過保護な王子の付き添い~前編~
ギウンとアウルが辺境地の通りを一巡して戻ってきたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
外套についた埃を払いつつ、ギウンが報告する。
「……今のところ、不審な動きはなしっすね」
それを受けて、アウルも短く頷いた。
「人の流れも、普段通りです。
姫様の姿を探しているような者も、確認できませんでした」
二人の視線が、自然とセレストへ向く。
「殿下」
ギウンは、声をほんの少しだけ落とした。
「巡回の感触からしても……
短時間であれば、姫さんを連れて外に出ても問題ないかと」
その一言で、空気が、ぴたりと静まった。
――そして。
イエレナは、はっと小さく息を呑む。
気づけば、無意識のままセレストを見上げていた。
視線が合いかけた瞬間、自分の反応に気づき、慌てて目を伏せる。
(……あ……)
遅れて胸が高鳴る。
セレストは、その様子を――
見逃すことなく、静かに捉えていた。
ほんの一瞬の視線。
期待を隠しきれない、わずかな揺れ。
(……ふふ)
口元に、気づかれぬほど微かな笑みが浮かぶ。
(隠したつもり、かな)
彼女のそんな反応すら、愛おしく思いながら、
セレストはゆっくりと息を整えた。
閉じ込めているつもりはなかった。
必要な判断だと、何度も自分に言い聞かせてきた。
それでも――
外の世界を、どこか恋しそうに見つめるその眼差しだけは、
どうしても見過ごせなかった。
小さく息を吐き、決める。
「……行こうか」
その一言に。
イエレナの肩が、びくんと跳ねた。
「……え?」
「街まで。短時間だけど」
間を置いて、今度ははっきりと告げる。
「僕も、一緒に行く」
一瞬、時間が止まったかのように、
イエレナは目を見開いたまま言葉を失った。
「……セスも?」
確かめるような、まだ信じきれない声音。
セレストは小さく頷いた。
「うん。君だけを行かせるつもりは、最初からないよ。
外に出すなら、必ず同行する」
それは王子としての判断であり、
同時に――婚約者としての、偽りのない本音だった。
イエレナは一瞬だけ言葉に詰まり、
それから胸の奥から込み上げるものを抑えきれず、そっと微笑んだ。
「……ありがとう、ございます」
その声と、その笑顔に。
セレストは目を細め、柔らかな表情のまま一歩、距離を詰める。
視線を合わせるように、穏やかに覗き込みながら――
「ただし、条件があるよ」
「え……条件?」
問い返す彼女に、セレストは静かに頷く。
笑みを崩さぬまま人差し指を立て、落ち着いた声で、ひとつずつ言い聞かせた。
「ギウンとアウル、それから僕から――絶対に離れないこと」
「人気のない場所には、行かない」
「怪しい人とは、話さない」
どれも穏やかな口調だったが、
そこに迷いはなかった。
それは束縛ではなく、
彼女を守るために引かれた、明確な一線。
そして――
セレストは、ほんの少しだけ声を落とした。
「……それと」
視線を逸らさず、まっすぐに。
「無理だと思ったら、すぐ戻るからね。
“楽しい”よりも、“安全”を優先する」
最後に、念を押すように言葉を添える。
「約束できる?」
その真剣さに、
イエレナは一度、ぎゅっと拳を握りしめ――
覚悟を確かめるように、息を整えた。
それから、こくん、と小さく頷く。
「……全部、守ります」
その返事に、
セレストの表情が、ようやくわずかに緩んだ。
「よし」
短くそう言って、
ふっと、柔らかな微笑みを浮かべる。
「じゃあ、準備しようか」
その一言で、
イエレナの胸の奥が、きゅっと温かくなる。
外に出られることよりも――
一緒に行けることが、何より嬉しかった。
◇ ◇ ◇
通りを進んでいると、
見回りに慣れた街の人々が、いつもの調子で声をかけてきた。
「今日はいい天気ですね」
「殿下、巡回ですか?」
「よかったら、今日は寄っていってくださいよ」
穏やかで、気取らない声。
誰もが気軽に話しかけ、セレストもまた、にこやかに応じていく。
――それが、この街の日常なのだと示すように。
その少し後ろで、
イエレナは反射的にフードの影へ顔を隠した。
人の視線が増えるたび、
無意識に歩幅が狭まり、
そっと、セレストの影へ身を寄せる。
「……あ」
そんな様子に気づいたのか、
一人の街人が、何気ない調子で声をかけた。
「殿下、今日はお連れがいらっしゃるんですね」
探るというより、ただの好奇心。
けれどその言葉に、周囲の視線が一斉に集まる。
――その瞬間だった。
不意に、
セレストの腕がイエレナの肩に回される。
逃げ道を塞ぐようでいて、
守るように――ぐっと、引き寄せられた。
「うん」
何でもないことのように、
けれど迷いなく。
「僕の婚約者だよ」
その一言は、
通りのざわめきを、ぴたりと止めた。
イエレナの心臓が、遅れて大きく跳ねる。
(……え)
フードの奥で、熱が一気に頬へ集まる。
隠していたはずの存在が、
あまりにも自然に、光の中へ引き出されてしまった。
セレストは、彼女を抱いたまま、何でもない顔で立っていた。
まるで――
最初から、そうするつもりだったかのように。
「そういえば――
あまり公にしてなかったね」
肩をすくめるような軽さ。
けれど、その一言が冗談ではないことは、誰の目にもはっきりと伝わっていた。
思考が追いつく前に、
セレストはくすりと、どこか楽しそうに続ける。
「これからは、彼女もよろしくね」
そう言って、様子を確かめるようにイエレナの顔を覗き込む。
柔らかな視線と目が合った瞬間、
イエレナの頬が、かっと熱を帯びた。
「せ、セス……っ……」
声が裏返り、
耳まで真っ赤になっているのが、自分でも分かる。
その反応に、周囲の空気が一気に和らいだ。
イエレナはその空気感に恥ずかしさがこみ上げ、
思わず小さく身をすくめた。
――そのとき。
耳元へ、低く落とされる囁き。
「……大丈夫だよ」
近すぎる距離で、静かに。
「噂になるのは、君じゃない。
――“僕”のほうだから」
その一言に、
イエレナは、はっと息を呑んだ。
(……あ……)
守るため。
隠すためではなく、
立場を与え、自分が前に立つという選択。
それが何を意味するのか――
理解した瞬間、
胸の奥が、きゅっと強く締めつけられる。
「……はい……」
小さく頷くと、
セレストは満足そうに、ほんのわずか口元を緩めた。
その様子を見て、
街の人々の間から、茶化す声と温かな笑いが重なる。
「殿下、顔ゆるんでますね」
「でれでれだな」
「仲がよろしいことで」
そんな声が飛び交っても、
セレストは一切、気にした様子もなく。
むしろ、笑みを浮かべたまま、きっぱりと言った。
「今日は彼女との時間だから。
用事は、また今度にするよ」
そう言って、視線を落とす。
「……イェナ、甘いものでも食べる?」
小さく、囁くように。
イエレナは真っ赤なまま、
こくん、と小さく頷いた。
――その様子を見て。
「殿下、顔に出すぎです」
ギウンとアウルが、
ほとんど同時に、小さくため息をついたのは――
言うまでもなかった。
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『亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』
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