不器用な程に甘いお菓子
春の午後、隠れ家の台所はやわらかな陽射しに包まれていた。
大きな窓から差し込む光が、木目の浮いた調理台をぽかぽかと照らし、
梁のあいだから吊るされたハーブを淡い緑色に染めていく。
外では鳥がさえずり、風が庭の畑を揺らしていた。
暖かな気配が室内いっぱいに広がり、
ここが“暮らしの中心”であることを静かに物語っていた。
そんな穏やかな空気を破ったのは――
リリュエルの弾んだ声だった。
「ねぇねぇ! ボク、甘いお菓子が食べたい!!」
調理台の上にちょこんと座り、金色の羽根をぱたぱたさせる精霊。
ギウンは木杓子を片手に振り向き、苦笑を浮かべる。
「ん? お菓子? ……まぁ、時間あるし何か作るか。
何が食べたいんだ?」
「はちみつのお菓子!! 甘いのがいい!!」
リリュエルの羽根がぱたぱたとはずみ、
ギウンは苦笑しながらも木杓子を肩にかけて答えた。
「りょ~かい。じゃあ蜂蜜で何か作るか。」
その瞬間――
「やったぁ!」
リリュエルは嬉しさを抑えきれず、
ひゅんっと春風みたいに天井近くまで舞い上がった。
舞った光粒が調理台に落ちる陽射しに溶けていく。
そして――その勢いのまま、イエレナのもとへ猛ダッシュで向かう。
暖炉の火がぱちぱちと弾け、
ゲストルームの石壁に揺らめく橙の光が映っていた。
椅子に座って本を抱えていたイエレナは、
ふわりと甘い香りと共に弾む声が近づいてくるのに気づいて顔を上げる。
廊下の向こう、キッチンから明るい声が跳ねた。
「イェナぁ!! ギウンがお菓子作ってくれるって~!!」
リリュエルが勢いよく飛び込み、
金色の光が暖炉の炎とまじり合ってきらりと瞬いた。
イエレナは椅子から身を乗り出し、
暖炉の上に飾られた木製の梁越しにキッチンの方を覗き込む。
木製の床が軽くきしみ、
調理台に並ぶ器具が春の光に照らされているのが見えた。
「えっ……ほんと? うれしい……!」
胸がふわりと温かくなる。
思わず立ち上がりながら、
イエレナは胸元でそっと指先を重ねた。
暖炉のぬくもりが背中を押すように、
彼女はキッチンへ一歩近づく。
そして――
ほんの一瞬ためらってから、
柔らかな声でそっと言葉をこぼす。
「あっ……でも、それなら……一緒に作ってみたい、かも」
春の日差しに混ざって、
その“かも”が台所まで届き、空気がふわっとゆらぐ。
ギウンとアウルの顔が、
同時にキッチンのカウンター越しに引きつって見えた。
(姫さんに包丁……いや、お菓子なら……どうにかなる……か?)
暖炉の火がぱち、と弾ける音にまぎれて、
ギウンとアウルの心の声まで聞こえてきそうだった。
リリュエルはケラケラと笑いながら、
天井近くをくるくる旋回し、金の光粒を散らす。
キッチンには、木の梁のあたたかさと
石壁のひんやりした空気が心地よく混じり合い、
春らしい甘い気配が満ちていた。
「イェナ、料理下手っぴなんだね!」
「ちょっ……!」
「リリュエル……!」
慌てふためく二人をよそに、イエレナは顔を真っ赤にして抗議した。
「なっ…慣れてないだけなの!」
ほんの少し震えた「……だめ?」の声に、
キッチンの空気が一瞬止まる。
ギウンとアウルの胸に、ずしりと罪悪感が落ちていった。
「い、いえ! 姫さんでも作れそうな焼き菓子をやってみましょう!」
慌てて声を張るギウン。
しかしその直後――横の調理台へそっと視線を向ける。
そこには 蜂蜜壺と、ふんわりした生地の入ったボウル が置かれていた。
(……こっちはリリュエルの“本命”のお菓子……
こっそり作っちゃうか。)
ギウンは心の中でそっと頷き、
もう片方の調理台に備えていた材料へ手を伸ばす。
はちみつを温めてとろりと溶かし、
香りのよいバターと混ぜ合わせると、
ふわっと甘い香りがキッチンに広がった。
「ギウン、それ……何?」
イエレナが気づいて首を傾げる。
するとギウンは少し照れくさそうに笑った。
「ええと……リリュエルの“はちみつのお菓子”です。
姫さんたちが作ってる間に、さっさと仕込んじまいます。」
「やったぁ!! ギウン最高!!」
リリュエルが歓声をあげ、
ギウンの肩の周りを金色の尾を引きながらくるくる飛び回る。
アウルはその様子に静かに息をつき、
ちらりとギウンへ視線を送った。
「……器用ですね、ギウン。」
「そりゃ、姫さんの胃袋は守らなきゃいけないからな。」
軽口めいた言葉に、イエレナの頬がぷくっと膨らむ。
「もう……そんな言い方しなくても……」
その表情にギウンは「あ、やべ」と目をそらし、
アウルはわずかに眉をゆるませた。
◇ ◇ ◇
イエレナの前のボウルでは、
ぎこちない手つきで粉とバターがもそもそ混ぜられていく。
その隣――
ギウンの手元では、
はちみつ色の生地がみるみる滑らかにまとまり、
まるで職人のようにリズムよく木べらが踊っていた。
アウルはイエレナの隣で静かにサポートをしながら、
時折ギウンのほうに視線を送る。
(……同じ“お菓子作り”でも、落ち着き方が全然違う……)
粉がふわっと舞い上がるたび、
イエレナは「わぁっ……!」と慌ててボウルを抱え込み、
その向こうではギウンが苦笑しながら蜂蜜生地を滑らかにまとめていた。
暖炉の火がぱちりと揺れ、
甘い香りが二つの調理台を行き来し、
リリュエルの笑い声が天井の梁に反響する。
穏やかさと賑やかさが同時に満ちる中――
事件は、アウルがほんの一瞬だけ目を離した時に起きた。
「もっと砂糖! 甘いほうが美味しいって!」
「えぇ~……そんなに?」
リリュエルの誘惑に押され、
イエレナは素直に頷きかける。
その手に握られているのは――
よりにもよって、“塩”の瓶。
その瞬間、
横目で見たアウルの表情が凍りついた。
(……あれは……塩……!?)
振りかざされた瓶に気づいた彼は、
普段では考えられないほどの声量で叫んだ。
「ちょっ!! それ塩です!!」
「ひゃっ――!?」
びくぅッ!
イエレナの肩が跳ね、手がぶるんと揺れる。
そして――反射的に塩がざらりとボウルへ。
天井まで伸びる沈黙。
「え、えぇぇ!? ご、ごめん……っ!」
慌ててボウルを抱え込んだ拍子に、
粉がふわっ――と盛大に舞い上がる。
次の瞬間、
台所は一瞬で“冬の訪れ”に包まれた。
白い霧のような粉が光を散らし、
陽だまりのキッチンはまるで雪景色のように薄白く霞む。
「げほっ……! けほっ……!」
粉まみれのギウンが大きくむせ、
アウルは額を押さえたまま動きを止める。
その中でイエレナは涙目で、
わずかに震える声をこぼした。
「……だ、だいじょうぶ……かな……?」
その小さな不安に、
雪のような粉をまとったアウルがふっと目を細め、
肩の力をぬくように息を吐く。
そして、苦笑まじりの柔らかな声で告げた。
「……甘じょっぱいクッキーも……世の中には存在しますから」
フォローのつもりの言葉は、
どう考えても苦し紛れだったが――
それでも優しさだけは真っ直ぐ伝わる。
ギウンは遠い目をしながらも、
粉を払い、深呼吸して肩を落とした。
「……まぁ、失敗も経験のうちです」
その横で、
リリュエルは空中で身体をくの字に折り曲げながら
お腹を抱えてケタケタ笑っている。
「イェナったら最高~!
ボク、こういうの大好き!!」
イエレナはますます恥ずかしそうに俯いたが、
その頬はほんのり桜色。
やがて――
オーブンから甘く香ばしい匂いが立ちのぼり、
台所は“お菓子作りの成功”を告げる温かな空気に満ちていった。
焼きあがったクッキーを皿に並べながら、
イエレナはほっと胸をなで下ろす。
「見た目は……ちょっとあれだけど……」
「でも、味はきっと大丈夫だよ!」
リリュエルが胸を張り、きらきらした目で言い切る。
「美味しい匂いで美味しくない食べ物は存在しないよ!」
粉の香りと甘い匂いがゆるやかに混ざりあい、
温かい気持ちが胸の奥にやわらかく広がっていく。
――うん、大丈夫。きっと。
小さな自信がそっと灯る。
その自信を胸に、イエレナは焼きあがったクッキーの中から
“形がまだましなもの”を選んで小皿に並べた。
……けれど、いざ“セレストのことを思い浮かべる”と、
さっきまでの落ち着きはどこかへ消えてしまう。
息を吸うたび、胸の奥がどきどきとうるさく跳ねた。
(……セス、喜んでくれるかな……?
いつも助けてもらってばかりだし……少しでも、お礼になればいいけど……)
胸の奥で落ち着かない鼓動を抱えながら、
イエレナはそっとエプロンの端で手の汗を拭った。
皿にのせたクッキーは形こそいびつだけれど、
ほんのり甘い香りがふわりと漂う。
その素朴な香りが、まるで“手作りの気持ち”そのもののようだった。
意を決して、セレストの部屋の前に立つ。
扉の前で深呼吸をひとつ。
それでも緊張は消えず、声が震えないか心配になる。
コン、コン。
「セス……今、いいかな?」
控えめに声をかけ、
そっと扉を少しだけ開いて中を覗く。
ほんの一瞬の沈黙が落ちたあと――
「イェナ?」
机に向かっていたセレストが、
音に気づき、静かに振り返った。
そして。
ほんのわずか、息を呑む気配。
驚きとも喜びともつかない微かな揺らぎが瞳を走り、
そのまま自然と口元がやわらかくほころんだ。
「どうしたの? そんなふうに立ってるなんて。」
穏やかな声音。
けれど、どこかイエレナにだけ向けられる特別な優しさが混じる。
セレスト自身も気づいていない。
いや、気づいていても隠しているのかもしれない。
その微かな甘さに、イエレナの胸がぽっと熱を帯びた。
「セス……あの、みんなでクッキー作ったの。
見た目は……よくないけど……食べる?」
セレストの机へそろそろと近づきながら、
差し出された声は心許ないほど小さく震えていた。
皿を持つ手は、落としてしまいそうなほど力が弱く、
その不安がそのまま伝わってきそうで――
セレストは思わず椅子から半分身を起こした。
そして、彼女の揺らぎごと受け止めるように
静かに、けれどとても優しく微笑む。
「――もちろん。いただくよ」
細長い指が皿からクッキーを取り上げ、
迷いなくひと口かじる。
――かり、と控えめな音。
甘い香りと、ほんのり効いた塩気が舌を優しく包み、
素朴な香ばしさが、ふわりと広がった。
セレストは目を伏せ、一度ゆっくり味わってから顔を上げる。
イエレナは胸の前でぎゅっと手を握りしめ、
不安と期待が混ざった瞳でじっと見つめていた。
「……どう?」
不安そうに身を乗り出すイエレナ。
そのタイミングを待っていたかのように、リリュエルが弾む声で割って入る。
「イェナねぇ、途中で砂糖と塩間違えたんだよ~!」
空気を読まない暴露を元気いっぱいに放り投げると、
リリュエルはイエレナの抗議を聞く前に
“すちゃっ” と方向転換して光の尾を引きながら逃げ出した。
「ちょ、ちょっと、リリュエル~~!!」
イエレナが顔を真っ赤にして声を上げるが、
廊下の向こうへはすでに金色の光粒しか残っていなかった。
セレストはその微笑ましいやり取りに目を細め、
堪えきれずにクスクスと笑った。
「……だからか。甘さの奥に、ほんのり塩気がいるんだね」
穏やかに告げられたその一言は、
まるで彼の笑顔ごと優しさを含んでいて――
イエレナの心臓が跳ねる。
頬の熱をごまかすように視線を落とすと、
セレストはさらに表情をやわらげて言った。
「……美味しいよ」
静かに、しかし確かに響く声。
その一言はやさしく胸の奥に届き、静かに弾けた。
イエレナは熱を隠せず俯いたまま、
小さく「……よかった」と呟く。
ちょうどその時――
廊下の向こうから、
ギウンの作った蜂蜜の焼き菓子を頬張るリリュエルの、
「しあわせ~!」
という弾んだ声が微かに響いてきた。
その明るい声音と、
セレストの柔らかな微笑みと、
ほんの少し焦げたクッキーの甘い匂いがまざり合って――
春の陽だまりのように、
ゆっくりと部屋を満たしていく。
不器用なほどに甘い、そのお菓子と時間は――
素朴な味わいの奥で、小さな光となり、
彼女の心にそっと灯っていくのだった。
(了)
もし気に入っていただけたら、本編もそっと覗いてみてください。
▼本編はこちら
『亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』
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