8.的当て
天文二十一年四月五日。
俺が朝食を取っていると、息を切らせてお市が飛び込んできた。
お市は少し涙目で俺を睨む。
「魯兄者もわらわを嫌いになかったかや」
「そんなことはない。俺はお市が好きだぞ」
「なら、いつもいないのじゃ」
「親父の葬儀で忙しかった」
「わらわも出たかったのじゃ。母上は駄目じゃと申すし。信勝兄者は邪魔だから部屋で大人しくしろと怒鳴るのじゃ」
「我が家に来たら俺が居なかったと」
「そうじゃ。わらわを避けていたのじゃ」
「避けてない。お市が来た日は俺が葬儀に行っていた」
「わらわだけのけ者にしたのじゃ。わらわだけ呼ばれないのは嫌われたからじゃ」
駄々っ子お市だ。
親父が死んでから他国の間者が多く入っていた。
外に出すのは危険だった。
お市も簡単に末森城を抜け出せなかったが、末森下で供養式を日は城の警備も手薄となった。
その隙を見計らってお市は中根南城にやってきた。
供養式に行っていた俺はいない。
一月近く、遊んでやっていないので我慢の限界を超えたらしい。
お市の護衛侍女は千雨である。
その千雨がお市の後ろで何度も頭を下げて謝っていた。
俺の横にいた千代女がそっと顔を近づけて耳元で囁いた。
「若様。お市様の相手をしてやって下さい」
「千代。いいのか?」
「月次決算は我々のみでも大丈夫です。話がまとまった所で呼びに行かせます」
「助かる」
「里様も声を掛けて下さい。寂しがられております」
「わかった」
月次決算、俺に集まるお金の報告会議だ。
月毎に集計されて報告される。
収入が増えていれば、何に使うか。
収入が減っていれば、どこの部門の予算を削るか。
一月の上下など問題ではないが、それが十二ヵ月間になると、大きな金額へと変わる。
毎月の微調整は必要だ。
年次は収穫を終えた十月であり、十二月から新しい予算に組み替える。
その年が豊作か不作かで予算編成が大きく変わる。
例えば、昨年(天文二十年、1551年)は、関東で飢饉が発生した。
西国で買った米を関東に売るだけを大儲けした。
その米を買う為に様々の部署の予算をかなり削り、購入費を捻出した。
その儲けた銭を尾張国内で消費するか、他国で使用するか、そんな大枠を決める叩き台が年次決算である、そして、その予算を元に十一月の年次総会で方針が決める。
年次と同じように、月毎に微調整の総会が開かれる。
今日の月次決算で月次総会に提出する予算を決める。
「山口が動き出せば、若様は今以上に忙しくなられます」
「忙しくなると思うか」
「信長様と信勝様の調整が必要となり、信光様は若様に押し付けてきます」
「嫌な予想だな」
「間違いないかと。今の内に減られる仕事は減らしておきます」
「頼む」
山口-教継が謀反を起こせば、俺の仕事が増える?
優秀な秘書は嫌な未来を想像していた。
せっかく減った仕事が、また増えるのか。嫌だ。嫌だ。
「さくら、若様の護衛を命じる」
「判りました」
「牡丹、今日はさくらの代理だ」
「任せて下さい。大丈夫です」
さくらが牡丹に「大丈夫?」と尋ねると、「さくらがいない方が楽です」と答えていた。
さくらは言わなくてよいことまで言うから見ている方がハラハラする。
千代女の英断に牡丹が胸を撫で下ろした。
という訳で、里を連れて別邸の広間に移動した。
「魯兄者。今日は何をして遊ぶのじゃ」
「今日はこの広間で“的当て”をしよう」
「的当ては得意なのじゃ」
「私も頑張る」
「里、わらわがコツを教えてやるのじゃ」
的当て。
正式には『投扇興』と呼び、扇で的を当て、落ちた方向などで得点を競う。
源氏物語にも登場する雅なゲームだ。
方向で得点を変えるのは面倒なので、的に当たったら一点とした。
「わかったのじゃ。的を落とせば、一点なのじゃな」
「それと特別ルールを採用する」
「ルールとは何じゃ」
「決まり事という意味だ。的を当てる毎に一歩下がり、的を外すと一歩前に出る」
「問題ないのじゃ」
「十投で一試合として三試合する。一試合で得点が多い順に褒美を出そう」
「褒美じゃと」
「褒美ですか」
「小粒だか、砂糖を使った一口饅頭二十個だ」
「わらわが一番なのじゃ」
「私も負けない」
「一試合毎に一位に饅頭を三個、二位に二個、三位に一個を配る。その試合を三回して、最も多く饅頭を集めた者に、さらに二個の饅頭を贈呈しよう」
「全部、わらわが物じゃ」
「ううう、兄上」
「的当てが苦手な里に不利だな。そこで一試合毎に俺から里に饅頭を一個譲ることにしよう。お市、それでいいか」
「問題ないのじゃ。どうせわらわが一番なのじゃ」
「そうだといいな」
「当然なのじゃ」
二十個の小さな饅頭を報償として的当てゲームが始まった。
先陣はお市が務めた。
台の上に置いた人形に扇を広げて投げると見事に当てた。
「完璧なのじゃ。次ぎは里じゃ」
「頑張る」
「里、もっと狙いを定めるのじゃ」
「こんな感じ?」
「そうじゃ。的へ一直線に投げると当たるのじゃ」
えい。
里はお市に言われた通りに開いた扇を平らにして的へ投げた。
だが、勢いが足りない。
途中でポトリと扇が落ちた。
平行に投げるのは意外と難しい。
「里の敵は俺が討とう」
「兄上、頑張れ」
「任せろ」
俺は勢いよく投げた扇は的を狙った。
紙飛行を飛ばす要領で押し出すと、扇は的へ向かって行った。
しかし、的を外して落ちていった。
微妙にズレて難しい。
俺と里は一前に出る。お市は一歩下がった。
一歩で何かが変わる訳もなく、次投もお市は見事に命中した。
里と俺はまた外した。
意外と難しい。単純で簡単だが難しい。
三投、四投、五投。
ここから特別ルールが生きてくる。
的が近づき、俺の扇が的を当てだした。
里もやっと届くようになり、勝負に参加し始めた。
「あぁ」
「里、惜しかったのじゃ。次は当たるのじゃ」
「うん、頑張る」
だが、里が投げた扇は当たらずに十連続で外した。
お市は……十投十的中だった。
お市:十点。
俺:三点。
里:ゼロ点。
お市に饅頭三個を渡し、里に一個を渡す。俺は二個貰ってから一個を里に渡した。
お市三個、里二個、俺一個だ。
一試合目が終わると、二試合目が始まった。
お市は十歩下がった位置から扇を投げた。
「よし、当たったのじゃ!」
十歩下がってもお市は扇を的確に当てた。
しかし、扇の投げ方が変わた。
最初は一直線に的を射たが、一試合目の終りから山なりになった。
まっずぐに投げても扇は失速し、途中から富士山の輪郭を描くような軌道に変わってゆく。
お市は経験から感じて投げ方を変えてきた。
自慢するだけあり、お市はまったく外さない。
俺は当りから始まったが、外れを続けた。
可怪しい。そして、里は……。
「やった」
「里、凄いぞ。やっと当たったな」
「里は凄いのじゃ」
里も的に当てた。
十歩も前に出ると、里でも当たられるようだった。
俺と里は当り外れを繰り返す。
お市も二連続で外し、最後の二投を連続で当てた。
「よし、最後も当たったのじゃ」
「お市は凄いな」
「わらわは凄いのじゃ」
お市は八点だ。
俺は五投目まで1当てだったので、残り五投をワザと外した。
里は当たったり外したりを繰り返して四当りだった。
「饅頭を配るぞ。お市は三個だ」
「当然なのじゃ」
「里は二個だ」
「やった」
「俺は一個だが、この一個は里に譲る」
「兄上、ありがとう」
さて、最後の三試合目だ。
俺はワザと外したので里より前に出た。
お市だけ、遙か後ろから投げる。
後ろに下がると軌道を読むのが難しい。
お市は一投目から外した。
俺は手を伸ばせば、的に届きそうな距離を外すことはない。
体の小さい里も頑張った。
俺は八投目で六当だ。
お市は八投目で三当、残り二投を命中させてもで一位は取れない。
俺の作戦勝ちが決まった。
里が四当であり、残り二投を当たると並ぶ可能性が残っていた。
俺は次を外し、最後を命中させて単独首位を取った。
「わらわは最下位なのじゃ」
「里、頑張ったな」
「うん」
「饅頭を配るぞ。俺は七当ての一番だから三個な」
「魯兄じゃは狡いのじゃ」
「何が狡い?」
「二試合目でワザと外して前に行ったのじゃ」
「作戦だ」
「里は六当で二個な」
「ありがとう」
「お市は一当て足らない六当だから一個だ」
「しょんぼり、へにょんなのじゃ」
変な言葉を使うお市だった。
三試合目のハンディで俺の一個を里に渡す。
すると、合計が逆転した。
お市は 三個、三個、一個の合計七個
俺は、二個、一個、三個の六個だが、その内の三個が減って合計三個。
里は、一個、二個、二個の五だが、譲渡された三個を加えて合計八個。
お市を逆転して里が総合一位だった。
「優勝は里だ。総合優秀で残り二個を里に贈呈する」
「何故なのじゃ」
「計算は間違ってないぞ。お市が調子に乗って一試合で勝ち過ぎたのだ。勝ちが決まった時点で的を外していれば、三試合とも圧勝だっただろう」
「ワザと外すなど嫌なのじゃ」
「それが戦略だ」
お市がスゴ~く嫌そうな顔をした。
三試合を通して勝とうと思えば、戦略が必要になる。
そういうルールを考えた。
お市も戦略の大切さを知ってくれるといいな。
そんな願いだった。
「お市様。悩む必要はありません。どんな遠くからでも的に当たるようになれば良いのです」
「なるほど、さくらは賢いのぉ」
「さくらに卑怯の文字はありません。常に全力です。全力で困難を突破するのです」
「判ったのじゃ。どんなに遠くとも全部当ててみせるのじゃ」
余計なことを言うな。
俺はさくらを睨んだ。
どうして睨まれているのか判らないさくらが頭を横に傾け、一差し指を頭に当てて首を捻った。
ちょっとでも、さくらに期待した俺が馬鹿だった。
「さくら、お手伝いありがとう。これを上げる」
「里様。これは総合優勝のご褒美ではありませんか」
「多すぎて食べられないから上げる」
「ありがとうございます。このさくら。里様に一生付いてゆきます」
「さくらはいつから里に仕えるようになったのだ」
「もちろん、若様にも仕えております」
「調子の良いことだな」
「若様。饅頭が二個しかありません」
「二個だな」
「饅頭が二個ではここにいる全員に配れません。平等に配る為にもう一個入ります。若様の器量をお見せ下さい」
「二個を三人で分けるのは難しいな。ここは主人として、その二個を取り上げてやろう」
「そんな殺生な。鬼ですか」
「嫌か?」
「嫌です。この饅頭は里様からさくら頂いたのです」
何故か漫才になる。
さくらが抵抗する必死さにお市と里が笑った。
これが演技なら俺はさくらを尊敬する。
もちろん素だ。
「お市様、里様、さくらを笑うなんて酷いです」
「悪かったのじゃ。お詫びにわらわが一個やるのじゃ」
「お市様、ありがとうございます。ケチな若様と違いますね」
「一言多い」
お市と里の為におどけているのは判るが、さくらは調子に乗り過ぎだ。
俺は控えている侍女に言った。
「俺はケチではないぞ。料理長に告げておけ、さくらを除く養父、母上を含むすべての侍女の夕食に饅頭を付けるように言っておけ」
侍女が「畏まりました。若様、ありがとうございます」と言うと、さくらが俺に縋り付いた。
「どうして、さくらだけ外すのですか」
「さくらは饅頭をお市と里から貰っただろう。俺をケチと言った罰だ」
「訂正します。若様はケチじゃありません。さくらにも饅頭を付けて下さい」
「嫌だ」
「後生です」
もちろん冗談だが、こういう下らない会話も楽しいな。
さくらは人を楽しませるツボを知っている。
お市と里が笑っていた。




