第2章1節『命令なき戦場(ゴースト・オーダー)』 第1節「指揮系統の死角」
10月3日 午後2時15分、南西諸島戦域。
沖縄本島南方150kmの洋上を、海上自衛隊の護衛艦「まや」が単独で哨戒していた。
艦長・氷室誠司・1等海佐は、前部艦橋の戦術指揮台で、複数のモニターを睨んでいた。CIC(戦闘情報中枢)から報告が上がる。
「艦長、東方37km、推定中国海軍所属のType 071揚陸艦接近中。上空に艦載無人機3機を確認。ジャミング波あり」
氷室は短く息を吸った。「交戦規定は?」
「統幕より“観察継続”。交戦許可なし」
副長が小声で言った。「現場の状況と明らかに乖離してます。あの距離でドローン飛ばされたら、こちらが先にやられます」
「……艦内即応態勢をレベル3に引き上げ。CIWS、SM-2、SSM装填確認」
氷室は通信士に命じた。「東京へ再照会。『敵性行動継続中。交戦許可の要否再確認』」
だが彼は、答えが戻らないことを知っていた。
同刻、沖縄・那覇基地。
航空自衛隊第9航空団司令・板垣裕一・空将補は、管制室の巨大パネルを前に、歯を食いしばっていた。
「与那国島南西の空域、F-16Cが中国軍J-20とニアミス。警告フレア確認」
「司令、スクランブル命令が……まだ来ていません」
「PACOMは?」
「グアム司令部より照会あり。“日本側の即応がないなら、戦域空域の作戦主導権移譲を申請する”と」
板垣は怒気を抑えながら言った。「日本の空なのに、我々が主権を譲るのか」
「政治判断が優先とのことです」
「命令なき戦場……か」
彼は静かに部下に命じた。「F-15J第304飛行隊に出撃準備指令。非武装の上で空域哨戒。命令があれば、即時武装展開可と伝えろ」
「了解」
午後3時47分、「まや」艦橋。
Type 071がさらに距離を詰めてくる。甲板には装甲車両、兵員の姿も確認された。ドローンが「まや」の上空1000mを旋回。
「艦長、明らかに上陸準備行動です」
氷室は、戦術端末を握りしめた。政府も統幕も、何も指示を出してこない。だが敵は、目前にいる。
「CIWS、射撃指向準備。SSM-1B、目標ロックオン」
副長が目を見開いた。「独断発射になります」
「我々が黙れば、民間人が殺される。海軍士官とは、黙って溺れる者じゃない」
午後3時51分。護衛艦「まや」から、中国艦へのSSM-1Bが発射された。
超音速の対艦ミサイルが海面を這い、赤い閃光を残して目標に命中。
爆発炎上したType 071の艦影が、水平線に沈んでいった。
この瞬間、"沈黙の日本"において、最初の砲火が「独断」によって放たれた。
そして世界は、この発射をもって、日本が「戦争状態」に入ったと認識する。