永遠の眠り
静寂が辺りを包み込む。息をするのもはばかれるほど静かな夜だった。ミーナの眠りを妨げまいと、森さえも息を潜めているように感じる。
レイラは手を差し出した。森の水気を宿した空気がレイラの手のひらを包み込む。
彼女は手を引っ込めると、森を歩む。このすぐ先にアーヴァン家の墓がある。
木々を分け入るように石造りの墓標が目に入るが、人の気配は皆無だった。
墓といってもここには遺骨も眠っていない。アーヴァン家の人間は誰もその体をこの世に残していないのだ。代々、なぜそのような結末を残したか今なら分かる。
マティアスが国民に手を下したように、国を守るために他の人から良く思われない事も実行に移してきたのだろう。
レイラは足を止める。幼い頃に親族を葬るためにこの場所に来たことがある。手を合わせると目を閉じ、アーヴァン家に対して祈りを捧げる。
隣に人の気配を感じ、目を開けた。レイラの隣に立っていたのは、ここに連れてきてくれたレナルトだった。
「ここか」
レイラは頷く。
「ミーナを連れてくるから」
間もなく約束の時刻になろうとしている。
「結界があるから大丈夫だとは思うが、本当に一人で平気か?」
レイラは頷く。
「大丈夫」
「出来るだけ急ぐから」
レナルトはそう言い残し、姿を消す。
一足先にレイラとレナルトがこの場所に来ることになった。それはレイラのわがままだったのだ。レイラは静寂に包まれた森を見渡す。レイラには魔力がない。そのため、ここに自分以外の誰かがいるかも分からない。ただ、レイラはヨハンがここに既に到着してくれているのではないかと思ったのだ。ミーナが彼を慕っていたように、彼もミーナを大切に思っていた、と。今であれば彼のミーナに対する素直な気持ちを聞けるのではないかと思っていた。
レイラはお墓の上に載っていた葉に触れる。そして、その葉を地面に置いた。
森が息を吹き返したようにざわめく。レイラはヨハンかもしれないと考え、辺りを見渡したのだ。だが、辺りは風がなびくだけで人の気配はなかった。
自分の思い込みだったのだろうか。
「お母さんはあの人のことが大好きだったんだね。わたしはずっと怖い人だと、アーヴァン家を憎んでいると誤解していたの。両親の絵を描いてくれてありがとうと伝えたい」
彼がここにいて、自分の言葉を聞いていてくれたらいい。願望でしかないと分かっていても、母のいないお墓に語りかける。
墓石の輪郭が滲むのに気づき、首を横に振る。
そのときまた風が流れた。先ほど別れた少年が戻ってきたのだ。彼は彼女を地面の上に寝かせる。その隣にはマハトとユーリーもいる。
今にも動き出しそうな彼女に動いてくれたらと期待しそうになり、そんな心を叱りつけた。
レイラは涙を拭う。言葉が感情に流されないように細心の注意を払う。
もうその気持ちに別れを告げる瞬間がやってきたのだ。
「マハトかレナルトに頼もうかな」
レナルトが闇に目を向けた。レイラが彼の視線を追ってもあるのは闇だけだった。
レナルトはマハトを見る。マハトはわずかに微笑むと頷いた。
「俺がするよ」
レナルトが目を閉じたときだった。
木々が再びざわめいた。また、息を吹き返したように騒ぎ出す。
閉じていたレナルトの瞳がゆっくりと開かれる。彼の口元が緩んでいた。彼が名乗り出て、今笑った理由に気づいたのだ。
闇の中に一筋の光が宿る。それは風が吹けばあっという間に消え去ってしまうほど、儚げな光だった。闇に同化するように濃い紫のローブを纏った男の姿があった。彼の口が震える。
ミーナの身体を光の粒子が包み込む。その光の粒子がミーナの身体を覆い隠した。一粒、一粒と、こちらに数える余韻を残すかのようにゆっくりと光の粒子がミーナの身体から離れる。次の瞬間、自らの場所を求めるかのように闇の中に解けいってしまった。そして母の姿はどこにもない。
「お母さん」
まだ数えるほど残っている光の粒子に話しかける。粒子がまた姿を消す。ただ、連鎖的に消える光の粒子を目で追い続けると、残り二粒になった。
「いつか会いに行くから、そのときまで待っていてね」
それは自らの血と向かい合う覚悟でもあった。
また一つ消える。
最後に彼女に何を伝えよう。迫りくる時間の中で必死に考える。
彼女に一番言いたい言葉。そう考えた時、言葉が零れ落ちてくる。
「今までありがとう。大好きだよ」
レイラがそう語ったとき、最後の一粒が闇の中に解け入った。
彼女は最後まで言葉を聞き遂げてくれただろうか。
考えても答えは出てこない。
また風が起こり、森がざわめく。
ヨハンにもお礼を言わなければと、先ほど光の見えた方角に目を向けたとき、目の前に一本の手が差し出される。その手の主はマハトだった。
彼はゆっくりと首を横に振る。
今は一人にさせてやれ。
彼の切ない瞳がレイラにそう伝えているのを感じ取る。
レイラは頷き、天を仰いだ。夜空に瞬き続ける星はヨハンのようだと思えてならなかった。
マハトの家に帰ると、ダイニングテーブルにミーナがレイラに残した手紙が置いてあった。レイラはその手紙をそっと手に取る。
その文面は暗証出来るほど、完全に覚えていた。
レイラへ
あなたがこの手紙を読む頃には、わたしはもうこの世にはいないのでしょうね。
わたしの人生を人は不幸というかもしれない。
でも、あなたに会えてこれ以上もない幸せな人生だった。
あなたをずっと支えたかった。守りたかった。
でも、同時に自分には残された時間があまりないことも気づいていた。
だから、残された時間で少しでもあなたのために何かをしたかった。
以前の戦争でわたしは多くのものを失った。どうしていいか分からないでいたときに泣きじゃくるあなたを見て、あなたのために生きようと思った。あなたが負担に感じてしまったらごめんなさい。
レイラ、あなたはあなたの道を歩んでね。わたしは辛かったら逃げ出せばいいって思っている。こんな国もしきたりもどうでもいい。でも、そう思っていたのに逃げ出せなかった。大嫌いなのに大好きな国だった。
わたしがこの国を好きな理由。それは大好きな人達がいたから。レイラ、レナルト、シルヴィア、ユーリー。そして、マハトとヨハン。
ヨハンはね、悪い人ではないのよ。ちょっと事情があってわたし達と話をしないだけ。その証拠にね、彼はマティアスとヴィヴィアの絵を描いてくれたのよ。あなたがいつでも両親の顔を思い出せるようにってね。きっと仕事が選べたら、画家になっていたでしょうね。
あなたが赤ちゃんのときはね、お忍びでよく遊びに来てくれたの。わたしの大好きな果物を持って。でも、次第に足が遠のいた。下手に親しくなるのが怖かったのかもしれない。彼はあなたに嫌われる役割を担わないといけないのだから。彼は強いけど、とても脆い人なのよ。
長くなったけど、あなたには自分の好きな道を選んでほしいと思っている。
何か困ったことがあったらレナルトに相談しなさい。きっと彼はあなたを裏切らないから。
続きは他の人に伝えてね。
レナルトにはいろいろきついことを言ってごめんね。あなたにどれ程負担をかけたか分かっている。あなたがそれを理解してくれていて救われた。ヨハンは本心ではあなたの決意を認めているのよ。きっとね。
シルヴィアには変な男につかまらないようにね。しっかりしているから大丈夫かな。なにがあっても自分を信じて。あなたはきっと素敵な人になるわ。
ユーリーは強くなってね。あなたは不可能を可能にする力がある。だから、大丈夫よ。でも、伝えるのは大人になってわたしのことを覚えていてくれたらでいいから。
マハトにはいろいろありがとう。あなたがいなかったら、この国を逃げ出していたのかもしれない。わたしの父の一人だと思っています。
ヨハンには、直接は無理だろうからレナルトに頼んでね。今までのことを気に病む必要はない。あなたはわたしの父なんだから。それくらいの事情は分かっている。だから、気にしないで、一日でも長く長生きしてください。お互いに命の灯が消えた時には、ゆっくりお話をしましょう。
レイラはその手紙を受け取ると、抱き寄せた。
彼女の優しさが、自らの身体に伝わっていくのを全身で感じていた。




