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【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる  作者: Tsuyuri -露-


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理性を溶かす一杯


それは、まだイエレナが亡国の姫になる前――。


帝国が不穏な動きを見せ始め、

フェルディナの空がわずかにきな臭くなっていた頃。


ギウンとアウルは、王太子アズベルトの密命を受け、

アストレア王国の第五王子セレストのもとへ派遣されていた。

“もしもの時”のために、異国で立てる盾を――

それが、彼らに課せられた任務だった。


そしてこの夜、〈王家親衛騎士団〉の正式試験に合格し、

晴れて第五王子セレスト直属の部隊へと拝命を受けた。


二人の新たな人生の始まりを祝う宴――

それが、後に語り継がれる“すべての発端”だった。


祝宴の席は王都の片隅の酒場。

木製のテーブルには焼きたての肉と果実酒が並び、

賑やかな笑い声と音楽が満ちていた。

その中で、セレストだけは静かに湯気の立つお茶を口にしている。


「殿下は……お酒を召し上がらないのですか?」


ギウンがジョッキを掲げて笑うと、セレストは柔らかく微笑んだ。


「兄上たちから、アルコール類は禁止されているんだ。――理由は、教えてもらってないけどね」


「……飲むと暴れる、とかですか?」


「もしくは下戸?」


アウルとギウンの冗談に、セレストは苦笑して肩をすくめた。


「さぁ……どうなんだろうね。」


くすりと笑ったその顔が、どこか妙に艶を帯びて見えて――

二人は一瞬、言葉を失った。


「……せっかくだし、一口だけでも祝いましょうよ!」


「ギウン」アウルが低く制止する。

「止められるには、理由があるはずです。」


「一口だけならいいよ」


セレストは茶を置き、ゆるりと目を細めた。

穏やかな笑み――なのに、その仕草のどこかに、掴みどころのない“危うさ”が潜んでいた。


ギウンが頼んだのは、度数の低い果実酒。

黄金の液体が灯りを受けて、グラスの中でゆらめく。

セレストはそれを受け取り、静かに唇を寄せた。


一口、喉を滑る。

微かな甘みが舌を抜け、淡い香りが漂う。


「...飲みやすいね」


いつも通りの穏やかな微笑み。

その一言に、ギウンとアウルは同時に安堵の息をついた。


「アストレア王家は過保護なんだな。」


「そのようですね。」


二人は安心した途端に杯を煽り、

「試験のここが大変だった」「隊長が理不尽だった」など

他愛もない話で盛り上がり始めた。


だから――気づくのが遅れた。


ふと、ギウンが違和感に眉を寄せる。


(……あれ?)


セレストが、

さっきからまったく反応していない。


沈黙が、じわりと卓を包んだ。

部屋の空気が、どこかぬるく揺らぐ。


ギウンとアウルは、ゆっくりと視線を合わせる。


「……殿下?」


返事がない。


ランプの橙光が揺れるたび、

その光の下――セレストは俯いたまま、微動だにしなかった。


「……まずいか?いや、でも果実酒一杯だけだぞ....?」

 

ギウンの声が、かすかに震える。


その瞬間だった。


「……あっつ……」


吐息が、妙に艶を帯びてこぼれ落ちた。


セレストはゆっくりと顔を上げ、

熱に浮かされたように首筋へ手を添える。

細い指が喉元へ滑り――

わずかに眉を寄せた次の瞬間、首元のボタンを外した。


その仕草ひとつで、空気が――音を立てて変わった。


白く滑らかな喉が露わになり、

そこから淡い光がじわりと零れ落ちる。


空気が震えた。


魔力が花弁のようにほどけ、

甘くて眩暈を誘う香りがふわりと満ちる。

精霊が息を潜めて見守るような、

“人の域”を超えた気配が漂い始めた。


「殿下……?」


アウルの声が掠れる。


しかしセレストは応えない。

ただ静かに、ゆっくりと――銀白の髪を指でかき上げた。


さらり、と。

光の粒が揺れて舞い上がる。


その瞬間だった。


空気がひっくり返ったように、変わった。


酒場のざわめきが、ぱたりと消える。

気温は変わっていないのに、

息をするたび胸が熱くなるような圧がのしかかる。


銀白の髪が淡く光を帯び、

伏せた長い睫毛が影をつくり、

その表情には普段の“静謐”ではない色気が宿っていた。


そこに座っているだけ。


……それだけで、誰も目を逸らせなかった。


視線を奪われ、呼吸を忘れ、

ただ――理性が溶けていく。


「……おい……なんか……光ってねぇか……?」


ギウンの声が震える。

アウルは一瞬でこの後の流れを悟った。


セレストがゆっくりと顔を上げる。

潤んだ瑠璃の瞳がとろんと揺れ、吐息が甘くこぼれた。


「……少し……苦いね」


その一言が落ちた瞬間、店の中の空気が軋んだ。


カラン、と誰かがグラスを取り落とす。

乾いた音が波紋のように広がり――誰もが息を止めた。


そこにいた全員が、理解してしまったのだ。

目の前の王子は、理性を溶かす“何か”に変わったのだと。


――美しい。

――触れたい。


そんな無意識の衝動が、客たちの間を駆け抜ける。


男も女も関係なく、皆が息を呑み、頬を紅潮させた。

セレストの放つ“何か”が、理性を揺さぶっていく。

淡い香が漂い、空気がねっとりと甘く染まっていく。


「やべぇ……これ……」


ギウンが青ざめる。

隣ではアウルが結界を展開し、セレストを覆うように立ち塞がる。

だが、結界を通しても溢れ出す魔力の“色香”が止まらない。

魔力が空間の隙間を滑り抜け、周囲の理性を次々と蝕んでいく。


「殿下! お水を!」


「……ん……アウル……暑い……」


名を呼ばれた瞬間、アウルの心臓が跳ねた。

いつもの静かな声が、甘く掠れて響く。

理性を刺すような囁きに、彼は思わず息を呑む。


その一瞬の隙に、酔った客がセレストへと手を伸ばした。


「おいっ触るな!」


ギウンが椅子を蹴り飛ばし、拳で弾き飛ばす。

だが、抑えが効かない。

男たちが次々に立ち上がり、女たちの瞳にも熱が宿る。

香のような魔力が充満し、空間そのものが歪んでいった。


「これは……魔力の暴走じゃねぇ、“魅了”だ!」


「セレスト様、ご無事ですか!」

 

アウルは外套を掴み、セレストの肩を覆うように包み込む。

ギウンが前へ出て、乱れた人波をかき分けるように道を切り開いた。


椅子が倒れ、叫び声と笑い声が入り混じる。

欲望と陶酔が渦を巻く混沌の中を、二人は必死に駆け抜けた。


外へ出た瞬間、冷たい夜風が頬を打つ。

だが、通りの人々までもが振り返り、セレストを見るなり顔を赤らめ、跪くように見とれた。

魔力が風に乗り、街全体を淡く染めていく。


――まるで祝福にも似た、危うい光。


「……アウル、あれ“やべー”どころの話じゃねぇぞ……!」


「言ってる暇があったら走ってください!」


ようやく王子の私邸へ辿り着く頃には、二人とも息も絶え絶えだった。


扉を開けると、老執事ヴァイゼンと護衛騎士ネイサンが冷ややかに出迎える。

その顔を見た瞬間、二人の背筋が凍りついた。


「……飲ませてしまったようですね」


ヴァイゼンの低く静かな声が響く。

隣でネイサンが額を押さえ、深いため息をついた。


「ネイサン、速やかに湯を。――氷も。」


その一言で、ネイサンは短くうなずき、奥へと消えていく。

屋敷の一角は立ち入り禁止となり、従者たちは素早く掃けた。


ヴァイゼンはセレストの様子を一瞥し、深く息を吐く。


「……お伝えしていなかった私共の失態ですね」


穏やかな口調のまま、責めも言い訳もなく、淡々と事実だけを述べた。


その声音には、長年仕えてきた者だけが持つ静かな諦観と、深い忠誠が滲んでいた。


残されたのは、わずかな湯気と、静かな吐息だけ。

手際よく介抱を受けるセレストは、やがて深い眠りに落ちていく。

その寝顔は、信じられないほど穏やかだった。


――まるで何もなかったかのように。


そして、ようやく事が落ち着いたころ。

重い空気の中、ネイサンがギウンとアウルを前に立ち、一言だけ告げた。


「これで分かっただろう。殿下に酒を飲ませるな。

 一滴でも、だ。」


二人は言葉を失い、ただ深く頭を垂れた。


……“あれ”は暴走ではない。

理性も秩序も、欲さえも溶かす“魔”そのものだった。


脳裏に焼き付いて離れない。

光に染まった肌。甘く掠れた声。

そして、自分の中に芽生えた――ありえない感情。


ギウンは拳を握りしめたまま、かすかに笑う。


「……一生、忘れられそうにないな――悪夢だった。」


 アウルも長く息を吐き出した。


「……ええ。正真正銘の悪夢ですね。」


二人はどっとその場に座り込み、

背もたれに預けるようにして深くため息をついた。


疲労と羞恥と安堵が混ざった、重たい吐息。

もう二度と味わいたくない――心の底から、そう思った。


静まり返った室内で、セレストの寝息だけが穏やかに響く。

その無垢な寝顔が、皮肉なほどに安らかで、

二人は同時にもう一度、深いため息をついた。


「……今後、殿下に酒は絶対飲ませねぇ。」


「ええ、誓って。」


それは命令ではなく、二人の誓いだった。

忠義と理性を守るための、苦い誓約。


こうして、〈静謐王子禁酒令〉は王城の内外で徹底され――

あの夜の出来事は、後に誰も語らぬ〈沈黙の一夜〉として

密やかに伝えられることとなった。



(了)


もし気に入っていただけたら、本編もそっと覗いてみてください。


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『亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』

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