【幼少期】静謐の王子の親友
王族の子らが初めて魔力測定を受ける日は、
年若い彼らにとって“自分がどんな存在か”を突きつけられる日だった。
第五王子セレストは、
その日、同じ歳の第四王子アルベリクと並んで順番を待っていた。
アルベリクは控えめに前を見つめ、
セレストはそっと兄の袖をつまんだ。
(……アル、緊張してるのかな)
けれど呼ばれたのはアルから。
セレストはただ祈るように見守っていた。
――そして測定は静かに、静かに終わった。
反応の出ない測定器。
困惑した大人たち。
気遣うような声と、その実ひやりとした空気。
だがセレストは深くは考えてはいなかった。
――だって、アルは優しいから。
――魔力があってもなくても、そんなこと関係ない。
幼い心の、その純粋な確信。
そして次は、セレストの番だった。
小さな手を水晶球へ乗せた瞬間――
空気が震えた。
「っ……!」
眩しく爆ぜる光。
大人たちが息を呑む音。
制御しきれない魔力の奔流。
セレストは咄嗟に胸いっぱいに息を吸って、
ぎゅ、と魔力を抱え込むように抑えた。
それでも――
――ぱんっ。
水晶にひびが入り、光が散る。
「下がって!」
「殿下、お怪我は……!」
大人たちが距離を取る。
恐れと驚きが混ざった視線が突き刺さる。
セレストはその視線に、胸の奥がきゅっと縮むのを感じた。
(……ごめんなさい、ごめんなさい……)
皆を傷つけたくなかった。
怖がらせるつもりなんてなかった。
ただ、
「自分は皆と同じように測れる」
と思っていただけだったのに。
けれど――
「怪我人はなし! セレスト殿下が結界を張っておいでだ!」
その声が上がった瞬間、
今度は一斉に熱い視線が降りかかった。
「……なんという魔力量……!」
「王家の歴史に残る逸材だ!」
「殿下、才能が……!」
称賛、期待、希望――
そして、ほんの少しの恐怖。
その視線は、
幼い彼の胸をあたたかくするよりも、
そっと冷たい壁をつくった。
自分でも計り知れない魔力量が、ただただ“怖い”。
どうして皆はこんなに騒ぐのか、幼い頭では理解できなかった。
視界の端に、アルベリクの横顔が映る。
彼はどこか遠くを見つめていた。
怒っているのか、悲しいのか、悔しいのか――
幼いセレストには、その色を読み取れない。
ただ――
何か大切なものが、
測定室の床にぽたりと落ちて、
そのまま戻らないような気がした。
その静かな喪失感を、
誰にも気づかれないまま抱えたまま――
次の瞬間、周囲の大人たちが一斉に彼へ押し寄せた。
「殿下、素晴らしい才能でございます!」
「まさかここまでとは……!」
「将来は王国を背負うお方に……!」
王家の歴史に残る逸材だと持ち上げ、
顔色を伺い、
自分たちもその栄光にあやかろうと距離を詰めてくる。
その手が、声が、笑顔が――
幼いセレストには、なぜだか“怖かった”。
(……やめて。
ぼく、そんなにすごくないよ……)
けれど誰も、
今にも泣き出しそうな幼い心の震えには気づかない。
ただただ“才能”だけが歩き出し、
セレスト本人はその後ろに取り残されたままだった。
ラファエル、レオニス、ダリアス――
兄たちは皆、それぞれの性格で「理解」を示してくれた。
「すごいな、セス。誇っていい。」
「でも、慢心は毒だ。努力を怠るなよ。」
「まぁ強いのはいいが……怪我だけはするなよ。」
あくまで兄弟として、当然のように、温かく迎え入れてくれた。
嫉妬も距離もなく、ただ“弟セレスト”として。
けれどその外側……
“王家の周囲の大人たち”は違っていた。
扱いが変わり、態度が変わり、言葉が変わった。
他の子供たちとの差は、日に日に露骨になっていく。
それでもセレストは驕らなかった。
真面目に机へ向かい、真面目に魔力訓練に通い、
過剰な褒め言葉に流されることなく、淡々とこなした。
(……期待に応えなきゃ。
これが僕にできる“役目”だから)
そう信じていた。
けれど――
その姿勢は、周囲の期待にさらに火をつけてしまった。
「殿下は将来必ず大成なさる」
「王家をね、変えてくれるに違いない」
「アストレアの未来だよ!」
幼い心に乗せるには、重すぎる言葉ばかりだった。
◇ ◇ ◇
魔力実技の授業のことだった。
その日は疲れていた。
昨夜、魔力の流れが疼いて寝付けなかった。
ちょっとした綻びだった。
ほんの、小さな乱れ。
――魔力が暴走した。
爆風とともに、訓練室は一瞬で崩れた。
光と風が混ざり、壁が裂け、床が砕け、
石片の音が雨のように降りそそいだ。
「――っ、セレスト殿下‼」
「伏せろ!」
「危ない!」
怪我人は出なかった。
兄たちの素早い対処と、セレスト自身の咄嗟の結界のおかげだ。
でも、その日を境に空気は一変した。
「……あれほどの魔力量、もはや災厄だ」
「ひとたび綻びれば――王都が吹き飛ぶぞ」
「恐れるなというほうが無理だ」
「可哀想だが……あの子は“特別すぎる”」
「力が強すぎる者は……孤独になる運命なんだろうな」
「誰がそばに立てる? 近づくほうが危険だ」
「王族の宝かもしれんが……扱いを誤れば、火種だ」
「……希望と災厄は、紙一重だよ」
大人たちは声を潜めているつもりでも、
その言葉は、幼い耳に刺すように届いた。
囁きは少しずつ形を変えて広がり、
やがて“噂”になり、
“恐怖”として空気を覆いはじめる。
あらぬ噂が生まれ、
不安を煽る囁きが陰で飛び交い、
怯えたような視線が日に日に重くなっていく。
恐怖。
哀れみ。
嫉妬。
蔑み。
向けられる色は、どれも冷たくて――
幼い胸には、どうしていいかわからない温度ばかりだった。
(そう、だよね....こんな力、怖いよね。
僕が近くにいるだけで、みんな不安になるよね)
誰も責められない。
誰も悪くない。
ただ、
“自分が原因なのだ”という事実だけが、
小さな心に静かに積もっていく。
――なら、距離を置こう。
――傷つけないように。
――怖がらせないように。
みんなのために。
大切な人たちのために。
そして、みんなの憂いが少しでも和らげばと、
幼い少年は小さく息を吸って言った。
「大丈夫だよ」
「僕はもう暴走しない。
ちゃんと、制御できるようになるから」
その声は震えていたけれど、
“誰かを安心させたい”という一心だけは確かだった。
幼い手で魔力理論書をめくり、
眠い目をこすりながら魔力制御の練習を続け、
兄たちの言葉を胸に刻みながら――
誰の何倍も、何十倍も、努力をした。
努力は裏切らなかった。
“強さ”は次第に“安定”へと変わり、
荒れ狂う魔力の奔流は、静かに形を保つようになった。
それに伴い、周囲の態度も少しずつ変わりはじめた。
「殿下のおかげです」
「またお願いします」
「助かりました!」
笑顔が向けられ、
頼られる声が増え、
“ありがとう”が日ごとに積み重なっていく。
そのたび、胸の奥がじんわりと温かくなった。
――でも。
その温かさに甘えてはいけない。
その輪の中へ深く踏み込めば、
またいつか“壊してしまう”かもしれない。
(僕は……他の人と、少し違うから)
恐れるのは、周囲ではなく“自分”だった。
誰よりも優しく、
誰よりも努力家で、
誰よりも他者を思いやる少年は――
誰よりも早く、
“自分の居場所に線を引く方法”を覚えてしまった。
そんな中でも、
兄たちの言葉だけはいつだって温かかった。
頭を撫でてくれる手。
間違えば叱り、正しければ褒めてくれる声。
弟として、大切に包み込んでくれる存在。
けれど。
(……甘えたら、壊れてしまいそうだった)
その胸の奥のひび割れは、
兄たちの手を借りた瞬間に一気に露わになりそうで。
寂しさを言葉にした瞬間、
幼い自分が泣き崩れて戻れなくなる気がして。
だから、笑った。
「大丈夫だよ」と。
「平気だよ」と。
王族として、皆の前に立つために。
期待に応えた。
努力を続けた。
頼られる自分であろうとした。
そうして、魔力制御が安定したと認められはじめた頃――
周囲は“未来のため”と称して、
セレストを外交へ同行させるようになった。
幼い少年の魔力量と、
「王家の宝」と呼ばれる存在を、
国外へ示したい大人の思惑も、そこには強く絡んでいた。
しかしセレストは不満を漏らさなかった。
――誰かの役に立てるなら、それでいい。
本気で、そう思っていたからだ。
外交に連れ回される日々は、
幼い身体には酷なものだったけれど――
“期待されているなら応えたい”
という気持ちのほうが、いつも勝っていた。
そんな中で訪れた、ある国。
フェルディナ国。
謁見室へ足を踏み入れた瞬間――
ふわりと、森の奥に迷い込んだような深い香りがセレストを包んだ。
重々しい威圧感も、作り物のような華美さもない。
ただ、森の静けさと温もりが自然に満ちていた。
(……落ち着く……)
幼い胸の奥が、すとんと静かになる。
そして視界に映ったのは――
フェルディナ国の第一王子、アズベルト。
琥珀色の髪が柔らかく光を払い、
年齢より大人びた落ち着きを纏っていながら、
少年らしい無邪気さもどこかに漂っていた。
瞳はペリドットのような新緑色。
けれどその奥には、鋭い知性と、深い優しさが同時に宿っていた。
セレストは思わず息を呑んだ。
――綺麗な人だ。
けれど、美しさよりも先に感じたのは、
そのまなざしにある“透明な温度”だった。
押し付けるものも、怖がるものもない。
ただまっすぐに、初対面の少年を“ひとりの人間として”見ていた。
「初めまして。アストレアの第五王子……セレスト殿下ですね」
穏やかで、包み込むような声だった。
(……優しい声だ)
けれど次の瞬間、
アズベルトの瞳が、ごくわずか――
セレストの魔力核の奥を覗くように細められた。
誰にも言われたことのない、
“本当の意味で見透かす”ような眼差し。
そして、彼は微笑んだ。
「……その魔力。“怖がらせないように”気を配っているの?」
初対面のはずなのに、
いきなり核心をつくような言葉だった。
「え……」
幼いセレストは思わず足を止めてしまう。
誰にも言われたことのない一言――
胸の奥が、なぜかひたりと波立った。
そんな彼の前で、青年は静かに胸へ手を当てた。
「私はフェルディナ国王家の嫡男・アズベルトと申します。」
流れるように美しい一礼。
礼儀のひとつひとつが洗練されていて、
けれどどこか自然体で、押しつけがましさがない。
その所作に見とれたのも束の間――
アズベルトが顔を上げた瞬間だった。
にぃっと。
優雅さからふいに切り替わった、
楽しげで、イタズラっ子のような笑み。
琥珀色の睫毛の奥で、
澄んだペリドットカラーの瞳がきらりと光る。
「――俺と友達にならない?」
唐突すぎる誘い。
丁寧な口調から一転、砕けた言葉。
セレストの目が丸くなる。
「お、友達……?」
「うん。君と話してみたいんだ。
俺のことはアズとでも呼んでほしい。」
あまりにも自然で、
あまりにも真っ直ぐで、
あまりにも境界線がない。
階級も、国も、立場も――
“何も気にしない”という清々しさがそこにはあった。
幼いセレストは、胸の奥がじんと温かくなるのを感じた。
(……こんなふうに話しかけられるの、初めてだ)
褒められるでもなく、怖がられるでもなく。
期待を押しつけられるでもなく。
ただ――
“セレストとして”向き合ってくれる存在。
気づけば、セレストの唇が震えるように動いていた。
「……僕は……セレストです。
……よろしくお願いします、アズ……」
その声は、少しだけ照れたように小さかった。
でも、その一歩は確かに――
少年セレストが初めて“誰かに心を開いた瞬間だった。
◇ ◇ ◇
それから――
魔力の話は一切、されなかった。
まるで“あの質問は、ただの挨拶だった”と言わんばかりに。
代わりにアズベルトが口にしたのは、
まったく別の、けれど確かにセレストの心に触れる言葉だった。
「君には感じるかな?
この国は精霊信仰が盛んでね、実際に王城には精霊がいるんだよ」
瞳を細めながら、優しく問いかけてくる声。
“魔力が強い君なら見えるだろう”という期待ではない。
そこにあるのはただ、純粋な興味と共有の喜びだけ。
「こっち来て!
ここのテラスからの街の眺めが好きなんだ」
アズベルトは軽やかに歩き出す。
セレストの腕を引きもせず、ただ近くを歩きながら。
「ついてきたいならおいで」とでも言うように。
初めて見るフェルディナの街並みが、
白い日差しの中で輝いていた。
「ここの書庫には、精霊に関する書物が多いんだ。
セレストは気に入るかな?」
まるで、自分が好きな宝物を
“見せたい”と無邪気に語る子どものようだった。
セレストは何度も瞬きをした。
この青年は――
自分が魔力を持っていようがいまいが、
強かろうが弱かろうが、まったく関係ない。
ただ“セレストとして”接してくれる。
「ギウン、アウル!
セレストも一緒に、剣技の遊びをしよう!」
弾んだ声に呼ばれ、
まだ幼い二人の少年騎士――ギウンとアウルが、ぱっと振り返った。
「殿下のお友達、ですか?」
「よろしくお願いします」
向けられた視線に、
そこには恐れも、遠慮も、哀れみもない。
ただ――当たり前のような好奇心と、まっすぐな歓迎だけがあった。
その瞬間、
セレストの胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
痛みのようで、
けれど確かに温かい感覚。
(……ここでは誰も、僕を“特別”として見ていない)
(こんなふうに……誰かと並んで、笑っていてもいいんだろうか)
テラスを抜ける柔らかな風が、
少年の銀髪をそっと揺らした。
その先で、
アズベルトがにかっと笑って振り返る。
――それだけで、胸の奥が少し軽くなった。
それからの数日間の滞在は、
セレストにとって、生まれて初めて
心から「楽しい」と思える時間だった。
ギウンとアウルに剣技の遊びを教わり、
アズベルトと並んで街を歩き、
書庫では精霊の本を肩を寄せ合って読み、
王都のテラスで風に吹かれながら、他愛のない話を交わす。
誰も、セレストの魔力を恐れない。
誰も、その才能を持ち上げもしない。
そこにいるのは、
ただの“セレスト”だった。
そのことが、
胸がひりひりするほどに、嬉しかった。
けれど――
戻らなければならない日が近づくにつれ、
胸の奥に、薄い靄が静かに広がっていく。
王家の務めも、学びも、訓練も大切だ。
それは、誰よりも自分が理解している。
それでも。
(……帰りたくないな)
そんな想いが浮かんだことに、
セレスト自身が、いちばん驚いた。
帰国前日の夕方。
フェルディナの中庭で、ひとり風にあたっていると――
「セス」
ふいに、影が差した。
振り返れば、
夕陽を背にしたアズベルトが立っている。
陽に照らされた金髪は金糸のように輝き、
気負いのない足取りで噴水の縁に腰を下ろした。
靴先で水面を軽くつつきながら、
まるで明日の天気の話でもするみたいに、
何気なく言う。
「俺も、アストレア王国に遊びに行くよ」
「……え?」
反射的に顔を向けると、
アズベルトはさらりと続けた。
「外交を覚えないといけないしね。
それに――」
ペリドット色の瞳が、冗談ひとつない真っ直ぐな光を宿す。
「案内してよ。君の国を」
夕風が一瞬止まったように感じた。
(……僕の国を、僕が案内……?)
アズベルトは椅子に座ったまま背を反らし、
夕陽に照らされた空を見上げた。
「セスが好きな景色、
セスが普段歩いてる道、
その全部を“君の目線”で見たい」
にぃっと笑いながら、
まるで当たり前のことを言うように続ける。
「――君と一緒に見る景色なら、きっと好きになれる」
胸の奥が、きゅうっと熱くなる。
“力”ではなく、
“魔力”でもなく、
“王家の称号”でもない。
ただ セレストという少年 を見て向けられた言葉。
(……こんなふうに言ってくれる人が、本当に……)
掴んだはずの寂しさが、そっとほどけていく。
セレストは小さく息を吸って――
笑った。
「……はい。
アストレアを……全部、案内します」
アズベルトは満足げに頷き、
噴水の水を指で弾いて笑った。
「決まりだね。楽しみにしてるよ、セス」
沈む夕陽とともに、
ふたりの影が長く伸びていく。
(……帰るのが、少しだけ楽しみになった)
その夕暮れの風は、
少年の中に確かに“希望”を吹き込んでいた。
(了)
もし気に入っていただけたら、本編もそっと覗いてみてください。
▼本編はこちら
『亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』
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