ある女性の初恋
少女は、孤児だった。両親の顔も知らない。孤児院にいる 他のみんなは、戦争に巻き込まれたり 家族が、病気で 全員 死んでしまった子供が、ほとんどだ。けれど 少女だけは、例外だった。
赤ん坊だった時に 深い森の中の木の根元に 捨てられていたところを、保護されたのだ。どんな経緯で そこに捨て置かれたのかは、わからない。けれど 院長先生の話では、清潔な刺繍の施された 産着に包み込まれていて 首には、綺麗なペンダントが、下げられていたらしい。何度か その2点から 家族が見つからないか と 近くで統治していた 領主を介して 王都に連絡を入れてみたが 誰も名乗りを上げなかった。しかも ペンダントは、いつの間にか 保管していた場所か開きえてしまったことで どうすることもできなくなってしまう。唯一の探す手がかりが、消えてしまったのだから。
こうして 少女は、孤児院の孤児となったのだ。名前は、アマーリエ。包まっていた 産着に刺繍されていた 『アマリア』から その名がつけられたのだ。どんなに辛い 出来事に遭っても 燐としていられるように………と。
アマーリエは、年を重ねるごとに 美しく成長していった。象牙色の肌に 長く細い プラチナブロンドの髪。目が合えば すぐ 笑みを浮かべ すれ違えば 誰もが、振り返っていく。けれど アマーリエは、自分の容姿について 何とも思っていなかった。元気で明るく 活発で どちらかというと 男の子と遊んでいる方が、多かった。
「アマーリエッ!あなたは、女の子なのですよ?!それなのに 男の子達と一緒に 泥まみれになって………。しかも 擦り傷をこさえて 一体 何をしていたのですか」
「先生?あたしは、みんなと一緒にいたいんです。だって 楽しいんだもの。笑顔は、人を幸せにしてくれるんですよ?だから 先生も、笑って下さい。そうじゃないと また 皺が増えちゃいますよ?」アマーリエは、ニコニコしながら 言う。その言葉に その場にいる職員達が、固まって 吹き出してしまったのは、仕方が無い。まぁ 言われてしまった張本人は、青筋を立てて 頭を抱えているのだが。
「院長先生………諦めた方が、いいですよ。アマリーは、女の子らしい事 似合いませんから。この前なんか 避暑に来ていた 貴族に無理やり連れて行かれそうになっていて 助けに入るまでもなく 相手を投げ飛ばしてました。相手も、子供相手に そんな目に遭わされたなんて 言えるはずもないから 逃げていきました」
「何でも覚えるから 色んな体術を教えたのが、間違いだったのかしら?まぁ それがなかったら あの容姿だし 変体ロリコン野郎の餌食になってしまっていたかもしれないけれど」
そして アマーリエは、とても 賢い子供だった。それこそ 大人顔負けだ。孤児院の職員が、置きっ放しにしていた 孤児院の会計ノートを見て 間違いを指摘してみせたのだから。この事には、誰もが驚いた。彼女は、いつの間にか 文字は、おろか 数字の計算まで出来るようになっていたのだ。孤児のほとんどは、文字が読めない。孤児院出身でなくても 教育が受けられず 読み書きが出来ない者は、多いのだから。それなのに アマーリエは、いとも簡単に こなしてみせた。特に 歌が大好きで その声に魅了される者は、多かった。
それから 数年して アマーリエは、孤児院からす腰は慣れた場所にある 領主の館で 下働きをすることになる。孤児院出身の者達からすれば 素晴らしい 勤務先だ。何たって 貴族の住まう場所に 一番下の働き手といえど 一緒に生活が、出来るのだから。
だが 貴族から見れば 平民の………更には、孤児が 働きに来るのには、抵抗があったのだろう。アマーリエへの対応が、とても 冷たいものだったのだから。
「ちょっと あなた?そこに並べてあるものに 触らないで頂戴?孤児ごときが、触れるような品じゃないんだから。それに 盗まれるのも、困るしね?犯人は、わかっていても 荷物を点検されることも形式的にあるんだから。余計な仕事を増やさないでよ?」
「おいおい………こっちにも、その孤児を回さないでくれよ。問題を起こされて 叱られるのは、こっちなんだからね?」
「本当だよ。一体 どんなツテを使ったんだろうね?」
「意外に 旦那様の愛人の子供とか?あの容姿だから 物好きなら 囲ってそうだけど………旦那様は、子供に興味は無いだろう?」
身分を重視する 人々だからこそ その態度は、きつかった。同じ 平民でも 孤児院の出身者だと知られれば ゴミを見るかのような 扱いだったのだから。真面目に仕事をこなしていても それを賞賛されることは、ほとんどなく 愚弄されることの方が多いのだ。
けれど アマーリエは、そんな事で へこたれなかった。持ち前の元気と明るさで 同じ職場の人達と打ち解けられるようになったのだ。同室になった 同い年の少女達とは、親友に近い存在となる。
「ねぇ 聞いて?!さっき………ジュリー様に褒められたのッ!」アマーリエは、嬉しそうに 同室の友人達に報告した。
「うわぁ すごいね?ジュリー様って すっごく 厳しい人で 滅多に人を褒めないんだよ?」
「ってことは、アマリー………ジュリー様に 努力を認められたんですね?何だか 羨ましいよぉ」
「あぁ………ソニア?泣かないで?ソニアの事だって………ジュリー様は、認めてくれているはずだよ?だって あたしに仕事を丁寧に教えてくれたのは、貴女じゃない?勿論 ヴィアだってね?」アマーリエは、何かを真剣に考え込んでいる もう1人の友人に声をかける。
「残念ながら………わたしは、ジュリー様に褒められる事 ありえないわ?血が繋がっているからこそ 厳しい措置を取る方なんですもの。勿論 ハワード様だってね?お屋敷の仕事をやるようになってから 家族として顔を合わせた事 ほとんど ないんだから」
「でも いいなぁ?あたしは、孤児院のみんなが家族だと思っているけど 血の繋がりのある 家族のことを知らないんだもん。ヴィアは、謙遜しているけど ジュリー様もハワード様も、貴女のことを大切に思っているはずだわ?」アマーリエは、自信満々に言うと ヴィアは、苦笑して ソニアと笑い合う。
そして 人間関係に光が指してきたのは、仕事上の上司や同僚達だけじゃない。最初は、目さえ合わせようとしなかった 領主一家も、その明るく仕事をこなすアマーリエに 時折 声をかけてくれるようにもなる。それだけ 彼女が周囲の人々に与える 影響力は、大きかったのだ。彼女を取り巻く環境は、良い意味でも 悪い意味でも、変わっていく。
けれど そんなアマーリエのことを 好ましく思わない人は、どこにだっていた。彼女の美しい容姿とそれを自慢にしない 素直な性格に 嫉妬する 領主一家に近づきたい 貴族の令嬢は、数多くいるのだから。
「ちょっと そこのッ!あなた ご自分の立場を考えられては?下女の癖に………しかも、親無しなんですってね?」
「あなたのような者が、このお屋敷で働いているだなんて ありえないことですわ?そのご容姿なんですから どこぞの貴族の妾にでも、なればよろしいでしょう?」
「だから このお屋敷におられるんじゃなくて?次期領主となられる オーディン様のお目に止まろうと」
「んまぁ………汚らしいッ!ルクレツィア様の許婚に色目を使おうとしているのね?こんな使用人………即刻 辞めさせるべきですわ?」
館に滞在している 貴族の令嬢の中傷は、鉢合わせる度に 投げつけられる。
「あまり 大事にすべきじゃありませんわ?それに あたくしは、確かにオーディン様の許婚となっていますが それは、まだ 確実なことじゃありませんのよ?それに オーディン様が、こんな平民ごときに 惑わされるなんて ありえませんもの。あの方は、高貴なお方なのですから。血に釣り合わない相手に そんな馬鹿げた 間違いを犯すことは、ありえませんわ?」
「でも………弟君の方は、違うようですわ?成り上がりの商人の血も流れておいでですから 仕方が無いのかもしれませんけれど」
「どうせ あなたが、誘惑したのでしょう?とんだ 使用人だこと………雇われの身でありながら その家のご子息を、誘惑しているだなんて 汚らわしい」
令嬢達の嫌がらせは、幾度となく 続いていく。それこそ 仕事中であっても、お構いなしにだ。アマーリエは、やっと 信頼されてきたのだから こんな事で 信用を失いたくなかった。自分は、誰かを誘惑しようなんて 思っていないし この仕事に就いたことも、悪いことなど していないのだから。
そんなある時 事件は起きた。アマーリエが、いつものように 仕事をこなしていると 突然 目の前が真っ暗になった。頭の上から布のようなものを被せられたのだ。そして そのまま 担ぎ上げられて どこかへ 連れて行かれる。館の中で こんな事が 起きるなんて アマーリエには、信じられない。悲鳴を上げることも出来ずに 恐怖で心が、押し潰されそうになっていると 頭上から 声が聞こえてくる。
「本当に いいのか?こんな綺麗な娘さんを、好きにして」
「ええ………二度と 人前に出てこれないようにして下さいまし。どうせ………汚らわしい 娘ですので」
その声に アマーリエは、聞き覚えがあった。それは、自分に嫌がらせを行っている 貴族の令嬢方の1人だ。
「本当に………綺麗だなぁ?売っても、たんまり 金が頂けそうだ」
「その前に 味見をしねぇとな?じゃねぇと 説明が、難しいや」
男達の声が、聞こえる。少し 訛っているようだから 貴族ではない。けれど この屋敷で働いている 男達の誰でもなかった。
「噂には、聞いていたんだよなぁ?領主様のお屋敷に 別嬪なお嬢ちゃんが、下働きに入った ってさ?何度か 貴族にも、喉から手が出るくらい ほしがっているって 話だ。そんなお嬢ちゃんを、好きに出来るなんて」
「俺達は、本当に 運が良いな?それに 綺麗な髪だなぁ?本物のシルクのようじゃねぇか。まぁ………本物なんて 触っちゃ事 ないけどな?」
男達の下劣な会話が、聞こえる。アマーリエは、震えていた。そんな様子を、顔をベールで隠している 女は、楽しそうに見つめている。これが、最大級の彼女の嫌がらせだ。身分があろうが なかろが 本当に身が穢れれば 姿を消す。自分の母も、かつて 父を手に入れる為 この方法を使った と 聞いたことがある。別に 恐ろしいとは、思わなかった。相手は、母に劣る 末端の貴族の娘だったそうなのだから。
この娘だって そうだ。たとえ 身の程知らずに 居座ってとしても この事が露見すれば この少女の行く末は、ただ 堕ちるだけ。人に後ろ指を指される 人生しか 残っていないのだから。
これは、身分を弁えずに 存在している アマーリエへの罰だ。女は、高らかに笑う。全てを見届けても良いが 明日は、特別な日なのだ。ずっと 手紙もなかった 許婚が、帰ってくる。彼に会う為には、念入りに 美容に心がけなければならない。
「では あたくしは、これで。この娘の処遇は、お前達に任せます」
女は、そう 言い残すと その場を後にした。
アマーリエは、絶望する。これから 自分の身に 何が起きるのか と 。何も知らないことが、自分に降りかかっているのだ。手足の自由は、奪われ 男達の手が、自分の身体を撫でている。嫌悪感は、どんどん 大きくなっていく。
その時 何かの崩れるような音が、聞こえた。
「随分と下種なことを、我が家でしてくれているようだな?」
その声に 男達の手が、止まった。アマーリエは、その隙をついて 男達の手から逃れ 頭に被せられていた 布を取る。
「おい お前………誰だよ。邪魔すんじゃねぇぞ」
「それとも 一緒に愉しむか?」男達は、ニヤニヤしながら 言う。その言葉に アマーリエは、身震いした。先程までは、男達の顔もどこに連れ込まれたのか 見えなかったが ここは、使われていない 空き部屋だったのだから。そして 自分を助けてくれたのは、見知らぬ青年だった。栗色の髪で 碧色の瞳は、髭だらけの男2人を、睨み付けている。
「残念ながら 無理やり そんな行為をするつもりは、ない。それに お前達は、この屋敷で雇われた者では、ないな?その上 このようなことをするとは、どういうつもりだ?」
「ふん………そういう お前こそ 何者だ?それに 偉そうな口を利いてるんじゃねぇ」
「そうだぜ?俺達は、次期領主夫人の命に従ってるんだ。好きにしても良い って 言われてるんだぜ?」
その言葉に 青年は、小さく 溜息をついた。
「ルクレツィアの仕業か。俺は、彼女と結婚するつもりなど 一切 ないんだがな?何を勝手に そんな事を言っているんだか。
今回ばかりは、問題視しないわけに いかないだろうな?」
男達は、その言葉に 顔を見合わせるしかない。アマーリエ自身も、意味がわからず 呆気に取られていた。
「オーディン様………ここにおられたのですね?………一体 何があったのです?」
最初は、平然と声をかけてきたのは、屋敷の全ての使用人を管理している ハワード。だが 中の様子を見て 眉根を寄せる。そして アマーリエの姿を見て 次に 男達を見やった。
「どうやら………屋敷内の警備に 不備があったようですね?見直さなければ ならないでしょう」
「いや………ハワード。こいつらは、ルクレツィアに雇われたそうだ。屋敷の出入りを許されている 彼女なら 荷物持ちを称して この男達を館内に招き入れることなど たやすいはずだ」
それを聞いて ハワードは、溜息をつく。
「あの令嬢にも、困ったものです。彼女が、お越しになる時 他の令嬢方も訪問なさって 余計な仕事が増えてばかりなのです。その上 一部の使用人の仕事の妨げにもなっておりますし」最後の発言は、間違いなく アマーリエのことだろう。
「今までは、まだ 小さいことでしたが 今回は、犯罪です。いくら 奥様の親戚筋のご令嬢とはいえ 屋敷の中で このような問題を起こされては、信用問題になります。それだけじゃなくても 最近 領地の管理が、おろそかになりつつあるのですから。旦那様は、奥様に強く出られませんから」
「本当に 苦労をさせてきたみたいだな?まぁ 僕が帰ってきたからには、あの人にこれ以上 好き勝手させないさ。その為に 王都で 勉強してきたんだからな?それに 義母(彼女)が、なんと言おうと ルクレツィアと結婚するなんて ありえないんだから」
男達は、その会話を聞きながら 顔を真っ赤にさせていた。まさか 暴言を吐いた相手が、次期領主だなんて 思いもしなかったのだから。アマーリエも、呆然と 2人を見上げていた。話に聞いていたが 領主の長男である 彼は、とても 綺麗な顔をしているのだから。
その後 アマーリエは、駆けつけてきた ジュリーに保護され 部屋に戻った。そこには、話を聞いたらしい ソニアとヴィアが、優しく 出迎えてくれる。アマーリエは、緊張の糸が切れ そのまま しばらくの間 寝込んでしまった。
仕事に 復帰したのは、あの出来事から 1週間経ってからだった。その日から アマーリエは、近くに オーディンがいると 緊張するようになる。常に心臓が、活発化して 身体全体が、熱ってくるのだ。
勿論 自分に釣り合わないことぐらい わかっている。けれど 仄かに想いを寄せるくらいならば………。これが、アマーリエの初恋だった。
※~※~※~※~
「初恋かぁ………」娘が、1人 小さく 呟いた。
「あら マリアベル?どうしたの………突然」
娘の言葉に アマーリエが、不思議そうに 聞いてくる。
「いや………今 お妃教育をしている 公爵家のお姫様に 聞かれたの。あたしの初恋は、いつだったのか って」
「何て答えたの?わたしも気になるわ?」
「答えられるわけがないじゃない。初恋なんて したことがないんだから。それに 恋とか………よく わかんないんだもん。そんなんなのに わかるわけがないじゃない?」
「フフフ………初恋っていうのは、しようと思って するもんじゃないからね?気が付いたら………恋しちゃっているのよ。それこそ 身分なんて 関係なくね?想いだけは、自由なんだから」
「お母さん………素敵な初恋をしたんだねぇ?すっごく 嬉しそうな顔をしているんだもの」
そんな娘の発言に アマーリエは、顔を真っ赤にさせてしまっているようだ。まるで 茹蛸のように………。
「親をからかうんじゃないのッ!」
「からかってないわ?そろそろ 聞いても良い頃かなぁ って 思っただけ。まぁ まだ 無理みたいだけどね?」
「聞く って?」アマーリエは、娘の言葉に 首を傾げながら 言う。
「うん?ああ………あたしの父親は、お母さんの最初で最後の初恋相手だったのか」
娘の言葉に アマーリエは、固まる。そんな母の様子を見つめて 娘は、黙り込んだままだ。過去の自分よりも 年上になっている 娘。唯一 あの人の一部を受け継いでいて その瞳で見つめられると 何も言えなくなってしまう。
「別に 聞いて どうこうするわけじゃないの。だけど 知りたいの。特定するようなことは、話さなくてもいい。ただ どんな人だったのかを知りたいだけ。
勿論 あたしの親は、お母さんだけだわ?それだけは、絶対よ?ずっと 一緒にいるから」
娘は、そう言って アマーリエを抱きしめる。愛しい娘………あの人が、与えてくれた 宝だ。この子だけは、幸せになって欲しい。それが、アマーリエの願いだ。