3 逃亡
バチンッ
バチンッ
「先生…痛いのですが」
「あら嬢様、てっきり痛みに鈍いのかと思っていましたわ」
歴史の問題を書いている間、教師は小さくしなる鞭の様な物で、私の背中を叩き続けていた。同じ箇所を避け痣や腫れが残らないように、絶妙に位置を変えながら、手慣れた作業のように。
(ストレスの吐口ですか…これに一体何の意味が…)
「背中を叩く理由を教えて下さい」
「忍耐の教育ですわ、貴族間の理不尽は日常茶飯事、それを黙って飲み込む訓練を教えているのです」
「父と母はこの事を知っているのですか」
「ええ、むしろ手緩いくらいだと仰っていましたよ」
「……そうですか」
確かに絶え間ない痛みはストレスがかかるが、本当にこれが教育なのだろうか…。
他の貴族の教育も知りたくなる、それにセリックも私と同じ目に遭っているかもしれない。
午前は学業、午後はマナーや社交ダンスの授業があり、今日は全身余す所なく叩かれた気がする。
私は異世界転生した驚きよりも、陰鬱としたリィティアへの同情の方が大きくなってきた。
__それから一年後の10歳を迎えた日、私は屋敷から逃亡した
__
9歳の私の身体は、まだ明らかに子供だ。
それなのに男の使用人達の目が私を値踏みしてるように感じた。セラは屋敷の若い男性とほとんど関係を持っており、子供ながらにセラの美貌を色濃く受け継いだ私の容姿が、使用人達の情欲を刺激しているのかもしれない。
__決定的だったのは
「リィティアお嬢様、髪にゴミが付いていますよ」
背後から声をかけられ、男の使用人が私の髪を持ち上げた瞬間、胸元にも意図的に触れられた、軽くではあったが、確実に。
「……ご自身が何をされているのか分かっていますか」
「えぇ、ゴミを取っただけですが?」
「……」
そしてヘラヘラと笑う使用人の事を父に訴えてみても。
「それが事実だとして、証拠はあるのか」
「事実です…信じて下さい」
「貴族の世界は証拠が全て。証言を振りかざす上の者は破滅する、肝に銘じておけ」
「はい…」
母にこの事を話しても碌な答えは返ってこないだろう。
それに体罰も、この屋敷の空気も限界だった。
(私が本物のリィティアだったなら、逃げるという選択肢はありませんでしたね)
それから屋敷を出る決意をした私は、唯一信頼できる長年ローク家に仕えている老執事を部屋へ呼んだ。
「お嬢様、いかがなさいましたか」
「このドレスと、宝石が付いてる装飾品をいくつか、お金に換えてもらえませんか?」
「理由を伺っても?」
「それは言えません、ただセバスが不利益になる様な事は絶対しないので」
「承知致しました、ドレスは布として売ってもよろしいでしょうか?」
「その辺りは任せます」
「お任せください」
伯爵令嬢の私物を無断で売買すれば、最悪極刑もあり得る。それを承知のうえで私に手を貸してくれた人物が居るのは、リィティアが完全に人間性を失っていない、最後の良心だったのかもしれない。
こうして私は、一年間この屋敷で魔法と常識を学び、最低限の生きる術を身に付け、死を匂わせる置き手紙を残して家から出た。
「国境まで…あと少し…」
その日は強い雨が降っていた。
魔法学園のあるルカンタ王国と、農業が発展しているセルダリオ国の境。
木々が立ち並ぶ森を抜けようとした、その時__
「そこのガキ、止まりな」
「……」
フードを脱ぐと屈強な男達に囲まれていた。
疲労と、国境が目の前にあったことで完全に油断していた。
「俺達の縄張りを跨いで何の用だ?」
「おい、あいつの髪色……」
「貴族の血か、高く売れるぞ」
髪色は魔力に影響され、魔力の純度が濃い貴族達は様々な髪色をしている。名家の証として誇れるものらしいが、一般社会ではこの様に悪目立ちしてしまう。
「こいつ顔も良いぞ!とんでもねぇ掘り出し物だなぁ!!」
「子を産ませれりゃ大金が手に入るなッ」
(ここで交戦するか…連れ出された先で逃げるか…)
私は眉をひそめた、まだ二属性、火、風、しか扱う事ができず、強力な氷魔法に必要な、水、を何故か発動する事が出来ない。この豪雨の中では火の威力も大きく削がれてしまう。
(近接は人数的に不利… 疾風で逃げ切れなかったら魔力が枯渇して詰む…)
逃げた先にも盗賊の仲間がいたら無駄に魔力を消耗してしまうだけだ、ここは大人しく捕まって体力を温存する選択肢も悪くないと判断する。
「……」
「聞き分けがいいじゃねぇか、そのままジッとしてな」
縄で縛られ、私は暗い森の奥へと連れ去られていった。




