プロローグ
レイラ=アーヴァンは眉間にしわを寄せ、青の瞳で手のひらをじっと見つめる。
彼女の指先から白いものが飛び出すが、すぐに空気に拡散した。
「やっぱり使えない」
彼女は薄い金色の髪を耳にかけると、肩を落とした。
「そのうち使えるようになるよ。いつもおじさんもそう言っているじゃないか」
レナルト=デヒーオはレイラの薄い金髪の頭を撫で、微笑んだ。
「分かっているけど」
「レイラ、レナルト」
白い壁の家の扉が開き、男性が顔を覗かせた。背丈が高く、輝くような金色の髪をした男性だ。
彼の名はマティアス=アーヴァンと言い、レイラの実の父親だった。
「お菓子ができたから」
彼の言葉を空間を引き裂く音が呑み込んだ。レナルトは振り返り、天を仰ぐ。
隣に立つレイラの指がレナルトの見ている右斜め方向を指した。
青い空が、町から立ち昇る灰色の煙に飲み込まれていく。
「レイラ、レナルト。家に入れ」
レナルトは空を見上げる少女の手をつかみ、家の玄関に戻る。そして、マティアスの手がレナルトの肩に触れる。
「二人とも。家の中にいろ。絶対に外に出るな」
レイラの青い目に光が宿る。彼女は唇をきゅっと噛みしめた。
少女を捉えていた青い目がレナルトを捉える。
「レナルト、レイラをここから絶対に出さないでくれ」
おかしい。レナルトは焦りを露わにするマティアスの腕をつかむ。
「無事に帰って来るよね?」
レナルトの問いかけにマティアスは頷いた。彼は顔を強張らせながらも笑みを浮かべる。
「大丈夫。おじさんはこの国で一番強いんだ」
それは嘘ではない。彼はこの国で一番の魔法使いだと誰もが口にする。マティアスを快く思わない人も例外ではない。
彼がある文字列を紡ぐと、彼の姿が視界から消えた。
「レイラ、家の中に入っていよう。すぐに戻ってくるよ」
だが、レイラの目から大粒の涙が溢れだした。レナルトはぐずるレイラの手を引き、彼女を家の中に連れていく。
だが、彼女は一向に泣き止まず、ただひたすら泣き続ける。
レナルトはレイラの頭を撫で、彼女を泣き止ませようとした。
「大丈夫だよ。おじさんはこの国で一番の魔法使いなんだ」
いつもはレナルトが彼女を諌めれば、すぐに泣き止む。だが、その時だけは状況が違っていた。
その時、辺りに激しい衝突音が響いた。家の窓ガラスが揺れ、机の上に置いていたコップがかたかたと音を鳴らす。
爆音で家が震え、その度に体を震わせる。
その異変を肌で感じるたびに、レナルトの心拍数が自ずと上がっていく。立ち込める煙に何か異変が起こっていることだけは分かった。
「やっぱり行く」
立ち上がろうとしたレイラをレナルトが制した。
「僕が見てくるよ。だから、レイラはここにいて」
レナルトはレイラを諭す。彼女は泣きながら頷いていた。
レナルトは同世代の子供の中で魔法の能力がずば抜けていた。だからこそ、現状を見て家に戻るくらいたやすいと考えていたのだ。
レナルトはレイラの家を飛び出すと、目の前にある深い森を駆けていく。
まずはマティアスのいる方向を見極めようと考えたのだ。
だが、出口に近付くにつれて、町から灰色の煙が複数出ているのに気付いた。だが、一か所だけ明らかに煙の出ている領が違う。その方向は三十二番街だとレナルトは判断した。そこにはこの国では特別な家系の人間が住んでいたからだ。
森の外では何人かが足を止め固唾をのんで見守っている。
慌てふためくことがないのは、この国の広さのせいだろう。その三十二番街からこの付近まで歩けば半日以上はゆうにかかる。
その時、灰色のジャケットを来た男性がレナルトに寄ってくる。彼はこの国で警備を担当している。
「レナルト、なぜこんなところにいるんだ。早く家に帰りなさい。お前たちも家に帰り、落ち着くのを待ちなさい」
その言葉に促され、人々は姿を消す。各々の家に帰るために転移魔法を使ったのだろう。
「君も」
「マティアスはどこに行ったの?」
「彼なら三十二番街のノール家の方に行ったんじゃないかな。彼が行ったならすぐに現状は収まる。だから」
レナルトは呪文の詠唱を始める。足元が白く輝く。
「レナルト」
男性がレナルトの魔法を取り消すべく、魔法の発動を止める魔法を詠唱するが、レナルトの魔法の発動のほうが一瞬早い。レナルトは転移魔法を発動させた。
レナルトは胸騒ぎがしたのだ。すぐに収まる。そう言っても、空に立ち昇る煙の量は徐々に増えていく一方だ。そして、レイラとの約束を果たすために。
だが、三十二番街付近に到着したレナルトは目を見はる。穏やかな街並みは既にそこにはない。壁の壊れた家、屋根のない家、そして炭とかした家らしきもの。炎が辺りの家々を焼きつくしていく。
レナルトの足に何かが触れた。目を凝らすとそれは黒焦げになった人の塊だ。
レナルトは体を震わせるが、マティアスを探そうとした。そうレイラと約束したからだ。だが、動き出そうとしたレナルトの足が竦む。
そこにはヴァルクスの人間もまばらにいたが、その他に見たことのない存在がいたのだ。
体格が良く一見人のようだが、その人に何か違和感を覚えた。
「レナルト、なぜここに」
その声のした方向を見ると、白いローブを来た金髪の男性がこちらを見て目を見張っていた。彼の足もとにも同じように遺体が転がっている。
「早く、家に戻れ」
いつもは穏やかなマティアスの言葉にレナルトは現状を察し、転移魔法を使おうとした。だが、レナルトの前に大きな影が立ちはだかる。それは人とは思えないほどの大きさで、レナルトは唖然と人間らしきものを見つめていたのだ。
その人間らしきものがその場に崩れ落ちる。その男の体からは血が殆ど出ていない。彼の体を撃ち抜いたのは、マティアスの魔法だ。
「落ち着け。家でもどこでもいい。ここから離れろ」
マティアスはレナルトの腕をつかむ。だが、マティアスが目を見張り、レナルトの脇をすり抜け彼の背後に立ちはだかった。戸惑うレナルトの目に前のめりになるマティアスの体が映る。そして、マティアスの体を銀色の金属が貫いたのに気付く。
「マティアス」
彼の体はその場に崩れ落ち、口からは多量の血が流れ出る。
「レナルト、早く逃げろ」
「だって、おじさんが」
「気にしなくていい。こうなる運命だったんだ。ただ、レイラの傍にいてやってほしい。あの子には君が必要なんだ」
「さてと、次はこの子供だな。デヒーオ家の人間か」
その時、マティアスとレナルトの体に大きな影がかかる。先程と同じくらい大きな人だ。
レナルトは金の瞳を見開き、その場から動けないでいた。
だが、男の姿が一瞬で灰となる。
その先には金髪の小柄な女性が立っていたのだ。彼女はマティアスの妹であり、レイラの叔母に当たる女性で名をミーナといった。
彼女はレナルトとその傍らで横たわるマティアスを見て、目を見張る。彼女の目から大粒の涙が浮かぶ。だが、彼女は青ざめた唇をきゅっと噛む。
「行きましょう」
ミーナはレナルトの手を取り、マティアスに触れ、転移魔法を発動させようとした。だが、転移魔法が発動する前に、消えた。彼女は唇を噛むと、レナルトを抱きかかえ、走り出す。
「待って。マティアスが」
「もう助からないの」
「どうして? 怪我を治せばまた元気になるよ」
レナルトの祖父のヨハンは回復魔法の使い手だ。祖父が重篤な人間を回復させていくのを幼いながらに何度も見てきたレナルトには怪我は治るものというイメージがあったのだ。
「今は逃げて。あなたをここで死なせるわけにはいかない」
ミーナがレナルトの手を握る。いつも穏やかな青い瞳が強い意志を持つのに気付き、レナルトは彼女の手を振り払えずにいた。
その日、ヴァルクスでは町が焼け、多くの悲しみが国を包み込んだ。
それから十年のときが流れた。




