過保護な王子の付き添い~後編~
屋台が連なる通りは、
思っていたよりもずっと賑やかだった。
焼き菓子の甘い匂い。
香辛料の効いた肉が焼ける音。
人々の笑い声に、行き交う足音。
あちこちから流れ込む熱と気配に、
最初は強張っていたイエレナの肩も――
歩くうち、少しずつ、ゆるんでいく。
「……あ、これ……」
色とりどりの飴細工が並ぶ屋台の前で、
思わず足が止まった。
光を透かす細工は、花や鳥の形をしていて、
どれも小さな宝石みたいにきらめいている。
「....綺麗……」
「ほんとだね。どれがいい?」
そう言いながら、
セレストは自然に距離を詰めて――
ごく当たり前の動作で、手を取った。
「……っ」
指が絡む感触に、心臓が跳ねる。
「イェナ?」
赤くなって言葉に詰まる様子を、
セレストは楽しそうに覗き込む。
「あ……えっと……
これが、いいです……」
指差した飴細工に、
セレストは迷いなく頷き、店主へ声をかける。
支払いも受け取りも、あっという間。
けれど――手は、解かれないまま。
そのまま、次の屋台へと歩き出す。
それからというもの。
セレストの遠慮は、完全になくなった。
婚約者として、丁寧に。
けれど、どこまでも自然に。
串焼きは二人で分け合い、
口元や指先が汚れれば、ためらいなく布で拭われる。
立ち止まるたび、
腰に回る腕は、まるで定位置のようで。
周囲の視線も、ざわめきも、
彼にとってはどうでもいいと言わんばかりだった。
自然に。
当たり前のように。
(……っ、落ち着かない……!)
助けを求めるように、
イエレナはそっと後方へ視線を投げた。
一定の距離を保ちつつ護衛についている、
ギウンとアウルの姿。
――気づいてくれるだろうか。
その視線を受け止めた二人は、
一瞬だけ顔を見合わせ――
揃って、小さくため息をついた。
そして、歩調を崩さぬまま、
さりげなく距離を詰める。
「……殿下、さすがにやりすぎっす」
低く、抑えた声。
「公衆の面前です」
淡々とした指摘。
それに対して――
「そう?」
セレストは、まったく気にした様子もなく、
むしろ楽しげに目を細めた。
腕は解かれないまま。
腰に回した手も、そのまま。
イエレナの胸が、ぎゅっと詰まる。
耐えきれず、
小さく、けれど必死に声を出した。
「……セス……」
「……どうしたの?」
すぐに返る声。
覗き込むように、顔を近づけて。
「なにか、いいもの見つけた?」
柔らかく、無邪気な笑み。
「あ……い、いえ……その……」
視線が泳ぐ。
露店も、人の流れも、
もう目に入っていなかった。
顔を真っ赤にして口ごもるイエレナを見て、
セレストは――
ほんの少し、
さらに目を細める。
……が。
次の瞬間。
通りを満たしていた喧騒が、
すっと、遠のいた。
空気が、
目に見えない形で張りつめる。
――変わった。
セレストの笑みが消え、
代わりに、澄んだ緊張がその身に宿る。
「ギウン。アウル」
低く、短い声。
呼ばれた二人は即座に頷き、
言葉もなく、それぞれ周囲へと散った。
人の流れ。
交わされる視線。
微かな気配。
すべてを、切り分けるように。
「……イェナ」
囁く声は低く、近い。
「少し、移動しようか」
驚く暇もなく、手を引かれる。
人混みに紛れ、
路地へ。
店の中へ入り――
裏口から抜ける。
また路地。
また店。
動きに迷いはなく、
明らかに“何か”を撒くための導線だった。
「……しつこいな」
ぽつりと、セレストが呟く。
「……あまり、使いたくないんだけど」
その直後。
イエレナの身体が、ふわりと宙に浮いた。
「っ!?」
視界が一気に持ち上がる。
抱き上げられている――と理解するより先に、
「ごめんね。ちょっと、緊急で」
耳元に落ちたのは、驚くほど落ち着いた声だった。
次の瞬間。
抗う暇もなく、強い浮遊感が全身を攫った。
「……っ!?」
――景色が、下へと流れ落ちる。
視界が一気に開け、
気づけばそこは、商店街でもひときわ高い建物の
――屋根の上。
風が、ひゅっと吹き抜けた。
「……っ……!」
反射的に、
イエレナは落ちまいとセレストの首元へ腕を回す。
ぎゅっと、必死に。
けれど、抱えられている身体は、少しも揺れなかった。
セレストは彼女を確かに抱いたまま、
離さず、逃がさず、びくともしない。
「安心して」
低く、近い声。
「落としやしないよ」
その一言と腕の強さが、
屋根の上でただひとつ――
揺るがない“足場”になっていた。
はるか下では、
何事もなかったかのように人々が行き交っている。
行き交う足音。
交わされる声。
すべてが、遠い。
セレストは屋根の縁に立ったまま、
静かに周囲を見渡し、ほんのわずか目を細めた。
風が、屋根の上をゆっくりと撫でていく。
街の喧騒は、ずっと下。
さっきまで耳に満ちていた賑わいが嘘みたいに、
ここだけが世界から切り離されたようだった。
屋根の上は、思っていたよりもずっと静かだ。
セレストの外套の内側で、
イエレナは抱きしめられたまま、身動きもできずにいた。
胸元に顔を寄せると、
落ち着いた鼓動と、微かな温もりが伝わってくる。
その耳元で――
申し訳なさを滲ませた声が、そっと落ちた。
「……ごめんね。
せっかくの外出だったのに、イェナを巻き込んじゃった」
「え……?」
イエレナが顔を上げると、
セレストは困ったように、少しだけ眉を下げて笑っていた。
「僕の周りを、うろちょろしてる人が何人かいてね。
まさか、ここまで追いかけてくるとは思わなかったよ」
一拍。
風が屋根を撫で、外套の裾を揺らす。
「――ラファエル兄上の側近」
その言葉に、
イエレナの胸が小さく跳ねた。
「……セスの、お兄さま……?」
「うん」
頷きながらも、どこか苦笑が混じる。
「一応、ちゃんと報告はしてるんだけどね。
僕が何をしてるのか……気になるみたいだ」
軽い言い方。
けれど、その裏にある“視線”の重さは、容易に想像できた。
イエレナは、無意識のうちにセレストの外套を、ぎゅっと掴む。
「……それは……良くない、こと……?」
その問いに、
セレストはくすっと小さく笑った。
「ふふ、大丈夫だよ。
仲は良好だし、信頼できる人だ」
肩の力を抜くような声音。
その言葉を聞いて、
イエレナは、胸に溜めていた息をそっと吐いた。
「……それなら……良かった」
呟くように言って、
気づけばそのまま、セレストの胸元に顔を埋めていた。
一瞬、セレストが目を瞬かせる。
けれどすぐに――
逃がさないように、けれど抱き締めすぎないように。
その身体を包み込む腕に、そっと力を込めた。
「……怖い思い、させたね」
さっきよりも少し低く、
冗談の混じらない声。
イエレナは、ゆっくりと首を振る。
「セスも....ギウンも、アウルもいるから――平気」
そう言い切るように呟いて、
イエレナは小さく息を整えた。
その答えに、
セレストはふっと、思わず笑みを綻ばせる。
彼女の背に回した手を離さぬまま、
少しの間だけ――
その温もりを、確かめるように腕の中へ留めていた。
やがて、ゆっくりと視線を街へ戻す。
「あ、ギウンもアウルも……
上手く話をつけられたみたいだね」
路地の向こうを見下ろしながら、静かに続ける。
「……帰ろうか」
その言葉に、
イエレナの表情が一瞬だけ曇る。
けれど何も言わず、
小さく頷いて、名残惜しそうに賑やかな街並みを見下ろした。
その様子に気づいて、
セレストは小さく「ふふ」と息を漏らす。
外套の内側から、そっと覗き込むようにして。
「また、様子を見て来よう」
柔らかく、けれど曖昧さのない声で。
「ね?」
「……また、出かけられる……?」
思わず零れたその問いは、
期待を隠しきれていなかった。
セレストは一瞬、言葉を選ぶようにしてから――
今度は迷いなく、頷いた。
「うん。今日の埋め合わせもしないとね」
その一言で、
イエレナの表情がぱっと明るくなる。
「……ほんとに?」
「ほんとに」
くすっと笑って、念を押す。
「今度は、もう少しゆっくり」
屋根の上。
外套の中。
まだ少しだけ、二人きりの時間。
セレストは、そっと彼女の額に自分の額を寄せた。
「……約束」
それは、王子としてでも、
護る者としてでもない。
ただ――
一緒に出かける人としての約束だった。
(了)
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『亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』
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