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二人の家族

 レイラ=アーヴァンは窓を開けた。窓の外には深々とした緑が茂っており、少し先を見渡すことさえもできない。青い瞳を森から逸らすと、清々しい空気を吸い込んだ。森は今日もいつもと変わらず、静けさを保っている。いつもと変わらない雰囲気に、ほっと胸をなでおろす。


 ここは町の中央付近から離れた森の中だ。木々が生い茂り、目を凝らしても奥を見ることができないため、通称、迷いの森と呼ばれていた。


 だが、この森の最初からそう呼ばれていたわけではなかった。

 町から近い場所に息づく緑の地は人々の安らぎの地でもあり、同時に食料や綺麗な水を与えてくれる場所でもある。いや、正確にはあったのだろう。だが、今は人気がない場所へと変わっていた。それはこの近くに住む血族と関わるのを多くの人が避けていたためだ。


 その森にすむのがレイラ達のアーバン家だ。この国にその名前をしらない者はおらず、過去には名家と謳われた一族だ。だが、その一族の人間は多くが命を失い、今は二人きりとなっていた。


 レイラは森の微かなざわめきに気付く。彼女が帰ってきたのだと察する。


 彼女は前方に腕を投げ出すと、手の平を上にして、目を閉じた。唇を僅かに震わせ、小さな声で言葉を紡ぎだす。それはレイラを娘として育ててくれたミーナに初めて教えてもらった魔法だった。


 レイラが文字列を最後まで唱え終わると、森のざわめきが一瞬にして静まる。静寂に導かれるようにして目を開けると、木々が自らの意思を持ったかのように動き、人が通れるほどの道を作り出す。視界が一気に開け、一人の細身の女性がふら付いた足取りで歩いてくるのが見えた。


 レイラは彼女の様子に嫌な予感がし、玄関を飛び出すと、彼女の傍に駆け寄る。レイラと同じ白さの残る薄い金髪が、陽の光に煌めいた。その間から彼女の青く澄んだ瞳がレイラの姿を捉えた。


 レイラが大好きな瞳だった。


 ミーナは目を細める。だが、頭から流れる赤いものが、その笑顔を痛々しいものに変えていた。


「迎えに来てくれたの? ありがとう」

「気にしないで、お母さん」


 レイラは彼女の肩を担ぐようにして持ち上げる。彼女の足もとまでの丈のワンピースも泥をかぶっている。

 ミーナはまた微笑んだ。まだあどけなさの残る顔立ちはレイラの親というには若すぎた。年齢も二十半ばを回ったばかりで、若いといっては差支えはないだだろう。


 それも当然だ。彼女はレイラの本当の母親ではない。彼女はレイラの実の父親の妹で、叔母に当たる女性だった。

 だが、レイラ自身は彼女に敬意を込め、母と呼んでいた。唯一の血が繋がっている存在ということも彼女にそう呼ばせている強い要因だったのだ。


 レイラはミーナを連れて家の中に戻る。彼女を休ませるために一階の玄関の左手にある彼女の部屋まで連れていく。ドアを開けるとベッドと書物で埋め尽くされた部屋が視界に飛び込んでくる。


 レイラは彼女を部屋の奥にあるベッドまで連れていく。

 ミーナが座ると木製のベッドがわずかに軋んだ。その奥にある窓の大半をうっそうとした森が占めてしまっている。レイラは白いカーテンを引き、窓から入ってくる光を遮断した。


 森の息吹しか聞こえない場所で二人は暮らしていた。

 買い物に行くにも学校に行くにも長い道のりを歩かなければならない。そんなわずらわしさを十分考慮しても、レイラはこの生活が気に入っていた。


 レイラはミーナを再び見つめる。彼女の傷が浅くないことは青ざめた肌と、頬を伝う血が教えてくれていた。

 レイラはミーナの傷口に手を当て、傷を治す魔法を思い出しながら呟いていく。指先に白の湯気のような光が灯り、僅かな温もりを感じる。その温もりをミーナの傷口に当てようと近づけた。だが、レイラの指先の光は十センチ先にあるミーナの傷口に移動せず、指先にまとわりついている。

 失敗したのだ。

 レイラが再度呪文を唱えようとしたとき、ミーナが温かい手でレイラの手に触れた。


 ミーナは青く澄んだ瞳を細める。

「後で自分で治すから無理しないで。まだあなたは慣れていないのよ」


 レイラは返事をしたが、失敗したことが気にかかる。こういうときのために練習してきたのに、どうして上手く効果を出せないのだろうか。


 この世界では言葉を頼り、事象を起こす。その効果は傷を治したり、場所を移動したり、多種多様な効用がある。


 呪文が決まっていても、誰もがその呪文を使うことができるわけではない。人には向き不向きがある。正確に呪文を唱えることができても、先ほどのように作用しないことがある。


 能力不足や体調不良などが様々なものが失敗の要因として挙げられるが、個々によりそれは異なる。


 レイラが治癒が苦手なのは血統的な問題だとミーナから聞かされていた。だが、同じ血族の人間がその能力が全く使えないわけではない。ミーナは基礎的なものを使いこなせる。それは経験の差なのだろう。


 血族。それがレイラとミーナがこの場所に住む理由だった。

 そのことを思い出す度に、胸をかきめぐらすような記憶がレイラの心に風穴を開けていく。


 人には得て、不得手がある。一つの分野が突出して苦手な場合、何かの部分が秀でていることはよくあることだ。訓練を積むことで、どうにか実用レベルまで昇華することは可能だ。だが、もう十五歳になるレイラは七歳ほどの子が使える簡単な治癒の魔法が使えなかった。


 気にすることはないとミーナは言ってくれたが、気にしないわけにはいかない。能力が足りないわけでもない。しかし、何かが壊滅的に欠けているのだ。


 その何かはレイラはもちろん、レイラの通う学校の教官でさえも分からないようだった。機会があるたびにその力を試すしかなくなってくる。

 レイラにその力を試させてくれるのはほんの一部の人間しかいない。ミーナはその数少ないうちの一人だった。彼女が傷を負うたびに、治せない自らの能力の低さが嫌になってくる。


「お水汲んでくるね」


 ミーナはレイラの言葉に微笑む。

 その彼女の微笑が一瞬で消えた。彼女は首をかしげ、自らの記憶を手繰り寄せているようだった。


「用事、頼んで良いかしら」

 ミーナが何かを思い出したように呟く。

「何?」

「マハトの家に行ってきて欲しいの。渡したいものがあるらしくて」


 マハト=ホーム。彼の名前を知らない者はこの国こにはいないだろう。彼はこの土地を治める三人の長老の一人だった。その中でも彼が一番力を持っていると聞く。


「いいよ」


 レイラは微笑む。


 長老の家は町の端にあることから、行きにくい場所ではなかった。


 レイラは彼女の応急処置を済ませると、一度ミーナの部屋を出る。そして、その正面にある暗室に入る。レイラが蛇口を捻ると飲める状態の水が出てくる。そして、その傍に常備している土で作られたポットを軽くすすぎ、水を汲んだ。同じ原料で作られたコップと一緒にミーナの部屋に置きに戻る。


 ミーナはレイラと目が合うと、小さな声で「ありがとう」とお礼を言う。


 まずは自分の部屋に戻り、準備を整えることにした。そのとき、目に付いた鏡に顔を映す。鏡の隣に置いてある帽子を深々と被った。帽子は動くのに邪魔になるので、好きではない。だが、人と目を合わせないには最適なアイテムだった。


 レイラは綿で編まれた黒のニットを身にまとう。少し大きめのサイズのニットが身体全体を覆ってくれ、妙な安堵感がある。


 忘れ物はないかと室内を見渡したとき、視線が机の上に置いてある紙で止まる。「もう来るな」と黒のインクで記されていた。これは学校にいる時にいつの間にか鞄の中に入っていたもので、クラスメイトの誰かが入れたもののようだ。こんなことは良くあり、随分慣れてしまった。


 レイラは集中もせずに、言葉を紡ぎ出す。意識をその紙に向けた。その紙が一瞬でその場所から消え去った。紙をばらばらに分解したのだ。

 これは普通の人は大人になっても習得できる人は〇.一パーセントにも満たないと聞いた。だが、レイラは十歳に満たないことからこの魔法を使うことができた。練習をしたわけでもになく、本に書かれた呪文を口にしただけだった。


 誰でもできる治癒がレイラにとって苦手なら誰でもできないことができる。ただそれだけだ。


 部屋を出るとリビングの壁にかかっている青い目をした男性の肖像画が目に入る。マティアス=アーヴァン。レイラの父親だった。その隣に微笑んでいるのは大人びた顔立ちの女性で名をヴィヴィア=アーヴァンといった。

 マティアスとヴィヴィアは又従兄弟という同一血族だった。ある程度血縁が離れているなら法律上結婚は制限されていない。しかし、マティアスの婚姻は皆に反対された。


 レイラの一族が強い力を持つ破壊の力。それが強まることを恐れたのだろうと噂されていた。そうして生まれたのがレイラだ。彼女自身攻撃系の魔法はすぐに習得できたが、その副作用か、回復魔法が全く使用できない。

 父親のマティアスは全てにおいて万能だったらしいが、レイラにあまり受け継がれなかったようだ。


 レイラは溜め息を吐く。

 こんなことを気にしても仕方ない。

 レイラは長老の家に行くためにミーナに声をかけると家を出た。


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