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悲しみの連鎖

 シルヴィア=ホームは目の前にある窓の外を見た。窓は鉄格子で区切られて、逃げ出さないように結界が張られている。部屋には丁寧に机と本が置かれている。部屋には少し老朽化した感が否めないベッドが置いてある。

 ここの部屋に直に連れて来られ、食事の時間を考えると一日以上が経過したことになる。


 シルヴィアの部屋がノックされた。

 シルヴィアが返事をすると、細身の黒髪の女性が顔を覗かせる。


「シルヴィア様」


 彼女はシルヴィアのもとに来たときから、彼女の世話を任されているようだった。


「何か用ですか?」


 ここに連れてきた人間に対して不満はあるが、当り散らすことは賢くない行為であると心得ている。だからこそ、シルヴィアは極めて冷静な態度を心がけていた。


「ここでの生活に慣れましたか?」

「まあまあかな」


 建物はしっかりしていて物も豊富に揃っている。だが、これがヴァルクスかと問われれば、シルヴィアは違うのではないかと考えていた。


 ここに放り込まれて丸一日以上が経過している。その間、逃げ出すことを考えなかったといえば嘘になる。だが、まだあの町にはシルヴィアを連れ去った男のような輩が数多く潜伏している可能性もある。逃げ出しても今の彼女には戻る場所がないし、逃げること自体も難しいのは分かっていた。


「でも、一人だと退屈してしまうの。話し相手がほしいわ。できれば同じくらいの年の子」

「男の子でも女の子でもかまいませんか?」

 シルヴィアは頷いた。


 今から自分が何を強いられるのかは分かっていない。だが、彼らがシルヴィアのことをたまに「お姫様」と呼んでいることを察すると、シルヴィア自身ではなく、ノール家の血を必要としているのだと察していた。彼女を傷つけないように大事に扱っていることは好都合だった。


「そうですね。彼に相談しておきます」


 彼という言葉に、心の中だけで反応する。

 彼女達は彼という存在に物事を決めるときに相談するらしい。

 彼女はすぐに出て行く。あまり長い時間、シルヴィアと同じ時間を過ごさないように最新の注意を払っているのだろう。


「このままここで暮らすのかな」


 彼女はその足で窓辺を覗き込む。

 彼女の目には鉄格子の先には青い空と絵にも描いたような町並みが広がっている。だが、その景色には人がおらず現実味がない。誰かが見せた幻覚だろう。部屋の中では魔法は使えるが、その力は外部に届かない。そのため、かなり強力な結界が張られていると分かる。

 どこで話を盗み聞きされているか分からないため、下手な言葉も漏らせないし、考えることも避けていた。

 シルヴィアは面倒そうにため息を吐いた。


◇◇◇


 ミーナは今にも動き出すのではないかと思うほど白く透った肌をしていた。レイラはゆっくりとその頬に手を伸ばす。指先が冷気を感じ、思わず手を引っ込めた。

 マハトが彼女の体の腐食を防ぐために冷やしているのだ。

 同時に、冷たさが彼女の身体に魂が宿っていないということをレイラに教える。

 レイラの身体に細い影が触れる。


「大丈夫か?」

 頷いた。そして、マハトに心配をかけないように優しい笑みを浮かべる。

「お母さんの怪我を治してくれてありがとう」


 彼女の身体にはレナルトが治した後でも、傷が残っていた。その傷がすっかりと消えさっていたのだ。


「それは昨晩、ヨハンがしてくれたんだよ。女の子なのに傷だらけは可哀相だから、と」


 その言葉にレイラは自分の頬の筋肉が緩んでいくのを感じていた。そのまま、もう一度、彼女の頬に触れた。

 彼にとってはいつまでもミーナは娘だったのだろう。


「あいつはほとんどミーナに会うこともできなかった。心にもない罵りをずっと続けていたんだからな」


 望んでいない罵りは彼の心を苛み続けたのだろうか。彼らと同じ状況とはいかないが、その気持ちは微かながら理解できる気がした。


「ヨハンはそんなにお父さんが憎かったのかな」

 ふと、そんな言葉を漏らしていた。それは相手がマハトだからこそ、言えた言葉だろう。


「ヨハンはマティアスの事を嫌ってはおらんよ。むしろ、頼りにしていたはずだ。お前にも本当の事を言っておくべきだな」


 マハトは短く息を吐く。


「十年前の戦争にはもう一つ人形が存在していた」

「ヴァルトの持っていた人形?」


 マハトはその言葉を聞き、首を横に振る。


「この国の民だよ。この国の国民の多くが、何物かに心をあやつられ、自分の国の人を襲い始めた。みんな自分で手を下すのを恐れ、殺されたり、傷つけられたり。その繰り返しだった」


 レイラは驚き、マハトを凝視する。

 単純に力の差でこの国の人の多くが命を落としたのだと思っていたためだ。


「だからこそ、マティアスはその操られた人を殺したんだ」


 マハトの言葉に、レイラの心臓が跳ねる。


「でも、殺さなくても呪いを解けば良かったんじゃないの? ヨハンがわたしにしてくれたように」

「それは呪いが発動していないからこそだよ。あやつられた人間の呪いは死ぬまで解けない。それを解く人間が隣国にはいるかもしれないが、十年前の私達には出来なかったんだ。だから、殺すしか彼らの国民への殺戮を止められなかった。それを買って出たのがマティアスだった」


 レイラはマハトを見る。レイラが考えていたよりも、現実は残酷だった。


「彼らが心をあやつられ、殺戮していたことは一部の人間しかしらない。マティアスが本当のことを伝えなくて良いと言ったんだ。彼らの生き残った家族が、国民から祭り上げられるのを怖れたんだろう。だが、その心をあやつられた人間の家族の多くがその事を知らない。知っていても、お前たちを恨む人間もいた」


「本当のことは、隠しておいたほうが良かった、の?」

「加害者であるより、被害者として名が伝わったほうが楽なのではないかと考えたんだよ。その中にはヨハンの弟もいた。ヨハンは分かっていたのさ。弟が隙を作り操られたのが悪い、と。だが、国民はヨハンの弟がマティアスに殺されたことだけは知っている。弟を庇うつもりはなくても、彼がアーヴァン家に優しくする事で、本当の事を悟られまいとしていたんだよ。マティアスの願いを叶えるために。ただ、正しかったのかと言われたら、その答えは分からない」


 レイラはどう返して良いか分からなかった。ただ、悲しいの言葉しか出てこない。


「わたしがシルヴィアを救う時に向こうの国の人を傷付ければ、それが憎しみに変わるのよね。わたしだって、お母さんの命を奪った人のことは許せないと思う」

「無理もない。それが今までずっと続いてきたことだ。わしだって隣の国の人はあまり快くは思っていない。だが、恨み言を言い続けていても、どうしょうもない」


 レイラは人を悪く言わない、マハトの言葉に頷いた。


「だが、わしはお前は本当の意味でミーナの願いを叶えてほしいと思っているよ。幸い、お前には、一緒にいたいと心から思う人間が一人いる」


 マハトが誰の事を言っているのか、レイラには想像に堅くない。

 そのとき優しい光の存在を感じ、レイラのイメージが実在のあるものへと変わる。

「一応説得はしたんだけど、分からない」

「だめならマハトかレナルトにお願いするからいいよ」

 レイラは寂しそうに笑みを浮かべていた。


◇◇◇


 アドニスは赤い夕日は苦手だった。闇を怖いと思うのは幼い頃からのある意味クセのようなものだった。

 アドニスは持っていた袋を握り締めると足を早める。

 彼の濃茶の髪の毛が夕日に染まりかけようとしていた。

 そのとき、アドニスの目の前に灰色の影が現れる。

 顔を上げると、そこには赤い髪をした男が立っていた。彼は目が合うと、人懐こい笑みを浮かべた。

 アドニスの警戒心が少し和らぐ。

「買い物かい?」

 小麦粉と砂糖の入った紙袋を握り締めた。

「お兄ちゃんに頼まれたの」

 アドニスには十歳以上年の離れた兄と呼べる存在がいた。彼の名前はトーマスといった。


 男は人懐こい笑みを浮かべたまま問いかける。


「お兄ちゃんはどんな人?」

「無口だけど優しいの」


 男の手がアドニスの髪の毛に伸びた。


「そっか。君とお兄ちゃんはどっちが強い?」

「お兄ちゃんだよ」


 兄を好むアドニスにはこれ以上はない問いかけだった。自信に満ちた笑みで、そう伝える。


「そうか」


 アドニスの今まで見ていた彼の姿が偽りだったかのように冷たい笑みを浮かべていた。

 アドニスは寒気を覚え、後退した。


「君は自分の家のことを知っているのか?」

 低く、氷のような声だとアドニスは思った。


「家のこと?」


 アドニスは無視ができずに彼の言葉に応じる。


「僕はトーマスお兄ちゃんの知り合いなんだよ」


 アドニスが彼の瞳を見ると、手に握られていた袋が滑り落ちる。袋が破れ、白い粉が飛び散る。アドニスの身体は命を宿していないかのようにその場に崩れ去る。そして、さっきより赤く染まった夕日がアドニスの身体を赤く染めていった。



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