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悩みの種

 レイラはレナルトが広げた地図を覗き込んだ。レナルトはその地図上で斜線をかけられた部分を人差し指で指す。それはこの国の西側に広がる森だ。その森にそうようにして大きな砂漠が広がっている。その先には隣国の領地があるため、隣の国に入るには陸路の森を抜けるか砂漠を抜けるかの二択に絞られる。

 マハト達と話をした結果、森を抜けていくのが最良だと判断をしたらしい。


「ポイントを作れば、いつでも戻って来れるが、問題はどこに作るかだな」


 ポイントというのは魔法で移動するために必要なものだ。この国では街中の移動は転移魔法一つで行える。だが、それは町の中に限定された話であり、一歩外にでるとそうはいかない。


 魔法を使いたい当人が、その場所に特殊な結界を残すことで、同じ場所に再び戻ってくる事が出来る。即ち、旅先とこの町を何度も行き来できるということだ。だが、いつでもどこでも使えるとはいかず、その作成した結界を誰かに消されると、その場所には再び歩いていかないといけなくなる。


 また、痕跡を綺麗に消すのは難しく、向こうの国の人間にこちらの動きが悟られる可能性もある。砂漠のほうが敷地は広く結界が見つかりにくいというメリットはあるが、消去法で視野の悪い森を歩く方が少しでも危険を減らせるのではないかと考えたのだ。


 レイラは彼の話に反対意見はない。だが、気がかりな事があった。その不安を紛らわせるために、レナルトの入れてくれたジュースを口に含む。

 その時、風が起こり、体格の良い男性が二人の前に現れた。


「よっ」


 ヴァルトは右手をあげると、人懐こい笑みを浮かべていた。


「わざわざこっちに来るのは珍しいな。学校は?」


 ミーナの葬式から三日が経過していた。あれからレナルトは打ち合わせと称し、ヨハンと何度も会っているようだった。


「しばらくは家が忙しいからそっちの手伝い。今日は届け物があって来たんだ」


 彼も事情は違えど、ユーリーと同じなのだろう。

 学校は今日から再開していたが、ユーリーもまだ学校には通っていない。

 シルヴィアのことで問い詰められる可能性を考慮し、マハトが休ませていたのだ。


 彼はその代わりとして、家での自主学習を義務付けていた。レナルトという最適な先生がいることが功を奏したようだ。


 その合間を縫い、レナルトがレイラを家に連れてきてくれたのだ。その時に、彼は落ち着いて話が出来るからと、隣国に行く時の話をし始めたのだ。


「今日も家に帰るからそのとき渡してくれればよかったのに」


 ヴァルトはレイラに布に包まれたものを差し出した。


「正面向かって何か言われるのは恥ずかしいみたいだからね」


 その白い布を外すと、もう会えないと思っていた彼女の姿が目の前にある。


 レイラは顔を綻ばせた。同時に目頭が熱くなる。そんな目の前の彼女に影が圧し掛かる。


「こんなの自分で持ってきたらいいのに」


 レナルトの声だった。彼はあきれたような笑みを浮かべていた。

 そこにはミーナの絵が、マティアスとヴィヴィアの絵と同じタッチで描かれている。


 絵を持ってきたヴァルトは覗き込むこともせずに、笑顔を浮かべていた。

 レイラは立ち上がると、マティアスの隣にこの絵を掲げた。だが、この絵を飾るには壁に穴を開けないといけないので、すぐにとは難しい。後で穴を開けてここに飾ろうと、壁にたてかけておく。


「これはレナルトに」

 ヴァルトは机の上に袋を置いた。

「兄さん」

 レナルトはその袋には目もくれずにヴァルトを睨む。

「どうかしたか?」


 彼は含みのある笑みを浮かべ、弟を見ている。


「全部知っていたんだな」


 レイラはレナルトの言葉に首を傾げる。あれからレナルトはヨハンがなぜレイラの家族に冷たい態度を取っていたのかヨハンから聞いたようだった。その事を言っているのだろうか。


「次に会うのは三日後だな」


 その言葉にレイラの身体が震える。目を閉じると唇を噛む。


 まだレイラには魔力が戻っていなかったのだ。最初はいつ戻るだろうという気持ちが、徐々に本当に戻るのかという不安へと変わる。


 別れを告げ、彼は去っていく。


「大丈夫だよ。まだ時間はある」


 レナルトはレイラの不安を汲み取ったように、彼女の肩に手を乗せた。


◇◇◇


 一日五回、シルヴィアのいる部屋の扉が開く。そのうち三回はごはんを持ってくるとき、残りの二回は機嫌を伺いに来るときだった。

 部屋がノックされる。手元にある本を閉じずに返事をした。


 扉が開き、いつもは二人で来る魔力が二つあるのに気づいた。振り返ると、そこにいつもシルヴィアの世話をする女性と、見慣れないひょろりとした男の子が立っていた。だが、少年のほうの魔力に違和感を覚える。


「男の子?」

「シルヴィア様の話し相手と思いまして」


 彼は笑顔を浮かべる。齢はユーリーと同じくらいだろうか。彼はシルヴィアの顔を覗き込む。目の奥に入り込まれるような違和感を覚え、目を閉じ、その入り込まれる感覚を振り払う。


 少年を見た。彼はシルヴィアの異変などお構いなしに笑顔を浮かべる。

 これは心を殺された子だ。そうとっさに理解した。

 だが、彼女に気づいたことを知られてはいけない。


「彼の部屋は?」

「わたしを呼んでいただければいつでもお迎えにあがります」

「分かったわ」


 彼女は詳しいことを何も教えないつもりだろう。


「少しお話をしたいの。さがってくれる?」


 彼女は頷いた。そして、いつものようにすぐに部屋から出て行く。


「名前は?」


 少年は首を横に振る。


 記憶を失っているのだろう。


 心が殺された人間の話はマハトからそれとなく聞いたことがあった。

 誰がそうしたのだろう。シルヴィアはその疑問から、彼と目を合わせないようにして、手を伸ばす。彼の身体に触れると、軽い電気のようなものが流れるのが分かった。


 なぜこの少年がここに連れてこられたのだろう。

 シルヴィアは何度も彼の過去を見たいと思うが、何度も弾かれる。


 自分の血を引くノール家が過去を見れる能力を持っていた事は知っている。魔法を創り出す事は出来ても、まだ過去を見る事が出来ないのだろうか。


 そう思った時、シルヴィアの胸元が熱を持つ。思わず胸を抑え、辺りを見渡した。


 誰もいないし、人の気配も感じない。そこから透明な自分のものとは違う魔力が流れ込んでくるのを感じる。


 今ならできるのだろうか。シルヴィアは少年の額に触れた。

 シルヴィアの全身が一つの意志をもった生命体のように、大きく脈打つ。血が逆流するような熱を持ち、息が上がる。魔法を使う時に負担を感じた事はない。


 何かがおかしいと思った時、シルヴィアの脳裏に茶色の髪をした長身の男が浮かび上がる。男はにこやかに笑い、少年の顔は見えないが弾んだ声で言葉を交わす。そして、少年の名前はアドニス、長身の男はトーマスというらしい。


 これがノール家の力なのだろうか。

 今まで人の過去だけは絶対見られなかった。何かが足りないとシルヴィアも理解していた。だが、今見ているのは彼の過去だと言う確信がある。


 トーマスはアドニスを寝かしつけるために歌を歌う。アドニスは心を弾ませながら、眠りに落ちていく。

 自分の意図する時間を覗き見れるのだろうか。シルヴィアは目を閉じ、意識を集中する。


 もう少し後の時代を見せて。彼が今の彼になった日を。

 そう心の中で願ったシルヴィアの体が大きく脈打つ。そして、辺りの景色が勢いよく流れていく。


 時折視界の隅に現れる足を見て、今彼が走っているのだと気付いた。辺りは赤く染まり、手には紙袋を握っている。重さはない。少年は足を止めた。彼の目の前に革靴が映ったためだ。


 目の前に男が立っている。赤い髪をした男だが、その顔ははっきりと見えない。


 会話の内容もはっきりとは聞こえないが、世間話のようなものだと感じ取る。


 辺りの夕焼けの光が一段と落ち着いた時、男の声質が変わる。どこかで聞いたことのある声だと感じ取る。


「君は自分の家のことを知っているのか?」

「家のこと?」


 少年は怪訝そうな表情を浮かべている。怯えているようにも見えた。


「僕はトーマスお兄ちゃんの知り合いなんだよ」


 少年が彼の後ろを覗き込む。少年の動きが止まった。目の前にあった、紙袋が滑り落ち、地面に落ちる。粉が土の上に混ざり合う。そして、男の来ていた黒のローブが視界に映る。男が少年の肩を抱いた。


「君には大切な仕事があるんだ。お姫様のお守りだという仕事がね。これから頑張って働いてくれ」


 その時、シルヴィアの脳裏に男の顔が浮かび上がる。そして、彼が誰なのか分かる。あの男はミーナを殺そうとしていた男に間違いない。


 この少年が連れてこられたのはシルヴィアのためだ。


 シルヴィアが過去を読む可能性があることを分かった上で彼を差し向けたのだろうか。


 そうであれば、彼女のせいで多くの人が犠牲になっていると伝えようとしているのだろう。


 シルヴィアは唇を噛む。


 マハトが教えてくれた心を殺された人間の話には続きがあった。彼らは心を殺された時点で、魂も殺されているのも同じだ。そして、その呪いは少年の命が尽きる日まで、解ける事はない。


 最初、マハトがなぜ自分にその話をしたのか分からなかった。だが、それがシルヴィアが魔法を作り出した日だった。彼はその呪いを解く魔法をシルヴィアが創るのを期待していたのだと今なら分かる。


 彼をおいて逃げられるか。その問いかけの答えはすぐに出てくる。

 シルヴィアの逃げたい気持ちに、新たな足かせがかけられた。

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