春先の台所騒動
辺境の暮らしにも、ようやく穏やかな日々が流れ始めていた。
厳しかった冬が去り、冷たい風にも少しずつ柔らかさが混じる。
最初の頃は戸惑いの多かったイエレナの顔にも、最近は笑顔がよくこぼれるようになっていた。
ぎこちなかった所作にも少しずつ余裕が生まれ、屋敷の空気もどこか明るくなったように感じる。
そんなある日のこと――。
隠れ家の裏手にある畑。
春先のやわらかな陽射しと土の匂いが混じり、風が新芽をそよがせていた。
イエレナは裾を軽く持ち上げて畑に分け入る。
小鳥の声とともに、まだ冷たい空気が頬を撫でた。
「姫さん、こっちの方、よく育ってますよ!」
ギウンが大きな籠を肩に担ぎ、土の香りを纏った新じゃがいもを誇らしげに掲げる。
その横には、さやから覗くそら豆の鮮やかな緑もちらりとのぞいていた。
「……無理をなさらず。転ばれては困ります。」
淡々と注意を促すアウルの横で、イエレナは両手で大きな新玉ねぎを抱え上げた。
「見て!すごく大きいのが採れた!」
頬を綻ばせる笑顔に、二人の騎士は思わず頬が緩む。
◇ ◇ ◇
イエレナはギウンの見よう見まねで、ぎこちない手つきのまま包丁を握っていた。
「料理をしてみたいの」――つい先ほどそう願い出た彼女に、二人は顔を見合わせた。
キッチンに立ったことのない姫様に包丁はまだ早い、と喉まで出かかったが、キラキラと瞳を輝かせるその様子を前にすれば、首を横に振ることなど出来なかった。
隠れ家での日々にまだ慣れない中、前向きに何かをしようとする姿は、二人にとっても嬉しい兆しだったのだ。
――そして今。
イエレナは真剣そのものの顔で新じゃがに挑んでいる。
だが、想像以上に彼女は不器用だった。
「まずは……皮を剥いて……」
ザクッ、ザクッ。
皮どころか白い実まで削ぎ落とされ……
まな板の上で包丁の音が小気味よく――いや、不穏に響く。
包丁の音がやけに響いて、騎士二人の心臓に悪いリズムを刻んでいた。
手のひらに残ったのは最初の半分ほどになっていた。
「……姫さん、それは皮だけじゃなく身も……!」
アウルが青ざめた声を上げる。
「えっ?でもこうやって……」
イエレナは首をかしげ、真剣な顔でさらに包丁を滑らせる。
「いやいやいや、もう形がっ……!」
ギウンは頭を抱え目を逸らし、アウルは必死に声を張り上げた。
「指!指まで剥こうとしてませんか!?もっと……もっと優しく!」
「……優しくって、どうすれば……?」
イエレナは戸惑いながらも、ぎゅっと包丁を握り直す。
その様子にアウルの顔から血の気が引いた。
「い、いやいやいやっ!力を入れすぎると本当に指が――っ!」
アウルは今にも飛びつきそうに手を伸ばす。
ギウンは胃を押さえながら呻いた。
「もうやめてくれ……俺の心臓が持たねぇ……」
ジャガイモはすでに小石のように小さくなり、まな板の上には無残な皮の山。
それでもイエレナは真剣そのもので、きらきらした目で次の新玉ねぎを手に取った。
「じゃあ次は……これね!」
包丁を入れた瞬間、目にしみて涙がぶわっと溢れる。
「う……っ、目が……見えない……!」
それでも手を止めようとしない。
「だぁーっ!だから危ないですって!」
アウルはとうとう耐えきれず、包丁に飛びついて手を押さえた。
ギウンが慌ててまな板を引き寄せ、代わりに構える。
「姫さんっ!申し訳ないですが、こっちをお願いします!」
差し出されたのは、青々としたそら豆。
硬いさやを開けて実を取り出すだけなら安全だろうと、二人の騎士が必死に判断したのだった。
イエレナはまだ涙目のまま、そら豆を手に取ると――ぱっと顔を明るくした。
「...これならできそう!」
嬉しそうに笑むその様子に、ギウンとアウルは同時にほっと肩をなでおろした。
「「……とりあえず、よかった……」」
小声で嘆きつつも、二人は心の底から安堵していた。
何よりも姫様が楽しそうで、安全な作業に落ちついた――それだけで十分だと。
だが視線を横に向ければ、まな板の上には大小バラバラの野菜の残骸が積み重なり、もはや原型を留めていなかった。
「……これはもう食材というより……供養ですね」
「ははっ……上手いこと言うな……」
ふたりの肩から、同時に魂が抜けていくような溜め息が落ちた。
沈黙の中で漂うのは、絶望的なまな板の光景――。
その時。
――軽やかな笑い声が、背後からひらりと降ってきた。
「この野菜たちは……ずいぶん豪快に扱われたね」
クスクスと笑いながら現れたのは、セレストだった。
瑠璃色の瞳を細め、山となった野菜の残骸と、涙目になりながら豆を剥くイエレナを見比べて、楽しげに首を傾げる。
二人の騎士は顔を見合わせ、力なく苦笑を漏らした。
「姫さんには、まだ早かったみたいです……」
ギウンは頭をかき、アウルはそっと無残な野菜から目を逸らす。
「イェナは案外、豪快なんだね」
可笑しそうに呟いたセレストの声は、なぜか温かさを帯びていた。
その瑠璃の瞳に浮かぶ柔らかな光は、どんな失敗さえも愛おしく映してしまうようだった。
「まぁ、料理も慣れだから……少しずつ、ね」
イエレナを見やりながら微笑むセレスト。
その視線に気づいたイエレナは「???」と小首を傾げ、きょとんとした表情を浮かべる。
一方のギウンとアウルは――。
「もう勘弁してくださいよ……」と無言で訴えるように、揃ってぐったりと肩を落としていた。
やがて、少し不格好ながらも彩り豊かな料理が食卓に並んだ。
形は揃っていないが、春野菜の瑞々しい香りが漂い、思わず食欲を誘う。
「母国でも……厨房には入れさせてくれなかったから。今日は楽しかった。」
イエレナが嬉しそうに微笑むと、隣の二人は同時に天を仰いだ。
「姫である以前に、そりゃそうだ……」
「……当然です……」
嘆息混じりの声を揃える騎士二人に、セレストが肩を揺らして笑う。
「今度、僕が教えるよ」
穏やかに笑うその声は、春の陽だまりみたいにあたたかかった。
クスクスと楽しげに言うその声音に、イエレナの頬がほんのり赤く染まった。
その場に漂うのは、騎士たちの心配よりも、ずっと優しいぬくもりだった。
――こうして春先の台所騒動は、笑いと温かさに包まれて幕を閉じた。
(了)
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