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【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる  作者: Tsuyuri -露-


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託された忠義


それは、

フェルディナ王国が沈む――その、数か月前のことだった。


まだ城には夜毎に灯りがともり、

人々が「明日」を疑うことなく眠りにつけていた頃。

誰もが、未来は続くものだと、疑いもしなかった時代の夜。


――その晩は、やけに静かだった。


灯りを落とした執務室には、

外からの音も、廊下の気配もなく、

ただ、グラス同士がかすかに触れ合う音だけが、静寂を裂いていた。


珍しい光景だった。


アズベルトが、こうして酒を口にしている姿を、

二人はほとんど見たことがない。


ギウンは壁際に腕を組み、

いつも通りの軽さを装いながらも、視線は鋭く主を捉えている。


アウルは椅子の横に控え、

背筋を伸ばしたまま、ただ黙って主の背中を見つめていた。


その背は、いつもより少しだけ――遠く見えた。


アズベルトは窓際に立ち、

外の闇を見下ろしたまま、ゆっくりと口を開く。


「……急に呼び出して、悪かったね」


穏やかな声だった。

いつもと変わらない、柔らかな調子。


だからこそ――

二人はすぐに応じず、ただ沈黙を選んだ。


理由は、分からない。

けれど、言葉を返す気にはなれなかった。


いつもなら気にも留めないはずの沈黙が、

この夜は、妙に重く、胸に残る。


アズベルトはゆっくりと振り返り、

手にしたグラスを、わずかに掲げた。


「一緒に飲まない?」


いつもの、気負いのない誘い方。

笑みも、声色も、変わらない。


――けれど。


その仕草が、

なぜかひどく、胸の奥に引っかかった。


まるで、

何かに区切りをつけるための――

最後の晩餐のようで。


「……まだ業務が残っておりますので」


アウルは、視線を伏せたまま、反射的にそう答えた。

拒むつもりはなく、

ただ、いつも通りの距離と振る舞いを、崩したくなかっただけだった。


その言葉に、

アズベルトはくすりと肩をすくめる。


「そうだっけ?」


軽く、冗談めかした声音。


それから、ほんの一拍だけ間を置いて――


「今日だけ、って言っても?」


押しつけでも、命令でもない。

それなのに、言葉の奥に滲んだ何かが、

二人の胸を静かにざわつかせた。


「……はぁ」


先に折れたのは、ギウンだった。

首元をかきながら、半ば呆れたように息を吐く。


「付き合いますよ。殿下」


軽さの裏に、覚悟が混じる。


それを受けて、

アウルもまた、小さく目を伏せた。


「……短時間であれば」


二人が歩み寄ると、

アズベルトはほっとしたように微笑んだ。


「ありがとう」


グラスに酒を注ぎ、

一つずつ、丁寧に手渡す。


「こうして、ゆっくり話すのも……久しぶりだな」


「……そうですね」


アウルはグラスを受け取りながら、視線を落としたまま答える。


「最近は、不穏な動きが多いですから」


それを聞いて、

ギウンが小さく苦笑する。


「部隊も、てんてこ舞いですよ。

 国民たちは姫さんの成人の儀に向けて浮足立ってますけど」


「……やっと、王女として人前に顔を出すからね」


アズベルトが静かに言うと、

アウルはふと、懐かしむように目を細めた。


「きっと盛大になるでしょう。

 ――殿下の時のように」


「俺の時は、あちこちトラブルだらけだったじゃないか」


思い出したように笑う声。

懐かしさと苦さ、

それでも確かに温かいものが混じっていた。


「あぁ……姫さん主導で、大変でしたね」


ギウンが喉を鳴らして笑う。


「姫様も、お祝いしたい一心だったのですよ」


アウルが静かに添えると、

アズベルトは小さく息を吐いた。


「……まぁ、今では笑い話だ」


そう前置いてから、

ゆっくりと言葉を選ぶように続ける。


「愉快な成人の儀だった。

 ――お前たちと過ごせた時間も、イェナと過ごした時間も。

 全部、俺の宝物だよ」


その柔らかな笑みが、

ほんの一瞬だけ――わずかに翳る。


「……何、言ってんすか」


ギウンが、冗談を許さない顔で遮った。


「これからだって、そういう時間はいくらでも増えますよ」


強く、はっきりと。


グラスが傾き、

琥珀色の液体が喉を鳴らして落ちていく。


「ここまで、支えてくれてありがとう」


ぽつりと、独り言のように。


「未熟者で、随分と手を焼かせただろうけど……

 それでも、一緒に戦えてよかった」


そして。


「本当に……感謝してる」


――これは、前置きだ。


二人は、直感的に理解していた。


アズベルトはグラスを指先で弄びながら、続ける。


「イェナは、少々世間知らずだけどね」


淡々とした声音。

そこには、先ほどまでの柔らかさはない。


「王女としての作法や形式は、一通り身についている。

 立場をわきまえ、場を読むこともできる」


まるで、

“誰かに説明するための評価”のような語り口だった。


「どこに嫁いでも、恥をかくことはないと思うよ。

 ああ見えて負けず嫌いだし、簡単には折れない」


その言葉の選び方に、

ギウンの胸の奥が、ひやりと冷える。


「……嫁入り、って」


慎重に口を挟む。


「まだ相手も、決まってないでしょう」


一瞬。


アズベルトが、目を細めて笑う。


「ふふ……そうだね」


――けれど、その笑みは。

すでに覚悟を終えた者のものだった。


空気が、切り替わる。


アズベルトは静かに立ち上がり、

二人を真正面から見据えた。


酒の緩みは、もうない。


「お前たちを――」


一拍。


「隣国、アストレア王国へ送る。」


「……今、なんて?」


ギウンの思考が、追いつかない。


だが、

アズベルトはそれ以上、何も付け足さなかった。


沈黙が落ちる。


それを破るように、

アウルが一歩、前へ出る。


「理由を、お聞かせください。」


感情を削ぎ落とした声音。

だが、その奥で揺れているものまでは、隠しきれていない。


アズベルトは、しばらく二人を見つめてから、静かに口を開いた。


「これからは、アストレア王国の第五王子――

 セレスト殿下のもとで、その身を預けてほしい」


言葉は、すぐには意味を結ばなかった。


理解しようとするほど、

空気だけが、じわりと冷えていく。


「……殿下」


ギウンが低く問う。


「それは……俺たちを、“切る”ってことですか」


一瞬。

アズベルトの表情が、歪んだ。


「――そういうことになるね」


短く、逃げ場のない答え。


「この先、フェルディナは……もっと酷くなる」


視線を逸らさず、言い切る。


「いつ、帝国が本格的に動いてもおかしくない。

 冷戦状態の今でさえ、もう限界に近い」


城も。

戦場も。

王家も。


「……安全な場所は、なくなる。」


だから、と。


アズベルトは、迷いなく続けた。


「イェナを――セスに託す」


その名が出た瞬間。


点だったものが、線になる。

線だったものが、ひとつの答えへと収束する。


二人は、同時に息を呑んだ。


「……だから」

ギウンが、かすれた声で続ける。

「俺たちを、向こうへ……?」


「そうだ」


即答だった。


「セスは、アストレア王国でも特異な立場にある。

 魔力も、判断力も、政治的な裁量もある」


淡々とした評価。

そこに、個人的な感情は混じっていない。


そして――


「――だが、信頼できる“手”が、まだ足りない」


まっすぐ、二人を見る。


「お前たちは、イェナを守れる。

 同時に、セスを支えられる」


それは、明確な判断だった。

評価であり――

それ以上に、覆すことのできない命令。


アズベルトは息を吐き、

ほんのわずか苦笑する。


「それに……セスは、お前たちとも相性がいいだろう」


そう言って、視線を外した。


まるで、これ以上向き合えば――

自分の決意に、私情が滲んでしまうことを恐れるかのように。


「あと――」


声が、わずかに低くなる。


「イェナを、大切にしてくれる。必ず」


くすり、と小さく笑った。


その笑みは、安堵に近く。

同時に、確かに――

“手放す覚悟”を含んでいた。


アウルが、唇を強く噛みしめる。


そして、絞り出すように問いかける。


「……姫様は.....それを、ご存じなのですか」


問いは、抑えきれない震えを含んでいた。

理性では分かっている。

それでも――口にせずにはいられなかった。


アズベルトは、ほんの一瞬だけ目を伏せる。


「……いや」


短く、はっきりとした否定。


「だからこそ、今は知らせない。

 これは――大人の判断だ」


守るための嘘。

選ばせないための、決断。


その言葉の重さを、

二人は痛いほど理解していた。


ギウンが、拳をきつく握りしめる。

爪が食い込み、微かな痛みが走るほどに。


「……勝手すぎるだろ」


吐き捨てるような声。

感情を噛み殺しきれなかった。


だが――

アズベルトは、否定しなかった。


「そうだよ」


静かに、認める。


「王族は、いつだって勝手だ。

 だからこそ……守れるものも、ある」


言い訳でも、正当化でもない。

ただ、現実を受け入れた言葉だった。


アズベルトは、改めて二人をまっすぐに見る。


逃げも、誤魔化しもない。


「これは、命令だ。

 同時に――お願いでもある」


王ではなく、兄としての声色で。


「イェナを……頼んだよ」


その一言で、

二人は理解してしまった。


彼の選択が、どれほど苦しいものか。

そして、これを拒むことが、

どれほど彼を追い詰める行為になるのか。


「……殿下は、ずるいっすね」


ギウンが眉を潜め、視線を落とす。


「……殿下は。

 ご自身は――どうされるおつもりですか」


その問いに、

アズベルトの瞳に影が落ちる。


ほんの一瞬。

だが、確かに。


「――僕は、ここに残る」


それだけで、十分だった。


守りたいものがある。

そして――

守れない未来を、すでに見据えている。


だからこそ。

“守れる者”を、遠ざける。


ギウンは、ゆっくりと息を吐き、

苦笑する。


「……殿下は、相変わらずですね。

 俺たちの忠義を、なんだと思ってるんですか」


「……うん、ごめん」


小さく。

けれど、確かに届く声。


「でも。お前たちを失う方が――俺は、嫌なんだ。」


それ以上、

アズベルトは何も言わなかった。


代わりに。


アウルが、静かに膝をつく。


迷いのない所作。

何度も繰り返してきた忠義の形。


「……承知しました」


低く、揺るぎない声。


「我々は、姫様を。セレスト殿下を。

 必ず、お守りします」


ギウンも、肩をすくめながら続ける。


「命に代えても。」


その言葉に、

アズベルトはそっと目を閉じた。


「……ありがとう」


それは、王子の言葉ではなかった。


グラスの中の酒は、

すでに空になっている。


この夜が――

三人で過ごす、最後の静かな時間になることを。


誰も、口にはしなかった。


それから与えられた猶予は、あまりに短かった。


悲しみに沈む暇もないまま、

隣国への旅支度は、水面下で進められていく。


イエレナと、言葉を交わすこともなく。


二人は、

フェルディナの地を後にした。



(了)



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『亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』

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