【幼少期】まだ名もない忠義
古くから、
アウルの家系はフェルディナ国の従者として仕えてきた。
名を残すことはない。
歴史に刻まれることもない。
ただ、主の背に影を落とさず、
命を預かり、忠義を貫く。
それが――
アウルの家に生まれた者の役目だった。
父は厳しかった。
礼節。
判断力。
剣技。
そして何より、「距離」の取り方。
「主に近づきすぎるな。」
「だが、離れすぎるな」
「感情は持て。だが、委ねるな」
幼い頃から、繰り返し叩き込まれた。
アウルは、それに応えた。
学ぶことを怠らず、
剣を振るうことを惜しまず、
誰よりも早く理解し、誰よりも冷静だった。
同年代の中では、明らかに突出していた。
――だからだ。
王から、直接声がかかったのは。
「同年代の息子の従者兼、見習い騎士として任せたい」
その言葉を聞いた時、
胸の奥が、確かに熱くなった。
誇りだった。
家を継ぐ者としても。
一人の従者としても。
選ばれたのだ、と。
守るべき主が、定まったのだと。
だからアウルは、迷わなかった。
喜びも期待も胸の奥に収め、
覚悟だけを表に出して、答えた。
――応えられる従者であろう、と。
そして今日。
アウルは王城の中庭に立っていた。
そこには、
自分以外にも、もう一人。
明らかに年上。
背丈も高く、体格もいい。
鍛え上げられた身体つきは、
見習いというより、すでに実戦の匂いを纏っている。
無駄のない立ち姿。
だが、纏う空気はアウルとは正反対だった。
張り詰めていない。
むしろ、場の空気を軽くする余裕がある。
(……同じ従者でも、役割が違う)
年上の彼は、前に出て守る盾。
自分は、主の傍で判断を下す刃。
その青年が、ふっと口元を緩めた。
「……あー、硬ぇなぁ」
誰に向けたともつかない軽口。
だが、その視線は一瞬だけ、アウルを捉えていた。
――値踏み。
敵意ではない。
けれど、油断もない。
(……油断ならない)
そう結論づけた、まさにその時。
「――アズベルト」
王の声が、中庭に静かに響いた。
空気が、変わる。
回廊の奥から現れたのは、
幼さを残しながらも、はっきりと“王子”と分かる少年だった。
やや赤みを帯びたホワイトブロンドの髪。
光を受け、淡く琥珀色に揺れる。
王家の象徴、新緑のペリドットグリーンの瞳。
澄んでいる。
だが、無邪気だけでは終わらない。
年齢にそぐわぬ落ち着きと、
確かに残る柔らかさが、同時に宿っていた。
王族の装束を身にまといながら、
歩みは軽く、無駄がない。
――堂々としている。
それが、アウルが受けた第一印象だった。
「失礼します、父上」
短く、丁寧な礼。
言葉の選び方と間の取り方は、すでに“大人”に近い。
重臣たちの視線が、自然と彼へ集まる。
(……これが)
フェルディナ王国第一王子、アズベルト。
戦を避け、対話と守護を選ぶこの国で、
その佇まいだけで、重臣たちの視線を集める存在。
その評価が誇張ではないことを、
アウルは一瞬で理解した。
やがて、
重臣たちとのやり取りを終えたアズベルトが、こちらを見る。
正確には――
自分と、隣の年上の従者を。
「……君たちが」
穏やかな声。
「父上が話していた、従者だね。
アウルとギウン。これからよろしく。」
命令でも、対等でもない。
それでも、見下す気配はなかった。
(……この方は)
守られるだけの存在ではない。
そして、軽々しく慣れ合う相手でもない。
だが――
なぜか、目を逸らすこともできなかった。
それは好奇心ではない。
使命感とも、まだ違う。
ただ、
この少年がどんな「主」になるのかを、
見届けなければならないと、
直感してしまったのだ。
この瞬間から、
アウルの中で「主」の輪郭が、静かに定まった。
そして――
公の場と、私的な場。
アズベルトは、まるで別人のようだった。
それは変わるのではなく、
使い分けているという在り方だった。
公の場では、徹底して律している。
言葉を選び、感情を抑え、
一切の無駄を削ぎ落とした王子。
だが、私的な場では違った。
ギウンと剣を交え、
イエレナと走り回り、
笑い、転び、また笑う。
メイドに叱られ、乳母に呆れられても、
どこか楽しそうで、少しも沈まない。
(……許しているのだ)
王子である前の自分を、
この場所では。
それが、
彼の強さなのだと、アウルは思った。
人が集まる理由が、分かってしまった。
だからこそ――守らなければならない。
軽々しく近づいてはいけない。
近づきすぎてもいけない。
この主は、
自ら“子どもであること”を制御している。
支える者が、必要なのだ。
アウルは、
剣の柄を握り直した。
それは忠義という言葉よりも前の、
静かで、揺るぎない覚悟だった。
◇ ◇ ◇
その日の訓練後。
中庭の片隅で休んでいた時。
ギウンが、ふと口を開いた。
「なぁ、アウル」
「お前さ――
意外と、殿下のこと見てるよな」
「……何の話ですか」
「公務の時も、遊んでる時も」
「だいたい、殿下に視線行ってる」
軽口。
だが、的確だった。
アウルは一瞬だけ考え、即答する。
「私の主ですから、当たり前です」
それだけだった。
だが、その言葉を、
少し離れた場所で聞いていた人物がいた。
「……本当?」
振り返ると、
アズベルトがこちらを見ていた。
「事実です」
それ以上は言わない。
けれど――
アズベルトの表情は、ぱっと明るくなった。
「……そっか」
声が、少し弾む。
「ありがとう」
照れたような笑み。
(……礼を言われるようなことではないのに)
そう思いながらも、
アウルは否定しなかった。
その横で、
アズベルトはまだ少し、嬉しそうに笑っている。
それだけで、
この場の空気は、ほんのりと温かかった。
「アウルはさ、真面目すぎる」
からかうでも、咎めるでもない。
ただ、事実を並べるような声音だった。
「理性的で、規律を重んじるのは、
君のいいところだと思ってる」
一拍置いて、視線を外す。
その仕草が、余計に言葉を軽くする。
「……だからさ、
たまには、俺の息抜きに付き合ってよ」
――その意図が、わかってしまった。
自分の在り方を否定せず、
それでも無理をさせないための言い回し。
どこまでも周囲を見ていて、
そして、誰よりも人を大切にする。
「……」
アウルは、ほんの一瞬だけ逡巡し――
それから、静かに答えた。
「――善処します」
それは約束でも、服従でもない。
彼なりの、最大限の歩み寄りだった。
アズベルトは、
その言葉を聞いて、少しだけ目を細めた。
それ以上、何も言わなかったが――
その表情は、確かに満足そうだった。
誇らしげでもなく、
期待を押し付けるでもなく、
ただ、そこに在るものとして。
その在り方が、
なぜか胸の奥に、ひどく静かに沁みた。
(……この人は)
従者を縛らない。
けれど、独りにもさせない。
近づきすぎることもなく、
突き放すこともしない。
その距離感こそが、
父から教えられてきた
“理想の主”の姿そのもののようだった。
(……この人が主で、よかった)
初めて、
その言葉が感情を伴って胸に落ちた。
アウルは視線を伏せ、
剣の柄を握り直す。
守る理由は、もう十分だった。
――まだ名もない忠義が、
確かに、ここに在った。
(了)
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