがある。


「分かった」


 レイラとユーリーは一緒にベッドに座る。

 ユーリーはごろんと横になり、自分の隣を右手で軽くはたく。眠りながら読んでと言いたいのだろう。レイラは彼の隣に横になり、本を開く。


 その物語は女の子が強くなるために冒険する話だった。ユーリーは笑顔でその本を聞いていた。不意にユーリーが何か呟いたのが分かった。聞き取れないほどの小さな声だ。レイラの本を持つ手の力が弱くなる。強い眠気を感じていたのだ。


「なんだか眠くなってきちゃった」


 最近、あまり寝ていなかったからかもしれない。


「お姉ちゃん、お休み」


 ユーリーの声が最後の関門だったかのように、その声を聞くと、レイラはその場に身を崩した。


◇◇◇



 シルヴィアは何度も彼の頬に手を触れた。彼は光のない瞳でシルヴィアを見る。


「どうしたの? シルヴィア様」


 誰かに教えられたかのようにそう口にする。


 シルヴィアが彼の過去を見れたのは一度だけだ。それから何度試みても、彼の過去を見る事が出来ない。だが、その事は気にしない事にした。今はどうやって彼の呪いを解くかに意識を向ける。


 魔力を手繰れば、彼の心臓部と脳に魔法がかかっていることは分かった。彼の思考回路を遮断するためのものだ。だが、そこから一本の魔力の線が延び、心臓にかかる。心臓部はその脳の魔法が解除されたときに同時に命を奪うために施されている。それを力で取り除けば、心臓に作用するようになっている。呪いを解くと、命の灯が消えるようになっているのだ。


 何度も彼にかけられた魔力の正体を探っていくうちに、心臓部は紐のようなものでがんじがらめにされているのではなく、心臓を覆い隠すように粘着質の物質がくっついているのに気付いた。


 ここまで分かっても、シルヴィアにはその魔法を解く魔法が思い浮かばない。


 考えれば良いというわけではないとは分かっている。新しい魔法を作り出すときは頭の中に言葉が浮かんでくる。それを口にするだけでその魔法を実行できる。だからこそ、魔法が思い浮かばないということは、実現不可能なのか、シルヴィアの能力が足りないかのどちらかだろう。


 もう辺りは闇に落ちていた。

 彼が鼻歌を歌い出す。聞いたことない歌だが、緩やかで単調なメロディは子守唄の一種でないかと連想させた。それは少年の記憶を覗いた時の歌と一致する。顔の見えない男が彼を寝かしつけるときに歌った歌。


 シルヴィアが彼と一緒に歌いだすと、彼はシルヴィアに体を寄せてきた。その目はあどけないものだ。


「お兄ちゃん」


 シルヴィアは彼の体を抱き寄せた。彼の小さな体はシルヴィアの身体にすっぽりと包まれる。最初はユーリーと同じくらいだと思っていたが、彼の言葉の多さはユーリーよりも年を重ねていると感じさせた。幸せだったようだが、決して豊かな生活ではなかったのだろう。


 シルヴィアの部屋がノックされた。

 シルヴィアは抱きしめていた彼を離すと、頬に触れた。彼は何度も首を横に振るだけで何も言わなかった。


 彼女が入ってきた。そして、アドニスの傍らに寄る。


「そろそろ彼を部屋に返そうと思いまして。もう夜になります」


 さっきの様子をどこからか覗いていたのだろう。


「分かったわ。また明日も来てくれる?」


 下手にぐずる必要はない。今日は彼の呪いを解けなかっただけで、明日もある。


 だが、少なくともシルヴィアが彼に懐いていることを感じさせれば、命を奪うことだけはできないはずだと言い聞かせていた。


◇◇◇


 レナルトの脳裏にはここ一週間のことが何度も頭を去来する。マハトから渡された本を何度も繰り返し読みふける。

 本の内容が頭の中に入ってくることはない。その代わりにマハトの言葉が何度も頭の中で繰り返される。彼の息を吐くタイミングまで思い出せるほど鮮明な記憶だった。


 彼は慈愛に満ちた眼差しを浮かべながら、ミーナを送った翌日、こう告げたのだ。


「次はお前がレイラに封印をする番だ」


 その言葉を聞いた瞬間、時間の流れが止まった気がした。ミーナはレイラにかけられた封印を解いたと言っていた。それをまた封印するなどありえないと思えたのだ。


「意味が分からないんだけど。だいたい何で俺が」

「お前はレイラを守るのだろう? そのためだ」


 彼はレナルトから目線を逸らすこともない。


「説明してくれよ。レイラのアーヴァン家がそれなりの力があるってことは聞いた。だが、彼女の力を封印したらまた力が使えなくなるんじゃないか?」


 彼女の魔力が戻っていないことは知っていた。それでもそうあえて告げたのだ。


「封印といってもマティアスが施したそれとは別物だ。彼女の身体に刻むのは死の刻印だからな」

「死の刻印?」


 レナルトはマハトを睨む。死の刻印とは魔法使いが望めばいつでもその刻印を施した相手を殺すことができる。そこに力関係は関係ない。


「レイラを殺す気なのか?」

「殺すのも生かすのもお前の自由だ」


 彼女の体内に時限爆弾を埋め込むなどそんなことはしたくもなかった。もし、自らの身体にそんなものを施されたら、嫌な感情が身体を支配する。


「レイラはその刻印を刻まなければ、一生魔法を使えないままだ」

「俺がレイラを一生守るからそれでいい。そんなことはしたくない」


 強い言葉でマハトの言葉を否定した。


「だが、レイラは守られるだけは望んでいないよ。ミーナも承知していた。マティアスもその相手としてお前を選んだ。お前はそれなりの力を手に入れた。全ては定めなんだ」


 その二人の名前を出したのはレナルトに拒めなくするためだろう。だが、そんな言葉に流される性格ではない。


「拒んだら?」

「ヴァルトにしてもらう。彼なら拒まないだろう。だが、ミーナとマティアスがどう望んでいるかは、今のお前になら分かるだろう」


 淡々と冷たく言い放つマハトの目に悲しみが映っていた。

 自分のことしか考えていなかったことを真っ先に恥じた。レイラを可愛がっていた彼がそのことに気を病まないわけがないのだ。


 彼の主張はこうだ。アーヴァン家の力が目覚めるには、体の中にある封印を施す必要がある。それを死の刻印と言う。世の中には光と闇がついとなるように、必ず対となるものが存在する。アーヴァン家を抑えるのは、デヒーオ家の役目だと。


 強すぎる能力を何の足かせもなく得られるほど甘くなく、それがアーヴァン家の家の継承にも必要不可欠だと言う。


「ミーナとマティアスに刻印を刻んだのはお前の父親じゃよ」

「父さんが?」

「ミーナの父親は」


「ヨハンだ。代々、デヒーオ家がそうすることになっていた。本当なら跡を継ぐヴァルトに任せるべきなのかもしれない。だがヨハンとヴァルトと話し合った結果、レイラの立場だとお前のほうがいいんじゃないかと思う。お前なら安心だと思ったから任せるんだ。言えないなら眠らせてしまって刻めばいい。レイラが死ぬまで気づくことはないだろう」


「本当のことをあいつに伝えなくていいのか?」

「ミーナとマティアスには事情を説明して、受け入れていた。だが、話をせずに封印をしたことも過去には合ったらしい。だから、事実を必ずしも伝える必要はない」


 レナルトは遅れてやってきた父親から、その魔法を教えられた。

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