【特別編】名もなき祝福のかたち
暖炉の薪が、ぱちりと弾けた。
その小さな音に導かれるように、
イエレナはゆっくりと、まぶたを開く。
「……ん……」
毛布に包まれたまま、目を擦る。
まだ夢の名残が残る視界の奥から、
ほのかに――温かな香りが届いた。
紅茶だ。
そして、その香りと重なるように。
「イェナ、起きた?」
すぐ隣から、穏やかな声が落ちてくる。
はっとして視線を向けると、
ソファのすぐ横――
同じ暖炉の火に照らされる距離に、
セレストが腰を下ろしていた。
カップを片手に、
まるで最初からそこにいたかのように。
「あ……れ……?
セス……?」
寝ぼけたまま名を呼ぶと、
セレストは小さく笑い、
イエレナから視線を逸らさないまま、懐へ手を入れる。
「これ。イェナにあげるね」
そう言って、
セレストがそっと差し出したのは――
淡い光を内に宿した、小さな欠片だった。
暖炉の火に照らされて、
きらり、と一瞬だけ瞬く。
「ありがとう……?
……これ、なに?」
首を傾げて問いかけると、
セレストはどこか意味ありげに、目を細めた。
「それは、後でのお楽しみ」
そして、思い出したように付け足す。
「ギウンは、町にいるよ」
(……?)
少しだけ不思議に思いながらも、
イエレナはその欠片を大切そうに鞄へしまい、
特に疑うこともなく、屋敷を後にした。
辺境地の商店街は、
冬の朝とは思えないほど賑やかだった。
見回りの途中らしいギウンを見つけ、
イエレナは思わず、ぱっと表情を明るくして手を振る。
「ギウン!」
「おっ、姫さん」
声に気づいたギウンが振り向き、
いつものように、にっと歯を見せて笑った。
「そうだ、姫さんに渡したいものがあるんですよ」
「なに?」
思わず身を乗り出すと、
ギウンは懐を探り、小さな鍵を取り出す。
「ほら、これ」
「……何の鍵?」
「さぁ?」
肩をすくめて、あっさりと言う。
「姫さんに渡すように言われただけで。
箱は……たぶん、アウルが持ってるかもですね」
「アウルが?」
イエレナはぱっと顔を上げる。
「わかった! 行ってみるね!」
そう言って駆け出した、その途中――
商店街を抜けるたび、村人たちが次々と声をかけてきた。
「イェナさん、これを」
「婚約者様、どうぞ」
差し出されるのは、
淡く光る、形も大きさも違う欠片ばかり。
受け取るたびに、鞄は少しずつ重くなっていくのに、
理由だけが、ぽつりと置き去りにされていく。
(……どうして、こんなに……)
戸惑いを胸にしまったまま、
イエレナは薬草園へ足を向けた。
柵越しに覗き込むと、
そこではアウルが、黙々と調合を続けている。
「アウル、いる?」
調合台の向こうで、
アウルが手を止め、静かに振り向いた。
「姫様。どうしました」
「ギウンがね、鍵をくれたの。
その鍵を開ける箱は、アウルが持ってるって」
その言葉に、
ほんの一瞬だけ、空気が止まる。
「……あぁ」
アウルは小さく息を吐き、
棚の奥から、小さな木箱を取り出した。
「これですね」
「開けていいの?」
「どうぞ」
目を細めて、箱を差し出す仕草は穏やかだった。
鍵を差し込み、回す。
――かちり。
小さな音とともに蓋が開き、
中に収まっていたのは――やはり、淡く光る欠片だった。
「……また、この欠片」
思わずこぼれた呟きに、
アウルが首をかしげる。
「また、ですか」
「……うん」
「……なんの欠片でしょうね」
わざとらしくもなく、
けれど深くも追わず、そう言ってから――
「姫様が持っていてください。
私には、必要ありませんから」
それだけ告げる。
「……うん」
理由は分からないまま。
けれど拒む気にもなれず、
イエレナは欠片を、そっと鞄にしまった。
そのとき。
「イェナ~!!」
弾むような声が、薬草園に響いた。
次の瞬間、
リリュエルが勢いよく飛び込んでくる。
「こんなところにいた!
これ、ボクからもプレゼントだよ~!
ちゃんと、綺麗に包んだの~!」
「ありがとう、リリュエル」
袋を受け取ると、
リリュエルは嬉しそうに、くるくると宙を舞った。
「開けていい?」
「いいよ~!」
紐をほどき、中を覗く。
そこに入っていたのは――
やはり、あの淡く光る欠片だった。
「リリュエル、これ……」
問いかけようとした、そのとき。
「イェナ!
ボク以外にも、渡したい子が集まってるんだよ!
早く来て~!」
そう言い残して、
リリュエルは外へ飛び出していく。
「ま、待って!」
慌てて追いかけた先は、
ひらけた花畑だった。
そこには――
数えきれないほどの精霊たちが、静かに集まっていた。
「え……こんなに……
どうしたの?」
問いかけても、答えは返らない。
精霊たちは、
鈴の音のような澄んだ音を鳴らしながら、
イエレナの周囲をくるり、くるりと舞う。
頬に、髪に、そっと触れては、また離れていく。
「……くすぐったい」
思わず笑みがこぼれ、
視線を足元へ落とすと――
そこにも、
いくつもの欠片が、静かに置かれていた。
「……また、この欠片」
ひとつ、またひとつと拾い上げ、
そっと鞄へしまう。
――この欠片は、なんなんだろう。
――でも……不思議と、温かい。
◇ ◇ ◇
屋敷へ戻るころには、
空はすっかり夜に沈み、
星が一面に瞬いていた。
中は、しんと静まり返っている。
名前を呼んでも、
返事はなかった。
不思議に思いながら私室へ向かうと――
窓辺に、ひとつの人影があった。
「……え……」
逆光に浮かぶその姿は、
静かに、けれどはっきりとした存在感を放っている。
長い外套に包まれたすらりとした体躯。
窓から差し込む星明かりが、
やや赤みを帯びた金の髪を淡く縁取っていた。
振り向いたその横顔は、
記憶の中と何ひとつ変わらない。
穏やかで、
それでいて覚悟を秘めた、凛とした眼差し。
柔らかな光を宿すペリドットグリーンの瞳が、
まっすぐにこちらを捉える。
「イェナ」
その声に振り向いた瞬間、
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
そこに立っていたのは――
アズベルトだった。
「アズ……!!」
考えるより先に、
駆け寄って、抱きついていた。
「会いたかった……!!」
堪えていたものが、一気に溢れ出す。
涙が、止まらなかった。
「……元気そうで、よかった」
困ったように笑いながら、
それでも確かに、強く抱き返してくれる。
その温もりが、あまりにも懐かしくて――
胸が、また痛んだ。
「……なんで、ここにいるの?」
そう問いかけると、
アズベルトは静かに視線を落とし、言った。
「プレゼントしに来たんだ」
「……プレゼント?」
差し出されたのは、
やはり――あの欠片だった。
「アズ……これ、なんの欠片なの?」
戸惑いながら問いかけると、
彼は少しだけ目を細めて、静かに告げる。
「――イェナ。おいで」
手を取られ、
導かれるまま辿り着いたのは、
辺境地の、さらに奥。
一本の大木が、そこに立っていた。
根元に近づいた瞬間、
欠片が淡く光り出し、
ひとつ、またひとつと――
吸い込まれるように、大木へ溶けていく。
精霊たちが舞い、
空気が、やさしく震えた。
光が、弾ける。
「――これは……何?」
「――世界樹だよ」
「……なんで、こんなところに……?」
「さぁ?」
アズベルトは、イエレナの鞄へと視線を向ける。
「その欠片、出してごらん」
言われるまま、
すべてを差し出す。
光が集まり、
世界樹が――
鼓動するように、ざわりとざわめいた。
精霊たちは、
祝福するように、鈴の音を鳴らす。
「……イェナ」
優しく、名前を呼ばれる。
「誕生日、祝えなくてごめん」
一瞬、間を置いて。
「……おめでとう」
その言葉と同時に――
世界が、まばゆい光に包まれた。
光が、弾ける。
視界いっぱいに広がる白。
音も、温度も、輪郭も――
すべてが、ゆっくりと溶けていった。
「――……」
名前を呼ばれた気がした。
けれど、それが誰の声だったのかは、
もう思い出せない。
そして――
次に意識が戻ったとき。
ぱちり、と。
イエレナは、ゆっくりと目を開けた。
暖炉の薪が、ぱちりと音を立てる。
その音に、イエレナは
――目を覚ました、気がした。
まぶたの裏に残る、白い光。
夢の続きを引きずったまま、
呼吸だけが、少しずつ現実へ戻ってくる。
ダイニングルームの方から、
かすかに漂ってくる香り。
――紅茶だ。
毛布に包まれ、
ソファに横になっていたらしい。
いつの間にか眠ってしまっていたのだと気づき、
イエレナは、ゆっくりと目を擦った。
「……ん……」
その仕草を、すぐ隣で見下ろす影がある。
「イェナ、起きた?」
穏やかな声。
覗き込んでいたのは、セレストだった。
「あ……れ……?
セス……?」
まだ夢の中にいるような、
曖昧で、柔らかな声。
セレストは、ふっと微笑むと、
イエレナの手をそっと取る。
「起きたなら――」
「お祝いしよう」
その一言で、
イエレナの思考が、ゆっくりと現実へと戻っていく。
「……お祝い?」
手を引かれるまま、
ダイニングルームへ。
扉を開けた瞬間――
「おー、起きたか、姫さん」
ギウンが、いつもの調子で軽く手を上げた。
「……お誕生日、おめでとうございます」
アウルは、少しだけ視線を逸らしながら、そう告げる。
「たんじょうびーっ!」
リリュエルがぱっと飛び上がり、
光の粒を、ぱらぱらと振りまいた。
テーブルの上には、
簡素だけれど、温かい料理と、
小さなケーキ。
決して派手ではない。
けれど――
確かに、“祝うため”に用意されたもの。
「……あ……」
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
(……夢、じゃ……なかった……?)
そう思いかけて、
イエレナは、そっと自分の手のひらを確かめた。
何も残ってはいない。
欠片も、鍵も、光も。
けれど。
確かに、あった。
確かに、祝われていた。
セレストが、隣に立つ。
「イェナ」
「今日は、君の誕生日だったよね」
その言葉に、
イエレナはようやく――
ゆっくりと、微笑んだ。
「……ありがとう」
辺境地の夜は、静かで。
暖炉の火は、変わらず温かい。
世界樹の光は、もう見えない。
けれど――
その夜、イエレナは確かに、
この世界に生まれたことを、祝われていた。
(了)
もし気に入っていただけたら、本編もそっと覗いてみてください。
▼本編はこちら
『亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』
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