Page1 宵闇の刃
美しい人だった。
もう記憶も朧気になってきてはいるが、これだけは言えた。
真白い顔にこの国では珍しい深く暗い金色の髪、そしてその目は紫水晶のように美しい。
名をフィンリアと言った。
「私たちの呪いが貴方に降り懸からぬよう。それだけが心配です」
日に日に弱りゆく母は譫言のようにそう言っては、私の頭を撫でていた。
母とは似ても似つかぬ濡れ羽色の髪を力無く撫でていた。
心労と、心労からの病でやせ細ったその頼りない腕から、私は目を逸らしていた。
健常だった母を脳裏に描いて目を逸らし続けたのだ。
そして、母は死んだ。
アーネイは言った。
「忌まわしき血を住まわせる墓地はない」
、と。
その目は嫌悪に満ち、濁っていた。
忌まわしいのはお前の方だ、喉まででかけた言葉をぐっと飲み込んだ。
母がトワルの離れへ眠らされた後、私とルージは首都へ連れていかれた。
今に比べれば、ずっと幸福であった頃であった。
「テイラー、行くんだよ」
回想から引き戻す声。
王座のアーネイが己を見下ろしていた。
「君に選択肢はない」
柔らかな物言いに反した凍てついた声が、己を刺し貫く。
逃げる術が無いことくらい、分かっていた。
己が逃げれば誰が、この任を背負わねばならなくなるか……。
「行って参ります」
心はまだ凍りきらないまま、私は宵闇に身を投じた。
今宵も月がない。
忌まわしきこの任を命ぜらるる日は、酷く静かであった。
身に纏う衣は、夜の帳。腰の刀だけが月の如く青白く光っていた。
(全てはルージを守るために)
何度も何度も言い聞かせて、私は標的が住まう屋敷へ忍び込んだ。
――そう、私が背負わされた任は暗殺。
王が命じるようにただ淡々と、始末していく。
それが、私に与えられたただ唯一の道であった。
幼い弟を生かすための。
今更、失敗は恐れない。
標的に何の思い入れも無いのだから、躊躇いなど無かった。
手始めに、何も知らずに安らかに眠る家主の喉を掻き斬って、その後はその家族を……。
躊躇いはなかった、躊躇ってはいけなかった。
赤子ですら生かしてはならない。
血に染まることにまでは慣れては居なかった。
任を終えれば、何の変哲もない朝が来る。騎士見習いとしての、日常が戻ってくる。
朝の日差しに起こされて、身を起こせば、同室の住人――クオレ・クレイシャがにこやかに挨拶をしてきた。
「やあ、テイラー。今日も酷い顔ですね」
「お前は今日も楽しそうだな、クオレ」
皮肉を込めても、彼には効かず、
「そりゃあ、人の数だけ噂は尽きませんから」
と、笑顔で返される。
「悪趣味なやつだ」
思わず笑みがこぼれた。
「だが、確かに他人の噂は退屈しない」
「でしょう?」
ケラケラと笑うクオレ。
その笑い声に隠れながらも、扉の向こうからの鐘の音が耳に届いた。
「時間か」
寝台からおりて、壁に掛けていた制服を手に取る。
真白いそれに腕を通せば、あの衣も血濡れた感触も、忘れることが出来る気がした。
「さあ、今日も頑張りましょう」
「盗み聞きをか?」
粗末な剣を受け取りながら、皮肉る。
「人聞きが悪いですね」
元から開ききっていない目をさらに細めて、口だけ笑んで言った。
「どっちもですよ」
鼻歌が聞こえてきそうなほどの軽やかな足取りで、彼は先に部屋から出ていった。
「本当に悪趣味な奴だな」
扉の向こうに消えた背に呟く。
そして自嘲的に笑った。
「ま、知っていたがな」
一人ごちて、その背を追った