揺れる背に寄り添って ―ルディアと小径の散歩―
隠れ家の別荘に来て、まだ日が浅い頃のこと。
広々とした森と庭園に囲まれた生活にも、イエレナはまだ少し戸惑いを覚えていた。
それでも、静かな時間と優しい空気はどこか懐かしく、少しずつ心を解いていく。
夕陽の差し込む小さな馬舎で、セレストは愛馬ルディアの毛並みに櫛を入れていた。
銀白の毛並みを持つ名馬は王都でも気難しさで知られていたが、彼の前では誇り高い首を垂れ、気持ちよさそうに鼻を鳴らす。
櫛が丁寧に毛並みを滑るたび、ルディアは瞼を細め、頬を寄せるように身体を傾けた。
――まるで「もっと」と甘えるように。
その姿に、セレストを呼びに来たイエレナは足を止め、息を呑んだ。
「……綺麗」
思わず零れた声に、セレストは手を止め、くすりと笑った。
「……イェナ、どうしたの?」
「あっ……えっと、ギウンがご飯の時間だからって……」
口では用件を告げながらも、視線はルディアから離れない。
気高いはずの名馬が主人に寄り添う姿に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
気づけば、セレストに一歩近づいていた。
「……触ってもいい、ですか?」
不安と期待をにじませた声に、セレストは一瞬だけ黙し、ルディアの様子を確かめる。
それから小さく息を吐き、優しい声で言った。
「じゃあ……こっち来て」
イエレナが小さく頷き、彼の傍に歩み寄る。
セレストは自然に彼女の前に立ち、庇うように身を寄せた。
「気をつけて。この子は少し気難しいんだ」
庇うように前へ立ち、彼はイエレナの手を取り、そのまま導いた。
温かな指先が重なり、胸が小さく高鳴る。
そして、柔らかな毛並みに触れた瞬間――ルディアはふうんと鼻を鳴らし、頬を寄せてきた。
「……っ」
イエレナが驚いて目を瞬くと、セレストもまたわずかに息を呑む。
「……驚いた。ルディアがこんな顔をするの、初めて見たよ」
いつも誇り高く人を拒むこの馬が、まるで幼子に甘えるように瞳を細めている。
セレストは目を細め、すぐに気づいた。――イエレナの祝福が、無意識に伝わっているのだと。
ルディアが頬を寄せる感触に、イエレナは小さく笑みをこぼす。
その様子を見て、セレストも穏やかな息を洩らした。
「……明日、ルディアに乗って散歩してみない?」
不意に向けられた言葉に、イエレナはぱちりと瞬きをした。
「えっ……私が? でも……乗れるかな。初めてなんです。」
戸惑う声に、ルディアがふんわりと鼻を鳴らし、まるで肯定するように首を揺らす。
その反応にイエレナはまた目を丸くし、セレストが小さく笑った。
「心配いらないよ。僕が支えるから」
瑠璃の瞳に柔らかな光と確かさが宿る。
その言葉に胸が触れた瞬間、イエレナの心臓は大きく跳ね、視線を逸らしてしまう。
けれど、不思議と――怖さは少しずつ薄れていった。
◇ ◇ ◇
翌日。
朝の澄んだ空気の中、ルディアの毛並みは陽を浴びて白銀に輝いていた。
「……乗るとき、痛くないかな...」
イエレナは大きな馬体を見上げ、不安そうに声を漏らす。
胸の奥で小さく手をぎゅっと握りしめる仕草が、緊張を隠せないことを物語っていた。
セレストはそんな横顔をちらっと見て、可笑しそうに微笑む。
「心配いらないよ。ルディアも君を受け入れている」
手綱を軽く引くと、ルディアがふんと鼻を鳴らし、まるで同意するように首を揺らした。
促されるままに踏み台へ足をかけると、腰に添えられた手が背を支え、軽やかに背へと導かれる。
一気に広がる高い視界に息を呑む。
「……っ!」
思わず息を呑む。
見下ろす世界は新鮮で、ほんの少し心細く、けれど胸の奥が高鳴っていた。
「怖がらなくていい。僕がついてる。」
背後から気配が重なり、外套が揺れ、彼の腕が腰を包む。
「ひゃ……っ」
小さな声が漏れる。けれど、両手に重ねられた温もりが、
恐れよりも先に心をほどいていった。
「ほら、こうして」
「え……あ、はい」
耳元に囁く声と、腰に回された腕の確かな力。
馬の大きな背の揺れと共に、胸の鼓動は早鐘を打つ。
「怖い?」
不意に耳元へ、熱を落とすような囁き。
「……っ、大丈夫、です…」
赤く染まる頬を見やり、セレストが小さく笑う。
その声は風よりも静かで、けれど確かに彼女の心をほどいていった。
木々の合間を抜ける風が、頬を撫でていく。
森の小道を、ルディアは穏やかな足取りで進んでいた。
大きな背の揺れに合わせて、
背後から回されたセレストの腕が、自然とイエレナを支えてくれる。
距離の近さに、胸の奥が落ち着かない。
耳元にかかる吐息、肩越しに感じる体温。
心臓が跳ねるたび、頬がじわりと熱を帯びていく。
「……慣れてきた?」
「.....はい。」
かろうじて返した声は強張っていて、セレストはくすりと笑った。
その笑い声が不思議と心地よく、イエレナの緊張は少しずつほどけていく。
「こうして森の中を歩くのは久しぶりだ」
穏やかに零れた声が、背中越しに胸へと届く。
「王都ではなかなか時間がなくてね。小鳥の声や風の匂いだけで、心が静まるだろう?」
イエレナは頬を撫でる風に目を細め、静かに微笑んだ。
「……はい。とても……優しい匂い」
言葉にした瞬間、胸の奥まで温かく満たされるようで――
彼女はそっと目を閉じ、風を吸い込んだ。
「森って、落ち着きます。故郷にも……大きな森があって」
「フェルディナの森か。精霊がよく集う場所だったね」
「はい。子どもの頃は不思議と、森の方が安心できたんです。」
言葉を重ねるうちに、馬上の揺れも、もう怖くはなかった。
ふと見上げれば、木漏れ日の中でルディアのたてがみが銀白に輝いている。
胸元のペンダントが、それに呼応するように淡く光を放っていた。
――祝福は、精霊だけでなく、命あるものすべてを包み込んでいた。
けれどイエレナ自身は、まだそのことに気づいていなかった。
「……やっぱり君は、不思議な人だ。」
セレストの小さな呟きにイエレナは気づかず、頬を撫でる風に目を細める。
無邪気な微笑みが自然とこぼれ、ルディアは満足げに鼻を鳴らした。
森の風に揺れるたてがみと共に、
二人の影もゆらゆらと並んで揺れていた。
その背に寄り添う温もりが、静かな幸福を教えてくれるようだった。
――祝福は、風の匂いや静かな時間までも包み込んでいった。
(了)
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