第3章第2節「統帥奪取」
10月4日 午前6時11分。
市ヶ谷・防衛省 地下第1作戦会議室。
室内の空気は異様に静かだった。先ほどまでAI“YAMAT-5”の解析結果と衛星画像が表示されていたスクリーンも、いまや黒く沈黙している。
その沈黙を、鋼鉄製の扉が破った。
ガコン。
「統合幕僚長、鹿島元成殿——特戦群・第5対処班、高浜拓真・2等陸佐、ただいま作戦行動下にあります」
無表情の高浜が、戦闘服の特戦隊員数名を従え、会議室へと踏み込んできた。銃器は肩に構えず、だが安全装置も解除されたまま、室内全体を警戒している。
幕僚たちは凍りついた。鹿島は顔を紅潮させ、立ち上がる。
「……反乱か! 貴様、それでも自衛官かッ!」
高浜は冷静に答えた。
「いいえ。私は、命令の空白に抗い、国を守る行動をとっただけです」
堀川慶は沈黙したまま、端末を操作した。AI“YAMAT-5”の画面が復旧し、淡々とした分析結果が表示される。
「行動正当性評価:40%。文民統制逸脱リスク:重大。実効防衛効果:中」
「この行動に正当性はない。ただし、この沈黙にも正当性はない」
堀川の声は微かに震えていた。
高浜が前に進み、会議室中央の戦略卓に身を乗り出す。
「我々が防衛出動を渋っている間にも、国土は蹂躙されている。現場は、命令もなく、血を流している。それが国家といえるのか」
「黙れッ!」
鹿島は叫び、机を叩いた。
「この国の軍事は、政治の下にある。自衛隊が勝手に動いたら、それは軍事独裁だ!」
「ではお尋ねします。政治は、いま動いていますか? 総理は“戦争ではない”と声明を出しました。あなたは命令を出さない。私は、空白を埋める以外に道がなかった」
その瞬間——
別の扉が開いた。
防衛省内警務隊(MP)所属の憲兵たちが、重装備で会議室になだれ込む。
「高浜拓真・2等陸佐。武装による省庁内侵入および指揮系統逸脱の容疑で、拘束する」
特戦群の隊員たちが一瞬身構えるも、高浜が手を上げて制止した。
「武器を下ろせ。ここで銃撃戦など、敵に笑われる」
憲兵たちは無言で拘束具を出す。
高浜は静かに両手を差し出した。
「これは反乱ではない。“命令の不在”に対する、国家機構の反射行動だ」
彼は最後に会議室を見渡し、ゆっくりと呟いた。
「命令を出す責任を恐れるならば、我々はただの“制服を着た無人機”だ」
数時間後。
統合幕僚監部は、この“事件”の詳細を公表しなかった。
高浜は“極秘任務中の行方不明”と記録され、特戦群の行動も記録から抹消された。
メディアも沈黙を保ち、防衛省の中枢は、再び日常を装って動き出した。
市ヶ谷に吹いていた風は止み、静寂が戻っていた。
しかし、その静けさは、決して平穏ではなかった。
それは国家の中枢が、自らの“死”を認めた証でもあった。