【幼少期】兄に贈る花束
フェルディナ王国の春は、やわらかな風が吹き抜ける。
王城の中庭には花々が咲き誇り、陽の光に照らされてキラキラと揺れていた。
イエレナはその日、庭のベンチにちょこんと座って、
頬杖をつきながら空を見上げていた。
「うーん……どうしようかなぁ……」
もうすぐ、アズの誕生日。
毎年こっそりプレゼントを用意してきたけれど、
今年はなかなか“これだ!”と思うものが見つからない。
去年は手作りのハンカチ。
その前は折り紙で作った王冠とお手紙。
さらにその前は、似顔絵を描いて渡した。
アズはいつも「ありがとう」って言って、やさしく笑う。
春の陽みたいなその笑顔が、イエレナはだいすきだった。
でも――その奥に、少しだけ照れが混じっているのを知っている。
(……もっと、ほんとうに嬉しそうに笑ってほしいのに)
小さな手で頬を包みながら、イエレナはふうっとため息をついた。
その時――ふと思い出す。
少し前に、森の奥で見た、あの“光る花”のこと。
木漏れ日の中、ひとりで散歩していたときに見つけた。
淡い光をまとって揺れるその花は、ほかのどの花よりもきれいで、
思わず手を伸ばしたくなるほどだった。
「……あれだ!」
イエレナはぱっと顔を上げ、目を輝かせた。
胸の奥がわくわくでいっぱいになる。
「あれなら、きっと泣いて喜んじゃうね!」
小さな靴音を響かせながら、イエレナは駆け出した。
春の風に金の髪がふわりと揺れる。
向かう先は――森の奥。
“アズがいちばん笑顔になる花束”を見つけに行くために。
◇ ◇ ◇
森へと続く小道を、イエレナは軽い足取りで進んでいった。
風が頬をなで、陽の光が髪に反射してきらきら光る。
フェルディナの街は、今日も穏やかだった。
白い壁の家と赤茶の屋根、石畳の道の脇には小さな花が咲き、
水路では魚たちが気ままに泳いでいる。
――けれど、イエレナが一番好きなのは、森。
王城の外れにあるその森は、
誰もが“精霊の棲む場所”と呼んで少し怖がるけれど、
イエレナにとっては、どこか懐かしい安心の場所だった。
(……みんな、今日もいるかな?)
森に一歩足を踏み入れると、空気が少しだけ変わる。
冷たくて、それでいてやさしい。
耳の奥で“何か”が囁いた気がして、イエレナは立ち止まった。
「……え?」
風の音に混ざって、小さな笑い声のような響きがする。
木の枝が揺れて、葉の影が踊る。
“――こっちだよ。”
風がそう言った気がして、イエレナはぱちりと瞬いた。
「……こっち?」と小さくつぶやきながら、草をかき分けて進む。
(……呼ばれてる気がする)
不思議と怖くはなかった。
胸の奥がほんのりあたたかくなって、足取りが軽くなる。
そうして進むうちに、森の奥が少しずつ明るくなっていく。
木々の間から、淡い光がこぼれ始め――
やがて視界が開けた。
そこには、澄んだ水を湛える湖。
湖の中央には、白い石でできた古びた神殿が佇んでいた。
風が止み、静けさが訪れる。
湖面には空が映り込み、まるで地上と天が一つに溶けたようだった。
「……やっぱり、ここだ」
イエレナは小さく呟いた。
森の奥で偶然見つけた、あの不思議な場所――“精霊の神域”。
今日も変わらず、淡い光に包まれている。
足元を見ると、岩の隙間に小さく光る花が咲いていた。
淡い金色の光をまとい、まるで呼吸しているみたいに揺れている。
「きれい……」
イエレナはそっとしゃがみこんで、花に手を伸ばした。
指先が触れた瞬間――ふっと、風が通り抜ける。
“――それ、どうするの?”
頭の奥に、やさしい声がふわりと響いた気がした。
風のようで、水のようで――けれど確かに“誰か”の声。
イエレナは驚くでもなく、自然に頷いた。
「今日、アズのたんじょうびなの。
これをプレゼントしたら、きっと……泣いて喜んじゃうね!」
その言葉に応えるように、光がふわりと瞬いた。
花弁が小さく揺れ、湖面に散った光がイエレナの頬を淡く照らす。
風がやさしく吹き抜け、木々がざわめいた。
まるで――森全体が、彼女の想いに頷いたように。
イエレナは両手でそっと花を包み込む。
光をまとう花弁が、手のひらの中でかすかに鼓動するように脈打っていた。
「わぁ……かわいい……」
花を胸に抱えたまま、イエレナはしばらく見惚れていた。
けれど、ふと顔を上げると――湖のほとりには、まだたくさんの花が咲いていた。
「……うーん。これだけじゃ、ちょっとさみしいかも」
思いついたように、イエレナは笑った。
「花かんむりも作ったら、もっと喜んでくれるかも!」
そう言って、せっせと花を摘み始める。
小さな手で茎を編みながら、森の中で鼻歌を歌う。
いつの間にか、光の粒たちがその周りをくるくると舞っていた。
(なんだか……たのしい)
イエレナは笑いながら、精霊たちと遊び始めた。
ふわりと漂う光、手のひらに落ちる淡いぬくもり。
時間が過ぎていくのも、気づかないほどに夢中だった。
――そして、ふと気づけば。
森はもう、夕暮れ色に染まり始めていた。
「……あっ! たいへんっ!」
慌てて立ち上がり、花束と花かんむりを抱えて駆け出す。
でも、森の道は昼間と違って暗く、どこを通ってきたのかも思い出せない。
「……えっと……こっち……かな……?」
心細さを押し隠しながら歩き出す。
けれど足元の根に躓いて転び、枝に袖を引っかけ、
気づけばドレスは泥だらけ。
それでも、必死に出口を探した。
(アズ、待ってるのに……)
やっとのことで森の端が見えたころには、
イエレナの髪も服もぐしゃぐしゃで、
抱えていた花束も花かんむりも、しおれてぐったりしていた。
「……これじゃあ、アズがよろこんでくれない……」
唇を噛みしめ、涙がこぼれそうになる。
小さな肩を震わせながら、イエレナはそっと花束を見つめた。
「……がんばったのに……」
小さな声でそう呟くと、どこからか淡い光がひとつ、またひとつ。
まるで慰めるように、彼女の周りにふわりと集まってきた。
(……せいれいさん……?)
光たちは、花束と花冠のまわりをくるくると舞う。
摘まれた花にそっと触れるように、やさしく漂っていた。
イエレナは息を呑んで見つめながら、小さく囁いた。
「元気にならないかな……」
その瞬間――。
花々が淡く光を帯び、ゆっくりと色を取り戻していく。
しおれていた花びらがふわりと立ち上がり、瑞々しい香りが辺りに満ちた。
「わぁ!! せいれいさんがやってくれたの?! ありがとう!!」
イエレナはにこにこしながら花束を抱きしめ、光に手を振った。
そのまま、駆け出す。
森を抜けて城へ戻る道――
夕暮れの光の中、泥だらけのスカートをひらひらさせながら走っていく小さな姿は、
まるで光そのものだった。
城門にたどり着くころには、空はすっかり夜色に変わっていた。
息を弾ませながら中へ入ると、城内はやけに慌ただしい。
兵士たちや侍女が駆け回り、ざわめきが広がっていた。
「……何かあったのかな?」
首を傾げるイエレナの背後から、
低くてよく通る声が響いた。
「――何かあったかな、じゃないだろ! イェナ!!」
「ひゃっ――!」
ビクッとして振り向くと、
やや赤みのあるホワイトブロンドの髪を乱したアズベルトが、
怒りと安堵が入り混じった顔でこちらに歩いてきた。
「あっ、アズ!」
ぱっと笑顔を向けた瞬間――
「また勝手にどこ行ってた?! 城中大騒ぎだよ!」
その声に、イエレナの肩がすくんだ。
「あ……ご、ごめんなさい……」
イエレナがしゅんと縮こまる。
アズベルトは彼女の泥だらけのドレスと、枝が絡まった髪を見て、
盛大にため息をついた。
「……また森に行ってたの?」
「……うん」
「行くなら、ちゃんと護衛つけて。何かあってからじゃ遅いんだよ?」
声は叱責よりも、心底の心配が滲んでいた。
「……はい。ごめんなさい……」
小さな声で謝ると、イエレナの肩がしゅんと落ちた。
うつむいたまま、指先をきゅっと握りしめている。
アズベルトは、その様子に息をつき――わずかに表情を和らげた。
「……それで?」
声の調子を落としながら、できるだけ穏やかに尋ねる。
「何してたの、こんな時間まで」
イエレナは唇をぎゅっと結び、視線を足元に落とした。
目の縁がうるんで、小さな声がこぼれる。
「……今日、アズの……たんじょうびだから……」
その言葉に、アズベルトが瞬きをする。
「……え?」
「だから……作ってきたの。プレゼント」
震える手で、イエレナはそっと胸の前に差し出した。
小さな掌の上には――淡く光をまとう花束と花冠。
森で摘み、しおれかけていたはずの花々が、
今はまるで夜明けのように優しい光を放っていた。
アズベルトは思わず息を呑んだ。
花びらの端にまだ泥がついているのに、
それが不思議と、いっそう美しく見える。
「……これ、森で?」
イエレナはこくんとうなずく。
少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑って言った。
「途中でね、しおれちゃったの。
でも……せいれいさんが助けてくれたの!」
泣きそうだった顔に、ぱっと光が戻る。
小さな笑みが花のように咲いて、胸の奥まであたたかくなるようだった。
アズベルトは静かに見つめながら、ふっと息を吐く。
――これは、精霊の力じゃない。
花を包む光は、妹の手の中から生まれている。
けれど、その事実を口にはせず、ただ優しく微笑んだ。
「……ううん。ありがとう、イェナ。とてもきれいだ」
その一言で、イエレナの顔がぱっと明るくなる。
涙の跡もすぐに消えて、胸を張って花束を押し出した。
「でしょ! がんばって作ったの!」
アズベルトは思わず笑い、膝をついて目線を合わせる。
その瞳に映る笑顔は、どんな宝石よりもまぶしかった。
「……俺に、くれるの?」
「うん!」
迷いのない返事に、アズベルトはふっと息を漏らして笑った。
困ったように眉を下げながらも、その瞳はどこか優しい。
「じゃあ……せっかくだし」
と言って、ゆっくりと頭を差し出す。
「つけていいの?」
「もちろん」
嬉しそうに頷いたイエレナは、
小さな手で花冠を持ち上げ、慎重にアズベルトの頭に乗せた。
花がひとつ、揺れる。
それでも彼女は満足げに笑い、胸の前で小さく手をぎゅっと握った。
アズベルトが顔を上げ、柔らかく微笑む。
「……どう?」
イエレナは少しの間見つめてから、ふにゃっと笑った。
「へへっ、似合うよ!」
イエレナはそのまま、花冠を見上げて声を弾ませた。
「たんじょうび、おめでとう! アズ!」
次の瞬間、イエレナは勢いよく抱きついた。
頭の上の花冠がずれて、ひとつの花がふわりと落ちる。
それを見て、アズベルトは小さく笑った。
少し驚いたように息をのんだ彼も、
やがてそっと腕を回して、妹の小さな背中を抱き返した。
「……ありがとう、イェナ」
やさしく頭を撫でながら、彼はそっと花冠を外し、
その落ちた花を拾い上げてイエレナの髪の上にそっと挿した。
「こっちはイェナに似合うよ。」
イエレナが嬉しそうに笑うと、
アズベルトは改めて花束を受け取り、胸に抱きしめた。
「この花、部屋に飾っておくね。……見るたびに、きっと笑顔になる。」
そう言ってイエレナの頭を軽く撫でる。
その手つきは、まるで壊れものに触れるように優しかった。
その夜――
アズベルトの部屋の窓辺には、淡く光る花束が飾られていた。
月明かりを受けて、花弁が小さく瞬く。
それはまるで、
妹の無邪気な笑顔がそこに咲き続けているようだった。
(了)
もし気に入っていただけたら、本編もそっと覗いてみてください。
▼本編はこちら
『亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』
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